〈臨時夜行快速『ムーンライトながら』運転終了へ 『大垣夜行』から長い歴史〉だそう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/1d2142444fa2305fa8717cbc0cd29db1abcf3548
「大垣夜行」と呼ばれてたとは、今知った。
1987年から1991年まで、たぶん十数回くらい利用したことがある。
名古屋23時頃発、東京4時台着の夜行列車。しんどいけど、リーズナブル(5000円くらいだったかな)。
90年の夏に上京してからも、しばらくは愛知県の実家との往復に使ってた。
乗りものニュース〈「大垣夜行」を知っているか? 「ムーンライトながら」前身 直角シート 駅で長時間待ち〉
https://trafficnews.jp/post/92111/
一般的には「青春18きっぷ」とセットみたいなものだったらしい。この乗車券、今もあるのね! 18歳からの青少年が使うイメージだったけど、もうシニア割引の世代になってしまったw
Wikipediaによると、1986年のダイヤ改正で〈大垣22:15 → 名古屋22:57/22:59 → 東京4:42〉となっており、それを利用していた。
たいてい、土曜の夜にデザイン事務所を出て、そのまま名古屋駅から東京へ向かって朝着。昼間、東京で用事を済ませて夕方愛知に帰った。体力あったな。
いろんな人が乗ってた。ヘルメットにタオル覆面の、何かの運動の人が何百人ぎっしりいてびっくりした。音楽鳴らして、酒盛り大騒ぎの人たちも一度見た。
車内はいつもすごい臭いがしてた。日本の裏の大動脈的なものだったのかな。
最終列車なため、乗ってしまうと引き返せない。帰省の時期だったのか、とんでもなく混んでいたことがあった。満席でデッキにすし詰め状態。
「ヤバい」と思ったものの降りる決断ができず、そのまま東京へ。途中の駅でさらに乗り込んできて、朝の満員電車よりひどい状態に。
デッキの壁に押し付けられ、足が浮き、バッグが手を離れ、手すりが背中にめり込み、体が斜めになりながらの3〜4時間。あれは本当にキツかった。
朝5時前に東京駅に着き、銀の鈴あたりのベンチで居眠りしたりして時間をつぶし、お店が開く頃になったらそろそろと動きはじめる感じ。
1987年のギーガーの展覧会(渋谷西武シードホール)に行ったのが、たぶん最初。
オープンまで近くの喫茶店で時間をつぶした。坂をもうちょっと行けばパルコだったのに、知らなかった。
中学3年頃から東京に行くつもりだった割には、地理にうとかった。なんとなくわかるようになったのは、住み始めて5年後くらい。
神田神保町の古書店や、イエナ書店など洋書店、銀座の画廊めぐりなど。
「神田の古本屋街」って聞いてたから、神保町でなく山手線の神田駅で降りちゃって、迷子になるなどの定番失敗もやったしw
「ムーンライトながら」になったのが1996年か。乗らなくなって以後、「大垣夜行」はそんなに長く存続しなかったのね。本数はどんどん減ったそう。高速バスに取って代わられたらしい。
最後に乗ったのは30年前。22時57分に名古屋駅に行けば、今も乗れそうな気がする。
……あれ? どうやって帰ってたんだろ? 記憶がない。
東京を23時半発、名古屋に6時半着の「下りの大垣夜行」は何度か使ったはずだけど、主に帰りは新幹線だったかな。
昼間の在来線を乗り継いだこともあった。小田原かどこかで強風で在来線が止まって、しかたなく新幹線に乗ったことも。
【吉井 宏/イラストレーター】
http://www.yoshii.com
http://yoshii-blog.blogspot.com/
シニア割といえば、スーパーでいつもアナウンスされてる「イオン G.G感謝デー」。しかし「ジジイ感謝デー」って、ストレートすぎるネーミングだなあと思ってた。
55歳以上が割引で「G」ojyu「G」saiか? 調べたら「小山薫堂が提唱する、シニア世代の呼称『グランド・ジェネレーション』の略(G.G.)」だそうw
○吉井宏デザインのスワロフスキー
・十二支(丑年)OX
https://bit.ly/37gbNEN