映画と夜と音楽と…[番外]青い月の光を浴びて…/十河 進

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明日は明日の風が吹く──月は気ままに笑っている
──月はひとりで照っている

八年の年月を隔てて、ふたりの男は奇妙に似通った歌詞の歌を唄った。ふたりの男は七年違いで同じ日に生まれている。

若き俳優のタマゴが撮影所の食堂で、すでに国民的人気のあった銀幕スターに初めて会った時、スターは伝説となった長い脚を気怠るそうに伸ばして立ち上がり、気安く手を出し「がんばれよ」と激励した。そのフランクな仕草に、大学を出たばかりの若き俳優のタマゴは感激した。

だが、六年後、若い俳優やスタッフたちが賑やかに走り回っていた撮影所に翳りがさし始め、会社が主力をポルノ映画に移すと発表した時、すでにその会社で最後のスターになっていた若き俳優は先輩の銀幕スターが主宰するプロダクションに入社した。


彼は十数年後、その銀幕スターが死んだ後、その名を冠したプロダクションを引き継ぎ社長として生きていくことになった。

彼自身、死んだ伝説のスターと同じように何度も病魔に襲われ、長い療養生活を送った。そのため、一年間続く大河ドラマの主役を途中で降板せざるを得なかったし、代表作となった映画を撮り終えてすぐ再び病院に戻らねばならなかった。ガンに蝕まれた時には人工肛門をつける身となり、テレビの中継放送によってそのことを全国民が知った。

再び彼が記者会見の主役になり、深々とテレビカメラに向かって頭を下げたのは、社長をつとめるプロダクションの若い俳優がロケ中に車を見物人の群れに突っ込んだ時だった。

…………「月は気ままに笑っている」と歌ったのは、股下の長さをキャッチフレーズにしていた頃の石原裕次郎である。1958年(昭和33年)4月に公開された主演映画「明日は明日の風が吹く」で歌われた主題歌だった。作詞は監督の井上梅次。

その年、この監督と銀幕スターのコンビは正月映画「嵐を呼ぶ男」で劇場の扉が閉まらないという現象を生み出した。日活の宣伝部員は「人が映画館からこぼれています。入り切れません」と本社に報告の電話をした。

東京流れ者「月はひとりで照っている」と歌ったのは渡哲也である。1966年(昭和41年)に公開された「東京流れ者」の中でだった。この歌詞の後は「俺はひとりで〜流れ者」と続く。「不死鳥の哲」と呼ばれた不死身のヤクザは「東京流れ者」を唄いながら殴り込みに出かけ、観客の失笑を買った。

「東京流れ者」はスタイリッシュな映像と、スタイリッシュな決めゼリフだけで映画が成立し得るかを試みた前衛映画だった。しかし、時と共にその作品を愛する人々は増え、鈴木清順という監督の名を高らしめた。カルト・ムービーとして映画史に残った。

…………しかし、なぜ月はひとりで笑ったり、ひとりで照っていたりするのか。昭和三十年代の夜が暗かったからに違いない。あの頃、夜は暗く、ひとりで外にいると月の光を浴びているという実感は確かにあった。月が一緒だと確信できたものである。

小学生の頃、僕は悪戯がばれて罰としてよく父に家から放り出されたものだが、街灯もなく家々から漏れる光もほとんどない暗い夜空を泣きながら見上げると、そこにはいつも月があった。

「明日は明日の風がふかぁ〜」という育ちの良さを感じさせる屈託のない裕次郎の歌声が、どこかのラジオから流れてきたものだった。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
昨秋、デジクリで500部限定の本を作ってもらいましたが、それが完売したことがきっかけだったのでしょう。ある出版社からオファーをいただき、「映画と夜と音楽と…」が本にまとまることになりました。現在、年末の出版に向けて改めて原稿の整理作業をしています。週末しか時間が使えないので(平日はマジメな勤め人だし、最近は週末が別件で忙しいのです)、今回は少し前に別のメールマガジンに書いた原稿を掲載させてもらいました。

デジクリ掲載の旧作が毎週金曜日に更新されています
< http://www.118mitakai.com/2iiwa/2sam007.html >

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