1974
幼稚園の頃、学研の図鑑で見た流線型の蒸気機関車C55の側面図は、幼い私の脳に衝撃を与えた。
同じページに並ぶ他の機関車とは明らかに異なるフォルム。ウルトラ兄弟の中に突然、四次元怪獣ブルトンが紛れ込んだような違和感。
まさに異形の美というものを知った瞬間だったように思う。
たかが工業製品のイラストと言えばそれまでだが、5歳の子供はそこにツタンカーメンのマスクなど、原始美術にみられるような神秘的な、畏怖感にも似た吸い込まれるような美しさを感じたのだ。
感覚的にはひと目惚れというよりも「コワイけど好き」と言った方が適当かもしれない。それ以来、何年かに一度、私の脳内に流線型ブームがやってくる。
1978
小学4年生のときにSL列車が国鉄山口線で復活し、ちょっとした話題になる。
ブームに乗じて各社から蒸気機関車に関する本が出版され、私も小遣いで何冊か買った。
その中に、日本の流線型1号機ともいうべきC5343号機や旧満鉄のパシナ号、ダブサ号、そして蒸気機関車として世界最高速を誇る英国のマラード号とともに、ドイツの流線型蒸機05型の写真が紹介されていたのだ。
ボキャブラリーの少ない子供としては(か、かっこいい...。)と唸るしかなかった。
流線型といえばC55しか知らなかった私にとって、これらの資料は衝撃だった。それぞれ工夫をこらした形状をしており、どれも個性的なスタイルだ。
残念なことに写真の質が悪かったり解説がほとんどなかったりで、例えば後姿やカラーリング等、わからないところは想像するしかなかった。
しかし、想像して描くことがまた楽しく、そんな絵ばかり何枚もを描いていたことを思い出す。
幼稚園の頃、学研の図鑑で見た流線型の蒸気機関車C55の側面図は、幼い私の脳に衝撃を与えた。
同じページに並ぶ他の機関車とは明らかに異なるフォルム。ウルトラ兄弟の中に突然、四次元怪獣ブルトンが紛れ込んだような違和感。
まさに異形の美というものを知った瞬間だったように思う。
たかが工業製品のイラストと言えばそれまでだが、5歳の子供はそこにツタンカーメンのマスクなど、原始美術にみられるような神秘的な、畏怖感にも似た吸い込まれるような美しさを感じたのだ。
感覚的にはひと目惚れというよりも「コワイけど好き」と言った方が適当かもしれない。それ以来、何年かに一度、私の脳内に流線型ブームがやってくる。
1978
小学4年生のときにSL列車が国鉄山口線で復活し、ちょっとした話題になる。
ブームに乗じて各社から蒸気機関車に関する本が出版され、私も小遣いで何冊か買った。
その中に、日本の流線型1号機ともいうべきC5343号機や旧満鉄のパシナ号、ダブサ号、そして蒸気機関車として世界最高速を誇る英国のマラード号とともに、ドイツの流線型蒸機05型の写真が紹介されていたのだ。
ボキャブラリーの少ない子供としては(か、かっこいい...。)と唸るしかなかった。
流線型といえばC55しか知らなかった私にとって、これらの資料は衝撃だった。それぞれ工夫をこらした形状をしており、どれも個性的なスタイルだ。
残念なことに写真の質が悪かったり解説がほとんどなかったりで、例えば後姿やカラーリング等、わからないところは想像するしかなかった。
しかし、想像して描くことがまた楽しく、そんな絵ばかり何枚もを描いていたことを思い出す。
1986
高校一年のとき、坂本龍一がアルバム『未来派野郎』を発表。
1909年、イタリアで興った総合美術運動『未来派』を音楽により再構築するという胡散臭いコンセプトが最高にかっこよく、またライブの模様を臨場感たっぷりだったりそうでなかったりしつつ収めたアルバム『Media Bahn Live』も傑作中の傑作と言えましょう(オレ基準)。
クラフトワークによってロシア構成主義を知った私は、さらにここで未来派を知ったわけだ。
そのとき、副読本としてアルバムと同時期に発売された『未来派2009』がまた、私の流線型熱を呼び起こす。
この本は言ってみればマリネッティによる『未来派宣言』から100年の間(もちろん1986年以降は想像)に出現した美術や音楽、デザイン、文学、思想、事象、現象などを整理分類して紹介するもので、当然のことながら流線型蒸気機関車についても書かれている。
ここで私は初めて流線型という考えの大雑把な背景を、歴史・美術・デザイン・工業等の視点から知ったのだった。
1999
広告制作プロダクションを辞めデザイン事務所を開設したものの、暇だった。暇なのでよく散歩した。
事務所から徒歩15分くらいのところに洋書屋があり、その日はたまたまセールをやっていたのでのぞいてみた。
そこで運命的な出会いがあった。たまたま平置きされていた本を手に取ってみると、なんとまるごと一冊ドイツの流線型機関車の資料でぎっしりなのだ。
写真も鮮明で、設計図や当時の広告まで掲載されている。即買いである。金三千六百円。本のタイトルは『Stromlinie』、和訳すると流線型。これぞ私が長年探し求めていた本なのではなかろうか。
当然のことながら小学生の頃衝撃を受けた05型蒸気機関車もしっかり紹介されている。全部ドイツ語だが。
昔はホントにこんなのが走ってたんだよなあ。もはや機能する彫刻といえるほどの美しさじゃございませんか。
で、そこで気づいた。これって保存されてるはずだよね?? 小学生のときに買ったケイブンシャの「蒸気機関車大百科」を読み返し、確認する。
05は、ニュルンベルクにいる!!
