わが逃走[97]東京二十年前の巻
── 齋藤 浩 ──

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謹賀新年。

正月にサイタマの実家に帰ったら、着いた早々父から「今日は早く帰れ」と言われた。久々に息子が来ると母が疲れるからという理由だそうだが、そりゃ年相応にくたびれてきてはいるけど母はいたって元気であり、せっかく息子が帰ってきたのになんか他に言い方あるだろ? なんて思わなくもない。

まあそんなこんなで実家ライフはとっとと切り上げ、20時間後には事務所のある東京都世田谷区へ戻ってきたのでした。で、今日ご紹介するのは、そのときに発掘された昔のネガ(20〜30年前のもの)からスキャンした写真。大昔でもないけど、ちょっと前の東京の風景をご覧ください。

私がムサビの学生だった頃、「帝都物語」(荒俣宏)なる小説にハマりまして、その舞台となった帝都・東京の建築たちを記録しておきたい! と思い立ち、何度かカメラ片手にぶらついたことがあります。

ところが私が撮ると、それらの建築はことごとく解体されてしまうのです。それに気づいてからは、しばらく撮影を自粛していたのですが、結局その甲斐もなく、いわゆる名建築とされるものたちはただ四角いだけの味気ない建物に変貌してゆきました。

周りを見渡しても、社会状況も激変した21世紀の今に、敗戦直後に計画された道路拡張工事がスタートしたりと、やはり東京という土地は土建屋にやさしいスクラップ&ビルドの街であることは変わらないようです。

"保存ビジネス"でエラい人が私腹を肥やせる構造を作らない限り、この流れは止められないのでしょうか。文化のない街には経済も育たないと思うんだけどなあ。

おっと、新年早々考え込んじゃうのはいかんです。なつかしくも美しい、ちょっと前の東京をご紹介しましょう。




◎食糧ビルとその周辺

最後の17年間は三階に「佐賀町エキジビットスペース」が入っていたため、かなり知名度はありましたね。それにしてもここが閉鎖されたのが2000年でしたか! まだ5、6年前だと思ってました。うーん、光陰矢の如しです。

この写真を撮影した頃はバブル期だったため、まだ周囲にもかろうじて同時代の建築を見ることができました。つまり、バブル期のバブルな計画は、バブル崩壊後に適用されて、不景気のさなかに名建築の解体ラッシュが起きたのです。

さて、この食糧ビル、狭い道路に囲まれたデカイ建築なので、地面に立って全体像を撮影することは不可能でした。

ああ、この頃15mmレンズを持っていたら! なにせ当時の私の機材はミノルタα7000と28-85mmのズームレンズのみ。塀に背中を押し付けながら撮影して、アーチの続く壁面しか撮れないという状況です。
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これでなんとかダイナミックな量感と繊細なリズムを感じ取ってくれい!
この建物はがっちりした三階建て(だったと思う)のロの字型ビルで、中庭に入ると、こんな感じ。
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ヨーロッパの映画にでも出てきそうな雰囲気でした。この食糧ビル、ものの本によれば、1927年(昭和2年)竣工とあります。ふたつの大戦の合間の、自由とか文化とか、そういったことをきちんと主張できた時代を肌で感じることができなくなったことは寂しいかぎりです。
内部。
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階段と廊下です。変な威圧感もなく、いい人っぽい感じです。そうなのです、なぜか私は建築に人格を感じてしまうところがあり、食糧ビルや三信ビルなんかはデカイけど話のわかる人って感じがします。それに対して、九段会館や国立博物館などは横暴な性格なのでやや苦手です。

そして、周囲にも小さないい感じの建物がたくさん残っていました。中でもこの旧村林商店はスゴい! エントランスの見事なレリーフを見よ!
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おお、中央に籠目模様が配してありますね。なんとも帝都物語な感じです。
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もう解体されちゃったんだろうなーと思っていたら、なんとまだ現存するらしい!? こいつぁ確かめにいかないと! 近日中に深川へ行くぞ! それまで無事でいてくれ!!

◎同潤会大工町アパートメント

「帝都物語」の重要な脇役にこの「同潤会アパート」があります。プライバシーという概念が日本の文化に浸透してゆく過程を語る、その象徴として登場したんだったと思う(違ったらごめんね。なにせ読んだのは四半世紀前だ)。

同潤会アパートといえば、表参道ヒルズとなってしまった青山アパートメントが有名ですが、美しさでいえばこの大工町アパートメントの方が上でしょう。
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中央の円筒内の階段は、立体としても空間としても絶妙なオーラを放っていました。
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◎聖路加病院

行ったときにはすでに手遅れ、解体作業中の悲しい姿です。
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一部は保存されたらしいから、また行ってみようかと思う。
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聖路加病院といえば塔の部分が有名だが、裏手のちょっとした扉周辺も美しかったりします。
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◎九段下の憲兵アパート

昭和10年竣工。廃墟だと思って入っていったらまだ人が住んでた!
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不気味な空気が漂っていたこともあり、2〜3枚写真撮ったらとっとと帰ろうと思ったときにはすでに住民により通報されていたらしく、すぐにケーサツにつかまった。

「えーと、美大生で、課題で写真撮ってました」(嘘じゃない)とは言ったものの、過激派じゃないかと疑われ指紋をとられる。オレはおぼっちゃん育ちなので、ケーサツに指紋をとられたことがかなりショックだったのです。

後日、このことを同級生の女の子に話すと「あたしもケーサツに注意されたけど、にっこり笑ってごめんなさーいって言ったら許してもらえたよー」。

担当講師にも話したところ、「カメラマンたるもの、つかまってナンボじゃい。オレなんて海外で自動小銃つきつけられたことが何度もあるぞ」と鼻で笑われたのでした。こうして人は強くなってゆくのです。

以上、東京の名建築についてでした。実家から発掘されたネガの中には、この他にも渋い写真がたくさんあったので、今後だらだらと紹介していこうと思います。

それではみなさん、今年もよろしく。

【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
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1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。