映画と夜と音楽と…[386]不運は続くよどこまでも/十河 進

投稿:  著者:  読了時間:11分(本文:約5,100文字)



●「蟹工船」が売れる時代に本工と臨時工の分類は通じるか?

先日、散歩をしていたら共産党の宣伝カーが「若者の三人にひとりは非正規雇用者です」とスピーカーからがなり立てていた。僕は、非正規雇用者であることがいけないことだとは思わない。雇用形態は、昔に比べて自由になってよかったと思う。問題は、非正規雇用と正規雇用に大きな賃金格差があることだ。

僕は長く組合活動(労働運動)をやっていたし、役員をやっていた出版労連の中央執行委員たちは日本共産党シンパが多かったけれど、特に共産党に好意を持っているわけではない。どちらかと言えば、その教条主義的な対応にはうんざりすることがある。

出版労連の役員をやっているときも、僕はどちらかと言えば反主流派だったと思う。その会議の中で僕がよく批判していたのは「労連も、結局、本工主義じゃないか」ということだった。「蟹工船」が売れる時代だから、本工と臨時工という分類は通じるかもしれないが、要するに正社員と非正社員ということだ。



自省を込めて言うのだが、日本の労働組合は正社員の賃金および労働条件の向上を最重要課題にして闘ってきた。個別の企業の中だけの組合だから自然とそうなるし、経営者も将来的に継続して働いてくれる(という前提の)正社員の待遇は考えるが、アルバイトや契約社員についてそこまでは考慮しない。

企業が非正規雇用者を雇うのは、人件費コストが安くすむからだし、人手が必要なときは増やし、必要でなくなったら減らすことができるからだ。しかし、そんな便利な存在だとすれば、ずっと面倒を見なければならない正社員より非正規雇用者の労働条件をよくすべきじゃないかと、皮肉を込めて僕は思う。

昔、神保町にある某大手出版社の正社員しか入れない労働組合が、僕の所属する組合に要請にきたことがあって応対した。その会社で発行している百万部の週刊誌編集部に臨労ができたのだが、彼らが支援要請にきても応えないでほしい、という内容だった。

週刊誌編集部なんてのは正社員の編集者より、圧倒的にフリーや契約社員やアルバイトなどが多い。そんな彼らが「臨時雇用者労働組合」を作ったというのだ。しかし、彼らは臨時工であることを前提にした条件闘争をめざしているので、正規組合としては支援できないのであると、その正社員組合員は言った。

そう言えば、彼らは、その数年前、数名の契約社員の正社員化を勝ち取ったことを誇らかに労連大会で報告していたな、と僕は思い出した。しかし、正社員化要求が正しくて、臨時工たちの条件闘争は正しくないのか、と僕は納得できず、以来、その組合には不信を抱いた。

正社員であることだけが正道ではない。雇用形態の自由さは認めるべきだ。いろいろな働き方が選べる現代は、昔よりいい。ただし、賃金や労働条件の格差は縮める方向であらねばならない。もう何年も前になるが、人材派遣業の規制が緩和された。以来、人材派遣会社は山のように生まれ、僕のところにも毎日、セールスの電話が何件も入る。そのことが問題の根にあるんじゃないだろうか。

僕は、若者に夢を抱かせることができない社会はロクなもんじゃないと思っている。向上心もあり、働く意欲もあり、社会に出て実現したい夢を持っているまっとうな若者が、いきなり職もなく、働いても生活できないような賃金しかもらえないような国だとすれば、情けないし悲しい。

●主人公夫婦の不運続きに「見ていられない」気分になる

真夜中の虹/浮き雲アメリカの経済破綻から世界恐慌の怖れが言われている。円高・株安の影響で、新規募集を取り消す企業が相次いでいる。日本の若者たちの労働環境や就職状況は、ますます厳しくなった。そんなとき、僕が思いだしたのはフィンランドの映画監督アキ・カウリスマキの「浮き雲」(1996年)だ。中年夫婦の失業と職探しの物語である。

