映画と夜と音楽と...[545]半世紀を演じ続けたふたり
── 十河 進 ──

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〈小川の辺/東京流れ者/無頼・人斬り五郎〉

●藤竜也と松原智恵子が演じた「小川の辺」の隠居夫婦

僕は藤沢周平さんの愛読者で映画化作品はすべて見てきたが、なぜか藤沢さんは生前には自作の映画化を許可しなかった。テレビドラマになった作品はずいぶんあるが、作品の映画化は作者の没後に実現した。それでも山田洋次監督が映画化した三作、黒土三男監督が悲願を達成した「蝉しぐれ」(2005年)、北川景子が主演した「花のあと」(2009年)、評価の高かった「必死剣 鳥刺し」(2010年)など、それほど多くはない。

篠原哲雄監督は「山桜」(2008年)に続いて、「小川の辺」(2011年)を映画化しており、やはり藤沢周平作品に愛着があるのではないかと思う。作品歴を見ると抒情的なものが多く、そういう資質の監督なのかもしれない。「小川の辺」は「山桜」に続いて主人公に東山紀之を起用し、ストイックな武士像を描き出した。登場人物たちの挙措動作にもメリハリがあり、時代劇好きの僕を喜ばせてくれた。

冒頭、戌井朔之助(東山紀之)が家老(笹野高史)の役宅を訪れるところから始まる。笹野高史の芝居がたっぷり間を取ったものでじれったいほどだが、時代劇の時間が流れ出すのがわかった。このゆったりした時間が時代劇なのだなあ、と実感した。その後、朔之助は家老から脱藩した佐久間森衛の討手を命じられる。佐久間は朔之助の妹・田鶴の夫であり、田鶴も共に藩を出て行方をくらませていた。

家老宅を辞して、朔之助は戌井家の屋敷に帰る。その座敷でいきなり、「他の方にお願いすることはできなかったのですか」と詰め寄るような母親の声が響く。その母親を演じていたのが、松原智恵子だった。体型は昔と変わらず細く、和服をキリキリと着こなしている。顔も「細面」と表現したいほど変わっていない。ああ、マツバラチエコだ、と僕は思った。




その松原智恵子の言葉に、「お上の処置を、とやこう申してはならぬ。口を慎め」とたしなめたのは、父親役の藤竜也だった。妻が朔之助に「田鶴が手向かったら、どうするのですか?」と問い詰めると、藤竜也は「そのときは...斬れ」と口にする。その夫にとがめる目を向け、松原智恵子は「おまえ様...」と絶句する。その後、彼女は子供たちに剣術を教え込んだ夫を責める。

妻と居室に戻った朔之助は、妻(尾野真千子)を相手に「昔から勝ち気な人ではあったが、父上にあのような言い方をされることはなかった」と述懐する。その後「母上を頼むぞ」と、父母の関係を気にするようなことを言う。朔之助は母親に似た勝ち気な妹を思い浮かべ、「田鶴は...手向かってくるであろうなあ」と妻に漏らす。血の繋がった兄であろうと、上意討ちの討手である己に夫を助けて手向かってくると彼は確信しているのだ。妹も遣い手なのである。

その後、「小川の辺」は藤沢周平的な武家のしがらみに充ちた世界が展開され、藤沢作品の魅力だと言われる美しい自然風景が具体的な映像として描写されるのだが、僕は松原智恵子と藤竜也の老夫婦の関係が気になった。隠居の父親は息子夫婦にすべてをまかせて口出しをしない。上意は絶対であり、肉親への情は殺さざるを得ないと知っている。

だが、松原智恵子が演じる母親は、家族への愛情だけで生きている。家中における戌井家の立場などは考慮しない。幼い頃の田鶴の思い出を嫁に語り、田鶴への情を募らせる。だから義弟の討手を引き受けた息子も、非情にも娘を「斬れ」と命じた夫も許せない。それは、「仕事と家庭のどっちが大事なの」と迫る妻の前で絶句する夫のように、現代の夫婦にも共通するすれ違いである。

