映画と夜と音楽と...[496]はかない夢にすぎないけれど.../十河 進

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〈愛と哀しみの旅路/野獣の青春/夜霧よ今夜も有難う/大幹部・無頼/無頼・殺せ/斬り込み/野良猫ロック・暴走集団'71/直撃!地獄拳〉

●ちなきなおみがカバーしている様々な名曲があった

呑み友だちのIさん(久しぶりの登場です)に「ちあきなおみがアメリカン・スタンダードを歌っているんですが、これがとてもいいですよ」と勧められ、ユーチューブで「ちあきなおみ」を検索してみたら、いろんな曲が次々に出てきてすっかりはまってしまった。まず、日本語で歌う「朝日の当たる家」でノックアウトされ、石原裕次郎や中島みゆきの歌をカバーしているのを聴き、やめられなくなった。

アマゾンでCDを探したらいろいろ出てきたが、ヒット曲集のようなものが中心らしい。今度、新星堂で探してみようと思いながら、またユーチューブで検索していたら彼女の持ち歌の「夜へ急ぐ人」の映像にぶつかった。「おいで、おいで」と上目遣いで歌っている。詞が抽象的で歌唱力が抜群だから、聴いていてゾッとするほど怖かった。鳥肌がたった。ホラー歌謡というジャンルは、この曲くらいしかないだろうなあ。

その他、戦前戦後の昭和のヒット曲もよくて、「雨に咲く花」「船頭小唄」「上海帰りのリル」「雨のブルース」なんかを聴いている。特に「雨に咲く花」がお気に入りで、この歌を聴くとハリウッド映画でこの曲が流れたときの驚きを思い出す。主演はデニス・クエイドだった。メインタイトルに、いきなり日本語の「雨に咲く花」が流れるのである。「音楽映画の巨匠」と僕が呼んでいるアラン・パーカー監督作品だった。



太平洋戦争前のこと。デニス・クエイドは、当時はアメリカでも多く存在したコミュニスト組織に属し、破壊工作までやる活動家である。彼は追われて西海岸にたどりつき、日系人の街にある映画館の映写技師として雇われる。そこで上映されているのは、戦前の日本映画である。デニス・クエイドも変な調子で、当時の日本語のヒット曲を歌ったりする。やがて、映画館の持ち主である日系人一家の長女(タムリン・トミタ)と愛し合う。

しかし、日本が真珠湾を攻撃し、日系人たちは収容所に入れられる。日系人一家の次男(だったと思う)は、監視兵たちへの反発から収容所の中で反米思想に染まり、やがて日本に強制送還される。タムリン・トミタは、子供を育てながら夫との再会を待ち続ける。冒頭のシーンが、戦後、成長した娘を連れて夫に会いにいく設定で、その途中に語られる回想は悲しく、切なく、辛く、そして美しい。アラン・パーカーの職人芸である。

最近は日本映画好きのクエンティン・タランティーノが、自作で梶芽衣子の「修羅の花」や「恨み節」などを流したりするが、20年前、「愛と哀しみの旅路」(1990年)を見に映画館へいき、タイトルが始まると同時に「およばぬことと〜」と流れてきたときは、本当にびっくりした。この歌は耳について離れなくなるメロディラインを持っていて、子供のときから何かを諦めるときには「あきらめ〜ました」と歌っていたので、今もときどき口を衝いて出る。

ちあきなおみバージョンは、あまり感情を込めずに歌っているように聴こえるけれど、情感が胸に切なく響く。感傷的になっているときに聴いたら、ちょっと困るだろうなあ、泣いちゃうかもしれないなあと思う。そのちあきなおみが「ひと目だけでも逢いたいの」と歌ったとき、僕は、瞬間的に郷□治のちょっとはにかんだ顔を浮かべた。それは「大幹部・無頼」(1968年)で、藤川五郎(渡哲也)を駅に迎えたときの彼の顔だった。    □=えい/金ヘンに英

郷□治──。ちあきなおみの歌を変え、生き方を変えたと言われる、彼女が熱烈に愛した夫である。彼女が引退同然に身をひそめ、現在に至るもステージに立たない理由は、夫の死の衝撃から立ち直れないからだとも言われている。数年前、ある雑誌のインタビューで義兄の宍戸錠が、「彼女は二度と人前で歌うことはないだろう」と語っていた。郷□治の死は、それほどの悲しみをちあきなおみにもたらせたのだ。