高給レストランの給仕長をつとめる中年女性がいる。アル中気味のシェフが酔って刃物を振り回しても平然とおさめる、職業的自信にあふれた女性だ。仕事を終えた彼女は、大通りにやってきた市電に乗り込むと運転手にキスをする。夫婦か恋人なのだろう。ふたりは、終電で車庫にいき、一緒に帰宅する。

ある日、夫が市電の詰め所に戻ると上司がやってきて「リストラで四人辞めてもらうことになった」と言う。それをカードで決めるのだ。カードを引いた夫の顔が写る。黙ったままだ。カウリスマキの映画はセリフや大仰な芝居で説明はしない。それだけで、夫が失職したことは伝わる。

夫の職探しが始まる。しかし、今度は妻のレストランがレストラン・チェーンを経営する会社に買収される。シェフもクローク係も給仕も、みんな失職する。主人公も職探しを始めることになるが、なかなか仕事は見付からない。あるレストランのオーナーには「不況だし、あなたは歳だ」と露骨に言われる。

ある日、夫がロシア行きの遠距離バスの運転手に採用になったと帰ってくる。健康診断を受けて問題なければそのままロシアだ、と張り切って出かけるが、その夜、失意の夫が帰ってくる。健康診断で片方の耳に異常が見付かり、免許も取り上げられたのだ。夫は絶望し、無気力になる。

主人公は就職斡旋業の会社にいき、なけなしの金を払って皿洗いの就職先を紹介してもらうが、その店はヤクザな主人がやっていて、すべてを押しつけられる。彼女は料理を作り、給仕し、レジも打つ。しかし、脱税がばれて店主が逃げ、その店主に「妻の給料をよこせ」と談判した夫は、店主と仲間たちにボコボコにされる。

妻は、昔の仲間と会い、レストランを開こうと持ちかけられる。その気になるが資金はもちろんない。夫がクルマを売って金を作り、その金を担保に銀行から資金を借りようとするが、まったく相手にされない。夫は、車を売った金でカジノにいくという。もちろん、夫はすべてスってしまう

この辺になると、見ている方は主人公夫婦の不運続きの人生に「見ていられない」気分になってくる。これ以上、追い込まれていく不幸な主人公を見たくない、という感じである。高給レストランの給仕長が皿洗いになり、そのみじめさがひしひしと伝わってくる。

アキ・カウリスマキ作品の主人公たちは、不運であり、悲惨であり、救いがない。そんなに不幸に追い込まなくたっていいじゃないか、と作者に文句を言いたくなる。どこまでいじめるんだ、と抗議したくなる。だが、その不運続きの物語は、最後の最後で必ず「ある救い」が用意されているのだ。

それは、ほんのささやかな救いなのだが、間違いなく本物の「救い」である。人生の本質的な救い、といってもいい。「浮き雲」もそうだ。ラストシーンの何とも言えない味わいを得るために、僕は不運続きの物語を見続けた。もちろん、すごく魅力的な映像なのではあるけれど…。

●不幸が続いた果てに何かが昇華したような気分になれる

過去のない男僕がカウリスマキのファンになったのは、「過去のない男」を見てからだ。評判になった「レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ」(1989年)も「マッチ工場の少女」(1990年)も見ていない。しかし、初めて見た「過去のない男」の不思議な雰囲気に圧倒され、その記憶がいつまでも消えない。

カウリスマキ作品は、サイレント映画かと思うくらいにセリフが少ない。登場人物たちは何かを見つめて棒立ちしているシーンが多い。カメラは不必要に動かないし、直接、描写しなくてもわかることは映さない。少し北野武映画に似ているかもしれない。

