パクリ疑惑とかトレース疑惑とか、「見つけたぞ! 先生(ネット)に言いつけてやるぞ!」的なブログ記事やスレッドをよく見かける。マンガのトレース疑惑は、よくここまでやるなあってくらいきっちり「証拠」を見つけて比較してたりして、作者が言い逃れできない感じに追い込んじゃうことが多いみたい。
ただ、「パクリ疑惑」に関しては、最近ちょっと違和感がある。作家やライターがWebや他人の著書や論文からコピペした盗用はトレースと同じだけど、ここでいうパクリはアニメや映像やその他コンテンツの「アレはナニに似てる」とか「元ネタはアレじゃないの?」的なやつね。
パクリと思ったのは、「オリジナル」をたまたま偶然知ってただけってことが多いんじゃないのかな? あと、「オリジナルを知っているから、パクリと指摘できるオレ」的な優越感や、同様に指摘できるであろう仲間へのアピールなんじゃないかと。
僕だって「コレはアレに似てる」的なことを言うけど、たまたまオリジナルを知ってたからであって、普通に流して見てる分には元ネタの有無さえわからない。アニメの一部シーンのパクリを指摘したところ、「じゃあ、こっちのシーンの元ネタ知ってる?」って言われてわからなかったらどうする? パクリと指摘した元ネタを、たまたま偶然知ってただけってことが浮き彫りになるだけだよ。
ただ、「パクリ疑惑」に関しては、最近ちょっと違和感がある。作家やライターがWebや他人の著書や論文からコピペした盗用はトレースと同じだけど、ここでいうパクリはアニメや映像やその他コンテンツの「アレはナニに似てる」とか「元ネタはアレじゃないの?」的なやつね。
パクリと思ったのは、「オリジナル」をたまたま偶然知ってただけってことが多いんじゃないのかな? あと、「オリジナルを知っているから、パクリと指摘できるオレ」的な優越感や、同様に指摘できるであろう仲間へのアピールなんじゃないかと。
僕だって「コレはアレに似てる」的なことを言うけど、たまたまオリジナルを知ってたからであって、普通に流して見てる分には元ネタの有無さえわからない。アニメの一部シーンのパクリを指摘したところ、「じゃあ、こっちのシーンの元ネタ知ってる?」って言われてわからなかったらどうする? パクリと指摘した元ネタを、たまたま偶然知ってただけってことが浮き彫りになるだけだよ。
町山智浩氏の「映画が昔からどれだけ影響しあって発展してきたか」についてのポッドキャストを聴いて以来、僕的に「パクリ疑惑」にはすごく寛容になりました。どんな映画もその以前の映画で投げられたボールを受け取って投げ、誰かが受け取ってまた投げを繰り返してるものだと。海外のドラマや映画に影響されたり、ハリウッド映画が日本のアニメから取り入れてるように、お互いいい部分を取り入れて発展してくもんだって。
なので、ロボットも怪獣もハリウッドにパクられたと嘆いている場合ではなく、ならこっちはこう作る! ってワクワクする場合なのです。ロボットも怪獣も元ネタは外国製だけど、日本でいろんな要素を加えて発展したんだから、やはりキャッチボール。今、ボールがこっちに返されたとこ。
パクられた! ってところで世界は終わらず、その先も続くんだから、って。先日も外国の映画に日本のゲームの一部にそっくりなシーンがあるという話題があったけど、そんな細かいパクリとかいちいち糾弾してたら新しいものは何にも生まれなくなってしまう。
実は僕もかなり最近までパクリとか真似とか、すごい抵抗ありました。だって、「機動戦士ガンダム」を「スター・ウォーズ」や日本のヒット作アニメからのつまみ食いで作ったロボットアニメってずっと思ってたもん。仮に消化不良部分があったにしても、結果的に新しい独自の文化に育ったわけで、そういうのが真っ当で本筋なんだろうなあと今は理解できてる、と思う。そもそも「スター・ウォーズ」自体が過去のいろんな作品の寄せ集めってこと忘れてた。
音楽も文学もデザイン、どんな文化も「すごいウケた方法」を踏襲したり踏み台にしていくもんですよね。大勢の人に「イイ!」って思われた「種(たね)」がいろんな人の手を経たり意外な化学反応を起こしたりして「定番」や「ジャンル」になっていくんじゃないかなと。ダメなら途絶えるだけ。
オリジナルへの愛とか、リスペクトやオマージュもあまり関係ないと思う。吸収したオリジナルを新しい表現に昇華させるみたいな高級なパクリから、単に表面的に真似しただけの安易なパクリまで、なんでもやればいいと思う(もちろん訴えられる可能性もあるから限度はあるだろうけど)。
たいていの作品が既存の何かと何かの組み合わせたアイディアってことを知ったとき、「そうだったのか! 今まで損してた!」って思った。何かまったく新しいものにしか価値はないと思ってたから。考えてみれば、新しい音楽だっていきなりポンと生まれるんじゃなく、過去の音楽様式の系譜に連なるように出てくるわけで。
ゼロから何かを生み出せる人なんていない。ありもしない「何にも似ていない完全オリジナル」を追いかけすぎて何も生み出せないより、何か作りながらゆっくり前進するほうがはるかにイイ。素直に「わー! これイイじゃん! 取り込もう。」でいいのかもね。
ところで、Kindle本「誰が音楽を殺したか?」は「誰が本を殺すのか」のもじり(?)その「誰が本を殺すのか」は「誰が駒鳥を殺したか?」から来てるという説も。本のタイトル、特に新書とかのタイトルって過去の大ヒット作に似せたタイトルやたら多くない? と思ったら、デイリーポータルZがちゃんとネタにしとるwwww
< http://portal.nifty.com/2011/09/29/c/4.htm
>
「世界の中心で、愛をさけぶ」もSF小説をちょっと知ってる人には「えええ〜〜!」ってタイトルだったと思うけど、元が何であろうとすでにこの言い回しは日本では完全に定着済み。元のSF小説を知ってる人のほうが特殊。っていうか、どちらの「世界の中心」も読んでないヤツですが。
【吉井 宏/イラストレーター】
HP < http://www.yoshii.com
>
Blog < http://yoshii-blog.blogspot.com/
>
......などと、クドクドと書いたくせに「そんな大声で演説ぶつような話か?」って気がしなくもなく、自信なし......。「あらゆるアイディアは組み合わせ」って、「ドラゴン桜」の作者三田紀房氏の著書「個性を捨てろ! 型にはまれ!」を読んで目ウロコだったんだけど、その本を知ったのは柴田さんのNo.2488編集後記だったです。
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