映画と夜と音楽と...[490]深く静かに潜航せよ/十河 進

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〈ローレライ/眼下の敵/深く静かに潜航せよ/駆逐艦ベッドフォード作戦/渚にて/K-19/クリムゾン・タイド/レッドオクトーバーを追え!/U・ボート〉

●恐怖症をいっぱい抱えて不自由な生活を送る日々

O型でおおざっぱな性格だと思うのだけど、どこか神経質なところがあるのか、いろいろな恐怖症持ちで、それなりに苦労している。けっこう不自由な日々を送っているのだ。一般的なところでは、高所恐怖症である。小学生の高学年になった頃から高いところが苦手になり、四階建ての校舎の吹き抜けになっている階段を昇れなくなった。

初めて東京タワーの展望台に昇ったのは、もう40年以上前のことだが、エレベーターを降りた瞬間、展望窓が床までガラスになっているのを見て、エレベーター横の壁に忍者のように張り付いたまま一歩も踏み出せなかった。渋谷駅前の長い歩道橋は、今でも渡れない。短い歩道橋も数メートル先をじっと見つめて、真ん中しか歩けない。

「ダーティハリー」(1971年)の冒頭部分は、思い出すとめまいがする。プロローグで高層ビルの屋上にあるプールで泳ぐ美女が狙撃され、その現場をハリー・キャラハンが検分するシーンである。カメラは高層ビルの屋上を歩きまわるハリーを、さらに高い位置から捉えているからだ。



もっとも、高所にも慣れることはある。僕が以前に住んでいたマンションの部屋は4階だった。今の部屋は11階建ての7階である。引っ越してきたとき、しばらくベランダには出られなかった。布団を干そうとして真下を見て、しゃがみ込んだこともある。それが、今では平気になった。しかし、たまに間違ってエレベーターで11階にいったときには、やはり廊下に足が踏み出せない。

生活に支障が出ているのは、尖端恐怖症だ。尖ったモノがダメなのである。したがって床屋にいけなくなり、もう20年以上、カミサンに髪を切ってもらっている。目の端にハサミの先がちらちら見えると、眉間がうずき出す。カミサンなら「ちょっと中断してくれ」と言えるのだが、床屋で眉間をおさえて、うずき(めまいみたいな感じだが)がおさまるのを待つわけにはいかない。

そんな風になるのは髪を切っている側からすると鬱陶しいらしく、最近はカミサンも面倒くさがって「床屋いけば」と言い出している。僕も10分くらいなら我慢できるかな、と思っているので、最近流行のカットだけの床屋を試してみようかと考えているが、なかなか決心がつかない。

尖端恐怖症で困るのは、満員電車の中である。目の前で本や新聞を広げられると、その角(角度は90度だが、尖っているのは間違いない)が目の端にちらちらと入って気になり、眉間がうずき出す。目を閉じても、ダメなのだ。そこに尖ったモノがあるという事実を消せず、かえって意識してひどくなる。そうなると、眉間を指でつまんでおさえ、下を向くことになる。

子供の頃は、こんな風ではなかった。多少の高所恐怖症はあったが、平気で床屋へいき、気持ちよく眠ったりしていたのだ。昔、月に一度くらい自転車でまわってくる床屋のおじさんがいて、裏庭に椅子を出し、おじさんに髪を刈ってもらっていた。イチジクの木の下だった。僕は7、8歳だったろう。まぶしいくらいの陽光が差し、日だまりに包まれた幸福感に浸っていたものだ。

●飛行機嫌いなのは閉じ込められた空間にいる恐怖を感じるから

高いところも苦手だが、狭いところ、閉じ込められた場所も苦手である。僕が飛行機が嫌いなのは、高いところを飛んでいるというより、閉じ込められた空間にいる恐怖を感じるからだ。昔、出版労連の定期大会に出ると投票時に議場閉鎖になり、その瞬間から気持ちが騒ぎ始めた。この部屋に閉じ込められたという意識が、平常心を失わせるのだ。

