日々の泡[50]執念で完成させた大河小説【満州国演義/船戸与一】
── 十河 進 ──

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満州国のことを調べる必要があり、参考のために船戸与一「満州国演義」全九巻を一気読みした。

船戸さんは初期作品の「山猫の夏」に感心したが、その後の作品にはなかなかなじめず、完読できたのは一冊くらいで、どちらかと言えば苦手な作家だった。

「山猫の夏」を読んだのは刊行されてすぐのことだったから、もしかしたら三十五年近く前になるだろうか。ダシール・ハメットの影響を強く感じたものだが、後に「チャンドラー読本」に寄稿した文章を読んで、船戸さんがチャンドラーよりハメットを高く評価していることを知った。





さて、「満州国演義」は敷島四兄弟を狂言まわしにして、昭和初期の満州事変の前から書き起こし、日本敗戦後の中国共産党と国民政府との内戦の始まりまでを描いた大河小説だった。昭和初期からほぼ二十年近くにわたる歴史が描かれる。調べるのは大変だっただろう。最終巻の末尾に掲載された参考資料の膨大さに圧倒される。

船戸さんは四兄弟を様々な世界に配置する。長男は外交官で満州の高級官吏となるため、政治的な分野の情報が出せる。次男は十九で満州にわたり馬賊の頭領になり無頼の生活を送るから、その世界が描けるし、三男は関東軍憲兵隊の将校なので軍部の歴史を語ることができる。実在の人物が多く登場し、昭和史の裏面にも詳しくなる。

昭和三年に大規模な左翼狩り(共産党員の大量逮捕)があるのだが、その頃、四男は早稲田に通い左翼劇団に所属して活動している大学生である。彼は波乱に充ちた流転の人生みたいなものを送るのだが、後には満州映画協会にも深くかかわる。戦後、たったひとり生き残り、三男の兄から託された満蒙開拓団の少年を広島の郊外に暮らす祖父の元に届ける。

全九巻はさすがに読み応えがあり、「船戸さん、完成させることができてよかったですね」と言いたくなった。船戸さんには、一度だけ会ったことがある。二〇一二年の早春、目白・椿山荘で行われた内藤陳さんの「お別れの会」のことだった。北方さん、大沢さん、佐々木さんなど、陳さんゆかりの作家たちが大勢集まっていた。

その「お別れの会」で船戸さんの姿を見たある作家は、数日後、ブログに「船戸与一が生きている。びっくり」と書いた。船戸さんは、その数年前にガンであることを公表し、数年の余命だと言っていたからだ。しかし、その夜、船戸さんは元気そうに会場内を歩いていた。三年後、船戸さんは亡くなった。

「お別れの会」の四年前になるのだろうか、二〇〇八年三月の日本冒険小説協会第26回全国大会のことだった。熱海で行われる全国大会には大勢の会員が集まるのだけれど、僕は前年に映画コラム集「映画がなければ生きていけない」で特別賞をいただいた関係で、作家部屋へ通されていた。

その作家部屋でひとりでいると、佐々木譲さんが新潮社の編集者と現れた。そのときの大賞は佐々木さんの大作「警官の血」だったのだ。僕は小説家になったばかりの頃の佐々木さんと酒席を共にしたことが一度だけあり、挨拶の後でそのことを話すと、しばらくして「沖野?」と譲さんは口にした。

沖野さんは僕の大学の先輩たちの芝居仲間で、僕も学生時代に一緒に飲んだりしていたが、大学を出て舞台照明の会社を興していた。その沖野さんが佐々木さんと知り合いで(たぶんゴールデン街つながり?)、大学の先輩の谷合さんが小説を自費出版してパーティを開いたときに佐々木さんを呼んだのだった。

その夜、僕は作家部屋で佐々木譲さんとふたりだけになり、翌朝もしばらくふたりで話をした。そのときに船戸与一さんの話が出たのだ。「船戸さん病気でね、今、書き続けている『満州国演義』を完成させる前に死んだら『譲ちゃん、あと書いてくれないか』と言われた」という。そのとき、初めて僕は船戸さんの病気のことを知った。

その話を聞いて僕は、船戸さんと佐々木さんが仲がいいことがちょっと意外だった。無頼っぽい船戸さんと真面目人間のような佐々木さん。外見から受ける印象は正反対だし、書く作品も何となく正反対の気がする。そのとき佐々木さんは「完成させるまで引き受けてもいいですけど、文体が変わっちゃいますよ」と答えたそうだ。

「満州国演義」を読み続けている間、僕は「ベルリン飛行指令」の文体で書かれていたらどうだろう、と思い続けていた。船戸さんの文体は、文章が短く簡潔で、ハメットのように非情である。ウエットさはなく、乾いた文体だ。佐々木さんの文体もウエットではないけれど、乾いたというより正確無比という感じがする。船戸さんに比べると、どこかに情感を感じるのだ。

さて、「満州国演義」はいろいろ参考になったけれど、僕が読んだ昭和史の文献とは異なる解釈の部分もあった。五味川純平原作・山本薩夫監督の大作「戦争と人間」も満州の雰囲気を知るには役に立つ映画だが、赤い山本監督だから歴史認識が中共やソ連(映画に協力してもらったし)寄りの部分があり、やはり様々な資料に当たらないといけないなと感じたものだった。

ちなみに「戦争と人間」は日本の敗戦までを描く予定だったそうだが、ノモンハン事件で日本軍が敗走するところで終わっている。北大路欣也が演じる五代家の次男が敗残兵として歩いていると、彼を慕い満州まで流れてきて娼婦になっている夏純子が水を与える印象的なラストシーンだ。昭和十四年のノモンハン事件で終わっているのは、製作費が途絶えたからだという。できれば、昭和二十年夏まで描いてほしかった。


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