映画と夜と音楽と...[529]子役のけなげさが胸を打つ/十河 進

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〈がめつい奴/くちづけ/娘・妻・母/女の座/乱れる/サザエさん/月光仮面 魔人(サタン)の爪/赤ひげ/警察日記/日本の黒い夏 冤罪/がんばれ!!タブチくん!!〉

●中山千夏さんの「蝶々にエノケン 私が出会った巨星たち」という本

先日、和田誠さんの「五・七・五交友録」を読み終え、今は中山千夏さんの「蝶々にエノケン 私が出会った巨星たち」という本を読んでいる。和田誠さんの「五・七・五交友録」には、当然、中山千夏さんも登場した。和田さんが自分の俳句とのかかわりの歴史を語り、俳句仲間のことを書いた本だ。中山千夏さんも和田さんの俳句の会のメンバーである。

以前に書いたことがあるけれど、僕は和田さんが俳句の会を開催している現場を覗き見たことがある。20年近く前のこと。六本木の料理屋だった。あれは、白鳥真太郎さんが博報堂写真部を辞めてフリーになり、初めての大がかりな写真展を六本木で開いたときだったと思う。そのオープニングパーティーの帰り、当時の上司に誘われて僕はその料理屋に入った。

隅のテーブルに上司と向かい合って腰掛け、まず一杯とビールグラスを空けた後、ふっと見渡すと奥の座敷に和田誠さんの顔が見えた。10人近くの人がいた。冨士眞奈美さんが目立った。中山千夏さんもいた。顔がわかったのはそれくらいの人だった。矢崎泰久さんもいたのかもしれない。「和田さんの俳句の会ですね」と、僕は上司に小声で言った。上司が座敷を振り返った。

かなり時間が経った頃、座敷からひとりの男性が席を立った。コートを着て、靴を履く。その男性を見て僕は瞬間的に立ち上がった。普段、そんなことはしないのだが、そのときは酔っていたこともあったのだろう。その男性は間違いなく渡辺武信さんであり、渡辺さんの顔が判別できる人間がそんなにいるとは思えないが、僕にはわかった。それほど渡辺さんの映画評論や詩や建築エッセイを読み込んでいたのだ。

「渡辺武信さんでいらっしゃいますね」と僕が声をかけると、渡辺さんは怪訝そうな顔をして「ええ」と答えた。「『日活アクションの華麗な世界』、キネ旬連載のときから愛読させていただいています。もちろん詩集も建築の本も...」と僕が言ったとき、奥の座敷から「何だ、何だ」という感じで全員がやってきた。渡辺さんが酔っぱらいにからまれていると思ったのだろう。

和田誠さんが先頭だった。その横で僕を睨んでいるのが中山千夏さんだった。「あっ、ハカセくんだ」とは思わなかった。僕は怯んでいた。一瞬、沈黙があった。渡辺さんが「僕の日活の本、読んでくれているって...」と説明をしてくれる。それでも和田さんと中山さんの目は警戒を解いていなかった。僕は名刺を出して和田さんに渡し、「先日はお世話になりました」と挨拶をした。




僕のそのときの肩書きは、ビデオ雑誌の編集長だった。同じ会社で出しているイラストレーション専門誌が「和田誠特集号」を出したばかりだった。和田さんは僕の名刺を見て「ああ、......社の人」とつぶやき、ようやく誤解が解けたようだった。それでも中山千夏さんは状況が理解できず、視線は緩まない。子供の頃から有名だから、いろいろイヤなめに遭ってきたのだろうなあ、と僕は思った。

その中山千夏さんの「蝶々にエノケン 私が出会った巨星たち」が面白い。小説を書けば直木賞候補、立候補すれば参議院議員。才女であり、元々、頭のいい人だとは思っていたが、描写が適切で客観性があり、自己を語る視線にも厳しさがある。若い頃の人に対する狭量を率直に語っているのもいいし、己への甘えのないところに共感する。へぇーというエピソードに充ちていて、読み進むのが惜しいほどだ。