初めて岩波ホールにいったとき、上映が始まると係の人が後ろの扉をロックするのを見て、映画どころではなくなった。出してくれ〜と騒げば出してもらえるだろうとは思うが、それでも腰が落ち着かず何を見たのか、まったく憶えていない。強制的に途中退出を阻止する(背後から明かりが入るのを防ぐためだったのかもしれないけど)やり方に納得がいかず(脇の出入り口はあったようだ)、それ以来、一度も岩波ホールにはいっていない。

そんな性格だから、もちろん狭く身動きできない場所もまったくダメだ。「エイリアン2」(1986年)で人造人間ビショップが基地内から屋外まで狭いパイプの中を這って進むシーンがあり、それを思い出すたびに僕は気分が悪くなる。思い出すな、思い出すな、と言い聞かせるのだが、かえって鮮明に甦らせてしまうのだ。こう書いていても映像が浮かび、頭の中がざわめき始める。

先日のチリの鉱山に閉じ込められた人々のニュースは、なるべく見ないようにしていたのだが、「地下数百メートルの地底に閉じ込められた数十人」というフレーズが僕の想像力を刺激し、夜、寝ようとして目を閉じると映像が浮かび、しばらく不眠症になった。狭いカプセルでの救出シーンでは、「カプセルが途中で止まったら、僕だったら気が狂う」と思い始め、気持ちが悪くなった。

そんな閉所恐怖症を抱えているくせに、マゾヒストなのか、潜水艦映画が割に好きである。先日読んだ吉本由美さんの「するめ映画館」の中で、村上春樹さん、和田誠さん、吉本さんの3人が「海底はドラマの宝庫」と題して潜水艦映画について楽しそうに語っていた。それに刺激されたのか、潜水艦映画が無性に見たくなった。

そのことと心理的に関係しているのかどうかわからないけれど、ずっと気になっていた福井晴敏さんの「終戦のローレライ」を読み始めた。「ローレライ」(2005年)は見ていたのだが、あまり記憶に残っていなくて、妻夫木クンが出ていたのとローレライを香椎由宇が演じていたことくらいしか憶えていない。

村上春樹さんたちが取り上げていた潜水艦映画は、「海の牙」(1949年)「海底2万哩」(1954年)「眼下の敵」(1957年)「深く静かに潜航せよ」(1958年)「駆逐艦ベッドフォード作戦」(1965年)と、(人のことは言えないけれど)古い作品ばかりだった。村上さん推薦の「駆逐艦ベッドフォード作戦」は僕も初公開時に見ているが、潜水艦映画と言えるかどうか疑問は残る。

僕が潜水艦映画で思い浮かべるのは、「眼下の敵」「深く静かに潜航せよ」「U・ボート」(1981年)だ。そんなことをツイッターでつぶやいたら、「渚にて」(1953年)と「K-19」(2002年)も入れてほしいとリツィートされた。それには全く異議はないが、そのやりとりを見ていた会社の人間に「『レッドオクトーバーを追え!』(1990年)が入ってないじゃないですか」と抗議された。

●密室劇としてドラマチックな設定ができる潜水艦映画

潜水艦映画がよく作られるのは、そこが閉じ込められた場所だからだろう。密室劇としてドラマチックな設定ができるし、何かあると全員が死んでしまうから必然的に緊張は高まるし、スクリーンに緊迫感が漲る。人間ドラマも作れるし、戦争アクションにもできるし、冷戦時代に舞台を求めれば核戦争の危機や、そこから発展させて世界の破滅もテーマにできる。

僕が潜水艦に興味を持つきっかけになったのは、少年サンデーに連載されていた小沢さとるさんの漫画「サブマリ707」(1963〜1965年)が好きだったからだ。この漫画で僕は潜水艦同士の戦いの面白さに目覚めた。敵艦を視認することはできず、ソナーだけが頼りの戦いである。いつ魚雷のスクリュー音が近付いてくるわからない怖さと緊迫感に夢中になった。

敵艦をありありと見ることができたら...という発想が「終戦のローレライ」なのだけれど、この小説を読んで僕は改めて潜水艦の戦いの面白さを認識した。敵艦の姿が、その位置がくっきりと見えたら、圧倒的に有利になる。それを可能にした「ローレライ・システム」の存在が、「終戦のローレライ」前半の謎になる。第二次大戦末期、そんなことがなぜ可能だったのか。