2012
それから12年とちょっと。いつかはニュルンベルク! 是非とも本物の流線型蒸機に会いたい!
思いが募って何回かドイツ旅行を計画したのだが、休暇がとれる日程は航空運賃が最安値の約8倍、予算を軽くオーバーしたためやむなく断念。
しかし今年同じ旅程で調べてみると、円高ユーロ安もあってか昨年の予算の7割を下回る価格。という訳で思い切って旅に出た。
成田からルフトハンザのエアバスA380に乗ってフランクフルトへ。ドイツ国内はジャーマンレイルパスで移動。全てのDB(日本でいえばJRのようなもの)路線が期間中乗り放題の便利な切符だ。
列車はほぼ定時運行、駅のサイン計画もしっかりしていて迷うことはなかった。初めて海外鉄道の旅をするにはドイツがいいかもしれない。
フランクフルト中央駅にて。ドイツ新幹線ICEの鼻ヅラが並ぶ。機材は最新だが、駅舎にはハイジの頃の雰囲気が残っているように思う。
そもそも流線型とは、速く走るために空気抵抗を極力減らすべく追求していった結果の形状である。
ちなみに機能を追求した結果生まれた形状をデザインと言い、機能と無関係に生まれた形状をスタイリングと呼ぶ。
なのでよく雑誌記事などにみられる「デザイン優先で作られているので使いにくい」というような用法は間違っている。優れたデザインなら使い勝手も良いはずである。この場合は「スタイリング優先で作られているので」というべき。
ところで、我が国の流線型蒸気機関車は世界的流線型ブームによって生まれたスタイリング優先のものであった。
早く走るための設計というよりは流行に乗った"速そうに見える"効果を狙ったものと言えましょう。
とはいえ、スピード感を実際に走る機関車で表現したのだから、ある意味究極の広告であったと言えなくもない。
我が国初の流線型機関車C5343号機。"靴屋の看板"などと陰口を叩かれたりしたそうな。写真は数年前に手に入れたお菓子のオマケ。
そのへんは流線型のアイロンや電気スタンドなど、スピードと機能とが無関係なプロダクトとは大きく異なる点と言えましょう。
などと考えてるうちにニュルンベルクに到着。
約2時間のあっという間の旅だった。
ニュルンベルク中央駅
ニュルンベルク中央駅から徒歩で約5分、DB博物館が見えてきた。
ここの別館に05はいる。
チケットを購入した後、一旦外に出て向側の建物(DBのビル)に向かう。このビルのどてっ腹にはトンネルがあり、トンネルを抜けると新館が見えた。やや仮設っぽい建物。
扉を開けて中に入ると、目の前に真紅のボディの巨大な流線型蒸気機関車が! しばし呆然と眺める。
この日は幸か不幸かボディ側面のカバーを外した状態で展示されており、全体のフォルムを眺められない反面、直径2300mmの巨大な動輪やシリンダーなど、内部構造を見ることができた。スゴイスゴイスゴイ!!!!!!
側面のコルゲート板的意匠は何のためにあるのかと思っていたら、シャッターだったのです。これを開けて整備するわけですね。ほほう!
動輪のスポークまわりには強度保持のためと思われる"水かき"が。現代の工業製品には見られない美しさ。
クロスヘッドと呼ばれる部品。
ボイラーを中心としたボディは黒、動輪など下回りは赤で塗装されるのがドイツ蒸機の特徴だが、この05も流線型カバーを外すとこのルールに則った塗装が施されているのがわかる。
正面からの図。こうして見ると、かなりドロンボーメカ的な印象。写真だとカワイイが、実際に見るとまさに巨大メカ!
本館内にも流線型機関車を紹介するコーナーがあり、61型機関車の模型や図面などが展示されていた。
念願の05を目の当たりにした印象は、「でかい」だった。標準軌の機関車は狭軌である日本の車両と比べてただでさえ大きな印象だが、05はとにかくでかかった。
流線型カバーがつけられた壁側からも見ることができたら、塊としての美しさをより感じられたのではないかと思う。
またDB博物館の保存機の乗っている線路は本線と繋がっている。いつの日か05が自然光を浴びている姿を見ることも夢じゃないだろうし、ひょっとしたら火が入ることもあるかもしれない。そんな姿を想像しつつ、再度ドイツを訪れることを心に誓う齋藤浩であった。
【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
< http://tongpoographics.jp/
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1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。