映画と夜と音楽と…[388]映画の力を信じていたい/十河 進

投稿:  著者:  読了時間:10分(本文:約4,800文字)



●「Shooting Dogs」とは何を象徴するのだろう

ルワンダの涙ルワンダの涙」(2005年)というセンチメンタルな邦題をつけられた映画の原題は「Shooting Dogs」という。それは、実際に物語の中で国連軍としてルワンダに駐留しているベルギー軍が、惨殺されたツチ族の人々の遺体を食べる野良犬たちを撃つことを示すと同時に、犬のように殺された人たちのことを象徴している。

「ホテル・ルワンダ」(2004年)と同じく「ルワンダの涙」も実話をベースにした映画であることが最初にクレジットされる。ただし、「ホテル・ルワンダ」が南アフリカで撮影されたのと違い、実際にルワンダで撮影された映画であり、虐殺の現場でカメラがまわされたのだという。



ホテル・ルワンダ プレミアム・エディションホテル・ルワンダ」は、首都にある一流ホテルの支配人(彼自身はフツ族で妻がツチ族だ)が、フツ族の民兵たちの虐殺を逃れてホテルに逃げ込んできた人々を客として守りきる話である。ヨーロッパ資本のホテルの社長(ジャン・レノ)の援護もあり、彼は千人を超える難民の命を守ることに成功する。

もっとも、「ホテル・ルワンダ」でも国連軍の無力さは描かれていた。ニック・ノルティが演じた隊長は、虐殺を目の前にして発砲もできない無念さをにじませる。彼は命令に従って白人のみを救出し、ツチ族の難民たちを置き去りにしていかざるを得ない。それでも、主人公のホテル支配人は彼らを守りきるのである。ハリウッド映画らしい救いがある。

だが、「ルワンダの涙」は徹底的に絶望的な映画である。救いはない。主人公は命惜しさで人々を見捨て、見捨てられた数千人は殺される。ルワンダではツチ族とフツ族が対立し、その監視のために国連軍が駐留していた。しかし、1994年に大量虐殺が起こる。映画は、道端に放置された死体の山を再現する。女、子供、赤ん坊、老人、無差別に惨殺されている。まさに死屍累々…

この映画を見ながら、昔、一度書いたことではあるけれど、社会学者・宮台真司の言葉を思い出した。

───多くの人に大きな誤解がありますが、人類社会にはいまだかつて「人を殺してはいけない」という規範が一般化したことは一度もありません。……中略……人類社会が伝統的に維持してきたのは「仲間を殺すな」「仲間のためには人を殺せ」という二つの規範です。

フツ族の過激な民兵たちは、ツチ族を人間として見てはいない。ナチスがユダヤ人を絶滅させようとしたように、ツチ族の絶滅を願っている。彼らのリーダーは虐殺を始めるに当たって「作業開始」と怒鳴る。ナチスがユダヤ人たちをガス室に追い込んだのと同じ意識なのだ。

だが、血にまみれたナタを持つフツ族の民兵たちは異様な興奮状態にあり、強烈な仲間意識を持っているように見える。初めて会った人間でもフツ族だとわかれば、強い連帯感を感じるのだろう。彼らはまさに「仲間のために敵を殺している」のである。

そんなことは、何もアフリカだけで起こっているのではない。その数年前にはボスニアで紛争が起こっていた。先日、ボスニア紛争での虐殺の指導的立場にいた人物が逮捕されたニュースが流れたが、セルビア人たちは彼を英雄だと主張していた。彼は「セルビア人のために敵を大量に殺した英雄」なのだ。

そのボスニア紛争がまだ終結していなかった1994年、ルワンダでは数え切れない人々が虐殺されていた。白人たちは「ツチ族もフツ族も見分けがつかない」と言うが、僕には「セルビア人とクロアチア人の区別はつかない」し、アメリカやヨーロッパの人々には日本人と韓国人の区別はつかないだろう。

