映画と夜と音楽と...[498]爽やかだった青年も堕落するか?/十河 進

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〈天使を誘惑/アウトレイジ/沈まぬ太陽〉

●三浦友和は正統的な二枚目で山口百恵より8歳も年上だった

あれは1974年の5月頃だったと思う。人気絶頂だった山口百恵の初主演映画の相手役を公募する新聞広告が全30段で掲載された。その広告を見てTの中学からの友人が応募したという話を聞いた。僕はTと高校で一緒になり、ふたりとも同じ大学に入って東京で住んでいた。Tの友人も上京していて、新國劇の研究生をしていた。

当時、新國劇には辰巳柳太郎と島田正吾の両巨頭がいた。辰巳柳太郎の付き人だった緒方拳は劇団を離れテレビで人気者になっていたが、彼に続く若手の若林豪や石橋正次などはまだ在籍していた。その数年前に「あしたのジョー」(1970年)が辰巳柳太郎の丹下段平、石橋正次の矢吹丈、亀石征一郎の力石徹という新國劇の役者で映画化されたばかりだった。

Tの友人がなぜ新國劇の研究生になったのかは不明だが、もしかしたら「あしたのジョー」実写版を見たからかもしれない。しかし、新國劇は時代劇であり立ち回りが見せ場の芝居ばかりである。池波正太郎だって、新國劇の座付作者だったのだ。「名月赤城山」の国定忠治や「春雨じゃ濡れてゆこう」のセリフで有名な「月形半平太」などが、新國劇の十八番だった。

Tの友人だった男とは数度会っただけだから、今ではおぼろげな記憶しかないのだけれど、印象としては中村勘九郎みたいな顔をしていた。若いくせに少し老けていて(好意的に言えば老成した感じで)、14歳でまだ幼ささえ残る山口百恵の相手役としては相応しくないなと思ったことを覚えている。



当時、大学4年生にはなっていたが、僕も山口百恵のファンだった。何しろ僕は「としごろ」でデビューした山口百恵とデパートの屋上で握手したことがあるのだ。その日、僕は何となくデパートの屋上のベンチでボーっとしていたのだが、たまたま新人歌手のプロモーションが始まった。「としごろ」はヒットしなかったが、2曲目の「青い果実」がきわどい歌詞で話題になった。

だから、山口百恵の初主演映画の相手役募集広告を見たとき、一瞬、僕も応募してみようかと血迷ったのだが、たぶんろくな芝居ができないだろうと思い直し、実行に移すまでには至らなかった。しかし、その一ヶ月ほど後、僕はTの友人が応募したと聞いて、少し呆れたのだった。

数ヶ月経った頃だったろうか。三浦友和という若い俳優が相手役に決まったというニュースが流れた。「三浦友和?」と僕の頭の中にランプが灯った。だってプロの俳優じゃないか、と僕は公募はインチキだったんだと思った。考えてみれば、Tの友人のような役者の卵も多く応募しただろうから、新人俳優の三浦友和が応募していても不思議ではなかったのだ。

しかし、オーディションということが一般的ではなかった頃だから、僕は公募で話題を盛り上げておいて、裏でそれなりに実績のある俳優をキャスティングしたんじゃないかと疑った。三浦友和はすでにテレビの「剣道一本」(「柔道一直線」の剣道版みたいな30分ドラマ)で主演していたし、その後、僕がよく見ていた「燃える兄弟」というシリーズドラマにも出ていた。

その年の暮れに「伊豆の踊子」(1974年)が公開になり、監督の西河克巳が「山口百恵が初主演で素人同然だから、せめて相手役には実績のある俳優を...」と望んだという話が伝わってきた。それはそうだよなあと僕は納得し、「伊豆の踊子」を見にいった。三浦友和は正統的な二枚目で年令は23歳。山口百恵より8歳も年上だった。三浦友和が同い年だと知り、「応募しとくんだったなあ」と、僕は心の隅で少し後悔した。

●百恵友和コンビの次作が「天使を誘惑」だと知って驚いた

三浦友和は、1975年に5本の映画に出ている。「絶唱」「陽のあたる坂道」「青い山脈」「阿寒に果つ」「潮騒」である。「陽のあたる坂道」は檀ふみ、「青い山脈」は片平なぎさ、「阿寒に果つ」は五十嵐じゅんが相手役だったが、「絶唱」「潮騒」は山口百恵とのコンビだった。この年、山口百恵とはテレビシリーズ「赤い疑惑」でも共演した。

