わが逃走[147]山蛸のことの巻
── 齋藤 浩 ──

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展覧会も終わり、放心状態が続く。

つまり、ぼーっとしていたのだ。

こういうときは、不思議なヒトが脳内を訪ねてくることが私の場合多い。

子供の頃からずーっとこうなのだ。こればっかりは仕方がないと言えよう。

その日も、ぼーっとしていたところ、脳内に山蛸がやって来た。


やまだことは山に住む蛸のことだ。
< https://bn.dgcr.com/archives/2014/09/25/images/yamadako >

私は村はずれの一軒家で工芸家のようなことをやっており、ここで暮らすようになって久しいらしい。

ある日山蛸が籠を背負って採れたての山菜を売りに来て、それがとても美味しかったのでその後も彼の山菜を買うようになった。

山蛸は稚内出身で、彼のお兄さんは地元で漁師をしているそうだが、「海の暮らしはどうも性に合わなくて…」ある日山に来てからここで暮らすようになったという。

それにしても山蛸の山菜は旨い。

ある日、おひたしにして持ってきてくれたので、それをお茶受けに縁側で一緒にお茶を飲んだのだが、山の空気と相俟って、なんとも繊細で力強い味だった。

山蛸は、私が美味しい山菜が食べたいなあと思うと、どこからともなくやって
くる。

いったい彼はどこに住んでいるのだろう?

ある日私はいつも通っている林道の脇から山の奥深くへ入っていった。

一時間ほど歩くとひと坪ほどの小さな円形の草地があり、その中心に唐突に壺がおかれていたのだ!

蛸壺である。

ははあ、ここが山蛸のおうちだな。

声をかけてみようかとも思ったが、それも何か違うような気がしたので私はそのまま引き返したのだった。

その後何日か経った。

このところ山蛸は何故か姿を現さず、私は彼に対してとても失礼なことをしたのではないかと心配になってきた。

日常生活でもこういうことをよくしてしまうのだ。“もののたとえ”が上手く伝わらずに相手を混乱させてしまったり怒らせてしまったり。

ああ、またやってしまったのだろうか。私は興味本位からとった行動を悔やんだ。あの旨くて安心な山菜が二度と食べられなくなるのだろうか。

不安がつのる。

それから何日か経って、いつものように山蛸が籠を背負ってやってきた。

その姿を見て安心した。いつもと同じ山蛸だった。

やあ、このところ姿を見せないもんだから心配したよと語りかけると、なんでもお兄さんに子供が生まれるとかで、実家の手伝いをしに稚内へ行っていたそうだ。

稚内へは山を越えた後、直江津あたりから日本海を海岸沿いに泳いで行くらしい。そりゃお疲れでしょうと言うと、蛸なのでへっちゃらだという。

最近ビジネスの方はいかがですかと尋ねると、道の駅で山蛸のつくった山菜弁当と栗おこわが評判になり、レギュラー商品として毎日納品することになったとのことだ。

さすがだなあ。良いものを作り続けると、周りがきちんとそれを評価してくれるんだね。

ところで、それらのパッケージングですが、ただパックに入れるだけってのも風情がないので、経木で作った折り箱にでも詰めてみてはいかがでしょう、よろしければ私に掛け紙のデザインをさせていただけませんかと申し出てみたところ、それはいい、是非お願いしますと言われ、さっそく仕事にとりかかった。

話はトントン拍子に進み、デザイン案はすぐにOKが出た。印刷は風情を追求し、木版を使うこととなった。

数日後、私はできたばかりの版木を風呂敷に包んで林道の脇を入っていった。

しばらく行くと前方にのろしのようなもの見える。近づいてみると、蛸壺から煙が出ていた。

火事か?

心配になってあわてて覗き込むと、「いらっしゃーい」と山蛸の声がした。

蛸壺の中は意外に広く、なんと十畳ほどの空間の真ん中に囲炉裏が切ってあった。さっきの煙はここから排煙されたものだったのだ。

「けっこうなお住まいで」。「それほどでも」。

挨拶もそこそこに作業を始める。

山蛸はなぜかプレス機を持っていて、ここで掛け紙を刷るのだ。午前中だけで、かなりの枚数を刷った。

「お昼にしましょう。」

そう言うと、山蛸はできたての栗おこわを折り箱に詰め、できたての掛け紙をかけてくれた。

山々をながめながら湧き水でいれたお茶とともにいただく栗おこわは、なんともいえない旨さだった。

海で生まれた蛸も、これなら帰りたくなくなっちゃうよなあ。

なんてひとりごちつつ、私はさらにぼーっとするのだった。

夢なのか妄想なのか。私は子供の頃からぼーっとするのが好きで、そうしていると山蛸のような不思議な生き物が脳内にやってくるのです。

彼らはいずれも職をもっており、自立した生活をしているから不思議です。

【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
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1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。