●もうひとりの「郷」という名前を持つ男

ごつい顔だった。兄の宍戸錠は日活ニューフェースとして入社し、甘いマスクで売り出したのだが、こけた頬が酷薄そうに見えたためか、頬にシリコンを詰めて妙に愛嬌のある顔になったのに、郷□治は兄弟とは思えないほど似ていなかった。しかし、日活映画の脇に必ず出ていた郷□治という役者が、僕は大好きだった。彼は殺し屋だったり、ヤクザだったり、チンピラだったり、強面の役が多かったが、コメディセンスがよく愛嬌のある役もできたのだ。

ヤクザ組織の幹部役なのに妙におかしみがあったのが、鈴木清順監督の美学が一気に花開いたと言われる宍戸錠主演「野獣の青春」(1963年)である。脚本は後に隆慶一郎となる池田一朗と山崎忠昭(後に乱歩賞を受賞する山崎洋子が奥さんだったはず)である。もっとも、山崎忠昭によれば、池田さんは原作の大藪春彦の「人狩り」という小説を渡しただけで、脚本を書いている間どこかへいったままだったという。

「野獣の青春」は、連れ込み宿の部屋で男女の心中死体が発見されるモノクロームシーンで始まる。刑事が女の遺書を読んでいる。テーブルの上が写ると花瓶の花だけが赤い。初めて見たとき、観客たちがそのシーンの直前から拍手するので驚いたが、清純ファンたちはすでに何度も見ていて、そんな名シーンになると「待ってました」とばかりに拍手をするのだった。

モノクロームからカラーに切り替わった瞬間、大口をあけて笑う若い男女が映る。カットつなぎで驚かす清順さんのやり方である。その後、スピーディーに主人公(宍戸錠)が歓楽街を荒らすカットが続き、ナイトクラブで女たちを侍らせて遊んでいる主人公のシーンになる。しかし、音声が聞こえない。次のカットでそれはナイトクラブの支配人室から、ヤクザたちがマジックミラー越しに見ているとわかる。

ここからは、ふたつのヤクザ組織をひとりの男が画策して両方とも潰してしまうという、ダシール・ハメットが創り出したストーリー・パターンになる。そのパターンでハメットが書いたのは、短編「町の名はコークスクルー」と長編「赤い収穫」である。小林信彦さんは、同じストーリーパターンを持つ黒澤明の「用心棒」(1961年)が参考にしたのは、「町の名はコークスクルー」だろうと推察していた。

主人公は、まず一方のヤクザ組織に自分を売り込む。仕事の手際がよく拳銃の扱いもうまいので主人公は信頼されるのだが、そのヤクザ組織と対立するもう一方のヤクザ組織が主人公を襲いアジトに連れていこうとする。その対立組織の幹部が郷□治だった。そちらの組織のボスは映画館を経営していて、アジトがスクリーン裏にある。だから、ヤクザたちのアクションシーンの背景には、映画が映っているのである。

主人公は両方の組織に取り入り、片方の組織の麻薬取引の情報を流し、対立組織に取引の金を奪わせる。互いに衝突させ、その中から何かを探ろうとしている。映画館側の組織の幹部(郷□治)が金を奪ったことを知ったナイトクラブ側の組織は、彼を拉致するために主人公を派遣する。主人公が郷□治のマンションの部屋を開くと、天井から数多くのプラモデルの飛行機が吊られている。プラモデル好きのヤクザの幹部、というのが斬新で面白かった。

●若き太田雅子とカップルになる栄誉が郷□治に与えられた

昔、写真家のTさんと郷□治の話を熱心にしたことがある。Tさんも熱烈な日活映画ファンで、裕次郎、旭、圭一郎の話を始めたら止まらない。新宿ゴールデン街にあった赤木圭一郎のお姉さんの酒場の常連だった。日活映画ファンの映像作家かわなかのぶひろさんも含めて、三人で日活映画の話で盛り上がったこともある。そのTさんは郷□治と似ていて、そのこともあって親近感を抱いているらしかった。

郷□治が兄の紹介で日活に入社したのは、昭和35年(1960年)のことらしい。安保闘争で騒然としていた頃だ。日本映画にもフランスで始まったゴダールやトリュフォーたちのヌーブェルヴァーグが影響を与え、松竹の大島渚、吉田喜重などが観念的で先鋭的な作品を撮っていた。しかし、日活では小林旭が和製ウェスタンのような「渡り鳥シリーズ」に主演し、無国籍アクションと言われながら荒唐無稽な娯楽映画群が多くの観客を集めていた。

