映画と夜と音楽と...[493]共存する警察映画とアウトロー映画/十河 進

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〈PTU/天使の眼、野獣の街〉

●「アゲハ」というタイトルと吉川英梨の名が目に飛び込んできた

僕の勤める出版社を10年前に辞めた、吉川英梨さんという女性がいる。短大を卒業して営業部に入社し、3年ほど勤めて(たぶん留学資金を貯めたのだろう)退職し、アメリカの大学へ入った。辞めたときはまだ24歳くらいだったと思うが、目標をはっきり持った女性だった。

彼女が入社して一年半ほどして、僕はこのコラムの連載を始めた。吉川さんは元々無口な方で、当時、編集部にいた僕とはあまり接点がなく、そんなに話したことはなかった。時々、地下一階の在庫を置いた書庫で会うと声をかける程度だったが、入社2年目の頃に僕のコラムを読んだらしく、「あれ、よかったです」とはにかみながら言われたことがある。

当時、会社で僕のコラムを読んでいたのは数人だと思うけれど、営業部のTくんから聞いて読んでみたのだろう。彼女がいいと言ってくれたのは、他の読者の方たちからもいろいろメールをいただいた回で、「世の中には二種類の人間しかいない」(「映画がなければ生きていけない」第1巻24頁掲載)という、かなり極端なことを書いたものだった。



それは、ちょうど11年前の2月のことになる。そのときに、彼女がシナリオの勉強をしていることを聞き、僕はちょっと認識を改めた。僕はものを書く人に対しては敬意を感じる人間であり、彼女がシナリオ賞に応募しようとしている(あるいは、すでに応募したのだったかもしれない)のを知り、親近感を覚えたことを記憶している。

その一年後、彼女は辞表を出した。あれは、送別会だったか、あるいはやはり地下一階の書庫だったか。どちらにしろ、彼女の最後の日だったと思う。僕は彼女に「いつかテレビドラマのクレジットタイトルに、あなたの名前が出るのを期待しているよ」とはなむけの言葉をかけた。吉川さんは決意的な表情をして、「絶対、実現します」と返事をした。

それから10年の月日が流れ、先日、朝日新聞朝刊の宝島社の書籍広告を見ていたら、宝島文庫の「アゲハ」というタイトルと吉川英梨という名が目に飛び込んできた。その瞬間、「絶対、実現します」と答えた彼女の顔が甦った。それは文庫オリジナルの警察小説で、女性鑑識官が主人公の小説だった。

僕は「そうだったのか...」と己のうかつさを恥じた。2008年の宝島社主催「第3回日本ラブストーリー大賞」のエンタテインメント特別賞を受けた、「私の結婚に関する予言38」の作者名が吉川英梨だったことを僕は発表のときに知ったのに、その名前と彼女を結び付けなかったのだ。悪かったなあ、気が付いていれば祝電くらい送ったのに...と今更ながら悔やみ、その日、出社すると営業部の人たちに彼女の話をした。誰も知らなかった。

「アゲハ」は、吉川英梨さんの2作目の小説のようだった。もちろん、僕はすぐに買って読んだが、流行の警察小説である。最近の警察小説の多くが警察という組織の悪を描くように、この小説のヒロインも「警察組織を最も信用していない警察官」という設定だった。なぜ、そうなったのか、8年前の事件が大きな鍵になっている。何度かどんでん返しがあり、意外さが楽しめる。

ヒロインは警視庁捜査一課にいたが出世争いの足の引っ張り合いがイヤになり、鑑識課に異動した35歳の鑑識官である。高校生の息子がいる刑事と結婚し、女の子を産み、その子の授業参観に出ているときに殺人事件で呼び出される(「臨場」という言葉が使われる)ところから物語は始まった。軽い調子で始まるが、すぐに見せ場の多い、スリリングな展開になった。

現在の事件は「チャプター1」「チャプター2」という章で物語られ、各章の間に「チャプター1.5」「チャプター2.5」という章が挟まれ、そこで8年前の事件が語られていく。その8年前の事件が現在の事件と次第に融合する。よく練られた構成だ。ヒロインは原という刑事と結婚した結果、原麻希(ハラマキ)という名前になり「私をフルネームで呼ばないで」と繰り返すのがギャグになる。うまいなあ。