その後、三浦友和は人気絶頂の青年俳優として、トウがたった加山雄三に代わり、東宝の青春映画の主役を担っていく。同じ頃に東宝で主役を張っていたのは、草刈正雄だった。彼は二代目若大将として文字通り加山雄三の跡を継いでいたのである。その頃、僕は社会人になり、映画館へ通う時間が少なくなったから、当時の彼らの映画はあまり見ていない。

僕が三浦友和主演の映画を意識して見にいったのは、岡本喜八監督の「姿三四郎」(1977年)である。ヒロインは秋吉久美子。岡本喜八映画では常連の仲代達也が師匠の矢野正五郎を演じた。宿敵・檜垣源之助は中村敦夫である。すでに木枯らし紋次郎の主演で有名俳優になっていた頃だと思う。

ところが、三浦友和はまともすぎて、あまり面白い俳優ではなかった。顔が端正すぎて毒がない。演技は一直線。どこにも屈折がない。「伊豆の踊子」のときは、農民たちからも賤民とさげすまれる旅役者一家の少女に心惹かれる、一高生(当時としては超エリートだ)を静かに演じ、なかなかいいじゃないかと思ったけれど、「姿三四郎」のハイライトである池の杭にしがみついてひと晩を過ごし、夜明けに蓮の花が咲く音で何かを悟るシーンの深みが表現できなかった。

彼の初期の出演作は、ほとんどリメイク作品だった。「伊豆の踊子」や「春琴抄」(1976年)といった文芸作品はもちろん、「絶唱」には舟木一夫版があり、「陽の当たる坂道」には石原裕次郎版があった。「泥だらけの純情」は、吉永小百合と浜田光夫の日活作品が先行している。

しかし、リメイクのネタが尽きたのか、あるいは百恵友和コンビの親密さが公になり、少し不良性のある物語にしてもいいと制作側が判断したのか、非行少年映画の巨匠と僕が呼んでいた藤田敏八を起用した「天使を誘惑」(1979年)が公開になった。同棲中の若い男女の話である。ヒロインが中絶するエピソードもある。

当時、僕は高橋三千綱の小説を愛読していた。単行本は一冊めの「退屈しのぎ」からずっと買っていた。「彼の初恋」「怒れど犬」「葡萄畑」「九月の空」などだ。そして「天使を誘惑」が出たとき、高橋三千綱らしいなと僕は苦笑した。芥川賞を受賞したばかりなのに、黛ジュンの有名なヒット曲「天使の誘惑」にひっかけたタイトルの小説を出す軽さが僕は好きだった。

僕は百恵友和コンビの次作が「天使を誘惑」だと知ったとき、少し驚いた。主人公は、だらしなく生きているアルバイト学生である。優等生的な真面目さはなく、しらけた気分でドロップアウトしているのでもない。中途半端な存在である。ヒロインの恵子も山口百恵がそれまで演じてきた役柄とは違い、ごく普通のOLだった。

そんな物語を藤田敏八監督が監督することには期待した。藤田監督は前年の「帰らざる日々」(1978年)で復活していたし、しらけた男女の中途半端な生活を描けるとしたら藤田敏八以外にはいなかった。だが、百恵友和コンビにはやはり毒がなかった。ダークサイドがない。二人がいるところには、いつもまばゆい陽光が当たっていた。三浦友和の爽やかすぎる容姿が、暗さを感じさせないのだった。

●三浦友和は何に出ても三浦友和だったし不器用な演技者だった

高校時代、三浦友和はRCサクセションの忌野清志郎と同級生で、仲がよかったという話は今ではかなり有名になっている。僕も彼らと同じ時代を生きてきた。岩城滉一、柴田恭兵も同じだと言えば、何だかかっこいい人が多いようにも思えるが、小説家の浅田次郎も同じだから一概には言えない。この歳になると外見には大きな違いが出て、老人に見える人もいる。

しかし、三浦友和は変わらない。髪型だってずっと同じだ。フサフサしている。最近は、息子が俳優として活躍しているというのに、そして還暦を迎えようとしているのに、イメージは昔のままだ。大林宣彦監督の「なごり雪」(2002年)を見たとき、あまりに変わっていないので、何となく安心した記憶がある。

しかし、「転々」(2007年)では妻を殺してしまった強面の取り立て屋を演じて新境地を開き、「沈まぬ太陽」(2009年)では卑劣な憎まれ役を演じて様々な映画賞にノミネートされ、北野武監督の「アウトレイジ」(2010年)ではついに究極の悪を演じて、真摯そうな二枚目顔の裏にある底知れない権力への渇望を感じさせた。