しかし、中平康監督の日活映画「狂った果実」(1956年)はフランスで上映され、カイエ・ド・シネマの同人たちに絶賛された。石原裕次郎の初主演映画「狂った果実」が、後にヌーヴェルヴァーグと呼ばれる映画青年たちに影響を与えたのである。やがてトリュフォーは「大人は判ってくれない」(1959年)を撮り、ゴダールは「勝手にしやがれ」(1959年)を撮り、クロード・シャブロルは「いとこ同志」(1959年)を撮った。映画史的には、日活映画はヌーヴェルヴァーグに先行する。

だが、郷□治は観念的な芸術映画とは無縁だった。ひたすら、アクション映画の脇を固めた。あるときは小林旭にナイトクラブのホールで投げ飛ばされるチンピラであり、あるときは渡哲也に目をつぶされる殺し屋であり、あるときは善玉のヤクザの親分に匕首を突きたてる刺客だった。彼は、登場すると殴られ、蹴られ、多くの場合、命を失った。あまりに何度も殺されたので、彼自身にもどれがどの役だったかわからなくなったことだろう。

彼は、ほとんどの映画で女性と結ばれることはなかった。情婦がいる役はあったけれど、大半は女性とからむ設定はなかったし、あったとしても振られることに決まっているような役だった。珍しく女性に好かれる役もあったが、その映画では彼は顔を黒塗りにした黒人とのハーフの役で、名前はビルだった。彼は、ヨコハマのナイトクラブでボーイをしながらジムに通う、有望な若手ボクサー役である。だが、あの映画の頃、彼は既に30を超えていたのではなかっただろうか。

そのナイトクラブのオーナーは、まるで「カサブランカ」(1942年)に登場するリック(ハンフリー・ボガート)だった。4年前、自分の前から突然姿を消した恋人の面影が忘れられないのだ。その女が東南アジア某国の革命指導者の妻としてナイトクラブに現れ、彼は女への未練と裏切られた心の痛みに苛まれる。彼は「今さら何を聞けというんだ。俺はもう真珠のような涙も、美しい唇から出る言葉も...信じないことにしてきた。4年だ。ひと言で4年と言えば短いが...」と女を責める。

そんなオーナーを暖かく見守っているのは、ナイトクラブの老コックであり、そのコックの娘である溌剌としたウェイトレス、それにフロアボーイをつとめるハーフの新人ボクサーだった。コックの娘はオーナーに恋心を抱いている。しかし、彼の心は昔の女にしかない。だから「夜霧よ今夜も有難う」(1967年)では、浅丘ルリ子の面影を忘れられない石原裕次郎を諦めた、若き太田雅子(後の梶芽衣子)とカップルになる栄誉が郷□治に与えられた。だが、それはひどく稀なことだった。

●ちあきなおみは郷□治の棺にすがりついて号泣したという

経営が傾き、労組が経営に参画するようになった日活は、いつ倒産してもいい状態になった。やはり経営危機に陥った大映と組んで、ダイニチ映配という形で系列館への作品提供を始めた日活だったが、大映は倒産し日活は一般映画から撤退した。1971年、秋、「日活ロマンポルノ」(後に「にっかつ」と改名)の始まりである。しかし、そうなる数年前から、日活は「ニューアクション」と呼ばれる溌剌とした作品群を大量に制作した。それらは消滅する運命の直前に、あだ花のように咲いた作品群だった。

その始まりは1968年であると、僕は勝手に決めている。その年、あの「無頼シリーズ」が始まったのだ。その年だけで5本の「無頼シリーズ」が公開され、翌年の春、最終作「無頼・殺せ」(「バラせ」と読んでください)が公開された。その映画の郷□治が僕には忘れられない。彼が演じたのは、若き鉄砲玉たちのリーダーである。彼は関西にある上部組織の命令で関東に進出するため、関東のヤクザ組織の縄張りのまっただ中に数人で組の事務所を構える。

彼は、人斬り五郎こと藤川五郎を「兄貴」と慕うムショ仲間である。しかし、五郎が「ヤクザなんてみんな虫ケラだ。あんまり組を信じない方がいい」と忠告すると、ムキになって「仁義」や「忠誠」を口にし、「五郎さん、見損なったぜ」と言う。しかし、上部組織は彼らを犠牲にして、関東の組と戦争を起こす口実にするつもりなのだ。彼ら数人は、文字通り鉄砲玉なのである。殺されることを前提にした、事務所の設置だった。

