映画と夜と音楽と...[491]本当の「女の強さ」を教えてくれた女優/十河 進

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〈花のあと/柳生一族の陰謀/狼よ落日を斬れ/桃太郎侍/花笠若衆/カルメン故郷に帰る/二十四の瞳/喜びも悲しみも幾年月/浮雲/宗方姉妹/女の座/女の歴史/乱れる〉

●強い女に惹かれるのは男装の女剣士を好む因子からか

正月休みに大沢在昌さんの書き下ろしの新作「やぶへび」を読んでいたら、カンフーの達人である若い中国人女性が登場してきた。大沢さん、おなじみの設定である。このヒロイン、映画化するのなら昔の志穂美悦子さんにお願いしたいと思ったが、長渕クンと結婚して以来スクリーンからは引退しているし、年令も五十半ばになっているし、今や娘がスクリーンデビューしているわけで...。

志穂美悦子の「女必殺拳」シリーズはもう一度じっくり見たい映画だが、どうも僕はこういう男っぽい強い女の人に憧れる節がある(といって自分の実生活ではあまり縁がなかったなあ、と思い返す今日この頃です)。要するに、女っぽい人が苦手なのだと思う。そう言えば、以前にも書いたかもしれないけれど、時代劇で男装をして出てくる女優についてはかなり記憶しているし、それが何となく自分の好みであることも自覚している。

先日、北川景子が主演した「花のあと」(2009年)を見ながら、そんなことを改めて思った。「花のあと」は藤沢周平さんの短編で、印象的な一編である。女剣士の物語で、海坂藩随一の使い手との立ち合いの場面がある。北川景子は日本髪はまったく似合わないが、その髪を解いて前髪を垂らしポニーテール風の髷にすると、よく映えた。刺し子の稽古着と紺の袴を身に着けて竹刀を持ち、がんばって殺陣を演じていた。

その姿が、僕がいろいろと記憶している女剣士の系譜を遡るきっかけになったのだろう。まず最初に甦ってきたのは、先ほどの志穂美悦子が柳生家の娘である茜を演じた「柳生一族の陰謀」(1978年)である。腕に憶えのある柳生茜は、終始、男装の女剣士姿で敵を斬りまくるが、公家の烏丸少将文麻呂には「まろは女は斬らぬ」と嘲られる。彼女は馬を疾駆させ、敵ともつれ合って崖下の川に落ちる。



続いて思い出したのは池波正太郎の「その男」を映画化した、「狼よ落日を斬れ」(1974年)の礼子こと松坂慶子だ。昨年、上川隆也主演で「その男」が舞台化され、礼子役を内山理名が演じた。やはり前髪を垂らしポニーテールタイプの髷を結い、絣っぽい着物に旅袴、手甲脚絆を身に着けた姿で登場した。大小を腰に差し、雨が刀身に染み込まないように柄袋をしていた。片手に持つのは深編笠である。

続いてもっと古く、若き尾上菊五郎が緋牡丹お竜こと藤純子と結婚する前に主演した、連続テレビ時代劇「桃太郎侍」に登場した百合を思い出す。この連続時代劇で百合を演じたのは長谷川一夫の娘の長谷川稀世だった。百合は四国某藩の家老の娘で、若侍姿で敵の本陣に乗り込み罠に落ちて殺されそうになり、桃太郎に助けられるというエピソードではずっと男の姿だった。

さて、それ以前に浮かぶ女剣士の姿と言えば、もう美空ひばり(「琴姫七変化」の松山容子をとばしてしまうけれど)しかいない。僕にとっては、美空ひばりは歌手ではなく映画スターなのである。物心がつくかつかない頃から、東映の銀幕で美空ひばりを見せられた結果、僕のDNAにはどうも男装の女剣士を好む因子が植え付けられたようなのだ。