●警察小説の第一人者として今野敏さんが活躍している

それにしても、ミステリ界は警察小説の花盛りである。数年前から、その警察小説の第一人者として今野敏さんが活躍している。今野さんの安積班シリーズは、「水戸黄門」の時間帯に「ハンチョウ」としてドラマ化された。今野さんは30年以上も小説を書いていて、2006年に「隠蔽捜査」で吉川英治文学新人賞を受賞したとき、すでに100冊を超える著書を持っていた人である。

その今野さんに、僕は一度お会いしたことがある。2007年3月末のことだった。この連載コラムの最初から8年分を2冊の「映画がなければ生きていけない」として出版し、それが思いがけず日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」をいただいたときのことだ。授賞式は全国大会が開かれる熱海で行われ、その大会に今野さんが参加していた。

そのときの日本軍大賞は大沢在昌さんの「新宿鮫・狼花」だった。その大会のことは大沢さんの角川文庫版「天使の爪」の解説に書かせていただいたが、その夜、僕は大沢さんと時間を忘れてオタク話で盛り上がってしまったのである。その様子は、翌週に出た大沢オフィス公式サイトに連載されているブログ「週刊・大極宮294号/2007年4月6日」に出ている。
< http://www.osawa-office.co.jp/old/weekly/back/back-all-index.html >

そのブログには編集者が撮影したのであろう大沢さんと僕の写真が掲載され、「十河さんと盛り上がり中」とキャプションが付いているが、実はその撮影者の隣に今野さんがいたのである。今野さんは、僕と大沢さんが9時過ぎから夜中の1時過ぎまで、次から次へとミステリや映画やテレビドラマの話をしていたことを、観察していたのかもしれない。

その翌日、午前11時頃、僕は二日酔いで熱海駅の新幹線ホームのベンチに座っていた。その前を今野さんが通った。僕が立ち上がってお辞儀をすると、今野さんも「やあ」という感じで笑顔になった。その今野さんと僕は同じ車両だったのだが、指定席だったので少し離れて座ることになった。1時間ほどが過ぎて今野さんは品川駅で立ち上がり、わざわざ僕の席の横を通り挨拶をして降りていった。

僕も腰を浮かし会釈をしたのだが、実は僕は指定席だったことにホッとしていたのだ。なぜなら、僕は(申し訳ないことに)今野さんの本を一冊も読んだことがなかったからである。もし自由席で並んでしまったら、1時間近くは話をすることになる。名前を知っている作家なら、作品を読んでいなくても何とか話を合わせられるだろうが、そもそも僕は今野さんのことをまったく知らなかったのだった。

翌週、僕は冒険小説をよく読んでいる会社の先輩に「今野敏さんって知ってます?」と訊いたところ、先輩は「うちに何冊もあるよ」と答え、翌日、さっそく文庫本を5冊もまとめて持ってきてくれた。僕はすぐに読んだが、どれもよくできたミステリだった。その後、SFから格闘技小説まで幅広く書いている今野さんの作品を、僕は集中して読むことになった。

2ヶ月ほど後、対談で大沢在昌さんに会い「あの翌日、二日酔いで熱海駅のホームに座っていたら、今野さんとお会いしました」と僕が言うと、「今ちゃん...、同期なんだよねえ」と大沢さんは笑顔になった。ふたりとも同じ学年だし、1978年にそれぞれ小説雑誌の新人賞を受賞して作家デビューをしている。同期意識は強いのだろう。

その翌年、今野さんは「果断・隠蔽捜査2」で日本推理作家協会賞も獲得し、新作を出せばどこの書店でも平積みになり、旧作も次々に復刊され、書店に今野敏コーナーができるほどの人気作家になった。もちろん大沢さんの「新宿鮫」シリーズもあるけれど、現在の警察小説全盛期を作り出した中心作家は、今野敏さんだと言っても過言ではないだろう。

