映画と夜と音楽と...[511]「映画は世界を変える」とワイラーは言った/十河 進

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〈黄昏/L・B・ジョーンズの解放〉

●「ローマの休日」で赤狩りを批判したウィリアム・ワイラー

7月の午前中、WOWOWがウィリアム・ワイラー特集を組んでくれた。「ファニー・ガール」(1968年)「探偵物語」(1951年)「黄昏」(1951年)「L・B・ジョーンズの解放」(1969年)「必死の逃亡者」(1955年)の順で放映された。どういう基準でのセレクションなのか、どういう意味付けでの放映順なのかはわからないが、そのプログラムを見ただけでワイラー作品の幅の広さがわかる。

「ファニー・ガール」はバーブラ・ストレイザンド主演のバックステージもののミュージカルであり、「探偵物語」は舞台劇を映画化したシリアスな人間ドラマである。「黄昏」は年齢差のある男女が不倫関係になるメロドラマ、「L・B・ジョーンズの解放」は人種差別を告発する社会派ドラマだった。「必死の逃亡者」は、脱獄囚3人が幸せな一家を人質にして立てこもるサスペンスドラマで、晩年のハンフリー・ボガートが凶悪犯を演じた。

WOWOWのワイラー特集の少し前、NHK-BSの特番で「ローマの休日」(1953年)が取り上げられた。例によって赤狩りとの関係を取材し、分析したものだ。「レッドパージ・ハリウッド」(作品社刊)をまとめた上島春彦さんが出ていたので、僕もその番組を見た。赤狩りでハリウッドを追放された脚本家ドルトン・トランボ(知人名で「ローマの休日」を書いた)については特に目新しい情報はなかったが、ワイラーについては知らなかったことが多く興味深く見た。

NHK-BSの特番ではトランボの娘とワイラーの娘が登場し、家族にしかわからないことを証言したのが印象に残った。なぜワイラーが「ローマの休日」をほとんどローマロケで撮影したのか、なぜ新人のオードリー・ヘップバーンを起用したのか、ワイラーは脚本を書いたのがトランボだと知っていたのか、などなど突っ込んだ情報や分析がいろいろあったし、少し緊張しているような上島さんの顔も見られたので、なかなか面白かった。



ウィリアム・ワイラーについて検索してみると、来年で生誕110年になるのがわかった。ハリウッド草創期に活躍したユニヴァーサル・スタジオの設立者であるカール・レムリの親戚だったそうで、その息子に呼ばれてハリウッドに渡り、小道具係やキャスティング担当、助監督を経て監督になったのが1925年だというから、日本では昭和が始まった年である。生年も監督になった年も、ほぼ小津安二郎監督に近い。

僕がワイラー作品を同時代で見たのは、「コレクター」(1965年)である。中学生の頃に毎月買っていた早川書房の「エラリィ・クィーンズ・ミステリマガジン」に大伴昌司さんの新作映画紹介欄があり、そこで「コレクター」が取り上げられていた。もっとも、ジョン・ファウルズ原作の問題作「コレクター」の映画化なのだが、今でも思い出す印象的なシーンはあるものの、15歳の少年には単なる変質者映画としか理解できなかった。

ワイラー監督は「コレクター」以後、遺作になった「L・B・ジョーンズの解放」までの間、2本しか作っていない。「おしゃれ泥棒」と「ファニー・ガール」だ。どちらも映画雑誌で特集される注目作だったが、僕は新人バーブラ・ストレイザンドの顔が気に入らなくて「ファニー・ガール」は敬遠した。それに、熱心なオードリーファンだったくせに、なぜか「おしゃれ泥棒」(1966年)も見ていない。相手役のピーター・オトゥールが神経質そうで気に入らなかったのかもしれない。

しかし、改めて数多いワイラーの作品群を眺めてみると、僕にとっては思い出深い作品が多い。「嵐が丘」(1939年)「我等の生涯の最良の年」(1946年)「ローマの休日」(1953年)「必死の逃亡者」「大いなる西部」(1958年)...厳選するとこの5本に絞られるが、さらに枠を広げると10本ほどがマイ・フェイバリット・ムービーに入る。もっとも、僕は戦前の作品はほとんど見ていないので、これからも素晴らしいワイラー作品に出会える可能性はある。

