映画と夜と音楽と...[444]ジャズが似合うマンハッタンの夜/十河 進

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〈マンハッタンの二人の男/マンハッタンの哀愁〉

●「マンハッタン・オプ」の文庫解説の依頼がきた

マンハッタン・オプIII (ソフトバンク文庫NV)二年ほど前のことになるが、ソフトバンク文庫の編集部から「矢作俊彦さんの『マンハッタン・オプ』シリーズを復刊するので、解説を書いていただけないか」というメールが入った。僕の本の担当編集者が矢作さんの担当編集者と親しいというので、そのルートで矢作さんに分厚い二巻本を献本してあったから、そのせいかと最初は思った。

長くこのコラムを読んでもらっている人にはわかると思うが、僕は矢作さんの愛読者である。矢作さんが最初の長篇「マイク・ハマーへ伝言」を出す以前から「ミステリマガジン」の二村シリーズ「真夜中へもう一歩」の連載を読んでいた。このコラムでも、何度か矢作さんの小説や映画「アゲイン」について書かせてもらった。

ソフトバンク文庫の編集者に連絡をとると、僕が以前にデジクリに書いた矢作版「ロング・グッドバイ」のコラムを読んでの注文だという。「そんなんでいいの?」と思ったが、結局、「マンハッタン・オプ」第三巻には僕の解説が載っている。一巻目は坪内祐三さん、二巻目は関口苑生さん、四巻目は中条省平さんという豪華な執筆陣で、僕としては「凄い顔ぶれと並んだなあ」と気後れしている。

しかし、ずっと愛読していた作家の解説を書くのは心楽しくも妙なものだった。それに、最近の矢作さんは純文学に寄っている。「ららら科學の子」「悲劇週間」は純文学誌「文學界」に連載されたし、現在も新作を連載中だ。福田和也さん、坪内祐三さんという純文学系の評論家に高い評価を受けている。だから、文庫解説もそういう顔ぶれになったのだろう。



僕の解説のタイトルは「無国籍作家が書いた私立探偵小説へのオマージュ」とつけさせてもらった。「無国籍映画」と言われた日活映画好きの矢作さんに引っかけたタイトルだった。「マンハッタン・オプ」がCBSソニー出版から出たのは、もう28年前のことになる。すべての短編がスタンダード・ナンバーの英語タイトルを持つ短編集だった。

その本の巻末には「この小説はFM東京夜十一時四十五分(月〜金)に放送中の番組"マンハッタン・オプ"の放送台本を著者自ら加筆訂正したものです」という断り書きが書かれていた。その当時、日下武史が演じるマンハッタン・オプはまだ放送が続いていたのである。そして、毎回、タイトルになるスタンダード・ナンバーのジャズ演奏が素敵だった。

さて、「マンハッタン・オプ」の解説を書いた結果、もしかしたら矢作さんと会えるかと期待する部分と会うのが怖い気持ちが交錯したが、結局、矢作さんとは何の接触もなかった。もっとも、会うと何を言われるか怖かったのでそれはそれで助かったのだが、どこか拍子抜けする気分もあった。

昔、カメラ雑誌編集部にいたとき、矢作さんとは親しい写真家の横木安良夫さんに会って「矢作さんて、どんな人ですか。怖い人だと聞くんですが」と言うと、横木さんは笑って「そんなことないよ」と答えた。また、美人写真家の安珠さんに会ったときにも矢作さんについて質問したが、きちんと答えてはもらえなかった。やはり、僕にとっては矢作さんは謎の人なのである。

●「マンハッタンの二人の男」はメルヴィル自身が主演

オール・アローン──「ALL ALONE」は、マル・ウォルドロンが「マンハッタンの哀愁」という映画のために書いた曲だ。「マンハッタンの哀愁」は1966年に公開された。今では忘れられた映画かもしれないが、60年代半ばから映画に狂った少年にとっては、モーリス・ロネとアニー・ジラルドの大人の恋物語が記憶に残っている。そう、僕にとってのマンハッタンは「マンハッタンの哀愁」やジャン=ピエール・メルヴィル監督「マンハッタンの二人の男」など、なぜかフランス映画で描かれた夜のマンハッタンなのだ。もしかしたら、矢作俊彦さんのイメージも、そうなのかもしれない。

