映画と夜と音楽と…[363]酒暮れてたどり着く先/十河 進

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●四畳半の部屋に転がり込んできた居候

あれは、就職をした年の春頃のことだったと思う。その年の秋には結婚してしまったので、僕のわずかばかりの独身貴族時代のことである。卒業前の二月半ばから働き始め、四月を過ぎた頃だったろうか。高校は一年後輩だが、僕が一年浪人したため大学時代は同級生になったTは留年を決め、優雅な大学五年めを送っていた。

海外にいった叔母の留守番の名目で、Tは学生時代から国立の団地に住んでいた。2DKの広さがあり、僕もしばらく居候していたことがあるけれど、なぜか、その頃はTが僕の部屋に住み着いていた。僕の部屋は四畳半に炊事場がついただけの部屋で、男ふたりがどうやって暮らしていたのか、今から思えば不思議である。

Tはクラスの仲間がみんな卒業し、自分だけが一年後輩の連中と授業を受けているのがつまらなかったのだろう、僕の部屋をベースにして学校にはあまりいっていなかった。しかし、彼は単位はほとんど取っていて、就職浪人のような形で留年を選んだので、特に問題はなかったようだ。


僕は、朝、ベッドの下の布団の中で寝ているTに「じゃあ、会社へいってくるよ」と声をかけて部屋を出る。昼間、Tが何をしていたのかはわからないが、夜に帰ると食事の用意がしてあることもあった。そんなことが何日も続いていた。その頃の僕が精神的にも落ち着いていたから、Tの居候状態にも寛容だったのだろう。

就職して給料をもらうようになった僕は、急に懐が暖かくなった。ギリギリの仕送りで暮らしていたのが、その三倍ほどの給料をもらうようになったのだ。酒も大して呑まず、映画と本くらいにしか金を使わなかったから、確かに余裕はあった。Tにも、よく奢っていた記憶がある。

直撃地獄拳 大逆転そんなある日、帰宅するとTが「『直撃地獄拳・大逆転』見てきたぞ!!」と言った。それからは「直撃地獄拳・大逆転」(1974年)がいかに面白いかを、僕が口を挟む間もなくまくし立てた。Tは気に入った映画があると、よくそういう状態になる。そんなところは、僕と似ていたのかもしれない。

女必殺拳その頃の僕は志穂美悦子主演「女必殺拳シリーズ」(1974〜76年)はけっこう楽しんで見ていたが、正直に言うと「燃えよドラゴン」(1973年)で火が点いたカンフー映画ブームに便乗して、東映が雨後の筍のように送り出す似非カンフー映画には少しうんざりしていた。

それでも、Tはいかに「直撃地獄拳・大逆転」が面白いかを言い募り、その前作である「直撃! 地獄拳」を見にいかなければ…と、ぴあを取り出してどこかで上映していないかとチェックし始めた。「石井輝男だぜ。監督は」とTは言った。しかし、僕は石井輝男監督作品が苦手なのだった。

●八十一歳で亡くなったカルト監督

1924年生まれの石井輝男監督は、2005年に八十一歳で亡くなった。1980年代には一本も映画を撮っていないが、1990年代になって、突然、自らの制作で映画を撮り始める。それもつげ義春のマンガを原作にしたものばかり。七十代の監督は枯れるのではなく、より前衛的になっていた。

ねじ式「ゲンセンカン主人」が公開されたのが1993年の七月。それ以降、「無頼平野」(1995年)が続き、自らのプロダクションを立ち上げて「ねじ式」(1998年)や「地獄」(1999年)を作る。遺作は「盲獣VS一寸法師」(2001年)である。もちろん江戸川乱歩の世界を描いた作品で、石井監督が好んだエログロの世界の集大成だった。

そうなのだ。僕は石井監督のエログロ趣味とスカトロジー趣味についていけないのである。「徳川女系図」(1968年)あたりはまだよかった。それが「徳川女刑罰史」(1968年)「残酷異常虐待物語 元禄女系図」(1969年)「徳川いれずみ師 責め地獄」(1969年)となると見にいく気が起こらない。

地下室のメロディ僕がよく憶えている石井輝男監督作品は「御金蔵破り」(1964年)だろうか。フランス映画「地下室のメロディ」(1963年)がヒットしたため、それをパクって作った時代劇である。ジャン・ギャバンの役は片岡千恵蔵、アラン・ドロンの役は大川橋蔵だった。

江戸城の御金蔵から大金を盗み出す話で、僕はけっこう好きな映画なのだが、盗んだ千両箱を肥桶に隠しおわい舟でお堀から運河伝いに運び出す設定だった。いかにも石井輝男である。どんな作品でも必ず厠のシーンを出すのは、天才と言われた川島雄三監督と石井輝男監督である。加えて「トラック野郎シリーズ」(1974年〜79年)の鈴木則文監督だろうか。

しかし、僕は石井監督の作品とは知らず、子供の頃にずいぶん見ていたのである。宇津井健が新東宝で主演した「スーパー・ジャイアンツ」シリーズだ。これは1957年の「鋼鉄の巨人(スーパー・ジャイアンツ)」から1959年の「続スーパー・ジャイアンツ 毒蛾王国」まで九作が作られている。

その後、今やカルトムービーとなった「黒線地帯」「女体渦巻島」「黄線地帯」「女王蜂と大学の龍」(すべて1960年)などを作り、新東宝から東映に移籍する。安保闘争で日本中が揺れていた頃、石井監督はこういうエログロ映画の制作にいそしんでいたのである。

東映に移籍して作った最初の映画は「花と嵐とギャング」(1961年)だ。僕はこのタイトルが好きで、公開時に見ているはずなのだが、内容はまったく憶えていない。「ギャング・シリーズ」は、鶴田浩二、丹波哲郎、高倉健が主要キャストだった。まだ若くて目線がきつかった高倉健がチンピラっぽい演技をしていた。