●ラストシーンで初老の男の哀感と矜持に涙する「黄昏」

WOWOWが放映してくれた5本のうち、僕が見ていなかったのは「黄昏」と「L・B・ジョーンズの解放」の2本だった。「黄昏」はローレンス・オリヴィエとジェニファー・ジョーンズの共演。モノクロームの映像が美しかった。ローレンス・オリヴィエとワイラーと言えば、「嵐が丘」がある。オリヴィエは「嵐が丘」出演のためにハリウッドに赴くのだが、そのとき愛人だった新人女優ヴィヴィアン・リーを同行した。

インド生まれのヴィヴィアン・リーは、ロンドンで名優ローレンス・オリヴィエと恋に墜ち、ハリウッドに同行し、ヒロインが決まらないままアトランタ炎上シーンを撮影していた「風と共に去りぬ」の現場を見にいき、炎に照らし出された彼女を見たプロデューサーのセルズニックが「ついにスカーレットを見付けた!」と叫んだというのは、ハリウッドにおける心温まる伝説のひとつである。

もっとも、アン・エドワーズが書いた「ヴィヴィアン・リー」(文春文庫)によると、事実はそうではなかったらしい。イギリスで出版されたばかりの「風と共に去りぬ」を読んで、スカーレット・オハラを演じることに執念を燃やしたヴィヴィアン・リーは、映画化権を持っていたセルズニックに熱心に売り込んでいたという。彼女はオリヴィエの相手役でスクリーンに出ていたから、セルズニックもヴィヴィアン・リーのことは知っていたに違いない。

「黄昏」は「嵐が丘」から12年後の作品だ。オリヴィエも若くはない。相手役のジェニファー・ジョーンズとは、かなりな年齢差がある。その若いジェニファー・ジョーンズを愛したが故に落ちぶれていくオリヴィエが哀しく、ラストシーンなど初老の男の哀感と矜持に共感し、思わず涙してしまうほどだった。「男のメロドラマ」と紹介されることもあるが、珍しい男の転落物語である。

シカゴの高級レストランの支配人だったオリヴィエは、女好きの店の客(エディ・アルバート)にだまされて同棲していたジェニファー・ジョーンズを愛してしまい、心ならずも店の金に手をつけて彼女と一緒にニューヨークに駆け落ちをする。保険会社の人間に捕まり、金を返すことで告訴は免れたものの無一文になり、貧乏アパートに暮らしながら日雇い仕事に就く。有名店の支配人として裕福に暮らしていた中年男のみじめさが、ひしひしと伝わってくる。

貧乏暮らしの中、ジェニファー・ジョーンズは妊娠するが流産し、「今は子供を産むのは無理だった」というオリヴィエの言葉から、男が流産を喜んでいると思い次第に心が離れていく。やがて、ジェニファー・ジョーンズが舞台のオーディションに受かり女優として売れていくのとは対照的に、オリヴィエの人生は負への階段を急激に転がり落ちる。ある日、誤解から女が出ていき、仕事もないオリヴィエは浮浪者に身を落とす。何だか、ヴィヴィアン・リー主演「哀愁」(1940年)の男バージョンみたいだ。

こういうみじめな役は、毅然とした、覚悟のある、誇りに充ちたローレンス・オリヴィエのような(何しろ爵位をもらい「サー」の称号がついた人ですから)名優が演じないと、見ている方がやりきれなくなる。冬の夜、安宿も追い出され病に冒されたオリヴィエは、みすぼらしい格好で「食べないと、死ぬ」とつぶやき、今は大女優になった女の楽屋を訪ね小銭をねだる。それでも、オリヴィエの物腰からは男の矜持が感じられるのである。

●二人の弁護士は現実に妥協してきた叔父と理想に燃えた甥

「L・B・ジョーンズの解放」は、若きリー・メジャースとバーバラ・ハーシーが列車の車窓越しにいちゃついているカットと、同じ列車に乗る思い詰めた顔をした大男の黒人のカットが交互に映るオープニングシーンから引き込まれた。黒人は葉巻の空き箱にリボルバーを入れている。黒人は駅の手前で列車を飛び降り、駅で停車した列車からリー・メジャースとバーバラ・ハーシーが降りると、リー・J・コッブが笑顔で出迎える。

リー・J・コッブと言えば「波止場」(1954年)の港湾労働者組合を牛耳るボス、「十二人の怒れる男」(1957年)の根拠もないのに最後まで被告の有罪を主張する固陋頑迷な男の役が記憶にあるので、本人も人種差別主義者で白人至上主義の共和党員というイメージがあるが、大変リベラルな考え方をする人だと何かで読んだ記憶がある。ただし、役柄はいつも悪辣なボスや卑劣な権力者というものだった。そういう顔をしているのである。