●松原智恵子は儚げな役ばかりが印象に残っている

松原智恵子は、気の強い女性像を演じる人ではなかった。儚げな役ばかりが印象に残っている。彼女は日本が戦争に負ける年の一月に生まれ、16歳で映画デビューした。石原裕次郎と小林旭が人気を二分していた頃の日活である。先輩の女優には、芦川いづみや笹森礼子、子役から出ていた浅丘ルリ子などがいた。彼女たち以前の日活は、月丘夢路や南田洋子、北原三枝といった女優がヒロインを担った。

松原智恵子は同い年の吉永小百合、2歳年下の和泉雅子と同じ頃に銀幕デビューし、日活三人娘として売り出された。ラジオの「赤胴鈴之助」で子役として仕事をしていた吉永小百合は、「拳銃無頼帖 不敵に笑う男」(1960年)や「霧笛が俺を呼んでいる」(1960年)などの赤木圭一郎主演作品で注目され、「キューポラのある街」(1962年)で女優開眼する。

和泉雅子は「銀座の恋の物語」(1962年)や「泥だらけの純情」(1963年)などで、ヒロインの友人といったやや目立つ脇役を演じていたが、「非行少女」(1963年)の主演に抜擢され、その演技が高い評価を受ける。それは「キューポラのある街」で監督デビューした浦山桐郎の二作目だった。吉永小百合も和泉雅子も粘りに粘る浦山監督の演出に耐え、その演技力をきたえたのである。

松原智恵子の不幸は、強烈な個性を持つ監督に出会わなかったことにあるのではないか。主演作品は早くからあったのに、浜田光夫と共演した「大人と子供のあいの子だい」(1961年)は若杉光夫監督、小林旭作品のヒロインに抜擢された「さすらい」(1962年)は野口博志監督など、プログラム・ピクチャーを無難にこなす監督ばかりだった。

その意味では、松原智恵子が出会った最初の個性的な監督は鈴木清順だったのかもしれない。「関東無宿」(1963年)「花と怒濤」(1964年)「俺たちの血が許さない」(1964年)「東京流れ者」(1966年)に彼女は出演し、今までにない役柄を演じた。特に「俺たちの血が許さない」では、人形のような無機質な演技をしている。しかし、清順監督が気に入っていたのかどうかは分らない。

僕は30年前、「陽炎座」(1981年)を完成させた鈴木清順監督にインタビューしている(プロデューサーとして荒戸源次郎さんが同席した)のだが、そのとき「東京流れ者」で「松原智恵子が歌うときに異質な低音の女性の声に吹き替えたのは、『陽炎座』で妖怪の声を使ったのと同じ異化効果を狙ったのですか?」と訊いた。清順監督の答えは「ありゃ、松原が歌えなかっただけだよ」だった。

「東京流れ者」で、松原智恵子はナイトクラブの歌手を演じている。くりかえし歌う曲はブルース調で、当時なら青江三奈でも歌えば似合いそうな曲だった。それにしても、あれほど極端に声質の違う人に吹き替えさせなくてもいいんじゃないか、と僕は思った。だって、松原智恵子はレコードだって出してるし、少なくとも酒井和歌子の歌よりは上手である。

吉永小百合のヒット曲は数知れずあるし、和泉雅子も山内賢とデュエットした「二人の銀座」がある。ベンチャーズが作曲し、大ヒットした。その結果、1967年に日活で映画化し、以前から共演が多かった和泉雅子と山内賢のコンビが定着した。この頃、日活は歌謡曲映画を量産した。歌手を主演にすることも増え、松原智恵子は、舟木一夫や西郷輝彦主演映画でヒロインを演じた。

●70歳になった藤竜也など想像できるはずもなかった

1941年に北京で生まれた藤竜也は、すでに70歳を越える。「小川の辺」でも枯れた演技が半世紀に及ぶ年月を感じさせた。藤竜也が日活でデビューしたのは、「望郷の海」(1962年)である。日大芸術学部の学生で、20歳を過ぎたばかりだった。もっとも、僕はその映画を見ていない。藤竜也を初めて見たのは石原裕次郎主演「夜霧のブルース」(1963年)だが、ほとんど目立たないチンピラ役だった。

藤竜也が初めて騒がれたのは、日活を代表する女優だった芦川いづみの結婚相手としてである。初期の裕次郎映画のヒロインを演じ、その純情可憐さで多くのファンを持っていた芦川いづみが、6歳も年下で、ほとんど無名の俳優と結婚し引退してしまうというニュースを聞いたとき、僕も「なぜ?」と思った。芸能ジャーナリズムは「格下俳優と結婚引退」と騒いだ。1968年に芦川いづみは引退し、今も藤竜也の妻である。