東映時代の美空ひばりは、なぜか男っぽい役ばかりやっていた。男装も多かった。「ふり袖捕物帖」シリーズは岡っ引きの格好で通したし、「女ざむらい只今参上」や「花笠若衆」(共に1958年)などは、タイトルからして内容は推察できると思う。ちなみに「花笠若衆」は「雪之丞変化」の何度目かの映画化だ。

美空ひばりは映画の中では、必ず歌った。「花笠若衆」では「鉄火肌でも所詮は女...」と、男っぽい女の胸に宿る純情を歌っている。僕は、この強がっている「鉄火女の純情」に弱い。「鉄火女」や「バクレン女」という言葉はすでに死語で、この響きとニュアンスは今はもう通じないとはわかっているのだが...。

●本質的な「女の強さ」を教えてくれたのは高峰秀子だった

女剣士や女拳士といった具体的な「強い女」ではなく、本質的な「女の強さ」を教えてくれたのは、昨年暮れに亡くなった高峰秀子だった。しかし、僕は高峰秀子という女優があまり得意ではなかったのだ。「カルメン故郷に帰る」(1951年)「二十四の瞳」(1954年)「喜びも悲しみも幾年月」(1957年)といった、ヒューマニズム溢れた木下恵介の作品ばかり見せられたせいだった。

そこには立派な女性は存在していたが、どことなく建前ばかりが前面に出ているような気がした。もちろん「カルメン故郷に帰る」のカルメンはストリッパー役だから立派な女性とは言えないかもしれないが、少し頭の弱い気のいいキャラクターで、ピュアな精神を持つ存在なのである。彼女も、ジェルソミーナなどの「聖なる愚者」の系列に入れてもらえるヒロインだと思う。

そんな僕が初めて「浮雲」(1955年)を見たとき、大げさな言い方をすれば天地が逆転した。十九歳。銀座並木座。黒澤明「七人の侍」(1953年)、小津安二郎「東京物語」(1953年)、川島雄三「幕末太陽傳」(1957年)...、それらと共に日本映画史に確固たる位置を占めるその映画を僕は意気込んで見にいき、熱く灼けた刃で胸を刺し貫かれたような衝撃を受けた。そのことは「優柔不断の思想を断つ」(「映画がなければ生きていけない」第二巻139頁)に書いているが、未だに僕の中では「浮雲」を超える作品はない。

「浮雲」の何がそんなに僕に衝撃を与えたのか。それは、人生に対する見方を変える映画だったからだ。十九の何も知らない頭でっかちの少年(とても青年とは呼べないほど幼かったと思う)は、「浮雲」で人生の裏側、いわゆるダークサイドの存在を知らされたのだ。それはどんな人の心の中にも存在し、いくら理性で否定してもどうしようもないことがあるのだ、という人生の真実である。

高峰秀子が演じたゆき子は、大石先生のように立派ではなく、カルメンのように純情ではなかった。義兄との関係を清算するために南洋の占領地に仕事を求め、そこで技師の富岡(森雅之)と出会って恋に落ち、終戦後、引き上げて富岡を訪ねると彼に家庭があったことを知る。その後、オンリーになったり妾になったりしながら戦後を生き抜き、富岡とくっついたり離れたりする。

富岡はゆき子と出かけた温泉宿で知り合った男(加東大介)の若い女房(岡田茉莉子)に色目を使い、ゆき子と一緒なのにその女と寝るようなだらしない男である。富岡を追って東京に出てきた岡田茉莉子は、加東大介に探し出されて殺されるのだが、そんな男女の痴情事件を知っても、富岡は特に責任を感じている風ではないし、ゆき子も富岡との腐れ縁が切れない。

そこには、木下恵介的ヒューマニズムもモラルも存在しない。モラルに照らして富岡とゆき子を描いたとしたら、「浮雲」は単なるメロドラマに終わっただろう。成瀬巳喜男監督は、その男女の姿をあるがままに描き、肯定もしないし否定もしない。そして、森雅之は男のだらしなさや卑怯未練なところを見事に演じ、高峰秀子は女のたくましさと強さを画面からジワジワとにじませた。