人類はなぜ、仲間の定義を広げることができないのだろう。逆にどんどん定義を狭めていく。人が集まれば、仲間ができる。それが、どんどん細分化される。やがて、他の仲間(グループ)との対立が生まれる。だから、小さな対立はどこにでもある。

●狂気の世界に投げ込まれても尊厳を保とうとする人間の存在

ブラックホーク・ダウン スペシャル・エクステンデッド・カット(完全版)ここ数年に見た映画の中でも、アフリカを舞台にした作品が強く印象に残っている。リドリー・スコット監督「ブラックホーク・ダウン」(2001年)は、1993年10月3日にソマリアで起きた実話をベースにしている。この戦闘でアメリカ兵18名が死亡し、アメリカ軍が撤退するきっかけになった。

ルワンダ虐殺が起こるのは、その半年ほど後のことだ。国連軍としてルワンダに派遣されていたベルギー軍の兵士10名が虐殺されたのは、自国兵士の死によって国連軍が撤退するのではないかという期待がルワンダ軍にあったことは、「ルワンダの涙」でも言及される。

ブラッド・ダイヤモンド (期間限定版)「ブラッド・ダイヤモンド」(2006年)も人気者レオナルド・ディカプリオ主演のハードな映画だった。この映画はフィクションだが、強烈なリアリティがあった。数十万人が暮らすという難民キャンプの俯瞰ショットは、僕にアフリカの現実を強く感じさせた。百聞は一見に如かず、という言葉に納得する。

ロード・オブ・ウォー「ブラックホーク・ダウン」「ホテル・ルワンダ」「ルワンダの涙」「ブラッド・ダイヤモンド」、それにちょっと毛色は異なるがニコラス・ケイジが実在の武器商人を演じた「ロード・オブ・ウォー」(2005年)などを見ると、アフリカの問題について、いくぶん理解できるかもしれない。

ダーウィンの悪夢 デラックス版どの映画もある種の面白さに充ちている。面白さと書くと、何となく不謹慎な気がするが、真実を面白く伝え、その結果、多くの人に何かを考えさせることができるのも映画だと思う。気になっている「ダーウィンの悪夢」(2004年)もアフリカの現在を写しとったものだが、それがドキュメンタリーであるということで、僕に二の足を踏ませている。

たとえば、僕はソマリア紛争のコアのようなものを「ブラックホーク・ダウン」で理解した。映像は素晴らしく、戦闘シーンのリアルさが刻み込まれる。人の上半身がちぎれて内臓がはみ出し、ロケット砲を腹に撃ち込まれた兵士はのたうちまわる。映画を見ている間、まるで銃弾が僕のそばをかすめるようだった。

「ブラッド・ダイヤモンド」を見たレオナルド・ディカプリオ・ファンの女性たちは、きっとダイヤモンドを買うときに思い出すだろう。いくら輝いていても、それが血にまみれているかもしれないことを…。敵兵たちに崖に追い詰められ、恋人のジャーナリストと携帯で電話しながら死んでいくレオナルド・ディカプリオは、本当にかっこよくて泣けてくる。

「ロード・オブ・ウォー」はニコラス・ケイジのとぼけたナレーションを聞きながら、世界がいかに暴力にまみれているかがわかる。武器を握れば、人は簡単に人を殺す。武器商人という存在がなくならない、いや、ますます隆盛を極める商売になっている現実が悲しい。

そして、「ホテル・ルワンダ」「ルワンダの涙」を見ると、狂気の世界に投げ込まれても尊厳を保とうとする人間の存在に涙するだろう。虐殺を叫ぶ民兵たちに囲まれながら、人としてのモラルとルールを持ち続けようとする人間がいたことを、僕たちは唯一の希望として胸に刻むことができるのだ。

●虐殺した側の人間も同じように今を生きている

「ルワンダの涙」は3人の人物を中心にして展開する。ルワンダで30年も布教活動と学校を続けているクリストファー司祭(ジョン・ハート)、希望と夢を信じ海外協力隊としてルワンダで教師をしているイギリス青年のジョー(ヒュー・ダンシー)、そして走ることが好きなツチ族の少女マリーだ。