手錠のままの脱獄「ギャング・シリーズ」を経た石井監督と高倉健の最大のヒットが「網走番外地」(1965年)だった。「手錠のままの脱獄」(1958年)は白人(トニー・カーチス)と黒人(シドニー・ポワチエ)が手錠につながれたまま脱獄し、人種偏見を超えて次第に友情が生まれる話だったが、それをパクった「網走番外地」は凶悪犯と手錠でつながれていたため脱獄に巻き込まれた模範囚の話だった。

●「網走番外地」シリーズで高倉健を大スターにした

  きすひけ きすひけ きすぐれて
  どうせ俺らの行く先は その名も網走番外地 (詞タカオ・カンベ)

大学時代、友人たちは酒を呑むと、よくこう歌った。それは時代の気分だった。ロックアウトされた学生会館に象徴されるように、僕たちは闘う前に敗北していた。正体のわからない不安感が去らなかった。だから「酒ひけ 酒ひけ 酒暮れて」と歌えば呑んだくれる自分たちを正当化できたし、「どうせ俺たちのいき着く先は…」とパセティックな気分になれた。

網走番外地時代の気分を反映した「網走番外地」シリーズは、1965年から1967年まで十本を数えた。その後、「新網走番外地」シリーズ(1968〜72年)が八本制作されるが、こちらは降旗康男監督が主に担当した。もっとも、高倉健は降旗康男監督と肌があったのだろう。この後、「冬の華」(1978年)「駅 STATION」(19 81年)「居酒屋兆治」(1983年)「夜叉」(1985年)「あ、うん」(1989年)「鉄道員(ぽっぽや)」(1999年)「ホタル」(2001年)でコンビを組む。

確かに年を重ねて落ち着いた大人の役者になった高倉健には、石井輝男監督の過激さは合わないかもしれない。彼は、老成などしない監督だった。しかし、高倉健は律義さで売っている人である。2006年に網走市潮見墓園に石井監督の墓碑が建てられたときの碑文は高倉健によるものだという。

さて、「直撃地獄拳 大逆転」である。僕はTの熱心さにほだされて、翌週の休日に二番館に見にいった。千葉真一、郷英治、佐藤允というひとくせのあるメンバーがチームを組むヘンな映画だった。郷英治(英には金ヘンがつくのだが、パソコンで出ない)は宍戸錠の弟でちあきなおみの夫だった人だが、早死にしてしまった。

トゥルー・ロマンスタイトルはカンフー映画らしくつけている。クェンティン・タランティーノがシナリオを書いた「トゥルー・ロマンス」(1993年)の冒頭で、映画好きの主人公が「ソニー・チバはナンバーワン・カンフー役者だ」と言うシーンがあるが、タランティーノが千葉真一主演カンフー映画のファンだったのはよく知られている。

しかし、カンフー映画を期待すると裏切られる。「直撃地獄拳 大逆転」は、どちらかといえば犯罪映画である。「地下室のメロディー」のように周到な計画の元、あるビルの厳重に警護された金庫に忍び込む話だ。そのセットのチープさには目をつむるとして、アホらしく喜劇的なシーンとサスペンスがほどよく交錯する。

もっとも、セットを始めとしたチープさそのものがB級映画のテイストを醸し出していて、なかなかに味わい深いものがある。これを大金をかけたセットでシリアスに展開すると、トム・クルーズの「ミッション・インポシブル」シリーズになる。しかし、それではハリウッド的見せ物映画にしかならない。

「直撃地獄拳 大逆転」のラストシーンは、「網走番外地」の冒頭シーンのパロディだ。千葉真一、佐藤允、郷の三人が逮捕されて網走番外地に送られてくる。彼らはバスから降り正門で寒さに震え上がる。そのとき、刑務所の中から声をかけるのは老囚人「八人殺しの鬼寅」である。「網走番外地」に登場して有名になったキャラクターだ。もちろん、嵐寛寿郎が演じた。

先ほど僕はヘンな映画と言ったけれど、「直撃地獄拳 大逆転」は公開当時から一部では評判で、ある評論家は「キネマ旬報」で大絶賛していた。元々、石井監督には熱心なファンがいたのだが、そういう石井ファンにとってはたまらないのだろう。楽屋落ちも多く、そういうところが受けていた。

おかあさんしかし、石井監督は助監督時代に成瀬巳喜男監督についている。「銀座化粧」(1951年)と「おかあさん」(1952年)である。僕は成瀬作品はすべて好きだが、とりわけ「おかあさん」は素晴らしい作品だと思う。その脚本を書いたのは水木洋子だった。

その水木洋子作品の仕事を石井輝男監督は渇望したという。徹底的にB級映画にこだわり、高倉健を大スターにした功労者なのに敢えてエログロ作品を作り続け、十数年のブランクの後につげ義春の前衛的作品を映画化した石井輝男という監督の本質が、その話からうかがえるような気が僕にはする。水木作品は優しい視線で描かれた格調高い文芸作品ばかりだった。

ちなみに、僕の部屋に居続けていたTに僕は「おまえ、帰れ」と言ったらしい。まったく記憶にないのだが、十数年後にTがそう証言した。僕は「俺をひとりにしてくれ!」とキレたそうである。その話は、僕の「鷹揚で許容力のある男」というセルフイメージを大きく裏切るものだが、Tがそう記憶しているなら事実かもしれない。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
雪が続いて寒いので、休日はスエットの上下にちゃんちゃんこを羽織って家から一歩も出ない。カミサンが車を使っているので、足がないということもある。それに、下手に車で出かけて雪に降られると面倒だ。ということで、ますます籠もりがち。運動不足です。

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