中山千夏さんは、僕の世代だと「ひょっこりひょうたん島」のハカセくんの声でなじみがあるが、本人も記憶が怪しい子役時代の出演作が紹介されている。僕は四国生まれで関西文化圏で育ったから、テレビ草創期も関西系番組になじみがある。佐々十郎、大村昆、茶川一郎と一緒に、中山千夏さんも「やりくりアパート」に出ていたのだと初めて知った。「ミゼット」と連呼する生広告が懐かしい。

●川口隊長のお母さんが主演した「がめつい奴」はロングラン

中山千夏という名前を僕が憶えたのは、「がめつい奴」の舞台中継をテレビで見たときだと思う。1959年(昭和34年)10月5日から翌年の7月17日まで、日比谷の芸術座で公演し、その後、映画版も公開された。僕は8歳だったが、その芝居のことは記憶にある。相当に評判になっていたし、「がめつい」という言葉を全国的に有名にした。

「がめつい奴」の主演は三益愛子である。老け造りにして腰を曲げ、吝嗇なお鹿ばあさんを演じた。僕は増村保造の監督デビュー作「くちづけ」(1957年)や成瀬巳喜男監督の「娘・妻・母」(1960年)「女の座」(1962年)「乱れる」(1964年)などをよく見るので三益愛子はおなじみの女優だが、今の人には「川口隊長のお母さん」と言っても通じないだろうなあ。

「蝶々にエノケン 私が出会った巨星たち」を読んでいて少し意外だったのは、松島トモ子が親友だとあったことだ。もっとも、子役時代に知り合ったのではないらしい。中山千夏は1948年生まれ、松島トモ子は1945年、終戦のひと月ほど前に生まれている。僕の印象だと松島トモ子の方がずっと年上で、早くから子役として出ていたと思っていた。

松島トモ子と言えば、鞍馬天狗の杉作少年役を思い出す。江利チエミ(高倉健の奥さんだった人)主演の実写版「サザエさん」(1956〜57年)シリーズでは、ワカメを演じていた。大村文武主演の「月光仮面 魔人(サタン)の爪」(1958年)にも出ていた記憶がある。あの頃、大きな瞳をクリクリさせた美少女として、松島トモ子はひっぱりだこだったのだ。

松島トモ子の仕事リストを見ていたら「ひょっこりひょうたん島」(1964〜69年)でマリー・キャッチャーネットの声を担当したとあった。もしかしたら、「ひょっこりひょうたん島」の仕事で一緒になり、中山千夏と松島トモ子は親友になったのだろうか。もっとも、僕はマリー・キャッチャーネットというキャラクターが思い出せない。「ひょっこりひょうたん島」は、熱心に見ていたのだが...

●松島トモ子、中山千夏と並んで浮かぶもうひとりの天才子役

松島トモ子、中山千夏という名前が出たら、僕にはもうひとり浮かんでくる子役の名前がある。二木てるみ、である。映画史に残るような代表作を持たない松島トモ子、舞台とテレビが活躍の場だった中山千夏に比べると、彼女にはあの名作がある。あまり黒澤作品が好きではない僕が何度見てもハラハラと落涙する、あの不朽の名作が浮かんでくる。

熱に浮かされながら目だけをギラギラさせ、岡場所の廊下を雑巾でごしごしと何度も同じ所を拭いていた少女おとよ。女郎屋の前でいき倒れになって死んだ母親が連れていた少女である。高熱のある少女を療養所に連れ帰った新出去定は、保本登の最初の患者として彼女を託す。「この子は身体以上に心を病んでおる」と新出は保本に言う。

療養所で目を覚ましたおとよは飛び起き、壁に向かって廊下を拭き始める。おとよにかゆを食べさせようと、保本が差し出すサジをおとよは何度も何度もはねつける。それは息苦しくなるほど繰り返され、最後におとよは保本が持っていたかゆの椀をはねつけ、椀は床に落ちて砕ける。保本が顔を背け、涙を流す。それほどまで大人に気を許せなくなった少女の過酷な過去を思って、保本は本気で泣く。