三浦友和は、何に出てきても三浦友和だったし、不器用な演技者だと思われていた。爽やかさが、演技の幅を広げる邪魔になっていたのだ。しかし、それを逆手にとって彼は悪を演じた。俳優生活40年、不器用な演技者がいつの間にかある高みに昇っていた...。「沈まぬ太陽」「アウトレイジ」の三浦友和を見ると、そんな思いが湧き起こってくる。

かつて、彼もイメージチェンジを試みたことがある。暴力とセックスを散りばめたハードロマンの作家として勝目梓が人気があった頃、彼の小説を原作とした「獣たちの熱い眠り」(1981年)に三浦友和は主演した。監督は松田優作と組んだ「遊戯」シリーズで人気が出て、その後、角川映画の「蘇る金狼」(1979年)や「野獣死すべし」(1980年)を撮っていた村川透だった。

しかし、三浦友和は松田優作にはなれなかった。メーキャップで野性味を出し、視線を鋭くし、肌の色を焼いた三浦友和だったが、野獣のイメージからは遠かった。しかし、それから30年、「アウトレイジ」の三浦友和は、同じようにメーキャップで顔をどす黒くしながらも、大組織の頂点に立つ会長に仕える若頭の貫禄と卑劣さを見せてくれた。

「アウトレイジ」は、不思議なヤクザ映画である。ヤクザ組織はピラミッド社会だ。頂点に山王会本家の会長(北村総一朗)が君臨する。その本家若頭の加藤が三浦友和だった。会長と親子の盃をした直系組長の集まりがあり、その帰りに加藤は池元組組長(國村隼)を呼び止め「村瀬とつるんでるそうじゃねぇか。会長が怒ってるようだぜ」と耳打ちする。

そこからすべての事柄が動き出す。池元は若頭の小沢(杉本哲太)と子分の大友組組長(ビートたけし)に相談し、大友が「じゃあ、村瀬組の事務所に拳銃でも撃ち込みますか」と言うと、「村瀬組ともめてると本家に思わせるくらいでいいんだよ」と答える。池元と村瀬(石橋蓮司)は兄弟盃をしている中だから、大友にとって村瀬は叔父貴になるのだが、そんなことは斟酌しない。

やがて大友組が村瀬組に仕掛けた些細なトラブルが、ヤクザ社会のメンツや親子盃や兄弟盃の関係、それに縄張り争いもからんで、どんどん抜き差しならない事態にエスカレートしていく。その経過を北野監督はじっくり描く。血なまぐさい場面が続き、暴力に溢れたシーンばかりだが、その面白さに引き込まれる。怒鳴り声と「バカヤロー」ばかりが飛び交う。

北野武映画ではおなじみだと言えばおなじみだが、「ソナチネ」(1993年)「BROTHER」(2000年)とはまた違った面白さを持つヤクザ映画になった。ここでは人間社会の本質を、ヤクザ社会という極端な典型を借りて描き出した感じがある。実社会ではミスをしても殺されることはないが、ヤクザ社会では脱落することは殺されることなのである。

小日向文世が演じたのは大友の学生時代のボクシング部の後輩で、暴力団担当の刑事である。大友を「先輩」と呼び、警察の情報を流し謝礼をもらっている。同時に彼は本家の加藤ともつながっていて、情報を提供し定期的に謝礼をもらっているのだ。この悪徳刑事の存在が「アウトレイジ」をさらに面白くしている。

●三浦友和の年を重ねた表情に僕自身の精神の履歴を見た

三浦友和が憎々しげで卑劣な出世主義者を演じたのが「沈まぬ太陽」だった。主人公(渡辺謙)が組合の委員長、三浦友和は副委員長である。賃上げの団体交渉で渡辺謙はスト通告をし、要求が受け入れられない場合は本当にストに突入させるつもりだった。だが、現実主義者の三浦友和はスト突入の意志はない。

やがて本気でストをやろうとした渡辺謙は上層部に疎まれ、懲罰のように僻地の海外勤務に追われ、10数年も日本に帰ってくることができない。主人公の側から見れば不当労働行為だが、その後の組合は様々に分裂し、あるいは御用組合までできて、彼の転勤命令を撤回させることはできない。