潜水艦映画は第二次大戦時の旧式潜水艦ものと、原子力潜水艦登場以降の新式潜水艦ものに大別できるのではないだろうか。原子力潜水艦が登場してから潜水艦特有の弱点は大きく解消できたので、物語の骨格が違ってきたように思う。僕はどちらかと言えば旧式潜水艦ものが好きで、その代表作としては「眼下の敵」「深く静かに潜航せよ」を挙げたい。

第二次大戦時の潜水艦ではドイツのUボートが有名で、連合国側に相当な被害をもたらせ、敵役として多くの戦争映画に登場している。そのUボートと駆逐艦の戦いを、まるで騎士同士の決闘のように描いたのが「眼下の敵」である。「敵ながらアッパレ」という気分が全編を貫いていて、まことに気持ちがよい。殺し合いにフェアかどうかを問うのはナンセンスだが、フェアプレイの精神で戦争したらこうなるのだろうなあと思わされる。

主役は駆逐艦の方である。艦長はロバート・ミッチャム。眠そうなまぶたが垂れ下がったハリウッド・スターだ。子供の頃から苦労をし、若い頃はあちこち放浪し、刑務所に入っていたという噂もある俳優だ。ボクサーとして金を稼いでいたこともある。彼が演じる駆逐艦の艦長は判断が的確で、乗組員たちには慕われ、全幅の信頼を寄せられている。堅物ではなく、情もわきまえた理想的な軍人である。

一方、ドイツのUボートの艦長を演じるのは、クルト・ユルゲンス。僕は、この映画でクルト・ユルゲンスという俳優を覚え、その後、彼の出る映画はかなり見た。クルト・ユルゲンス演じる艦長は、当時の他の映画におけるドイツ軍人の描き方と違い、ミッチャムと同じように高潔で、歴戦の勇者として描かれる。ミッチャムがアメリカ人らしいフランクさを見せれば、ユルゲンスはドイツ軍人らしい厳格さを見せる。対照的だが、互いに相手を認め合う。

駆逐艦とUボートの戦いは、ほとんど相手の姿を見ずに敵の動きを予測するものになる。心理戦だ。互いに相手の出方を推測するうちに、相手の考え方や内面がわかってくる。入り込む。その結果、相手の人格さえ理解する。ドイツ軍艦長が予想外の指示を部下に出し彼らが唖然としているにもかかわらず、駆逐艦艦長がその行動を予測して待ち伏せしていたとわかったとき、ドイツ軍艦長は自分を唯一理解してくれた敵艦長に深い共感を抱いたのではないだろうか。

不思議なことに、生死をかけた駆け引きをする中で、「眼下の敵」のふたりの艦長は深い絆で結ばれていく。しかし、ハリウッド映画である。アメリカの駆逐艦は勝利しなければならないし、ドイツ軍のUボートは沈められなければならない。一体、どうやって終わらせるのだ。こんなにUボートの艦長に観客を感情移入させといて...。そう心配になってくるけれど、実に気持ちよく終わってくれる。後味のよい映画は、僕は好きです。

●原子力潜水艦は潜水艦の持つ弱点をかなり克服してしまった

──村上 原子力潜水艦映画というのは、あまり好きじゃないんだよね。個人的に。やっぱり第二次世界大戦くらいまでのディーゼルエンジンで動いている、古式ゆかしい潜水艦映画が好ましい。

「するめ映画館」の座談会の中で、村上春樹さんはそう語っている。僕もその意見に賛成で、原子力潜水艦は潜水艦の持っていた弱点をかなり克服してしまったので、手に汗握るスリリングさより、別のテーマになりがちなのだ。たとえば「駆逐艦ベッドフォード作戦」は狂信的な駆逐艦の艦長(リチャード・ウィドマーク)が取材で同乗したジャーナリスト(シドニー・ポワチエ)に批判されながらも、ソ連の原子力潜水艦を追い詰め最終核戦争の引き金を引いてしまう話だった。

「渚にて」は、最終核戦争が起こった後の世界が舞台である。北半球は放射能に覆われ、人は住めない。潜水中に核戦争が起こったため生き延びた、アメリカ軍原子力潜水艦の艦長(グレゴリー・ペック)と乗組員たちはオーストラリアにやってくる。しかし、南半球も次第に放射能に覆われつつある。彼らは死を覚悟して潜水艦でアメリカを目指すが、潜望鏡で見たサンフランシスコは死の町だった。

