無用な外出をなんとなく自粛していたら、半年も経ってしまった!
その間どっかに出かけたいなーと思ったときは、Googleストリートビューで行った気になっていたオレなのである。
わが愛車は平成5年式のマニュアル仕様なので、最近のクルマと比べ駐車中の電力消費量はとても少ない。3か月くらい放置しておいてもバッテリーはビンビンだぜ。
とはいえ、半年も遠出をしないとなると、心配になってくる。車も家も使わないとガタがくると聞く。
ヒトとの接触を避けつつ、ちょっとだけドライブでもと思い立ち、その日の朝、ボディに積もったホコリを洗い落としてから首都高に乗った。
目的地は群馬県の下仁田である。実はGoogleストリートビューで気になる物件を見つけたので、それを確かめに行きたくなったのだ。その物件とはコレだ。
この駐車場の看板。なぜか「場」だけ細長く見える。
ストリートビューは、いくつかの画像を組み合わせて生成されるので、素材となる写真の“つなぎ目”部分にきてしまった関係で、このように表示されているのかもしれない。
しかし、それにしては周囲に歪みもなく、とても自然に見えるのだ。
●まず、書体の作成について。
この看板書体は丸ゴシック体のアレンジのようである。書体を作成する場合、まず基準枠への収め方を考える。
日本字(ひらがな、カタカナ、漢字)の基準枠は正方形だ。ノートの中央に正方形を描き、その中に鉛筆でバランスよく文字を書いているところを想像してほしい。
それが書体の骨格=字体となる。字体をベースに太さを整えてゆく。はね、はらいなど部位によって強弱をつけつつ肉付けして、書体が完成する。
この正方形準拠で作成した書体プロポーションを「正体」と呼ぶ。「せいたい」と読む。「正体」を基準とし、幅を縮めたもの(タテナガの矩形に収められたもの)を「長体」、高さを縮めたもの(ヨコナガの矩形に収められたもの)を「平体」という。
この画像を見ると、「樋」から「車」までの7文字が正体、「場」だけが長体のようだ。
さらにこの「場」、幅が縮められているだけではなく、高さも伸ばされている点が興味深い。
正体に対し幅が90パーセントのものを「長1」、70パーセントのものを「長3」などと呼ぶが、この場合は「長5をかけた上で、ふたまわりほど拡大」と表現すべきか。
●こうなった理由を考えてみる。
1)一般的に考えると、取り付けていったら場所が足りなくなって、仕方なく最後の一文字のみ長体をかけた、という推測が成り立つ。しかし、そうだとしても文字と文字の間をツメればじゅうぶん設置可能である。謎だ。
2)そもそも設置する壁の面積はじゅうぶん。むしろ、なぜこの位置に最初の1文字を配置したのか。謎だ。
3)取り外しが困難なほど、ガッチリと固定していったのだろうか。その作業の途中で気づいたのだとしても、たとえば「駐車場」だけツメることもできる。
また、「駐」「車」「場」の3文字を「P」1文字としてもよかったはずだ。わざわざ他の7文字とサイズを変える手間をかける必然性とは? 謎だ。
●結論。
わからん。なので見に行く。
当日は連休ということもあり、想像以上の大渋滞に巻き込まれた。いったん所沢で高速を下り、一般道で東松山まで進んだ後、再度関越に乗った。
普段は1時間ちょっとで到着する道のりを4時間以上かけて、ようやく下仁田インターで下りる。周辺は車も少なく、ゆったりとした空気が流れていた。
早速目的地へ向かった。件の看板はすぐ見つかった。
わ、ホントに長体かかってる!
壁面の波板とのコントラストも美しい。想像以上に風情があり、ペンキの筆跡も味わいがある。
ストリートビューにおける“つなぎ目”をリアルで見ているような錯覚もあり、下仁田駅へと通ずる脇道の雰囲気も相まって、異次元空間の入口のようである。
で、実物を目の当たりにして謎が解けたかといえば、解けなかった。しかし、理論で解明できないかわりに、より深い人間味を感じたのだった。
なんというか、“いい人そうな感じ”。
それって、ブランディングとしてものすごく成功してるってことだ。
“いい人そうな感じ”がしたのは、この物件だけではなかった。駅周辺にそこはかとなく漂う空気にも、それを感じずにはいられない。
少し散歩したのだが、とにかくこの辺りはワビとサビで構成されていた。上信電鉄下仁田駅は、文化財クラスの木造駅舎で、周囲は見事に昭和。
かつて近くに鉱山があったとのことで、その玄関口として栄えたのだそうだ。最近はその地質や地形から「下仁田ジオパーク」として注目されているとのこと。
駅前で昭和の風情などと喜んでいたら、一気に数千万年前の歴史も学べる懐の深さとな! これはまた来ねば、と思うのだった。
【さいとう・ひろし】
saito@tongpoographics.jp
http://tongpoographics.jp/
1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。