関東の組が殴り込みをかけるのがわかった夜、上部組織に見捨てられた郷□治は五郎に電話をかけ、「五郎さん、あんたの言ってたことが、ようやくわかったよ」とさみしそうな顔で語りかける。いかつい顔が、泣きそうに見えた。彼は、死を覚悟している。だが、彼を「兄貴」と慕う若いチンピラたちを死なせるのは忍びない。彼は忠誠を誓った組織に裏切られ、自分の存在理由さえ失った。悔い、覚悟、憐憫、闘志...そんな気持ちが交錯したのだろう。あのシーンの郷□治の泣き顔を、僕は今も忘れることができないのだ。

そんな郷□治が率いた鉄砲玉たちのようなグループが、その後の日活ニューアクションの主人公になった。それは石原裕次郎や小林旭といった大スターの出演作がなくなった日活で、若手俳優たちを使って作品を作るしかなかったからだ。藤竜也、梶芽衣子といった日活育ちの新人に加え、原田芳雄、地井武男など新劇育ちの俳優たちも招かれた。そんな群像劇では、もう若くはなかったけれど郷□治もチンピラのひとりとして登場した。それが、沢田幸弘監督のデビュー作「斬り込み」(1970年)である。

沢田監督は続けて「反逆のメロディー」(1970年)を作る。「反逆のメロディー」は原田芳雄、地井武男、藤竜也、梶芽衣子に佐藤蛾次郎という新鮮なメンバーだった。組織に刃向かうチンピラ群像を主人公にしたから、日活ニューアクションと呼ばれる一群の映画は若者たちに絶対的な支持を得た。やがて「野良猫ロック・シリーズ」が作られる。そして、シリーズ最終作「野良猫ロック・暴走集団'71」で、郷□治は体制に飼われる暴力装置のリーダーとして登場した。彼は、もう反逆者をやれるほど若くはなかったのだ。

地方都市の右翼的な権力者の息子(地井武男)がぐれて新宿でフーテンをやっていたが、父親の私兵であるオートバイ軍団に連れ戻され暴力的に鍛え直される。その私兵のリーダーを郷□治がやっていた。彼は権力者の懐刀である兄(戸浦六宏)の命令で動いている権力の手先である。しかし、最後に彼は権力者の命令に逆らい、日和って反逆を貫けなかった権力者の息子を射殺し、フーテンたちのリーダー(原田芳雄)と壮烈な爆死を遂げる。

それらの映画群は、僕の17歳から20歳にかけて公開されたものばかりだ。やがて日活はロマンポルノ専門の映画会社になり、郷□治は日活を離れる。その後、東映作品に出演したり、テレビに出たりし始めた。そんなある日、僕は彼の主演作に出会う。石井輝男監督の「直撃!地獄拳」(1974年)である。千葉真一、佐藤允と組んでの主演だが、彼のコメディ演技が生かされた傑作だった。

その4年後、ちあきなおみの結婚相手が郷□治だと知って僕は驚いたものだった。悪役専門のようになっていた郷□治と、名曲「喝采」で歌姫(ディーバ)と呼ぶにふさわしい日本を代表する女性歌手になったちあきなおみに、一体どういう共通項があったのか、僕には不思議だった。その後、ふたりの仲むつまじさが報じられるのと重なるように、次第に郷□治の出演作品は少なくなり、いつの間に姿を見ることがなくなった。ときたま古い日活映画を見て、「郷□治は何をやってるんだろう」と思っていた。

1992年、郷□治は55歳で亡くなった。ウィキペディアによると、ちあきなおみは夫が荼毘にふされるとき、棺にすがって「私も一緒に焼いて!」と号泣したという。彼女は、夫の死を境にほとんど人前から姿を消した。羨ましいほどの強い絆だ。だから、「ひと目だけでも逢いたいの」と歌うちあきなおみの声が、僕に郷□治を思い出させる。はかない夢だとわかっていても、彼女の心の中には夫との再会を強く強く望む気持ちが存在する。そんなことを想像させる、情感に充ちた歌姫の声に今夜もまたひたっている...。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >

ツイッターで二日酔いだの泥酔したの...とばかり書いていたら、フォロワーの方に心配されてしまった。確かに、一年前に泥酔して右目の下をメガネフレームでざっくり切ったりしたので、自分を信用していないところはある。そのときの傷は治ったが傷跡に脂肪の塊ができて、この原稿を送った後、病院で切開手術をする予定だ。酒代より治療代の方がかかっているかも(そんなわけないですね)。

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