保本が「おまえは本当に可愛そうな子だなあ」と泣いた翌日、姿を消したおとよを探しに出ると、保本は橋の隅に座り通行人に頭を下げておもらいをしているおとよを見付ける。おとよは、溜まった金で新しい椀を買う。保本はおとよに「私が椀のことでおまえを叱ったかい。もし、そんな風に見えたのならあやまる」と膝をつき、再びさめざめと泣くのである。

僕は今、記憶だけで書いているのだが、書きながらそのシーンが浮かび本当に涙を流してしまった。悔しいが、それだけでも黒澤映画の力を感じる。二木てるみにとって「赤ひげ」(1965年)に出演したことが、どれほどの財産になっていることか。彼女は1949年の生まれ。「赤ひげ」撮影の頃は15才くらいである。公開時、僕が中学二年生だったから、二木てるみはおそらく高校生になったばかりだった。

●名優たちが勢揃いした「警察日記」でも二木てるみが目立つ

「赤ひげ」出演の前から二木てるみは天才子役と言われていた。3歳でデビューし、「警察日記」(1955年)で注目された。僕は「警察日記」を公開時に見たかすかな記憶があるのだが、その物語を理解したのは小学生の頃にテレビ放映されたものを見たときだと思う。6歳で出演した二木てるみより僕は2歳下なのだ。4歳で「警察日記」が理解できたとは思えない。

「警察日記」には、当時の名優たちが勢揃いしている。森繁久弥、十朱久雄、東野英治郎、伊藤雄之助、三島雅夫、杉村春子、沢村貞子など、錚々たる顔ぶれだ。まだ若々しい三國連太郎、新人同然で豊頬手術前の宍戸錠も出ている。岩崎加根子が身を売るしかない貧しい19の娘役で出ており、涙を誘う。彼女に好意を寄せる若い警官が三國である。

舞台は、会津磐梯山近くの田舎の警察署だ。署長(三島雅夫)以下、ベテランの警官たち(十朱久雄、殿山泰治、森繁久弥など)と若手警官(三國や宍戸など)が勤務している。群衆劇で様々な人物が登場する。森繁が演じるのは人情警官だ。ある日、彼は駅で捨て子を保護する。赤ん坊とまだ幼い姉(二木てるみ)である。

二木てるみのセリフはほとんどないが、その表情だけで観客の涙を誘う。弟が警察署でおしっこを漏らし、森繁がおしめを取り替えようとすると、何も言わずに風呂敷包みを差し出す。そこにおしめが入っているのだ。森繁がおしめを取り替えている間、「しげる」という弟の名をつぶやきながら「よしよし」というように胸をやさしく叩く。その仕草に胸が痛む。

引き取ってくれる施設がないまま森繁は赤ん坊を抱き、二木てるみの手を引いてトボトボと歩く。たまたま預かってもいいという割烹旅館の女将(沢村貞子)に甘え赤ん坊だけを預け、二木てるみの手を引いて帰ろうとするとき、幼い娘が後ろ髪を引かれるような表情をする。監督がアップで撮りたくなるような切なさが漂う。哀れを誘う。

僕は「警察日記」がずっと気になっていた。もう一度きちんと見たいと思っていたのだが、なかなか決心が付かない。昔、見終わった後、ひどく悲しくなった記憶があるからだ。その頃は、映画の世界と現実の生活はあまり変わらなかった。多くの人は貧しかったし、子供を棄てる親もいた。だから、「警察日記」で描かれた世界は現実だった。子供だった僕は胸が痛み、もう一度見るのは辛すぎた。

●50を過ぎた二木てるみに出会った「日本の黒い夏 冤罪」

僕のビデオテープのライブラリーに「警察日記」がある。僕が録画したものではない。昔、「出版人の映画の会」の例会に出席していた頃、元出版労連委員長の愛知さんから譲ってもらったものだ。小学館を定年退職した愛知さんは、自宅を新築し映写室を作るほどの映画好きだった。録画を中心にしたテープを数千本持っているという。