これは、僕が書いた「マンハッタン・オプ」の解説文の一部だ。文庫の三巻目には「ALL ALONE」という短編が含まれていたので、それに結びつけて書いた。「マンハッタンの哀愁」(1965年)を矢作さんが見ているかどうかはわからないが、ジャン=ピエール・メルヴィル監督の「マンハッタンの二人の男」(1958年)は見ているだろうという確信があった。

マンハッタンの二人の男 [DVD]映画好きで映画監督でもある矢作さんが「フィルム・ノアールの巨匠」であるジャン=ピエール・メルヴィル監督の初期作品(なおかつメルヴィル自身が主演)を見逃しているはずがない、と僕は勝手に想像したのだ。「マンハッタンの二人の男」はひと晩だけの話で、ほとんどが夜のシーンである。明け方には物語が終わってしまう。マンハッタンの夜景がとてもきれいだ。

「マンハッタンの二人の男」は奇妙な映画で、国連総会の投票の場にフランスの主席代表が欠席した理由を探る記者とカメラマンの話である。その主席代表は女好きで、どこかの女の所にしけこんでいるに違いないと考えた記者は、裏情報に詳しいカメラマンと共に可能性のある女を訪ねて歩く。女優の卵、歌手、外交官専門の娼婦、踊子...などなど、まるでマンハッタンの地獄巡りだ。

やがて、主席代表は女と密会する部屋で心臓発作を起こして死んでいるのがわかる。記者とカメラマンはその部屋で死体を発見する。カメラマンはソファで死んでいる主席代表をベッドに運び服を脱がせる。ベッドサイドのテーブルに女の写真を飾り、その様子を撮影する。カメラマンはスキャンダラスな写真で大金を稼ごうと考えたのだ。

後半は、写真で稼ごうとするカメラマンと、それを阻止しようとする記者の追跡劇になる。記者は死んだ主席代表の娘と共にカメラマンが立ち回りそうな24時間営業の現像所へいったり、売り込みにいきそうな新聞社をまわったりする。そんなシーンに流れ続けるのは、ジャジーな曲だ。カメラマンが飲んだくれているバックではジャズバンドが演奏し、トランペットがもの憂げな曲を奏でている。マンハッタンの夜のシーンとジャズは、本当に相性がいい。

●「マンハッタンの哀愁」は全編にジャズが流れる

マンハッタンの哀愁 [DVD]「マンハッタンの哀愁」は、いきなりクルマを走らせる男と女のシーンから始まる。男は俳優、女は女優。ふたりは夫婦らしい。どこかのパーティ帰りなのだろう、男はタキシードで、女は美しいドレス姿で髪をアップにしている。男は女に感謝の言葉を口にするが、女はどこか醒めている。その間、シーンを邪魔しない程度に流れるジャズはスピード感のあるリズムを刻んでいる。

男が豪華なマンションの前にクルマを駐める。女が降りる。男は車庫へ向かう。女はエントランスへ入る瞬間、振り返る。そこにオープンカーに乗った若い男がいる。誰かを待っている。女は微笑む。そのまま部屋に入っていく。男が部屋に帰ってくる。女がいきなり別れ話を始める。「離婚なんて大したことないわ。紙切れ一枚のことよ」と男を慰める。

女は新しい相手ができたと言う。その男を待たせている。10歳も若い俳優のようだ。「昔のあなたを援助したように、私は彼の役に立てるわ」と女は言う。かつて、男は人気女優である女のおかげで映画スターになったのだ。だが、今、新しい相手の登場で、男は妻に去られる。妻は何の未練も見せない。男は茫然とするだけだ。

それから、どれほどの時間が流れたのだろう。男はパリを棄て、マンハッタンの安アパートで暮らしている。生活は荒れている。灰皿には吸い殻が山のようになり、新聞が散らかり、酒瓶が転がっている。汚れたままの食器やグラス。無精髭がのびたままの男はベッドの上で、ぼんやりと天井を見つめている。

死刑台のエレベーター【HDニューマスター版】 [DVD]男を演じたのはモーリス・ロネ。「死刑台のエレベーター」(1957年)ではエレベーターに閉じ込められ、「太陽がいっぱい」(1960年)ではアラン・ドロンにナイフで心臓を刺され、「鬼火」(1963年)では人生に絶望して死んでいったモーリス・ロネである。