一方、三浦友和は本社で着実に出世をしていく。渡辺謙が日本に戻れないのは、彼の画策でもあるようだ。かつて盟友だった男は、主人公を邪魔者扱いにする出世主義者になっていく。三浦友和の風貌が誠実そうに見えれば見えるほど、彼の卑劣さが際だっていくという役だった。この役で、キネマ旬報助演男優賞を受賞した。

彼が演じた国民航空の取締役は卑劣な裏切りをする男ではあったけれど、現実主義者であり、主人公に「もっと現実的になれ」という忠告もするし、「詫びを入れれば日本に戻れる」という取引条件も差し出す。しかし、主人公は妥協せず、謝罪を拒み、そのため10数年も島流しのような海外勤務に就かされる。

原作者の山崎豊子は、実際の事件を取材してフィクションの形で書く作家だが、この日本航空をモデルにした「沈まぬ太陽」も登場人物はほとんどモデルがいるらしい。だが、物語は主人公サイドに寄りすぎているのではあるまいか。僕は長く労働組合活動を経験したから思うのだが、労使の対立、乱立する組合間の対立では、それぞれの言い分は「藪の中」であり、誰が正しいと断言するのはむずかしい。

「沈まぬ太陽」の主人公は筋を通し、自己の信念のために妥協せず、会社では不遇だったが、辞めることは敗北だと言い聞かせて勤め上げる。「沈まぬ太陽」は彼の物語だから、彼の言い分は正しく観客にも立派な行動だと共感を持つように描かれている。しかし、現実に彼のような人間がいたら、巻き込まれた組合員たちを不幸にし、家族を不幸にすることもある。

労使交渉は、結局、どこで妥協するかである。要求が100パーセント通ることはあり得ない。いつかは妥協しなければならないのだ。主人公は強硬派でスト決行もやむなし、と決意するが、ストは脅しに使っているうちはいいが、実際に突入したら労使関係は泥沼になると現実派の三浦友和は考えたのだろう。それは、彼自身の保身のためではなかったはずだ。

組合内部の対立の要因は、ほぼ決まっている。ストを背景にして厳しく闘うべきだと主張する急進派、いや会社を潰したら元も子もないと穏便な交渉をしようとする現実派の対立である。この急進派と現実派にはそれぞれ無数のグラデーションがあり、どこまでいっても対立の要因は払拭しない。

しかし、本社での地位が上がっていくに従って、三浦友和の判断は会社の利益を優先し、自分のポジションを守ることに絞られていく。その変化が僕には面白かった。何となく僕自身の現実と精神の履歴を辿るような気もした。僕も50近くまで組合員だったし、委員長も経験したし、出版労連の役員としてあちこちの労働争議に関わってきた。

そして10年ほど前に組合を抜けた僕は、その後、総務に異動し労務担当になった。会社側の組合との窓口である。労使交渉では経営サイドに座る。先日、僕は出版労連時代の仲間(その中には元出版労連委員長もいる)から「出版人の映画の会」に久しぶりに誘われたのだが、僕は欠席のメールを出し「今では労務担当です。組合をいじめています」とコメントを加えた。

僕が労務担当になったとき、「ソゴーさん、人が変わった」と言った組合員がいたという。そんな風に見えたかもしれないなとは思うが、言い訳を許してもらえるなら僕は己の仕事をまっとうしただけだ。もっと厳しい言い方をすれば「組合出身の労務担当だからと言って何か期待するのがおかしい」のである。

しかし、それでも自分のやってきた履歴は消せないし、否定しているわけではない。僕自身は変わったつもりはないが、古い組合仲間に「今では組合をいじめてます」と冗談めかして書くほどには、心の底で忸怩たる想いを抱いているらしい。それを、後ろめたさというつもりはないし、そんな感情ではない。どちらかと言えば「ああ、遠くまできてしまったなあ」と過去を振り返って抱く感慨に近い。

僕が「沈まぬ太陽」の国民航空の役員として登場した三浦友和の年を重ねた表情に見たのは、自分のそんな気持ちだったのかもしれない。会社の利益を考えれば、働いている人には我慢してもらうこともある...。どんな組織にも、耳に痛いことを言う人間は必要なのだと痛感する日々だが、働く人間に我慢を強いる以上、己の保身だけには走るまいと言い聞かせている。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >

カミサンの手術に立ち会った。2時間かかったが、その間、家族待合室で本を読んでも頭に入らない。最近は病院内でも携帯電話が使えるので、ポケットWi-FiをとばしてiPadでメールチェックしたり、ツイッターをチェックして時間を潰した。Gメールで会社のメールも読めて返信できるので便利でしたねえ。

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