僕が驚いたのは、「浮雲」が「二十四の瞳」と「喜びも悲しみも幾年月」の間に撮られていることである。大石先生を演じた翌年、高峰秀子は幸田ゆき子を演じたのである。この幅は凄い。改めて昭和の名女優だったのだと思う。

●小津作品「宗方姉妹」の若き高峰秀子は輝くように美しい

高峰秀子は日本映画全盛期に、多くの巨匠たちと仕事をしている。前述のように有名なのは、木下恵介監督作品と成瀬巳喜男監督作品だし、彼女の代表作としては、いつもそれらが挙げられる。山本嘉次郎監督の「馬」(1941年)の撮影時には、助監督を務めていた若き黒澤明と恋に落ち、周囲の圧力によって引き裂かれたことが有名だが、なぜか黒澤作品への出演はない。仲を裂かれた恋人だったことで、黒澤監督もオファーしにくかったのかもしれない。

小津安二郎監督は「浮雲」を見て、「デコと成瀬にとって、最高の仕事」と絶賛した手紙を高峰秀子に送り、そこに「早く四十歳になって、僕の仕事にも出てください」と書いたという。しかし、彼女は小津の「宗方姉妹」(1950年)に出演し、田中絹代と姉妹を演じている。高峰秀子は二十代半ば。この映画の高峰秀子は、輝くように美しい。小津作品としては名作「晩春」の翌年の制作なのに、なぜか取り上げられることが少ない。結局、高峰秀子の小津作品への出演はこれ一本で終わった。

小津安二郎は六十歳になった還暦の誕生日に亡くなるという、何となく(粋というかスタイリッシュというか)意味ありげな生涯を送った人である。生涯独身で通し、若き日の原節子との関係を云々されたり、特別の関係の女性がいたのだと言われたり、謎が多い部分もある。高橋治さんは、その生涯を「絢爛たる影絵」として小説に書いた。高橋さんの強みは、「東京物語」(1953年)のフォース助監督に付き、実際の小津監督を知っていることだった。

一月四日の朝日新聞に載った高峰秀子の追悼文は、僕が愛読する作家・関川夏央さんが書いていたが、彼はその文をこう結んでいる。
──63年、小津が60歳の誕生日に亡くなったとき彼女は39歳だった。
高峰秀子は79年まで実り多い「映画渡世」をつづけたが、この一事だけはいまだに悔やまれてならない。

「この一事」とは、四十になった高峰秀子が小津作品に出演することである。僕も成瀬映画に出た中年期の高峰秀子を見るたびに、四十歳になった高峰秀子が小津安二郎作品に出ていたらどうだっただろう、と想像する。小津安二郎の遺作になった「秋刀魚の味」(1962年)で女優開眼した岩下志麻との母娘のキャスティングを想定すると、見てみたかったなあとしみじみ思う。

それは、成瀬巳喜男が三十八歳から四十歳の高峰秀子を使って立て続けに作った「女の座」(1962年)「女の歴史」(1963年)「乱れる」(1964年)という作品を僕がとても好きだからだ。「女の歴史」はヒロインが結婚して子供を産み、その息子が成長(若き山崎努)して恋人(星由里子)に子ができたときに事故死...というまさに女の歴史を描き、高峰秀子は年令以上の老け役もこなす。そんな女の一生を演じて違和感のない大女優になっていた。

●女の情念を隠して生きているたくましさと強さが伝わる

幼い頃から子役として働かされていたデコちゃんは、撮影所が学校だったとエッセイに書いている。ろくに学校にもいけなかった彼女は、天性の賢明さを持ち、自己を客観視する力を持っていた。僕も数冊のエッセイ集を読んだが、そこからは理知の力を感じた。歯に衣着せぬ文章も多いが、そこに品性が漂うのは、やはり慎みの深さだろう。あんな風に品のある文章は、なかなか書けるものではない。

