映画と夜と音楽と…[308]やがて哀しき雑誌作り/十河 進

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居酒屋の正論●編集者の話を聞くのが好きだった

少し前のことだが、朝日新聞に遠藤周作の未発表エッセイ原稿・百数十枚が見付かったと大きく出ていた。記事を読むと、遠藤周作が芥川賞をもらったばかりの頃のものらしい。発見したのが櫻井秀勲さんだった。櫻井さんが仕事場を移転するために整理を始めたら、ある箱の中から発見されたらしい。

僕は、その記事を読んで櫻井さんの仕事場から出てきたことに興味を引かれた。その原稿は櫻井さんが同僚から預かって忘れていたものだという。当時、櫻井さんは光文社在籍だった。もう週刊「女性自身」の編集長になっていた頃だろうか。驚異的に部数を伸ばすのは、もう少し後のことである。

光文社は、その頃、カッパブックスで大当たりをとっていたから、その一冊として発行するつもりだったのかもしれない。エッセイとは言っても、内容は一種のハウツーものである。しかし、櫻井さんに原稿を預けた同僚は誰だったのか、気になった。


出版社を志す前から僕は編集者に興味があった。たぶん、中学生のときに買い始めた「エラリィ・クィーンズ・ミステリマガジン」編集長だった小泉太郎さんや常盤新平さんが直木賞を取ったりして有名になったから、編集者とは何者…という関心が強くなったのだろう。

高校生の頃には、今のカミサンが毎月買っていた月刊「装苑」が気に入って、よく見せてもらっていた。その後、文化出版局の雑誌に興味を持ち「ミセス」や「銀花」をよく見たが、どの雑誌にも「編集人・今井田勲」という名が載っているのに気付いた。

その後、今井田さんが戦前、主婦の友社でキャリアを積み、文化出版局の編集局長として活躍する婦人誌編集者としては伝説的な人だと知った。それ以来、様々なヒット雑誌を創った編集者たちのエピソードを知ったが、なぜか婦人誌系の編集者により興味が湧いた。

櫻井秀勲さんも婦人誌編集者として伝説の人である。三十一歳で「女性自身」編集長として百五十万部もの大ヒット雑誌に育て上げる。しかし、荒れに荒れた光文社の労使紛争があり光文社取締役編集室長を最後に退社し、仲間と一緒に祥伝社を立ち上げ、あの「微笑」の編集長を務めた。

その櫻井さんと同時期に、本多光夫という編集者がいた。僕よりちょうど二十歳年上だから、生きていれば七十代半ばになる。この人も様々な伝説を持った編集者だ。何しろ二十代で週刊「女性」を創刊した人である。ただ、当時の河出書房に女性週刊誌を出し続ける余裕はなく、発行元は主婦と生活社に移る。

本多さんの凄いところは、自分が成功させたものにこだわることなく、次に進んでいくことである。世界文化社に招かれて月刊「家庭画報」を立て直し、さらに月刊「プレジデント」の再建に関わる。彼が編集長を務めた頃の「プレジデント」は戦国武将を特集のメインにして部数を延ばした。

その後、流通業界のトップたちに新雑誌の創刊を依頼され、信頼するスタッフに「オレンジページ」「レタスクラブ」「Saita」を創らせる。さらに、晩年は中央公論社から頼まれ「婦人公論」のリニューアルを成功させた。雑誌の再建屋として戦後最高の編集者だったのだろう。

●中年男のボヤキを小説やエッセイに書き続けた

月刊「プレジデント」が「信長の知略」などという特集を大々的に組んでいた頃、同じ雑誌に諸井薫という人が小さなコラムを書き始めた。それは中年男のボヤキのようなものだったけれど、多くのサラリーマンの心を捉え徐々に人気が出始めた。

やがて、諸井薫の名はあちこちの雑誌で見かけるようになり、小説さえ書き始める。いつの間にか単行本も何十冊になった。「胸の振子」「男の止まり木」「男と女の本音」「男の節目」「男の背中」「男の流儀」「居酒屋の正論」など、若者は手に取りそうにない題名ばかりである。

僕が諸井薫を読み始めたのは四十代に入ってからだったろうか。諸井薫が本多光夫その人だと知るのは、しばらくたってからだった。しかし、今、諸井薫の本は書店でもあまり見かけない。亡くなった後、急速に書店から本が消えた気がする。何だか少しさみしい。

諸井薫の小説ともエッセイともつかぬ文章は、やはり「中年男のボヤキ」と形容するのが一番合っていた気がする。たとえば、こんな風なフレーズだ。

──身過ぎ世過ぎに追い立てられ、月を仰ぎ、花に目を止めることの絶えて久しい男にとって、こんな夜があったのは、子供の頃を除けば、遠い日、恋を失ったときと、十数年ばかり前、会社が潰れたその深夜の帰り道くらいしか記憶にない。

これだけの文章なのに、ひとりの男の人生が鮮やかに立ち上がってくる。郷愁、失意、昂揚、悔恨、寂寥…、様々な重いが湧き上がる。確かに感傷的ではあるが、ただ甘いだけのフレーズではない。苦さを知った男の懐旧である。だからこそ、諸井薫は同世代はもちろん、もっと若い世代にも読者を得たのだろう。

作家・諸井薫は中年男の悲哀を描いて人気が出たが、不思議なことに若い女性を描くことにも長けていた。多くは年上の男との不倫の愛に悩む女性を主人公にした。逆に言うと、中年男の理想のような女性を描いた。辛辣な言い方をすれば、賢明ではあるけれど家庭のある男にとって都合のいい女性たちだった。

