映画と夜と音楽と…[430]山城新伍のまっとうな批判精神
── 十河 進 ──

投稿:  著者:



●半世紀近く前の映画的記憶が甦った

少年剣士は周囲を炎に取り囲まれ、絶体絶命の危機に陥る。彼は「白鳥玉」と呼ばれる水晶玉を懐から取り出して高く掲げ、「風の神〜」と叫んで地に倒れる。周囲に円形陣を作って炎が燃えさかる。そこに「to be continued」と出たら「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(1985年)だが、半世紀前の日本映画に出るはずはない。「風小僧の運命や如何に」という文字がスクリーンに躍り、「次週、当劇場にて公開」と出たと思う。

それは、僕が憶えているかなり古い映画のワンシーンだ。最初の映画的記憶とは言わないが、それに近いものだと思う。映画の公開は1960年5月だった。僕は8歳である。調べてみると17日に「風小僧 風流河童剣」が公開され、24日に「風小僧 流星剣の舞」が公開になっている。「風小僧」のテレビ版は前年に放映されていたが、映画版の公開は60年安保の反対デモが盛り上がりを見せ始めた頃だったのだ。

それにしても、僕は主人公の少年剣士が炎に取り巻かれて倒れるシーンを鮮明に憶えている。よほど主人公のことが気になり、心配だったのだろう。スクリーンに幕がかかり、場内の明かりが点いてもまだ僕は映画の中から戻れなかった。しかし、無情にも映画館は明るくなり、「おせんにキャラメル」売りのおばさんが掃除を始めた。僕はスクリーンに心を残しながら、父にロビーに連れ出された記憶がある。



あの頃、東映映画は高松市の常磐街というアーケード街の真ん中にあった常磐館(常磐座だったかもしれないけど)という映画館で見た。隣が第二常磐館といっただろうか。そちらは日活映画の封切館だった。その映画館の斜め向かいに常磐食堂というのがあり、大阪の喰いだおれ横丁の人形を模した等身大の人形が店の前に立っていて、いつも電動で太鼓を叩いていた。

映画を見終わると、その常磐食堂に寄るのが我が家のいつものコースだった。大した食堂ではない。何でも揃っている大衆食堂だ。もっとも、当時のデパートの食堂も似たようなものだったから、それなりのレストランだったのかもしれない。僕は、いつも、そこで中華そばを食べた気がする。2歳年上だった兄は、よくお子さまランチを頼んでいた。

常磐食堂を出て自宅に帰る途中、母親が瓦町という琴平電鉄の駅前に出ていた屋台で大判焼きを買った。太鼓型をした鯛焼きのようなものである。その屋台の大判焼きは、アンコがたっぷりと詰まっていたのだ。だから、子供の頃の僕の映画的記憶は、中華そばと大判焼きに彩られている。

●十三人目の刺客になった山城新伍さんだったが…

山城新伍さんが70歳で亡くなって、テレビや新聞・ネットのニュースで取り上げられていたが、どれも「『白馬童子』で人気が出た」と書いてあった。しかし、僕は「風小僧」の方が好きだった。テレビ版「風小僧」で顔を知られた山城さんは、続けて主演した「白馬童子」で全国的な人気を得た。当時、我が家にはテレビがなく、僕は「白馬童子」も映画版で見た記憶がある。

現代・河原乞食考―役者の世界って何やねん?山城さんの著書「現代・河原乞食考」によると、「白馬童子」に主演している頃、実家にはテレビがなかったという。山城さんの実家は、京都の医院である。そんな家にもテレビはまだなかったのだ。貧しい時代だった。結局、「白馬童子」の提供スポンサーだったサンヨーが山城さんにテレビをプレゼントし、実家の両親も息子の晴れ姿を見ることができたのである。

さて、山城さんは子どもたちのヒーローになったが、東映では二線級のスターに甘んじなければならなかった。その頃、東映の時代劇俳優には片岡千恵蔵と市川歌右衛門という二大スターがいて、近衛十四郎や大友柳太郎という中堅がいて、中村錦之助や大川橋蔵の若手がいた。東千代之助、里見浩太郎といったところも主演作があったが、まだまだ駆け出し扱いだった。

テレビでスターになった山城さんが映画に主演できるようになったのは、映画が斜陽産業になったからである。観客を集めるためにテレビではできないことをしなければならなくなった映画界は、当然のことのようにセックスとヴァイオレンスに走った。エロ・グロ、および暴力シーンのエスカレーションが始まり、そんな映画で山城さんに主演がまわってきた。

赤頭巾ちゃん気をつけて [DVD]8年前、僕は資料のつもりで東映の撮影所所長から社長、さらに会長になった岡田茂の自伝を買った。現在の東映社長は息子の岡田祐介になっているが、彼は「赤頭巾ちゃん気をつけて」(1970年)の主演俳優だった。岡田茂会長の自伝は要するに功成り名遂げた年寄りの自慢話だが、巻末に東映の年表と戦後の公開作品リストが掲載されていた。

