わが逃走[210]冬の尾道の巻 その2
── 齋藤 浩 ──

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尾道カメラ散歩の続きを書きます。

二日目も好天に恵まれました。毎度のことながら、私はとくに目的地を定めずにこの町を歩こうとすると、つい山の手の往復(だいたい三軒屋町から東久保町)をしてしまうのです。

というのも、複雑な細い路地が迷路のように入り組んだ土地なので歩く度に新鮮だし、迷子にもなれるし、同じ道でも午前と午後とでは光の当たり方がまったく違うので別の風景のようだし、東から西に向かう景色とその逆とでは、これもまったく違って見える。

なので飽きることなく行ったり来たりしちゃうのです。

しかし、なんとなく好きな道というのもあって、ぼーっとしているといつも同じコースを歩いてしまう。

そうすると、つい以前撮影したものと同じものをまた撮ってしまう、なんてことになるのです。

しかも構図までまったく同じ! なんてのもあってけっこう驚きます。





こうなると意識的に同じ場所に行って、異なるアプローチで全く違う写真が撮れないものか、と考えたりもするのですが、その場に立つと嬉しいやら懐かしいやらで、“戦略”なんぞすっかり忘れて、また同じような写真を量産してしまう。

尾道散歩を始めて10年になるから、さらにあと10年も通うと、定点観測としての価値が生まれたりして。

とか考えると、よくわからない使命感が芽生えてきて、明日への活力に繋がる。ような気がする。


○波板コンポジション
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この町にはわりとこういった壁が多い。必然から生まれた質感や色彩の違いが、結果的に壁面をリズミカルに構成しているというかなんというか、そういった壁だ。

尾道の散歩は、現代美術の屋外展示を鑑賞しているような感覚に近い。

○板と陰影
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波板に限らず、ベニヤ等においても同様。立てかけっぷりというか、絶妙な角度の斜め具合が見事、とつい感嘆のため息が。

ファインダーで日常を切り取ることで、詠み人知らずの芸術が発見できる、尾道散歩はクリエイティビティを刺激するゲームのような側面がある。

○二次元と三次元のはざま
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このコースは、南側の斜面にびっしりと立ち並んだ家々の間を縫うように進むので、地面や壁に落ちる影につい見入ってしまうことも多々ある。これは家と家の間なのだが、二軒をつなぐ二つの線の正体を確認し忘れたことが心残り。

○空と屋根
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雨の予報が出ても、たとえば5分も雨宿りすれば晴れることが多い。そうしたとき、木も家もクレーンも、コントラストが美しいのだ。

○屋根を下に見る
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尾道は坂の町だから、路地を歩いていると右側は屋根、左側は縁の下ということが多い。この屋根は過去に何度も撮っているが、よほど好きとみえて、今回も撮っていた。

○ささえる
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ブロック塀を裏からささえる棒とでっぱり。地味な仕事を何十年もつとめているかと思うと、なんだかうれしいし、ありがたい。

崖っぷちの道沿いのブロック塀をささえるという課題に対し、果たしてこの構造が最適解なのかとか、そもそもここにブロック塀が必要なのかとか、そんなことはもはやどうでもいいのだ。

○足元を見る
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どこを歩いても階段だが、どれひとつとして同じものは存在しない。

オリジナルの地形を保っていることや、既成建材を使っていないことも、変化に富んだ町歩きを楽しめる要因となっている。

私の育った土地のように、曲がりくねった道を真っすぐにしたり、起伏のある地形を真っ平らにするなんざ愚の骨頂。

海を埋めてハワイまで陸続きになれば気軽に行けて便利、とか富士山を平に削れば登らずに山頂に行けて便利とか。ともすれば、本気でそう思っているとしか思えないようなことが進められている。

10年前の風景が存在しなくなるということは、親子で故郷を共有できないことを意味し、それはその土地にとって重大な損失となるはずだ。って思うよ。

○手すり
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機能が味わいに。味気ないステンレスは何年経っても味気ないが、この風合いは芸術レベルだなあ。

球体の微妙なゆがみや錆と艶のコントラストなど、無作為だからこそ成立するストイックさがある。

○階段交差点
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こういった次元の狭間みたいな場所が無数にある。上っても下りても、見上げても見下ろしてもすべて表情が違う。

「立体は四方向から見て、少なくとも三方向が面白くないとダメ」と高校時代の彫刻の先生が言っていたが、そう考えるとこの町自体が超彫刻と言えるのではなかろうか。

○瓦屋根
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昨年もまったく同じ構図で撮っていた。この位置から、このように町を見下ろすことがよほど好きなんだなあと改めて思う。『転校生』の階段からの風景。

そうそう、春から月刊誌の表紙を担当することになりました。ちょうどこのあたりに立っていたとき電話がかかってきまして、久々のイラストの依頼だったので、やたら嬉しかったのです。

私のイラストと尾道の風景とでは“ミテクレ”はまったく違いますが、見えない部分に隠し味となって、階段や屋根瓦や陰影の記憶が活かされていると思っています。

なので、尾道カメラ散歩は仕事をする上で必要な行為と(オレが勝手に)認定し、これからもことあるごとに通うことにしよう! と思ったのでした。


【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
http://tongpoographics.jp/


1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。