はぐれDEATH[37]はぐれだって漫画を読む その2・少女漫画
── 藤原ヨウコウ ──

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この前書いた「はぐれだって漫画を読む」で、ひたすら『バビル二世』のネタに終始してしまった。おぼろげな記憶だけで書いたのだが、思い出すと読みたくなるという悪いクセが出てしまい、結局再読した。若干、記憶違いしていた部分もあったが概ね記憶通り。で、やっぱり面白かった♪

少女漫画のところまで書きかけて、見事にスルーしたつもりだったのだが、ここはやはりどうしても萩尾望都に触れざるを得ない。というか、萩尾望都本人ではなく『ポーの一族』なのだが。

先述したようにボクは「マーガレット」派であり、他の雑誌なり出版社なりで掲載していた作家の皆様に関しては、ほとんど接点がなかった。萩尾望都はもとより、山岸涼子、大島弓子、竹宮恵子すら読んでいない。

あの「24年組」は見事に壊滅状態である。『綿の国星』『日出処の天子』『風と木の詩』は未だに読む気すらない。

少女漫画の歴史を紐解けば通過して然るべきグループなのに、ここまで見事にスルーしてしまったのは、単純に彼女らの絵が苦手なのだ。





見るもの(あるいは見えるもの)に関する、ボクの好悪の落差は著しく激しいことはもう何度も書いているので、触れずともよかろう。

問題は漫画を読む場合、いやが上にも絵が目に入るという、構造上のハードルがボクには明確にあり、絵で拒否反応を起こすと間違っても先には進めない、というアホな習性に原因がある。

このへん、小説はハードルが低いのだ。精々、カバーイラストくらいなのだが、この程度のハードルすら乗り越えられないことのある人間が、どうして漫画で先に進めるだろうか。

このフィルターというか、シールドというか、バリアみたいなものが、ボクの場合トコトン強力なのだ。これはボク個人の価値観に過ぎないので、すべての因果はボク自身のなかで発生し収束する。趣味の世界で好き嫌いを克服しようと思うほど、ボクは努力家ではない。

にもかかわらず、『ポーの一族』にチャレンジする気になったのは、ひとえに奥さんの萩尾望都礼賛である。

彼女の審美眼に関しては、一目どころか二目も三目もおいているので、ここまで礼賛されるとこっちが何か悪いことをしているような気がしてくる。隠れ切支丹の踏み絵みたいな気分でチャレンジした、というのが本音である。

絵に対する抵抗感はまだあるのだが、ストーリーは納得した。というか「これは褒めない方がおかしい」と本気で思ったし、なんだかんだで結局『ポーの一族』だけでなく、すべての著作に目を通す、といういつものパターンに陥った。

普段ならこのような爆買い一気読みを、奥さんは許してくれないのだが、萩尾望都だけは表面上は文句を言いつつ、ちゃっかり自分も読む、ということで納得してくれた。

で、ぼくは結局『ポーの一族』に終始することになった。メリーベルという登場人物にいたく惚れ込んでしまったのだ。というか、メリーベルが登場しないエピソードには目もくれない。寝ても覚めてもメリーベルという、間抜けこの上ない一時期を過ごしたことは素直に白状しておこう。

奥さんが『ポーの一族』を大推薦したのには明確な理由があって、当時ボクが美少年ネタで苦労していたからだ。

「男装の麗人」はいくらでも描けるのだが、逆は無理だったのだ。そもそもカワイイを描くのが好きで、カワイイとは女性の専売特許というボクの歪な価値観が原因なのだが、これまた生得のものなので仕方がない。

ただ、当時どうしても克服しないといけない羽目に陥って、美少年でガタガタになっていたのだ。

「美少年=エドガー(もしくはアラン)」という発想はあくまでも奥さんのものであり、助け船を出そうとしたら『ポーの一族』になりました、というだけの話なのだが、奥さんの目論見を物の見事に外して美少女・メリーベルに行ったのにはさすがの奥さんも呆れたようだ。

ただ、萩尾望都に関するハードルが一気に下がったことで、奥さんは溜飲を下げただけでなく、ボクが全巻揃えるというアホなオマケまでついた。

ちなみに美少年問題はまだ解決していない(笑)

男に関しては、爺とか変なおっさんを描くのは大好きだが、美形はもうとことんダメである。それっぽくは描いていたが、常に「ちゃんと美形になってるのか?」という自問自答地獄から抜け出せなかったし、今もそのコンプレックスはある。

痩せこけてタチの悪そうな爺なんかは、滅茶滅茶楽しく描けるんですがねぇ。なぜ? また話が逸れた。

『銀の三角』でも顕著なように、萩尾望都がSFネタに強かったのも追い風になったのは否定しない。先述したように『バビル二世』で美しく(?)SFの洗礼は受けているのだ。

そういう点では、『銀の三角』は比較的素直に入れたし実際面白かった。ただボクは『銀の三角』で完全にストップしていたのだ。完全に絵の問題である。我ながら融通がきかないとは思うがこればっかりは仕方がない。

それでも『11人いる』『半神』『A-A'』の短編は楽しく読んだし『ウは宇宙のウ』(これはナゼか週刊マーガレット)なんかはもろブラッドベリの原作だし(ボクはブラッドベリの大ファンだ)、その他の短編だって秀逸だと思う。

だから未だに別冊マーガレット路線以外は、萩尾望都を除けばほぼ全滅である。竹宮恵子ですらダメだったのだ。別冊マーガレット路線外の少女漫画に、面白い作品は沢山あるに決まっているのだが、とにかく絵で拒否反応が出る。『ポーの一族』の時のような差し迫った危機もない。当然後回しである。

そしてどんどん別冊マーガレット路線、特にくらもちふさこに傾倒していくことになる。

ボクが集中して読んでいた時期の、別冊マーガレットの執筆陣の作品は連載時にリアルタイムでほぼ全部読んでいるはずなのだが(恐らく1978年から1984年頃まで)、なぜかきれいに記憶から抜け落ちている。憶えているのはくらもちふさこ作品だけという体たらくである。

『おしゃべり階段』で目一杯引っかかり、『いつもポケットにショパン』で度肝を抜かれ、『東京のカサノバ』『A-Girl』まではしっかり連載を楽しんでいたし、この時期の単行本はコンプリートである。

マーガレット路線外でハマったのは大和和紀ぐらいか? 『はいからさんが通る』で名前は知っていたが、本格的に盛り上がったのは『ヨコハマ物語』と『N.Y.小町』の二本。『あさきゆめみし』は本家「源氏物語」のイメージが強すぎたのでダメだった。

ちなみに『イシュタルの娘〜小野於通伝』は楽しみにして残している。まだ未完なので、完結したら一気読みという作戦だ(笑)

やっとこれで少女漫画の総括が出来た。

次はいよいよ満を持して、『子連れ狼』と『じゃりン子チエ』という「漫画アクション」掲載の作品に突入出来る。あたり前の話だが、手塚治虫はトリなので当分出てこないと思う。

はぐれDEATH[31]はぐれだって漫画を読む
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最近、本業で口に糊できないエカキ。これでエカキと言ってイイのか正直不安になってきている気の弱いぼーず。お仕事させてください…m(_ _)m