「ハートロッカー」(2009年)で有名になった美人監督キャスリーン・ビグローが監督した「K-19」も冷戦時代のソ連潜水艦で実際に起こった原子炉事故を再現したもので、その状況下でのハリソン・フォードとリーアム・ニーソンの対立が映画を牽引する。「クリムゾン・タイド」(1995年)も危機的状況を前にしたゴリゴリの軍人艦長ジーン・ハックマンと、理性的な副艦長デンゼル・ワシントンの対立で緊迫感を盛り上げた。

ということで、やはり僕には「深く静かに潜航せよ」みたいな古式ゆかしい潜水艦映画が楽しめる。冒頭、アメリカの潜水艦が魔の海域と言われる豊後水道で日本の駆逐艦に沈没させられるが、浮遊物にしがみついて艦長(クラーク・ゲイブル)は生き残る。彼は一年後、再び潜水艦の艦長になり、復讐鬼となって日本の駆逐艦に戦いを挑む。

艦長になるはずだった人望の厚いバート・ランカスターは副艦長を命じられ、艦長の個人的な復讐を批判しいさめる役になる。だが、艦長はモービーディックを追い求める「白鯨」のエイハブ船長のように、妄執に囚われている...。もっとも、ドラマチックでよくできた潜水艦映画なのに、口ひげをたくわえ固めた髪型のクラーク・ゲーブルが、僕にはレット・バトラーに見えて困った。誰でも知っている当たり役を持つのも考えものである。

古式ゆかしい潜水艦を舞台にして、目から鱗が落ちる潜水艦映画を作ったのは、ドイツのウォルフガング・ペーターゼン監督だった。「U・ボート」(1981年)を新宿の巨大な映画館の巨大なスクリーンで見たときのことは、今もくっきりと甦る。そのときの驚き、感動は今も新鮮だ。凄い映画を見た...という気分が、いつまでも消えなかった。

リアルさも凄かった。狭く息苦しい潜水艦の中を実感させられたし、「急速潜航」と指令が出ると重しになるために乗組員が狭い艦内を一斉に艦首に向かって走るシーンなど、なるほどと膝を打ったものだ。その乗組員たちをスティディカムを使ったのだろう、手持ちキャメラが流れるように追っていく。クラクラするような、見事な映像だった。

駆逐艦に追われエンジンを切り音をたてず海底に潜むシーン、爆雷が投擲され艦の近くで爆発するシーン、限界深度を超えても潜航が止まらず、水圧でミシミシときしむシーンの息苦しさ...、まるで自分が艦内にいるようだった。「U・ボート」を見ている間、僕は一度も椅子の背もたれに背中を付けなかった。凄い監督がいたものだと感心したが、その後、ペーターゼン監督はハリウッドに呼ばれ、「ザ・シークレット・サービス」(1993年)「エアフォース・ワン」(1997年)などを作る。

ところで、公開から数年経っていたにもかかわらず、僕の小学生の頃、「深く静かに......せよ」という言葉がまだ流行っていた。「......」のところに、様々な言葉を入れるのである。「放課後、秘密基地、深く静かに集合せよ」といった具合だ。「スタンド・バイ・ミー」(1986年)の樹上の小屋ほど立派ではなかったが、「20世紀少年」(2008年)の野原の秘密基地くらいのものは、僕らも作っていた。

その頃は、僕も狭い穴蔵のような秘密基地に仲間たちと潜む喜びを、素直に感じていられたのだ。閉所恐怖も、狭所恐怖もない。僕には、怖いものは何もなかった。大人になるというのは、そんな穏やかで牧歌的な日々を失うことなのだろう。大人になったために、いつの間にか多くの恐怖症を抱え込み、何かをすり減らすように日々を送り、直りきらない精神の傷を隠して生きるしかないのかもしれない。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >
今年最期の原稿になりました。来週はクリスマス・イブ。年に一度しかこない年末年始休暇です。この時期だけは、何となく区切りというものを感じます。年が明けると、いよいよ還暦を迎えることになりました。この連載も12年を迎えます。よく続いているなあ。