わが逃走[185]水戸黄門と山吹色の菓子の巻
── 齋藤 浩 ──

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みんな、なんだかんだでテレビしか見てないんだなあ。

ネット上で盛り上がったことも、テレビが報道を自粛すれば大多数は知らないままだ。

ちょっと前にツイッターで話題になったことを、忘れた頃にわざわざテレビで紹介する番組があって、その企画自体が滑稽に思えていたが、これはアリだったのか! ってこともやっとわかった。

テレビといえば、水戸黄門がブラウン管を去って久しい。

ブラウン管って何? と若い世代には言われてしまいそうだが、確かに水戸黄門はあの4対3の画面ととも去っていった感がある。

黄門様とともに、悪代官も消えてしまった。

『私腹を肥やす悪い役人』というイメージを小学生に印象づけた、4時からの再放送、その道徳的役割は大きかった。

つまり、水戸黄門の放送がなくなったことで、現実に悪代官が現れても、それを悪代官と認識できない若者が増えてしまったのではあるまいか。






福砂屋のカステラと豊島屋の鳩サブレーを、死ぬほど食べたいと思い続けて数十年になるが、未だその夢は叶わない。

もちろん「少しずつ」なら食べたことがある。

いずれも、なかなか手に入らない貴重な品だ。

いや、手に入れようと思えば入れられなくもないが、あれはみやげの品として頂いたり、旅先で思い出として購入したりするもので、おいそれと買っていいものではないような気がするのだ。

気がするだけなのかもしれないが。

先日うっかり新宿伊勢丹の地下を歩いてしまったらその両方が目に入り、それ以来、脳内でハトとコウモリが楽しそうにくるくると回っていて困る。

もうすぐ50にもなろうというのに、ヒマなときはつい「ある日突然、ダンボールにぎっしり詰まったカステラと鳩サブレーが届いたらどうしよう!」などと考えてしまう。

これは子供の頃からの習慣というか癖みたいなもので未だ治らない。

よく母に「もし明日、どこからともなくカステラと鳩サブレーが届いたらどうしようかなあ」などと言ったものだが、母はたいてい「届かないから心配しなくても大丈夫よ」と答えるのだった。

そんなことはわかっている。わかってるんだけどね!!!

カステラと鳩サブレーは和の空間にも洋の空間にも似合うが、私としては和の空間でいただきたい。昭和なお茶の間が良い。

もう建て替えてしまったが、横浜にある母方の実家の日本家屋がなんとも渋くて良かった。

木造平屋建ての畳の部屋で、4時からの水戸黄門再放送を見ながら、緑茶とともにカステラと鳩サブレーを交互に食べつづけ、気づいたら印籠出してたりして、ということは約45分もの間食べ続けてしまったよ。

しかも、まだ明日の分も明後日の分も残っている。これから毎日、福砂屋のカステラと豊島屋の鳩サブレーが食べられるんだ!

こんなうれしいことはない……。

とまあ、こういう状況こそ夢のようなひとときと言えるのではあるまいか。



横浜で思い出したが、おやつの時間に冷蔵庫でちょっと冷やしたありあけのハーバーを食べる、という贅沢をしてみたい。

書いてて気づいたが、水戸黄門の再放送の前後でよくCMを見ていた、あの、ありあけのハーバー。サウンドロゴは覚えているのに、味を覚えていない。

たしか最後に食べたのは40年前だったと思う。子供心にとてもおいしかった印象がある。銘菓ひよことぽんぽこたぬきのおまんじゅうを、ちょっとハイカラにしてカステラっぽくしたような味だったか……。

そもそも、まだ存在するのか?

ものの本によればメーカー倒産により一度生産が中止され、その後復活している。いろいろあったらしい。こうなると俄然食べたくなる。

ありあけのハーバーは横浜みやげだが、みやげものというからには、誰かに差し上げねばならない。

それを自分で食べたいから買うとなると、妙なひっかかりというか罪悪感というか、そういったバイアスがかかる。

カステラと鳩サブレーにも言えることだが、みやげものとしてのアイデンティティが確立された商品というものは、基本的に差し上げるかもらうかの二者択一であり、自分のために買うというのはその商品のもつ意味を否定するようで妙な後ろめたさを感じるものである。

自分のために買うのであれば、旅の思い出として求めるしかない。

となれば、デパ地下などではなく、本店のある地へ赴かねばなるまい。

福砂屋は長崎(すごく遠い)、豊島屋は鎌倉(ちょっと遠い)。それに対して有明製菓のある横浜はわりと近い。

というわけで、近いうちにハーバーを買いに横浜まで行こうと思うのだった。


【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
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1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。