●彼らの敵は隠蔽体質の権力者たちが牛耳る警察組織と官僚主義

吉川英梨さんの「アゲハ」もそうだが、最近の警察小説は警察内部の問題が取り上げられることが多い。少数のキャリアたちの出世争いや権力争い、刑事部と公安部の確執、組織を守るために犯罪を隠蔽する体質など、主人公の警察官対警察組織という葛藤が多く描かれる。それは映画の世界でも同じだ。

「あるいは裏切りという名の犬」(2004年)を見たとき、フランスでも警察組織というのは同じなんだなあ、と妙に感心した。この映画は監督のオリヴィエ・マルシャルが元警察官だというのをウリにして、実話に基づくことを強調していた。確かにリアルな警察組織内の軋轢、確執、権力闘争が描かれていて、まるで日本の警察小説を読んでいるような気がした。

しかし、いつ頃から刑事や警察が映画の主人公になるようになったのだろうか。かつて映画は、アウトローを描き続けていたではないか。警察組織に刃向かうことになっても、結局、警察官である限り国家権力を背景にした主人公であり、それは昔、映画が描き続けてきた反権力の志に反するものではないのか。僕は、ときどきそう考えて、安易な警察映画・刑事映画を批判する。

日本映画は、戦前も戦後もアウトローたちが主役だった。彼らは国定忠治を始めとしたヤクザであり、食い詰めた浪人たちであった。役人だとしても下っ端の岡っ引きだったし、権威を背景にしていたとしても葵新吾のように貴種流離譚の主人公だった。彼らは60年代から70年代にかけては、花田秀次郎や橘真一や藤川五郎、あるいは矢野竜子になった。みんな、裏街道を歩く人たちである。

ハリウッド映画も同じだった。特にワーナーブラザーズの諸作はそうだ。キャグニーやボガートが演じたのは犯罪者たちだったし、警察官ではなく私立探偵が主役をとった。そんな映画では、いつも警察官は悪役だった。しかし、「ダーティーハリー」「フレンチコネクション」(共に1971年)のヒットによって(その前に「ブリット」(1968年)があったが)、一気に警察映画のブームがくる。歴史は下り、今では警察官が主人公の映画ばかりである。

フランス映画も同じだ。50年代から70年代初めにかけてフィルム・ノアールと呼ばれた犯罪映画が続々公開されたのに、今や犯罪を取り締まる権力側の警察官が主人公である。犯罪者の暗い影を貴公子のような白皙の顔に宿していたアラン・ドロンも、今では「刑事フランク・リーヴァ」(2003-2004年)になってしまった(これはこれで面白かったけれど...)。

もっとも警察映画の主人公は、どちらかと言えば組織内アウトローのような設定が多い。フランク・ブリットがそうだったし、ハリー・キャラハンも同じだった。ジョン・マクレーンもその血を受け継いでいるし、大勢の部下を抱えた警視とはいえダニエル・オートゥイユが演じたレオ・ブリンクスも同じ系列に属している。彼らの敵は凶悪な犯罪者であり、膠着した隠蔽体質の権力者たちが牛耳る警察組織であり、官僚主義なのだ。

●警察映画とアウトロー映画を同時に成立させる香港の鬼才たち

ここ数年、僕が面白く見た警察映画は、ほとんど香港映画である。ひいきのジョニー・トー監督の「PTU」(2003年)や「ブレイキング・ニュース」(2004年)では、香港警察の活躍に手に汗を握った。そのスタイリッシュな映像に酔った。それに、アンドリュー・ラウ監督の「インファナル・アフェア」シリーズ(2002-2003年)も警察映画と言えないことはない。

「PTU」とは、香港警察特殊機動部隊の略称だ。彼らの勤務明けは午前4時。ひと晩の出来事が描かれる。犯罪組織課の拳銃を紛失した刑事のエピソード、黒社会のもめ事を察知した特捜課の刑事のエピソードが交錯し、映画は大団円に向かう。その脚本を書いたのが、ジョニー・トー作品おなじみのヤウ・ホイナンだ。そして、僕が最近の警察映画として特に気に入ったのが、ヤウ・ホイナンの監督デビュー作「天使の眼、野獣の街」(2007年)である。

