日々の泡[48]トンという名の作家【彼岸花/里見弴】
── 十河 進 ──

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小津安二郎監督の作品群の中でとりわけ評価が(世界的にも)高いのは「東京物語」(1953年)であり、続いて「晩春」(1949年)「麦秋」(1951年)と続くのは衆目の一致するところらしい。

ただ、僕は昔から晩年の作品「秋日和」(1960年)や「秋刀魚の味」(1962年)が好きだった。どちらもカラー作品である。小津作品がモノクロームからカラーに変わったのは、「彼岸花」(1958年)からである。

その後、「お早よう」(1959年)「浮草」(1959年)「小早川家の秋」(1961年)を含めて六本だけだ。「浮草」は大映で撮り(名キャメラマン宮川一夫と組んだ)、「小早川家の秋」は東宝作品(森繁が出ている)である。

ある本によると「彼岸花」で大映の山本富士子を借りたので、お返しに「浮草」を監督し、「秋日和」で東宝の司葉子を借りたため「小早川家の秋」を監督したという。スタッフはそれぞれ大映、東宝だったから松竹のスタッフに慣れていた小津は戸惑ったのではないだろうか。





先日、「秋日和」を見ていたら「秋刀魚の味」と共に僕が気に入っている理由がわかった。クスクスと笑える喜劇的なシチュエーションが多いのだ。その場面を担っているキャラクターが岡田茉莉子である。当時の言葉で言えば、「おきゃん」な娘役である。

「彼岸花」は「晩春」の母子版だ。母(原節子)と娘(司葉子)がいて、死んだ父の友人たち(佐分利信、中村伸郎、北竜二)がいる。父の友人たちは会社の重役、大学教授など帝大出のリッチなエリートである。彼らは、友人の娘の司葉子を結婚させようとする。

しかし、母がひとりになるからと結婚を渋る娘の言葉を聞いた佐分利信たちは、母親を再婚させればいいと考え、男やもめの北竜二との再婚を思いつく。それを知った娘は「不潔だわ。汚らしい」と言い出し、母親に反発し親子の仲が怪しくなる。

その経緯を聞いた司葉子と仲のよい同僚(岡田茉莉子)は、佐分利信たちのところに乗り込んで抗議する。勝ち気で、はっきりしていて、言いたいことはキチンと言うキャラクターであり、社会的地位のある中年男たちもタジタジとなる。

「秋刀魚の味」でも、岡田茉莉子は似たようなキャラクターで登場する。岩下志麻の兄(佐田啓二)の妻である。佐田啓二が同僚から譲り受けるつもりで持って帰ったゴルフクラブを、「あんたなんかに贅沢よ」と返品させようとするシーンのおかしさは絶品だ。

当時、松竹の看板女優だった岡田茉莉子は、「『青衣の人』より離愁」「班女」「女舞」「熱愛者」といった、井上靖、円地文子、中村真一郎などの小説の映画化作品で、憂いを秘め、笑顔を見せることなどないヒロインを演じており、その路線は彼女の最高傑作「秋津温泉」(1962年)へと到る。

だから、「秋日和」「秋刀魚の味」の岡田茉莉子のキャラクターは貴重なのである(木下恵介監督の恋愛コメディっぽい「今年の恋」のヒロインのキャラクターが近いけれど、小津作品でのコメディエンヌぶりに比べるとおとなしい)。

さて、「晩春」の原作者が広津和郎であるように、「秋日和」の原作は里見弴である。里見弴は「彼岸花」の原作者でもあるが、鎌倉文士だった里見は小津安二郎とも親しかったし、「早春」(1956年)以降の小津作品のプロデューサー山内静夫は里見の四男だった。

里見弴は本名を山内英夫といい、有島武郎の弟だ。有島家の四男として生まれたが、母方の家を継ぐために山内姓となった。ただし、有島家で他の兄弟姉妹と共に育っている。長男の有島武郎とは十歳違い。有島武郎は大正12年に45歳で波多野秋子と軽井沢で心中した。

僕の持っている文藝春秋社発行「現代日本文学館15」は、「有島武郎・里見弴」集である。僕は日本文学史上重要な位置を占める有島武郎の「或る女」は若い頃に読んだが、里見弴は長く「白樺派の作家ね」とバカにしていた。志賀直哉の小説には里見と思われる人物が登場する。

ところが、「彼岸花」「秋日和」の原作者であることで気になりだし、三十半ばの頃に本棚に並んでいた「有島武郎・里見弴」集を読んでみた。その結果、白樺派というよりは永井荷風に近いのだとわかった。自身の性的放蕩を題材に、私小説的世界を展開していたからだ。

ただ、「彼岸花」を書いたときは70歳。枯れた作風になっていたのだろう。年譜には「昭和33年、小津安二郎らに依頼され、映画化する予定で『彼岸花』を発表」とある。同じく、昭和35年8月には「秋日和」を発表している。

だが、里見弴は1983年に94歳で亡くなるまで、この後、30年近く生きる。兄・武郎の倍以上の人生だった。ちなみに黒澤明監督「羅生門」や溝口健二監督「雨月物語」の名優・森雅之は有島武郎の息子であり、里見弴の甥に当たる。


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