そのコッブが演じているのは、60年代末のテネシー州の小さな町で30年も弁護士をしてきた男である。市の顧問弁護士も務めている。彼は黒人も同じ人間だと思っているが、黒人差別に反対しているわけではない。他の大多数の白人たちのようには、露骨な差別をしないだけである。ときには見て見ぬふりをするし、黒人の依頼を断ることも多い。妥協しなければ、黒人差別の強い南部の町で成功することはできなかったのだ。

そこへやってきたのが、結婚したばかりの甥夫婦である。甥は叔父のコッブの裁判を30年前に見て、叔父のようになることを目指して勉強し、弁護士になった。そして、テネシー州の町にやってきて、叔父と共同事務所を持ったのである。リー・メジャースが演じる甥は、理想家肌の若い弁護士である。結婚もせず妻子のいないコッブは、仕事も大きな邸宅も甥夫婦に譲るつもりでいる。

コッブが甥を事務所に連れ帰ると、黒人紳士が待っている。コッブに「離婚調停の代理人になってほしい」と依頼するが、叔父は何かと理由をつけて断る。それがリー・メジャースには不自然に映り「僕が引き受けてもいいですよ」と言い出したため、コッブは甥の手前、仕方なく葬儀社を営む穏和な黒人紳士L・B・ジョーンズの離婚弁護士を引き受けることにする。

L・B・ジョーンズは人望のある裕福な黒人だが、若い妻が白人の警官と浮気をしたので「男と別れるのなら目をつぶる。別れないのなら離婚する」と言うのだが、妻はジョーンズの金を当てにしているので、「離婚しないし、男とも別れない」と言い出し、自分でも弁護士を立てる。そんな事情を、コッブはすべて承知しているので、浮気相手の白人警官に会いにいく。

コッブは裁判で黒人女の浮気相手の名前が出て、白人警官が窮地に陥るのを防ごうとしたのだ。不名誉だし、それが公になれば、職を失うからである。だが、白人の警官は女の尻ばかり追っかけている男で、ある夜、警官を罵った黒人を逮捕し、その妻が釈放を頼みにくると、パトカーで人気のないところに連れ出し交換条件を出して犯し、犯した後で「釈放はできないな」と約束を反故にするような卑劣きわまりない男である(僕は本当に憤慨した)。

●奇妙な果実とはリンチで縛り首にされた風に揺れる黒人の死体

10代半ば、僕は初めて「ストレンジ・フルーツ(奇妙な果実)」という歌を聴いた。ビリー・ホリディが歌っていた。その歌を聴こうと思ったのは、五木寛之さんの小説にその曲が出てきたからだ。僕がジャズを聴き始めた最初である。奇妙な果実とは、木に吊された黒人の死体のことである。白人たちのリンチで縛り首にされた黒人の死体が、奇妙な果実のように風に揺れている...。

1960年代半ば、人種差別とベトナム戦争でアメリカは揺れていた。公民権運動が高まり、キング牧師が登場した。あの感動的な「私には夢がある」というスピーチが世界に知れ渡った。しかし、キング牧師は暗殺され、黒人たちの怒りは先鋭化し、ブラックパンサーも登場し過激化した。キング牧師と同時代に生きた、過激な黒人解放運動のリーダーだったマルコムXも暗殺された。

「L・B・ジョーンズの解放」は、そんな時代にワイラーが残した最後の作品になった。やりきれない映画だが、ワイラーの誠実さが伝わってくる名作だった。赤狩りの時代に「ローマの休日」を残した、ワイラーらしい誠意の表し方だと思う。コミュニストであることで人間としてのすべてを奪われてしまうこと、肌の色が違うだけで人間扱いされないこと、どちらもワイラーには許せないことだったのだ。

女好きの警官の相棒である年配の警官は、黒人を人間とは思っていない。冒頭、列車から飛び降りた黒人は、その白人警官に復讐するために10数年ぶりに戻ってきたのである。彼は13歳のときにその警官に半殺しにされ、故郷を棄てたのだ。そんな彼は、L・B・ジョーンズが離婚裁判を起こしたことを聞き、裁判が始まる火曜日までボディガードになることを買って出る。

