わが逃走[164]漢字の成り立ちの巻
── 齋藤 浩 ──

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「漢字の成り立ち」がマイブームだ。

絵が記号、そして文字へと発展していく過程を追ってみると、その変化の中には「見た目」や「音」だけでなく、それらに構造や情緒を重ねた演出が見えてくる。

さらには、『飛行機の歴史と「飛」という字を考えるの巻』でも書いたように、そこから無関係と思われるようなものごととの偶然の一致を発見できたりして、知れば知るほど興味がわいてくるのだ。

そうこうしているうちに、この面白さを多くの人たちと共有したい、さらにはこの構造を情報伝達(ポスターなど)の仕組みとして機能させられないだろうか、といったことを考えるようになった。

で、今年は三年に一度の「世界ポスタートリエンナーレトヤマ(IPT)」の年である。この国際コンペは、私にとって学生時代からの憧れであると同時に、最もチャレンジしがいのある大きな壁でもある。

という訳で、今回は『富山』をテーマに、漢字の成り立ちをビジュアル素材としたポスターを、自主制作することにした。




と決めたはいいが、そう簡単にいくのであろうか。まずは『富』と『山』、それぞれの成り立ちを調べるところから始めた。

『富』

家の中に酒のたくさん入ったつぼがある様子を表現。ウかんむりは屋根(=家や倉)、その下が酒のつぼ(≒とっくり)。つまり豊かである、恵まれた、ということを意味している。

なるほど、この字をじっと見ていると、がっしりとした木造建築のように見えてくる。やっぱり金持ちの家は柱が太い。

『山』

とてもわかりやすい象形文字。

私は今までシルエットというか、山の輪郭をトレースするような二次元的発想に由来するものと思っていたのだが、この字は複数の山々が重なり合う様子をモチーフとしていたのだ。つまりは連峰。

漢字が生まれた中国四千年の風景を思い描けばわかりそうなものだが、まったく気づかなかった!ずっと『まんが・日本昔ばなし』で描かれるような、どちらかといえば平面的な独立峰をイメージしていたのだ。まさに目からウロコ。

こうして調べてみると、いずれも絵になりそうである。

さて、絵になる条件とは?

そのひとつに“対比的関係”があると思う。たとえば、今回の『富』と『山』の場合、寄りと引き、内と外、人工と自然などをみつけることができる。

構成要素の中にこういった関係があると、画面の中でリズムをつけやすい。これはうまくまとまるかもしれない。

では、これらをいかにしてポスターとして成立させるか。

当たり前だが、ただ絵をでかくプリントして壁に貼っても、ポスターにはならない。ポスターとは広告媒体のひとつである。広告というからには、目的がなくてはならないのだ。

本来デザイナーは目的をもったクライアントから制作を依頼されるものだが、自主制作の場合は自分が仮想クライアントとなって、デザイナーである自分に発注する訳だ。

◎では、この案件の目的とは?

富山に興味をもってもらうこと。知りたくなり、好きになり、行きたくなるポ
スターを作る。これはすぐに決まった。富山の良さを、みんなに知ってもらい
たい。

◎では、みんなって誰? いつ、どこで、誰に対して発信するのか?

この行程を怠るとインチキなポスターになってしまう。というか、ポスターとして成立しなくなってしまう。

いくら自主制作といえども、クライアント(自分)の意向をデザイナー(自分)はきちんと把握しておかねばならないのだ。

という訳で、仮説を立てる。たとえば……

訴求対象その1 富山県以外に住んでいる大人
掲出場所その1 東京駅の新幹線改札付近

このように具体的に設定してみると、どんなものを作るべきか想像しやすくなる。東京駅のコンコースを歩いているビジネスマン、外国人観光客、学生など。

途中、思わず振り返り、立ち止まる。その目線の先に、これから作るポスターがあるのだ。そして次の瞬間、彼(彼女)は北陸新幹線のチケットを買っている……。

さらに、今回のビジュアル的な肝である『漢字の成り立ち』は、是非とも小中学生に「へー」と言ってもらいたい。

という訳で、こうも考えてみる。

訴求対象その2 富山県に住んでいる子供たち
掲出場所その2 たとえば富山市内の電停

セントラムやポートラムの停留場には、とてもきちんとしたポスタースペースがある。そこに貼られているポスターを指差す小学生。漢字を通して、改めて自分の故郷に古くから伝わる家や倉、そして山の形を思い浮かべ、にっこり微笑む。夏休みの自由研究のテーマが思いついたのかな??

と、ここまで考えるとかなりイイものが作れそうな気になってきた。

さきほど絵になる条件として“対比”を例に出したが、これはコンセプトに対しても有効なのだ。たとえば東京と富山、大人と子供。見た目だけでなく、概念における関係もバランスさせることができれば、デザインとしての厚みが出てくる。

で、いつ? 掲出時期を考える。これはもう、「今」である。今とは、IPTに応募してから展示が終わるまで。今から11月の下旬まで掲出されることをイメージした上で制作することとする。

ここまで決まればしめたもの。あとは楽しく作るだけ。構成はB0タテの二点シリーズとした。大きいことはいいことなのだ。

制作に入る。『富』をモチーフに、富山独自の木造民家建築をイメージしてスケッチを描く。富山から見える山々をイメージしながら『山』という字を書いてみる。

ここで重要なのは、説明的になりすぎないよう心がけることだ。

たとえば立山連峰そのまんま、五箇山の合掌造りの家をそのまんまを見せても誰も驚かない。みんな写真で知ってるから。その手前、それらを思い起こしてもらうこと、想像してもらうことが肝要なのである。

つまり、すべてを語らず、最後の一手を受け手に委ねる。

ポスターが触媒となり、受け手の想像力を引き出して初めて『富山に行きたい』『富山っていいね』が完成する。そういう構造をめざす。

すべてを語ってしまうポスターはダメなポスターだ。いま日本に掲出されているポスターの9割以上はダメなポスター。それを見た人は「ああ、そうですか」で終わってしまう。そして次の瞬間に忘れられてしまうのだ。

相手の記憶に残すには、そのための設計とクライアントの理解とが不可欠といえる(往々にして、クライアントはすべてを語りたがるものだ)。前者はデザイナーの努力次第でなんとかなるが、後者には対等な信頼関係が必須である。

とかなんとか考えながら、手を動かしているうちに、こんなのができた。

色彩的には黒と白の対比。時事性という意味で、北陸新幹線を配置した。ちなみに鼻ヅラを見せないのはその先の風景(=富山)を想像してもらうため。
toyama.jpg

我ながら納得がいくデザインだと思う。いいポスターだと思う。富山に行きたくなると思う。

しかし、もしかしたら自己満足かもしれない。出品してから急激に自信をなくしていった。いわゆる三年に一度の“デザイナー検定試験”である。ひょうきん族の神様にバツ印を出されてしまうかもしれないと思うと、夜も眠れなくなってしまうのだ。

なので、しばらく出品したことを忘れて仕事に没頭していた。すると……。

先週、富山から手紙が届いた。この新作と、昨年制作した建築事務所のポスターが入選。安心感から腰が抜けて、しばらく立ち上がれなかった。


【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
< http://tongpoographics.jp/
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1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。