鬼火 [DVD] (HDリマスター版)「マンハッタンの哀愁」の絶望してアパートのベッドに寝転ぶモーリス・ロネは、「鬼火」の主人公アランがマンハッタンに逼塞している姿のように僕には見えた。モーリス・ロネという俳優は、陰気な役が似合うのだ。苦悩を抱えて生きている苦しさが眉間のしわに現れる。その眉間の苦悩のしわは時に陰険にも見えるから、悪役が振られたりするのだろう。

男は、ベッドから起きあがり、夜のマンハッタンに出ていく。あるダイナーに入り注文をするのだが、フランスなまりが強い英語なので通じない。隣りに座っていた中年の女が代わって注文してくれる。それから彼女はフランス語で話しかけてくる。フランス人なのだ。女を演じたのはアニー・ジラルド。美人ではないが、人生の倦怠を演じさせたら絶品の女優である。

店が終わり、夜のマンハッタンに出たふたりは街をさまよい、ジャズ・バーやクラブでグラスを傾ける。女は自分の話をするが、男は自分のことは何も話さない。あるバーでかかっていた曲が「オール・アローン」である。「みんな孤独」と訳すのだろうが、僕は昔から「誰も彼もひとり」と訳している。これほど、映画のテーマを象徴する曲はない。

女はイタリアの貴族出身の外交官と結婚し娘もいたのだが、その家を飛び出し友人の部屋に転がり込んでいた。だが、あるいきさつがあり、一文無しの宿無しになっている。男は「そのために、ひっかけられたのか」と疑う。思いが表情に出る。だが、女と安ホテルに入り、抱き合う。その後、眠っている女をおいて男は街に出る。

ホテルを後にして深夜の街を歩いていくと、下水のふたの隙間から水蒸気が立ちのぼっている。男は足を止める。女はグラスを傾けながらとりとめのない話をしたが、その中で「夜のマンハッタンで地下から吹き上がってくる白い水蒸気が好き」と言っていたのを甦らせたのだ。男は暗い表情のまま、ホテルへの道を引き返す。

妻に裏切られた男の傷の深さが垣間見えるシーンは、後半になって初めて現れる。女に心を開き愛し始めたとき、相手を信じ切れない自分の気持ちが頭をもたげるのだ。自分がどれだけ以前の妻の裏切りに傷つけられていたか、男は知る。信じたい、だが、また裏切られるのじゃないか。傷つけられるのじゃないか。今度、深い傷を負ったら男は立ち直れない。

この映画を最初に見たとき、僕はまだ人生で遭遇する本当の痛みには出逢っていなかった。やがて、それがやってきたとき、僕は泣き喚きバタバタとみっともない醜態を演じた。黙って耐えることができなかった。狂ったように友人たちに電話をかけ、救いと共感と慰めを求めた。だが、それを契機に去っていった友人もいる。

やがて嵐のような日々が過ぎ落ち着いたとき、僕の中に二度と修復できない損なわれた何か、が残った。それから長い時間が過ぎ去ったものの「きみの胸の傷は今でも痛むか」と訊かれれば、「痛む」と答える。それは、深い傷になり、心の奥の何層にも重なった底に潰瘍痕のように隠れているが、何かをきっかけにして生傷を顕わにする。血を流す。痛み始める。

「マンハッタンの哀愁」の原題は「マンハッタンの三つの部屋」。メグレ警視シリーズで有名なジュルジョ・シムノンの小説だ。僕は「過去の部屋」「現在の部屋」そして「未来の部屋」の三つだと解釈した。深く傷ついた男の未来の再生を予感させて映画は終わるが、彼は本当に再生できたのだろうか。傷は癒えたのだろうか。

ちなみに、モーリス・ロネ自身は、1983年、56歳を目前にしてガンで亡くなったという。そのモーリス・ロネの年齢を、僕は追い越してしまった。今では、どんな目に遭っても痛みも感じることがないほど、僕は鈍感になってしまった。いや、痛みに狎れてしまったのかもしれない。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com

年末に書店に並ぶ予定の「映画がなければ生きていけない2007-2009」の再校を三連休で読み返したところ、「こんな本、出す価値があるのか」と自信をなくしました。自分で言うのも何ですが、ある種の必死さは一巻目に最もよく出ていると思います。狎れてきた己を顧みて、ちょうど10年になるから三巻でまとめて来年からの連載やめちゃおうか、と弱気の虫に襲われています。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html >
受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm >
< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html >