最初に女性誌を立ち上げることから始まった本多光夫の編集者人生では、若い女性の心理や嗜好を的確に把握することが必要だったのだ。「週刊女性」「家庭画報」さらに「オレンジページ」「レタスクラブ」「婦人公論」など、様々な年代の女性を読者にすることで成立する雑誌ばかり作ったのである。

●華やかな雑誌づくりの後に訪れるもの

伝説の編集者たちばかりではなく、同時代の編集者の中にも気になる人は何人かいる。そのひとりが渡辺直樹さんだった。渡辺さんの名を知ったのは、扶桑社から創刊された週刊「SPA」の編集長だったからである。週刊「SPA」は、とんでもなくヘンな雑誌だった。

扶桑社はサンケイグループだから週刊「サンケイ」を出していたのだが、週刊「SPA」によってまったく新しい若い読者を獲得した。「SPA」流の視点ですべてのテーマを切っていく。フザケているのかマジメなのかわからないような特集ばかりだった。そのコンセプトは現在も続いているが、渡辺直樹さんが編集長を務めていた頃のいわく言いがたいテイストはなくなった。

週刊「SPA」の編集長を引いた渡辺さんは、同じテイストの月刊誌を立ち上げた記憶があるが、しかし、うまくいかなかったのだろう、いつの間にか扶桑社を退社し、あるとき、大々的に創刊キャンペーンを始めた週刊「アスキー」の編集長として登場してきた。だが、いつの間にか、編集人の名から消えてしまったのだった。

昭和出版残侠伝その渡辺さんの消息が、先日出た「昭和出版残侠伝」を読んで判明した。タイトルはもちろん高倉健が1970年前後に主演した「昭和残侠伝」シリーズのもじりである。「唐獅子牡丹」が流れる中、花田秀次郎は長ドス片手に悪辣なヤクザの組に殴り込みをかけ「死んで貰います」と挨拶をしてから相手を斬る。作者の嵐山光三郎もそんなシーンに感激した世代なのだろう。

嵐山光三郎名義でエッセイなどを出していた祐乗坊英昭さんは、若くして平凡社の「太陽」編集長となったが、希望退職に応じて三十八歳で退職する。そのとき「太陽」編集部にいたのが、入社三年目の渡辺直樹さんだった。「昭和出版残侠伝」の中では、酔ってジュリーの歌を唄うので「ジュリー直樹」として登場する。

平凡社を辞めた「太陽」編集部一派は、学研をバックに青人社という出版社を立ち上げ「月刊ドリブ」という雑誌を創刊する。1982年の四月二十一日、月刊「ドリブ」は書店に並び、当時、三十歳になったばかりの僕も買った。何ともジャンル分けが不可能な雑誌だった。硬いのか軟らかいのか、本気なのかフザケているのか、判別不能だった。

その頃、嵐山光三郎はタレント編集長として頻繁にテレビに出た。「ドリブ編集長」という肩書きで何かの審査員をしていた記憶もある。「わらっていいとも増刊号」編集長として日曜の朝に毎週、顔を見せていたのもこの頃のことだ。「○○でR(あーる)」という文体を流行させた。

そのおかげか、創刊号は三日で完売したという。その後、月刊「ドリブ」は順調に推移し、三代目の編集長を引き受けたのがジュリー渡辺である。しかし、当時の僕は雑誌が暴走を始めた印象を持った。下ネタが多くなり、「これが村上春樹が連載までしていた雑誌か」と呆れたのを憶えている。

「昭和出版残侠伝」によると、そんな渡辺さんの辣腕ぶりに目をつけたフジテレビの横澤彪プロデューサーが扶桑社に引き抜き、週刊「SPA」の創刊編集長を任せたといういきさつだったらしい。「昭和出版残侠伝」の「あとがき」によるとジュリー渡辺は、現在、大学教授となっているという。

「昭和出版残侠伝」は1981年から数年間にわたる雑誌づくりのドタバタが描かれていた。僕も同じ時期、同じ業界にいたとはいえ、そんな華やかな世界とは別のところで地味に専門誌を作っていた。月刊「ドリブ」創刊号が出た年の秋、僕は月刊「小型映画」に最後の編集後記を書いた。

その後、立ち上がったばかりのカメラ雑誌に異動し、八十年代はほとんどその編集部で過ごした。僕が巻頭特集で取材する写真家たちはマスコミの第一線で活躍する人たちばかりで、華やかな出版の世界とのつながりをもっていた。彼らの事務所にいくと、有名な編集者に会うことも多かった。

その後、僕はビデオ雑誌やデジタルグラフィックスの雑誌などで編集長を務めることになったけれど、才能がなかったのか、編集長として「休刊の挨拶」を二度も書くことになった。だから、成功した編集者たちの話を聞くのがますます好きになったのかもしれない。そうだとすると、少しさみしい…

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
僕の勤め先が11月28日〜29日開催のフォトショップワールドを共催しています。割引でチケット販売しています。よろしくです。
< http://www.genkosha.com/psw2006/ >

デジクリ掲載の旧作が毎週金曜日に更新されています
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昭和出版残侠伝
嵐山 光三郎
筑摩書房 2006-09

考える人 超・格差社会アメリカの真実 私家版・ユダヤ文化論 人体 失敗の進化史 誤解された仏教



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父の原像
諸井 薫
集英社 1997-06

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男の流儀
諸井 薫
日本経済新聞社 2004-10

by G-Tools , 2006/10/20