女好きの白人警官がジョーンズの葬儀社にやってくる。彼はジョーンズの妻に離婚を承知しろと説得するが、子供が生まれるので金が必要な妻は承知しない。その子供は間違いなく白人警官の子だという。白人警官は「堕ろせ」と女を殴るが、彼女は承知しない。気の毒なのはジョーンズだが、心優しい彼は殴られた妻の傷を手当てしてやる。黒人は白人にどんな目に遭わされても耐えなければならないのか(ここでまた僕は憤慨した)。

ジョーンズの妻を説得できなかった白人警官は、ジョーンズに「月曜日の夕方までに離婚裁判は取り下げると弁護士に言え」と恫喝する。コッブが白人警官の名前が浮気相手として出ないようにと配慮し、裁判にせずに解決したいと白人警官にアドバイスしたばかりに事態はどんどん悪い方へ転がり、悲劇の予感が漂い始める。

●白人たちの黒人差別に眉をひそめながら見て見ぬふりをしてきた男の罪

コッブが甥に過去を語るシーンがある。コッブが大学に通っている頃、彼の身の周りのことを見ていた黒人のメイドがいた。コッブはそのメイドと関係し、やがて妙な気持ちが生まれた。そう語るコッブにリー・メジャースは「彼女を愛したんですね」と明確に言う。コッブは黒人女を愛するということが理解できない。黒人との恋愛などタブーだった時代である。彼女とのことを婚約者に知られ、婚約を破棄され、そのまま結婚せずに生きてきた、とコッブは遠い目をする。

コッブが南部の大きな都市の大学に通っていた頃のことだから、1930年代である。「アラバマ物語」(1962年)がその時代の南部の田舎町を舞台にしていた。そこで起こった白人娘のレイプ事件で、弁護士アティカス・フィンチは犯人とされた黒人を弁護した。もしかしたら「L・B・ジョーンズの解放」のコッブが演じた弁護士も、若い頃はそんな理想家だったのかもしれない。

だが、市の顧問弁護士を務めるまでになったコッブは、現実的妥協をする弁護士になった。白人たちの露骨な黒人差別に眉をひそめながら、彼らのやることを見て見ぬふりをしてきたのだ。黒人の命を何とも思っていない白人たち、犬を射殺するのと同じように良心の仮借もなく黒人を殺してしまう白人たち。そんな白人たちを守ってきたのは、見て見ぬふりをする良識派の白人たちだ。甥のリー・メジャースは、そのことをコッブに指摘し、去っていく。

あの時代から、まだ40年しか経っていない。あの頃、20歳だった僕は60だし、30だった男は70だ。何10年経とうと、その人たちが子供の頃から植え付けられてきた差別意識や偏見が消えるとは思えない。あの白人警官が現実にいたとしたら、まだ、南部の町で暮らしているだろう。「俺たちが若かった頃は、黒人に今のような大きな顔はさせなかった」などと昔語りをしているかもしれない。

僕が子供の頃、まだ、中国人や朝鮮人に対する差別は強く残っていた。父母の世代が差別的な言葉を口にするのをよく耳にした。戦後の民主教育を受けた僕は、父や母がそんな言葉を口にするのがイヤでたまらなかったが、あれから半世紀近くが過ぎた現在、日本の若者たちは韓国やアジアのアイドルに夢中になっている。韓国や中国の映画もたくさん日本で公開されている。差別や偏見をなくすには、長い年月と文化の交流が必要なのかもしれない。

文化交流というと堅いけれど、音楽や映画が持つ力は大きい。偏見や差別意識を払拭させることもある。黒人差別に凝り固まっていた白人が「L・B・ジョーンズの解放」を見て、描かれた白人たちの醜さに己を顧み反省することがあるかもしれない。映画で世界は変えられる。ワイラーはそう確信していたに違いない。赤狩りについても黒人差別についても声高な主張はしなかったが、映画の力を信じ、己の信じる映画を作り続けたのだ。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >

原田芳雄さんが亡くなった。告別式での石橋蓮司さんの弔辞が印象に残った。原田芳雄さんが竜馬を演じた「竜馬暗殺」で、石橋蓮司さんは中岡慎太郎の役を演じた。通夜の客では俳優座養成所同期の地井武男さんのコメントが忘れられない。原田+地井と言えば、日活ニューアクションが甦る。そして、立て続けに中村とうようさんが亡くなった。膨大なレコードやCDなどのコレクションを大学に寄贈しての、覚悟の死だったらしい。合掌。

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