たとえば「浮き雲」の冒頭、キッチンで酒を呑み刃物を振り回すシェフを主人公がおさえようとしたとき、主人公とシェフはフレームアウトする。カットはそのまま続き、取り巻いたスタッフたちが彼らを見つめている。やがて、パチっと頬を張る音がして主人公が刃物を持ってフレームに戻ってくる。彼女が刃物を取り上げるカットはない。しかし、観客には充分に伝わる。

街のあかり
「街のあかり」(2006年)は、今のところカウリスマキの最新作のようだが、そのスタイルはさらに徹底している。主人公は、ほとんど何もしゃべらない。しゃべっても、ひと言だ。しかし、何て魅力的な映像だろう。でも、やっぱり、頼むからそんなに主人公をいじめる展開はやめてくれよ、と途中から思い続けながら見ていた。

警備会社に勤める男がいる。彼は職場でも同僚とつきあいがなく、孤独な浮いた存在だ。自宅近くに大型バスの改造車に「グリル」と描いた店を出す女性に話しかけるくらいだ。「いつか最新設備の警備会社を起こして見返す」と彼は買ったソーセージを食べながらつぶやき、女は気怠そうに煙草を吸いながら相槌を打つ。

ある日、主人公がコーヒーを飲んでいるとある女が話しかけてくる。「さびしそうだったから…」と言う。その女とデートの約束をし、男はいそいそと出かける。女は積極的だ。男がショッピングセンターを巡回しているときにもやってくる。女はドアを開ける暗証番号を盗み見る。

ある夜、仕事中に女とコーヒーを飲み、男は眠らされる。女はギャングのボスの情婦で、ボスの命令で男に近づいたのだ。男は鍵を盗まれる。ギャングたちは、暗証番号と鍵を使ってショッピングセンターの宝石店から宝石を盗む。男は警察につかまるが、女のことは何も言わない。男は宝石泥棒の仲間だと疑われる。

証拠不十分で釈放された男の部屋に女がやってくる。女が椅子の下に隠したものを見ると、鍵束と盗まれた宝石の一部だった。女の通報で警察がやってくる。それでも男は女のことをしゃべらない。男は窃盗罪で二年の刑期を言い渡される。グリルの女が判決を聞く男を心配そうに見つめている。

男が出所する。レストランの皿洗いに雇われる。その店でギャングのボスと女に出会う。ギャングのボスが店のオーナーに告げ、前科を隠していたからと男はクビになる。男はナイフを持って店の外でボスに切りつける。初めて見せた男の激情。しかし…、男はボディガードに簡単に取り押さえられ、半死半生の目に遭わされる。

お願いです、どうか主人公に復讐をさせてやってください、と僕は本気でスクリーンに向かって祈った。あんまりだ。不運続きの人生だといっても、これじゃあひどすぎる。みじめなだけじゃないか。見る方だってフラストレーションがたまってしまう。

しかし、港の隅にボロのように捨てられた男をカウリスマキは見捨てない。最後の最後に、救うのだ。もちろん、それは精神的な意味でだが、それゆえに崇高で、純化されたものである。不運と不幸が続いた果てに、何かが昇華したような気分にさえなれる。もちろん、カウリスマキはそれを延々とは見せない。ブツっと切ったように映画は終わる。

フィンランドというなじみのない国の話だが、どこで生きていても人間は同じだ。格差はある。不幸はある。金持ちと貧乏人がいる。しかし、社会の底辺で生きる人々を、そして過剰なまでに彼らの不幸を描くカウリスマキは、間違いなく彼らへの熱い共感を抱いている。職探しに疲れ果てる夫婦、女に裏切られ「負け犬」と罵られる男への想いが、静かな画面から伝わってくる。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
人間というのは、自分はいつまでも若いと思っているようです。どこかのブログで「親戚の年とったおじさんから昔話を聞いているようなコラム」と書かれていて、ちょっと複雑な気分でした。しかし、若い人が読んでくれているのは、素直にうれしいですね。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html >
受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm >
< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html >

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映画がなければ生きていけない 1999‐2002
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by G-Tools , 2008/11/07