若い女が中年の男を尾行している。香港の街が背景だ。路面電車に乗り、街角の雑踏を抜ける。女の目は油断なく周囲を観察している。男がカフェに入る。女も何食わぬ顔をしてカフェに入り、離れた席に腰を降ろし、男に気付かれないように監視する。突然、その男が立ち上がり、女の前にやってくる。「なぜ、俺の後を尾ける」と男が詰問する。気圧されたように、女は何も答えられない。

その女の反応を見ていた男は、「それじゃあ、だめだ」とため息をつく。若い女は、失敗したなあという顔をして肩を落とす。それまでの緊迫した空気が少し緩む。若い女に詰問した男はウォン(ジョニー・トー映画でおなじみのサイモン・ヤム)である。香港警察刑事情報課の監視班のベテラン捜査員だった。

この監視班というのが本当に存在するのかどうかは知らないが、犯罪者を監視する専門家たちの集団として設定されている。この着想が「天使の眼、野獣の街」を抜群に面白くした。彼らが様々な通信機器やハイテク機器を使って犯罪者の行動を監視し続ける様子が、スリリングに描かれる。ウォンに詰問されて口ごもった若い女は、その監視班に配属された新人捜査官ホーで、開巻から描かれたのは彼女の訓練だったのである。

ウォンは、ホーが尾行していた間に見たはずのものをひとつひとつ質問していく。たとえば「電車の中で、向かいの席の右端の人物を何をしていた?」とウォンが質問すると、ホーは「年令40半ば。男性。グレーの野球帽。ブルーの開襟シャツ。ズボンは黒。黒の革靴。新聞を読んでいた」などと答えるのだ。ウォンはさらに「野球帽のチーム名は?」などと突っ込んでいく。ホーが詰まると、ウォンが正解を教える。

ウォンの観察力や記憶力は超人的だ。そのウォンに鍛えられて、ホーは少しずつ成長していく。彼らは宝石店襲撃を繰り返すグループの捜査に入るのだが、その犯罪者グループのリーダーは襲撃には加わらず、襲撃する店の周辺を観察し、実行犯に的確に指示を出すという周到さだ。つまり、犯罪者を監視する監視班の眼、警察の監視がないかどうかを探る犯罪者グループのリーダーとの眼の戦いなのである。

監視班は犯罪者グループのひとりを見つけ出し、監視に入る。彼の行動から襲撃予定の店を割り出し、その店の周囲を蟻のはい出る隙もないほど捜査員を配置し、襲撃が起こるのを監視しながら待つ。だが、犯罪グループのリーダーがより高い場所から周辺を監視し、ほんの少しの捜査員のミスから包囲網を察知する。襲撃直前に携帯電話で中止を命じられた実行犯たちは、包囲網を強行突破する。

この映画が抜群に面白いのは、警察側の描写と共に犯罪者側も均等に描かれるからだ。そして「天使の眼、野獣の街」を見ていて、僕がなぜ香港映画の警察ものを面白いと思うかに気付いた。つまり、どの映画も警察側と同じ比重で犯罪者側が描かれているのだ。「インファナル・アフェア」は警察に潜り込んだ犯罪者と犯罪組織に潜入した警察官の話だし、「PTU」も「ブレイキング・ニュース」でも犯罪者側はきちんと描かれる。

そう、香港で作られる警察映画は、同時にアウトロー映画としても成立しているのである。ジョニー・トーは、元来、「エレクション」(2005年)「エグザイル/絆」(2006年)「冷たい雨に撃て、約束の弾丸を」(2009年)など、アウトローたちを主人公にしたときに精彩を放つ監督ではあるが、警察官を主人公にしても同じテイストが出せるのである。そのテイストを担っていたひとりが、「天使の眼、野獣の街」のヤウ・ホイナンだったのだと僕は確信した。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >
第3回日本ラブストーリー大賞にはニフティ・ココログ賞というのもあって、これは「オカンの嫁入り」という小説が受賞した。昨年、大竹しのぶと宮崎あおいの主演で映画化され、朝日新聞で佐藤忠男さんがほめていて、見ようと思ったのだがまだ見ていない。

●306回〜446回のコラムをまとめた「映画がなければ生きていけない2007-2009」が新発売になりました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1447ei2007.html >
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
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