ルワンダの首都にある公立技術学校。国連軍のベルギー兵たちが駐留している。グランドを何周も走り続けるマリー。それを実況中継して生徒たちと愉しんでいるジョー。クリストファー司祭は修道院でシスターたちにミサを行い、学校に帰ってくる。

しかし、その夜から異変が起きる。難民たちが学校に逃れてくる。国連軍は自衛のための発砲しか許されていない。難民たちの学校への受け入れにも難色を示すが、司祭の「私の学校だ。私が許可する」という言葉で受け入れる。2000人以上の人たちがやってくる。

ジョーは学校の様子をテレビ局に取材させ世界に流すことで、ルワンダの現状を訴えようと知り合いのキャスターを連れに出かけるが、帰途、民兵たちにクルマをおろされる。殺されそうになったのを救ったのは学校の使用人だったフランソワだが、彼が持つナタが血まみれなのを見て衝撃を受ける。

街中に死体がある。学校も熱狂したフツ族の民兵たちに取り囲まれる。学校から逃げ出した人々を民兵が襲い、生まれたばかりの赤ん坊を地面に叩きつける。ジョーは絶望するが、マリーには「見捨てないよ」と言う。しかし、遂に国連軍に撤退の指令が下る。

難民の代表が国連軍の隊長のところにやってくる。ナタで殺されるくらいなら、全員を銃殺していってくれと…。断る隊長に彼は言う。「せめて子供だけでも」と。しかし、国連軍は出ていく。ジョーもそのトラックに乗る。マリーの視線に耐えながら…。

ひとり残った白人であるクリストファー司祭は、マリーを含めた子どもたちを学校のトラックに隠して逃がそうとするが、民兵たちに止められる。司祭は民兵の地区リーダーであり長年の知り合いである商店主に頼るが、「白人は殺されないと思っているのか」と罵られて撃ち殺される。

彼らは、狂気の世界に入っているのだ。憎しみだけに支配されている。殺すことだけが目的だ。何人殺したかが、仲間内での勲章になる。競って殺そうとする。学校を囲んでいた民兵たちは、国連軍が撤退すると一斉にナタを振り上げて避難していた人々を殺し始める。

トラックに乗っていたマリーは、司祭と民兵の押し問答の間に子どもたちを逃がす。司祭の死を見届けて、走り出す。マリーは走る。ただ、走る。僕は「徹底的に絶望的な映画」と書いたが、その走り続けるマリーの背中に「希望」が見えた。「希望」が走り続けていた。映画なのだ。どこかに「希望」がなければ辛すぎる。

映画は、最後に技術学校での虐殺を生き延びた何人かを映し出す。そして、この映画のスタッフの中にも虐殺を生き延びたルワンダ人がいることをクレジットする。彼らは両親を、兄弟を、姉妹を、親戚たちを失っている。家族の死体に隠れて生き延びた人もいる。

それは、たった14年前のことなのだ。だとすれば、虐殺した人間も同じように、今を生きている。彼らは「ルワンダの涙」や「ホテル・ルワンダ」を見るのだろうか。見たとしたら何を思うだろう。自らの蛮行に身を苛まれるか。二度と殺すまいと思うか。そうであってほしい。僕は、映画の力を信じていたいのだ。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
残暑のぶり返しか。毎日、暑いです。こう暑いと、原稿もはかどりません。汗を拭きつつキーボードを打つ週末。エアコンは入れない主義(?)なので、ホントに汗だくです。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/shop/shop2.asp?act=prod&prodid=193&corpid=1 >
受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm >
< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html >

photo
映画がなければ生きていけない 1999‐2002
十河 進
水曜社 2006-12-23
おすすめ平均 star
starちびちび、の愉悦!
star「ぼやき」という名の愛
star第25回日本冒険小説協会 最優秀映画コラム賞
starすばらしい本です。
starものすごい読み応え!!

映画がなければ生きていけない 2003‐2006

by G-Tools , 2008/09/12