日々の泡[52]国民作家の伝奇小説【吉川英治/鳴門秘帖】
── 十河 進 ──

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九十五歳になる父母がいるので、退職以来六年間、四国高松の実家と千葉の自宅をいったりきたりしているけれど、このところ高松にいる期間が増えている。さすがに父母が衰えてきたのだ。母は要介護1で、先日、父の介護申請をして要介護3に認定された。

昨年は二月の四週間だけ自宅に戻り、六月には義母が亡くなり一ヶ月だけ自宅に戻った。以来、七月からずっと高松にいる。自宅に二ヶ月、高松に十ヶ月という計算だ。高松にいる間は僕が昼食を作り父母と食べ、病院や外出のときに付き添っている。両親は朝食は自分たちで作り、夕食はワタミの宅食にしている。

かみさんとは「遠距離結婚」あるいは「卒婚」状態だが、僕は料理が好きで炊事洗濯なども苦にならないので、実家の裏の借家でのひとり暮らしは、ある意味で快適でもある。訪ねてきた友人が「きれいに住んでるな」と驚き、キッチンに下がっている鍋や調理道具を見て目を丸くする。

そんな生活だが、一昨年十二月には友人夫婦たちと京都で会うことになり、かみさんと京都駅で待ち合わせた。五組の夫婦十人が集まるのだが、そのうち七人が高校の同級生、三人が関学の同級生である。まあ、同窓会みたいなものである。





かみさんは東京駅から新幹線で京都に入るが、僕は高松から京都までの長距離バスで京都駅に向かった。四国の高速道路を通り、鳴門大橋を渡り、淡路島を抜けて明石大橋を渡る。その後、神戸から京都へというコースで、三時間ほどで着く。

高松の中央インターから鳴門まではほぼ一時間。鳴門大橋から下を見ると、怖くなるほどの潮流である。大きな渦が巻いている。エドガー・アラン・ポーの短編を思い出しちょっとゾッとしたが、その後、「鳴門秘帖」というタイトルが頭の中に浮かんできた。

「鳴門秘帖」は、僕にとって謎の物語だった。小学生の頃にマンガで読んだのだが、それはかなり短縮されたダイジェストだったらしく、様々な謎を僕に残した。要するに、幼すぎて理解できないことが多かったのだ。だから、「鳴門秘帖」のことがずっと気になっていた。

中学生のときだと思う。「鳴門秘帖」がテレビの連続ドラマになった。その頃には、僕も「鳴門秘帖」が国民的作家・吉川英治の代表的な伝奇小説だということは知っていた。吉川英治の少年向けの小説「神州天馬峡」が、少年雑誌に絵物語として改めて連載されていた頃だったと思う。

「鳴門秘帖」は、主人公の法月弦之丞が若き高橋悦史だった。姉御タイプのヒロインである見返りお綱は、扇千景(今や自民党の大物政治家)だった。純情お嬢様タイプのヒロインお千絵は評論家・村松剛の妹である村松英子が演じていたと思っていたが、僕の記憶違いであるらしい。

ネットで調べてみたら、「鳴門秘帖」のキャストに扇千景と並んで市川和子の名前が出てきた。市川和子はテレビ時代劇「新選組血風録」で沖田総司(島田順司)の姉の役をやった人だ。市ヶ谷(四谷だったかな)の職人の家の離れで寝ている総司を見舞い、何かと世話を焼く。

さて、僕は半年に及んだその連続時代劇を見て、ようやく「鳴門秘帖」の全容を知ったのだった。それでも、きちんと読まねばならんと決意して、僕は講談社から出ていた吉川英治文庫の「鳴門秘帖」を買った。分厚い文庫本だった。

「鳴門秘帖」を読んで、僕は時代伝奇もののパターンを「鳴門秘帖」が作ったのだと思った。まず、主人公は虚無僧姿で剣の達人。ヒロインはふたり。ひとりは女スリで海千山千だが、純情な心を持ち、ただひたすら主人公に想いを寄せる。もうひとりのお姫様タイプの純情可憐なヒロインは、たいてい主人公と相思相愛になる。

また、悪人の屋敷にいって立ち回りなどをやっていると、悪人が天井から下がっている紐を引く。すると、主人公が立っていた床が割れ、落とし穴に落ちる。主人公には岡っ引きか盗人の町人が子分のようになり、そんな窮地に陥った主人公を救い出す。

「鳴門秘帖」は、阿波の蜂須賀藩の秘密を探るべく潜入した幕府隠密がことごとく行方知れずになることから始まる。隠密の娘であるお千絵のために法月弦之丞が鳴門の渦潮を渡り阿波徳島に潜入し、四国随一の難所である剣山の洞窟に作られた牢に幽閉された隠密を見つけ出す。

一九二六年に新聞連載された時代伝奇小説の嚆矢のような作品だから、昔から何度も映画化されてきた。連載中に人気を博し、さっそくマキノ映画が映画化した。戦後も市川右太衛門や長谷川一夫、鶴田浩二などが映画化している。

僕は知らなかったのだが、三年前にもNHKがBS時代劇で映像化していた。主演は山本耕史だったらしい。九十年以上経っても、テレビドラマ化されるのだから名作なのであろう。今読めば、文章の古くささもかえって味わいがあるかもしれない。


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