わが逃走[248]秋に夏休みをとって秘湯に行くの巻 の巻
── 齋藤 浩 ──

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下仁田から内山峠を越えて、信州に入ってすぐの細道に入り、沢づたいにゆく。

小型車がやっと通れる程度の道幅(イメージ。実際はマイクロバスくらい通れるらしい)。舗装はされているが路面の状況はあまりよろしくなく、ランボルギーニ・カウンタックでの通行は、おなかを擦るので避けた方が無難だ。

午後3時、雨もだいぶ小降りになったが、霧がところどころ流れていた。進むごとに紅葉が深くなる。その道がどうにも美しいのだ。
できれば歩きたかった。人里離れた山道を、沢の音を聞きながらてくてく歩くなんざ、なかなか乙なもんだ。
白秋の「落葉松」を思い出したりして。たびゆくはさびしかりけり。
しかし、この先に温泉があると思うとうれしくなるなあ。

沢との距離が近づいたり離れたりしながら、道はくねくね曲がる。進むごとに視野に入る色彩が変わるのだ。沢の名は初谷沢という。





1キロほど行くと道が二手に分かれて、右へ下ると初谷温泉だ。明治18年開湯の一軒宿。

谷間にひっそりと佇むのは、秘湯の風情を感じさせる近代的な木造建築だった。平成の半ばに改修工事がされたらしい。

木の香りのするロビーで宿帳を書く。部屋に案内されると、清潔で広い!

引き戸を開けたところの控えの間(?)的な空間だけでも3人くらい生活できそう。中はもっと広い。畳のよい香りがした。
すでに布団が敷かれている。おふとんを見るとついそのまま寝てしまう人には危険な歓迎だ。

窓からは紅葉の山々と、美しい沢が見える。

それにしても、外はもう肌寒いのに隙間風ひとつ入らない! 秘湯なのに!! ウォシュレットもあるしWiFiもつながる。渋さと快適さの両立。見事である。

さっそくひとっぷろ浴びる。浴槽は源泉と新湯のふたつがあり、まず新湯に入ってから源泉に浸かると、よ
り効果的とのこと。効能は、神経痛に五十肩! 慢性消化器系、冷え性、婦人病などとある。

まさに首と肩甲骨の間の筋がピキーンと痛んで、肩が上がらなくなったとき50歳の誕生日を迎えた私は、ここに来ることを運命付けられていたといえよう。

源泉は鉄分が多く含まれており、茶褐色に濁っている。これがまた視覚的に効きそうでイイ。

ゆったり浸かっていると、思わず「あぅーい」という声が出た。じわじわと効いてるかんじだ。

湯船の窓から外を見ると雨はすっかり上がり、青空から夕焼けへのグラデーションとなっている。その光を受けた木々の葉がまた見事。小学生のとき、日光の「竜頭ノ滝」とやらを見たのだが、そんなものより遥かに素朴で自然で、美しい滝を湯船から見られるしあわせ。これはすごいことだ。

風呂の次はメシである。地元の食材を使ったモダンな和のコースだ。せっかくなのでお品書きを書き写す。

神無月のお献立

◎食前酒 かりん酒
◎前菜 紫芋の素揚げ 虹鱒甘露煮 蒸し鶏塩麹漬け 生麩田楽 りんごとチーズ
◎小鉢 柿の白和え
◎向 佐久鯉アライ
◎鍋物 秋野菜と豚肉のスープ鍋
◎強肴 佐久鯉旨煮
◎冷物 ピーナッツかぼちゃのスープ
◎焼き物 岩魚塩焼き
◎飯物 佐久産コシヒカリ
◎椀物 もみじ真丈
◎香物 野沢菜漬け
◎水菓子 りんごのゼリー

いずれもとんでもない旨さである。

地元・佐久は鯉の産地だが、ここの鯉はとくに絶品で、中でも旨煮は永遠に食べていたいと思ったほどだ。日本酒にもよく合う。

佐久には酒蔵が13あるそうで、その中の代表的な酒3種を、それぞれ大きめのお猪口に注いだ「利き酒セット」を頼んだ。

べろんべろんに酔っ払って部屋に戻ると、テーブルの上の湯のみが新しいものに変えてあり、冷水まで用意されている。なんたる細やかな気配りだろう。

返す返すも悔やまれるのは、脱いだパンツをそのまま放置して部屋を出たことである。

そうとわかっていれば、ちゃんと片付けたのにー。その他Tシャツ等も部屋に点々と放置しており、普段のだらしない生活っぷりがバレバレか。バレバレだろうな。

いやいや、むこうもプロだからそういうものは見ても、きれいに忘れてくれるかもしれない。きっとそうだ。業務日誌に書かれていたらどうしよう。いやいや、それはないだろう。

初谷温泉は、心配した台風の被害もなく、絶賛営業中だ。素晴らしい温泉。できれば毎週通いたいほど。

さきほど2度目の入浴から戻ったが、肩も腰もすこぶる調子がよい。程よく腹もこなれてきた。明日の朝食もたのしみである。


【さいとう・ひろし】
saito@tongpoographics.jp
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1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。