「特別機動捜査隊」MUSIC FILEそのリストを年代順に見ていくと、時代劇から任侠映画、さらに実録路線といった映画の傾向がどの辺から変わり始めたのかがわかり、なかなか面白い。全盛期の昭和30年代は京都撮影所制作の時代劇が売り物だった東映だが、早い時期から東京の大泉撮影所では警視庁ものが作られている。後年、テレビシリーズ「特別機動捜査隊」などを作れる下地があったわけだ。

十七人の忍者 [DVD]昭和30年代に人気を集めた時代劇も明朗で脳天気な作品が飽きられ始め、シリアスな集団時代劇へと変わっていく。その嚆矢ともいうべき作品は「十三人の刺客」(1963年)だと思っていたが、「十七人の忍者」(1963年)の方が5ヶ月早く公開されている。その主演は里見浩太郎。山城さんの一年先輩で、同じ大部屋で俳優のスタートを切った二枚目だ。一年先輩だが、部屋の掃除を命じられた山城さんの代わりに、よく掃除をしていたそうである。

現在、三池崇史監督がリメイク中の「十三人の刺客」を僕は黒澤明の「七人の侍」より上位(人数も6人勝っている)に置くのだが、そこまでは評価しない人も映画史に残る名作時代劇であることは認めるはずだ。その「十三人の刺客」で、庄屋の娘(藤純子)と一緒になりたいという個人的な動機から13人目の刺客になるのが山城さんだ。13人の中では比較的目立つ役だったが、それが当時の山城さんの俳優としてのポジションだった。

山城新伍という名前が一番最初にクレジットされる(主演扱いになる)のは70年代に入ってからだ。前述のようにエロを売り物にしたナンセンス映画である。「喜劇ギャンブル必勝法」(1970年)は千葉真一の「やくざ刑事」の併映だが、タイトルロールは一番目だった。当時、山城さんは梅宮辰夫アニイと組んで「不良番長」シリーズや「帝王」シリーズに毎月のように出ていた。

●映画俳優、テレビタレント、映画評論家、映画監督の顔を持つ

徳川セックス禁止令 色情大名 [DVD]悲しいことに僕の少年時代のヒーローだった山城さんの主演作は「喜劇 トルコ風呂王将戦」(1971年)「喜劇 セックス攻防戦」(1972年)「ポルノギャンブル喜劇 大穴中穴へその穴」(1972年)と、書き写すのも忍びないタイトルの映画ばかりだった。日活ロマンポルノに対抗する意味もあったのか、その頃の東映作品は「徳川セックス禁止令 色情大名」(懐かしのサンドラ・ジュリアン)や「エロ将軍二十一人の愛妾」(懐かしの池玲子と杉本美樹)と露骨なタイトルである。

山城さんの逝去のニュースでよく取り上げられたのは、「仁義なき戦い」(1973年)シリーズへの出演である。しかし、映画を見た人はわかるだろうが、あのシリーズで山城さんが演じた江田省一という役は、出番はそれなりにあるものの目立つ役ではなかったし、重要な人物でもなかった。抗争を続けるやくざの幹部たちとしては、成田三樹夫や田中邦衛(卑劣で臆病な槇原!)の方がずっと重要で印象的な個性だった。

しかし、80年代になってテレビのバラエティ番組に出るようになり、山城さんは一般的な人気を再び獲得する。東映の大部屋俳優たちで作ったピラニア軍団から人気者になった川谷拓三と組んだ「どん兵衛」のCMを憶えている人も多いだろう。その頃から、山城さんは映画俳優、テレビタレント、映画評論家、そして映画監督の顔を持つようになる。初めての監督作品は「ミスターどん兵衛」(1980年)だった。

女猫 [DVD]あれは、東京ディズニーランドがオープンした年のことだった。僕はカメラ雑誌の取材で映画のスチルカメラマンに一日だけ入門し、日活撮影所に赴いた。そのとき、あるスタジオの扉に「山城組『女猫』同時録音撮影中。静かに!」と張り紙がしてあった。松竹映画「愛と誠」のヒロイン募集で選ばれ、役と同じ名前を芸名にした女優の初めてのロマンポルノ作品だった。早乙女愛がロマンポルノに…。それは、まだ客を呼べるセールスポイントだったのである。

さらば愛しき大地(廉価版) [DVD]その少し前のこと、僕は山城さん本人を見かけたことがある。山城さんは、もうテレビの映画番組の前説の仕事を始めていたのだろうか。映画評論家としても確かな目を持っていることが認められ始めていた頃だと思う。僕は、銀座で行われた柳町光男監督の「さらば愛しき大地」(1982年)の試写会場で山城さんとすれ違ったのだ。

独立プロで制作した「さらば愛しき大地」は公開が決まらず、試写もどこかの映画会社の試写室を借りて一日だけの上映だったと思う。僕は柳町監督を応援するために雑誌に紹介記事を書こうと決めて、その試写に出向いた。そこの廊下で山城さんとすれ違ったのだ。そのときの印象は、映画俳優だから当たり前かもしれないが「意外に、大きな人なんだなあ」だった。

