わが逃走[221]アホの自覚と性怠説 の巻
── 齋藤 浩 ──

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豪雨、そして異常な暑さ。

数十年に一度の被害、みたいな言葉を耳にするけど、「数十年に一度」がこうも頻繁に来ているということは、いままでの常識が通用しなくなっている、ということに他ならない。

若かった頃の常識にすがりながら、的外れなことを言う大人を見て、若者が「やれやれ」と思うのはいつの世も同じだ。

たとえば、真夏に運動する際、「水を飲むとバテる」という考えは、今では非常識。さすがにそれは、どんなアホな大人でも知っている。しかし、それは「水さえ飲めば大丈夫」という意味ではないのだ!

大人になると性根が曲がってきて、他人の意見を聞かなくなり、物事を自分に都合良く解釈するようになる。





オレもそうだし、周りの同世代もそうだから間違いない。なので、自覚して、自覚して、自覚して、自覚した上で危険から身を守らねばならない。

守るのは自分の体だけではない。自分の無知や無自覚が、周囲の人を危険にさらす可能性の方が高いのだ。

たとえば立場の高いアホに対し、部下や後輩は遠慮し、忖度し、空気を読んでそのアホさを指摘しない。

指摘されないということは、自分がそれだけアホだということかもしれないぞ。

アホによるアホな指示出しは、とりかえしのつかない損失につながる。

そうなる前に、それを意識して、意識して、意識して、意識した上で家族や仕事仲間やご近所さんと接しなければならないと思うのだ。

さてアホを自覚した我々は、新しい常識を真摯に受けとめると同時に、古くからの慣習や言い伝えなども知っておく必要がある。

とある地方の神社には、「津波でここまで水が来たから、これより下に家を建ててはいかんよ」と彫られた石があるらしいし、事実震災時にはそこまで水が来たと聞く。

S玉県にある私の実家の近くに古くからある医者の長屋門には、天井から小舟が吊るしてある。つまり、ここも昔から水が出るのだ。

実家のある場所はもともと「井戸尻」という湿地帯だそうで、本来の地名は「佐知川」だ。

しかし今は「プラザ」と改名された。ふざけた地名である。

これによって、以前どのような土地だったかを想像することができなくなってしまった。

想像させないようにしている、とも言えるだろう。

想像力の放棄は思考停止と同義語である。

思考停止は、危機管理能力の低下に繋がる。

市のサイトで荒川ハザードマップというのを探してみた。

「プラザ」は完全に水没。そりゃそうだろう。ちなみに指定避難所は私の通っていた小学校だ。

入学してから卒業までの間に、昇降口の階段が(地盤沈下の影響で)2段増えた学校である。大丈夫なのか?

よくみると、避難所マークの脇に「3F」というアイコンがついている。注釈を見ると、2階までは水没するので、3階以上を避難所とするそうだ。

本当に大丈夫なのか?

そして、もしもの時は、根拠のない自信を持ってはいけない。

「ここは絶対に大丈夫」というアホのひと言で、家族全員が危険にさらされるのだ。

普段の、いつもの、安全なときにこそ、いざというときの避難の方法を話し合っておくといいかもね。

こう暑いと何かを考えること自体がおっくうになってくる。わかります。オレもそうだから。

思うに、人は生まれながらにして怠け者なのだ。仮にこれを性怠説とする。

広告制作も性怠説を前提としているところがある。

人はみな説明されることを嫌う。学ぼうとしない。なので、相手が説明されていることに気づく前に、この商品がイイと「感じさせる」のだ。

深く考える前に、その判断は正しいとすることの方がラクである仕組みを作るのだ。

ともすれば古典的ともいうべき考え方であるが、人が変わらない以上、これは送り手にとって“使えるシステム”と言えよう。

怠け者はそうそう治らない。オレも死ぬまで怠け者であり続ける自信がある。

ならばせめて、せめてアホを自覚しようと思う。その積み重ねが、自覚しないよりはマシな世の中を作ると思っている。根拠のない自信ではあるが。


【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
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1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。