ある日の例会で、愛知さんは立派な小冊子を会員に配った。ダブって保有している映画のビデオテープを欲しい人がいれば譲るつもりで、その保有リストを作り小冊子にしたのだ。その膨大なリストを見ていて、僕は「警察日記」に気付いた。「これ、僕、買います」と反射的に口にした。それが、10数年前のことだった。

しかし、僕はテープを買ったものの見るのをためらった。「もう、あんな悲しい、辛い思いはしたくない」という気持ちが僕を押しとどめたのだ。だから、ずっと気になっていたのに見ることはなかった。今回、この原稿を書くので、意を決して50年ぶりくらいに「警察日記」を見直した。NHKで放映されたものだった。

その結果、改めて二木てるみの可愛らしさに打たれた。二木てるみのシーンは多くて、これを見たら誰もが彼女のことを記憶に焼き付けるだろうと思うくらい目立っていた。沢村貞子の旅館と森繁の家と離ればなれに引き取られていたある夜、二木てるみは弟に会うために家を出る。

旅館にたどり着き、女将に「どうしたの」と訊かれ、「しげるちゃん」と口にするシーンで当時の観客は涙をこらえきれなかっただろう。名女優だった沢村貞子も本気で涙を誘われたようにさえ見えた。「動物と子役にはかなわない」という言葉があるが、沢村貞子もそう思っていたかもしれない。

それにしても、当時の貧しさが「警察日記」からは強く伝わってくる。棄てた子供に思いを募らせて警察に現れた母親は、ふたりの子供を引き取って心中するつもりだし、実家の貧しさを救うために岩崎加根子はイヤな男の嫁になる。それが当時は現実だった。そんな中で、幼いながらも「けなげさ」を見せる二木てるみの姿が脳裏に焼き付く。

「赤ひげ」の二木てるみも「けなげに生きる少女」だから、僕の記憶に強く残っているのだ。僕は「貧しくても、けなげに生きる子供たち」と書くだけで、涙ぐみそうになるくらい弱い。子供時代の貧しさは性格の形成によい影響を与えないという研究結果もあるようだが、僕は貧しさは人を育てると思う。逆境は、間違いなく人をはぐくむ。自尊心を持ち、卑屈にならず、けなげに生きていれば、必ず報われると思いたい。

50を過ぎた二木てるみにも、僕は「けなげさ」を感じた。その作品は「日本の黒い夏 冤罪」(2000年)だった。1994年6月27日に松本市でサリンがまかれ、死者8人を出した事件で第一通報者の河野義行さんが重要参考人とされ、ほとんど犯人扱いされたことを題材とした映画である。社会派監督・熊井啓らしく、力のこもった映画だった。

映画で河野さん(名前は神部と変えてある)を演じたのは寺尾聡である。事件当時の過熱報道は僕も現実に見ているが、取材される河野さんの落ち着いた態度に感心した。寺尾聡は、その河野さんの雰囲気をうまく出していた。決して激高せず、常に冷静な態度で終始する。犯人扱いするマスコミにも、きちんと対応する。正反対の性格の僕は、こんな人物になりたいと思った。

その神部の奥さんを演じたのが、上品に歳を重ねた二木てるみだった。サリンで意識不明になるから演技が見られるのは最初のうちだけなのだが、「ああ、二木てるみだあ」と僕はため息をつきそうになった。「警察日記」での幼女の頃から半世紀近くが過ぎたのに、スクリーンから受ける印象はあまりかわらない。やわらかで、やさしそうなイメージだった。

そう言えば僕も大好きで、公開されるたびに見にいっていたアニメシリーズ「がんばれ!!タブチくん!!」(1979〜80年)で、とぼけたミヨ子夫人のふんわりした声を担当していたのは二木てるみだった。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >

暮れに亡くなった内藤陳さんを送る会の日程が決まった。日本冒険小説協会が主催する形だ。2月4日の土曜日、夕方から椿山荘の予定。新聞にも告知が出たから、大勢の人が献杯に訪れるかもしれない。

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< https://hon-to.jp/asp/ShowSeriesDetail.do;jsessionid=5B74240F5672207C2DF9991748732FCC?seriesId=B-MBJ-23510-8-113528X >