ところで、僕はツイッターで「成瀬巳喜男Bot」をフォローしているのだが、毎回、成瀬映画のセリフを抽出して送ってくれるのが楽しい。そのセリフの出典も載っていて、「そうそう、このセリフ印象的だったな」と思ったりする。ほとんどが戦後の映画から出してくるので、高峰秀子のセリフも多い。しかし、そのセリフがどれも何となく暗い。

成瀬映画の高峰秀子は、負の要素を背負い込んだ人物を演じることが多かった。「負の要素」と書くと誤解されるかもしれないが、立派な正しい(裏の顔を持たない)人間を演じることが少なかったと書くべきだろうか。いや、先ほど「浮雲」のところでも書いたけれど、(どんな人間も抱え込んでいる)ダークサイドを持つ人間らしい人間を演じたと書けば、僕が言いたいニュアンスに近いかもしれない。

それは、大家族の商家の長男である夫が死んで、子供の成長だけを生き甲斐にしている嫁のような地味な存在であっても伝わってくるものである。「女の座」では、東京郊外に大きな土地を持つ金物屋の石川家の長男に嫁いだ嫁の役だった。義父(笠智衆)と義母(杉村春子)はほとんど隠居であり、店は彼女がひとりで切り盛りしている。

夫は死に、ひとり息子の長男は中学生である。彼女は息子に希望を託し「勉強しろ」と口うるさいが、息子は「僕、勉強に向いてないんだよね」と陰で叔父や叔母に訴える。石川家は複雑で、義母は後妻である。前妻との間には長女(三益愛子)がいて近くでアパートを経営しているが、彼女の夫(加東大介)は若い女と駆け落ちしている。

次女(草笛光子)は実家の庭に自分で離れを建ててお花の先生をし、けっこう収入はいいらしい。三女(淡路恵子)は甲斐性のない男(三橋達也)と結婚して九州にいたが食い詰めて実家に寄生し、四女(司葉子)は会社が倒産して次男(小林桂樹)がやっている渋谷のラーメン屋を手伝い始める。そのことを次男の嫁(丹阿弥谷津子)は、あまり面白く思っていない。五女(星由里子)だけが、若い独身女の生活を楽しんでいる。

石川家に後妻に入る前、義母は結婚してひとり男の子を産んでいた。ある日、その息子(宝田明)がやってくる。その宝田明にひと目惚れしてしまうのが、義母とは血がつながっていない次女の草笛光子である。ところが、外車のセールマンというふれこみで羽振りの良さそうな宝田明には悪い噂があり、そのことで義母に頼まれて宝田明に会った嫁の高峰秀子は、宝田明から「あなたが好きだ」と告白され動揺する。

「女の座」ほど複雑な家族関係ではないが、よく似た設定の「乱れる」では、商家をひとりで切り盛りする未亡人の兄嫁(高峰秀子)に義理の弟(加山雄三)が、「好きだ」と告白する。年上の高峰秀子は、世間一般のモラルに縛られてその告白を拒絶し、実家に帰るために列車に乗る。しかし、加山雄三が追ってくる。もちろん、追ってきた加山雄三を彼女はうれしく思う。そしてこんなことを言う。

──わたしだって女よ。幸司さんに「好きだ」と言われて、
  正直言うと...とってもうれしかったわ。

こんな女の葛藤を、この時期の成瀬映画に出た高峰秀子は演じた。本音を晒せば、彼女の女としての情念が見えてくる。それをひた隠しに隠して生きている、女のたくましさと強さがスクリーンから伝わってくる。高峰秀子の映画(特に成瀬作品)は、何度繰り返して見ても飽きない。その都度、新しい発見がある。女性の本質的な強さを理解するには、(僕には今更必要ないけれど)絶好の教科書かもしれない。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >
年明け二日会社に出ただけで、また三連休。こんなことが続くと社会復帰できなくなる。それにしても今年は年男。アラ還どころか、ホントの還暦になってしまった。この連載を始めた頃は四十代だったのだ。光陰矢のごとし。それでも三冊も分厚い本が残ったので、幸せだと思わなければいけないな。

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