●敬愛する父と同じように糖尿病を患い肺炎で亡くなった

山城さんの唯一の著作かどうかはわからないが、僕は「現代・河原乞食考」という本を持っている。解放出版社から出ていることに山城さんの意志を感じ、根は硬派な理論家だったのだと改めて思う。「毒舌タレント」などと言われ、テレビ局から干されたこともあったが、クレバーな批評精神があったから「毒舌」と言われたのだ。「テレビタレントなんてバカだ」と思われている世界で、山城さんはまっとうなことを主張しただけだった。

その著書の中では、京都の医者の家に生まれ、赤ひげのような父親と働き者の看護婦長の母親を誇りに思いながら映画三昧で育った話、亡くなった大物俳優たちとの交友などを語っているが、この本で山城さんが声高に糾弾しているのは「差別」である。山城さんは子供の頃から周囲にいた被差別の人たちに強い共感を抱き、そのことを繰り返し語っている。

招かれざる客 製作40周年アニバーサリー・エディション [DVD]生まれた家の周辺には、在日の人も多かったという。子供の頃からそういう友だちがいた。山城さんはそんな人たちに偏見を持つ旧弊な人間たちの醜さを、声を張り上げるように強く強く書いている。各章の間には山城さんが愛してやまない映画に対しての短評が挟まれるのだが、その最後に取り上げた映画が黒人差別を扱ったハリウッド作品「招かれざる客」(1967年)であることも象徴的だ。

この本を読んで、「ああ、あの映画が僕の中にこれほど深く刻み込まれているのは、森崎東監督の弱者と同化する視点での描き方だけではなく、主演の山城新伍の思いが伝わってきたからなのか」と僕は思った。その映画のことは10年近く前のコラムでも書いたけれど、「喜劇・特出しヒモ天国」(1975年)というタイトルを持つ森崎作品である。その映画を僕は封切りで一度しか見ていないが、今も鮮明に思い出すことができる。

タイトルからわかるように、ストリップ劇場を舞台にした話だ。主人公(山城新伍)はサラリーマンだったが、ストリッパー(池玲子)に惚れてヒモになる。仲間のストリッパーたちやヒモたちもいて、楽屋は何かと騒がしい。そんなある日、楽屋に出前にきていた聾唖者の夫婦が「赤ん坊を生むのに金がいる」とストリッパーを志願する。

事情を聞いた人のよいストリッパーたちは同情し、音楽が聞こえない妻を鍛え上げ、何とか踊りに見えるように仕上げる。彼女は人気が出るのだが、ある日、故障でスピーカーから音楽が出なくなってしまう。耳の聞こえるストリッパーたちは踊りをやめるが、聾唖者のストリッパーはそのまま踊り続ける。観客たちが笑う。だが、彼女はなぜ笑われているのかわからない。さらに、懸命になって踊る。そのシーンで僕は涙をこぼした。切なさと、懸命さに泣いたのだ。

「喜劇・特出しヒモ天国」が深く僕の記憶に残ったのは、間違いなく森崎東監督が常に「底辺で生きている人間に寄せる共感」を描くからである。それは一貫した彼の姿勢だ。だから、どんな失敗作であろうと僕は見る。森崎作品の人々は優しくたくましい。底辺に生きている者同士、連帯し、助け合う。弱い人間は弱さがわかるからだ。虐げられた者、差別された者たちは、その痛みや辛さがわかるからだ。

山城さんは「現代・河原乞食考」の最後に再び父親の言葉を引用している。赤ひげのように貧しい人々を平等に診た父親は「世の中を見てみい、貧乏人と金持ち、天皇と賤民、体格、才能…。一体どこが平等やねん? そやけど人間は生まれながらにして人間なんや。ゆえに平等でなきゃならんのだ!」という言葉を息子に残し、糖尿病を患い50歳で肺炎で亡くなった。

それから50年以上経ち、父親と同じように糖尿病を患い肺炎によって山城さんは亡くなった。山城さんが繰り返し糾弾した「差別」は、今も厳然として存在する。しかし、昔に比べれば、何かが少しはマシになったのではないか。少なくとも「喜劇・特出しヒモ天国」に感動した人間はここにひとりいる。あの映画に感動する人間は、自らの差別意識を強く恥じるに違いない。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
今年の春から意識的に食事を抑え、8キロほど減量した。先日は、瞬間的に10キロ減を実現したが、このところ少し戻りつつある。多少は見た目にも違いがわかるらしく「痩せましたね」と聞いてくる人もいるが、みんな聞き辛そうだ。僕の年で痩せると、病気を疑うのだ。僕が「ガンなんです」と答えると、冗談だろうと思いながらも相手は絶句する。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html >
受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm >
< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html >

photo
映画がなければ生きていけない 1999‐2002
水曜社 2006-12-23
おすすめ平均 star
star特に40歳以上の酸いも甘いも経験した映画ファンには是非!
starちびちび、の愉悦!
star「ぼやき」という名の愛
star第25回日本冒険小説協会 最優秀映画コラム賞
starすばらしい本です。

映画がなければ生きていけない 2003‐2006 重犯罪特捜班 / ザ・セブン・アップス [DVD] 仁義 [DVD] ハリーとトント [DVD] 狼は天使の匂い [DVD]

by G-Tools , 2009/08/29