わが逃走[252]通訳 の巻
── 齋藤 浩 ──

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韓国のデザイナー、チェ・ビョンロク氏に招かれ、ポスター展「One Letter 一文字」展に出品しました。

1月4日、ソウルにてギャラリートークをしてきたのですが、韓国の人々はみな情熱的でした。

なかでも、ある若者の質問が印象的でした。
「デザイナーをめざす上で、自身の個性をどう扱うべきかで悩む」というもの。

韓国ではデザイナーがギャラリーで展示することはまだめずらしいようで、出品者からも、デザイナーが自己表現をしてよいのか自問自答した、といった話を聞きました。

あ、これは私が若かりし頃とても悩んだテーマだ。





80年代後半から90年代にかけて、パルコの『日本グラフィック展』、JACA『日本イラストレーション展』などの公募展がものすごく盛り上がり、いままでのデザインやイラストレーションといった概念を覆す新しい表現が一気に溢れ出てきたのです。

その頃の雑誌や新聞でよく見かけた見出しが、「デザインとアートの境界がなくなりつつある」というもの。

この1行に、私のセイシュンは振り回されたとも言える。

つまり、単純な私は「デザインとアートの境界など、もう存在しない!」などと思い込んでしまった。これはもう大きな誤りでした。

そもそもグラフィックデザインは、美術かもしれないけど芸術ではないのです。デザインとはあくまで情報伝達の円滑化を、ビジュアルを使って解決する手段にすぎない。

そのための工夫を試行錯誤しながら考え、「こんな伝え方ってアリ?」と人々に問う。そういう場がデザインの展覧会なんだと思います。

プロダクトデザインに例えれば、よりわかりやすいかもしれません。

ギャラリーにおけるポスターの展示は、モーターショーにおけるのコンセプトモデル発表のようなものです。これらは法律の対応や生産効率など、大人の事情を抑えることで、メーカーの思想をわかりやすく提示しています。

同様にグラフィックデザイナーは、次に来る“伝え方”を提案しているんです。自己表現なんかじゃないんです。

あえて言うなら、デザインにおいて個性は出すものではなく、出てしまうものです。

「伝え方」に個性が出てしまうのはもう、どうしようもない。

しかし、常にこれからの「伝え方」を模索することは、デザイナーの使命であると思います。また「出てしまう個性」のおかげで、デザイナーは独立を保てるとも言えます。

私は、相手に対し、「説明せず、感じさせる」ことを目標にしています。新たなメディアが登場しても、根底にある考え方は変わらないでしょう。グラフィックデザイナーは、作家というより通訳に近い仕事なんです。


【さいとう・ひろし】
saito@tongpoographics.jp
http://tongpoographics.jp/


1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。