1968年...、まるで芦川いづみとバトンタッチしたかように、藤竜也は作品に恵まれ注目され始める。清純派だった芦川いづみが、踊り子から娼婦に身を落とす役で出演した「無頼」シリーズ二作目の「大幹部 無頼」(1968年)に続く、四作目「無頼 人斬り五郎」の藤竜也は冒頭に登場するだけの役だったが、僕には強い印象を残した。

藤竜也が演じたのは、人斬り五郎の弟分マサである。冒頭、悪辣なオヤブンを殺したふたりは刑務所(ムショ)に入るが、マサは重い病気になりムショの病棟で死にかけている。仮釈放が決まった五郎が面会にきて、マサは姉への言付けを頼む。日をおかずマサは死に、棺がムショの裏門から運び出される。仮釈放で出た五郎がそれを見つめている。五郎のナレーションが重なる。

──刑務所で死んで引き取り手のねえ奴は、この裏門から出されて骨は囚人墓地に埋められる。それを囚人は「裏門仮釈放」という。ムショで死ぬ奴、誰だってムショでだけは死にたくねぇ。そう言い、心で願ぇながら誰かが死んでいく。マサもそうだった。奴のたったひとりの姉は、とうとう現れなかった。奴は、あんなに出たがっていた娑婆に、裏門仮釈放でしか出られなかった。

「無頼」は、ヤクザとして生きる悲しみに充ちたシリーズだ。五郎は「ヤクザなんて虫けらだ」と言いながら、ヤクザとしてしか生きていけない自分を嫌悪している。いつか堅気の生活に戻りたいと願いながら、悪辣なヤクザたちに黒ドスを向けるのだ。そのヤクザの悲しみが、病床で「俺も早く出てぇなあ」と涙を流す藤竜也の表情で刻み込まれる。情感にあふれた役だった。

その藤竜也は、日活の経営が傾き始めた頃から主演級になった。「日活ニューアクション」と呼ばれる作品群である。「野獣を消せ」(1969年)を経て、「反逆のメロディー」(1970年)の寡黙なヤクザ役に到る。原田芳雄が主人公のヤクザを演じ、地井武男が対立する組織のヤクザを演じた。藤竜也は地井武男の組織のボスを仇とつけねらう一匹狼だが、地井武男は藤竜也に惚れて彼を匿う。

さらに「野良猫ロック」シリーズに出演した藤竜也は、五作すべてで役柄の違うキャラクターを演じ分ける。「バロン」と呼ばれる不良グループのキザで粋なリーダー、ベトナム脱走兵を北欧に逃がそうとする男、新宿西口に巣くうフーテン・グループの参謀格など、藤竜也の演技力は一気に花開いたのだ。そして、それらの映画で藤竜也に注目したのがTBSのディレクター久世光彦だった。

僕は今でも憶えているが、TBSドラマ「時間ですよ」の初期シリーズで女湯の更衣室が映ったとき、壁には日活映画「野良猫ロック・セックスハンター」のポスターがかかっていた。しばらくして、藤竜也は寡黙な飲み屋の客として「時間ですよ」に登場しほとんどセリフがないのに人気を得る。その人気に目を付けた東映が、「任侠花一輪」(1974年)で藤竜也を本格的な主演に迎えた。

●40年前に日活を去った多くの俳優たちが今も活躍している

僕は藤竜也と松原智恵子が同じスクリーンに映っているというだけで「小川の辺」を忘れない。日活が経営困難からロマンポルノ路線に切り替えた1971年、このふたりが70近い歳になって夫婦役を演じると誰が予想しただろうか。あのとき、ロマンポルノには出演しないと多くの俳優たちが日活を去った。石原裕次郎、小林旭、渡哲也、高橋英樹、浅丘ルリ子、吉永小百合、松原智恵子、梶芽衣子などだ。

石原裕次郎は石原プロに渡哲也を迎え、多くの日活の俳優やスタッフを引き受けた。小林旭はしばらく実業の世界へ向かったが、東映の「仁義なき戦い 代理戦争」(1973年)で復活し、さすがは小林旭だと観客を唸らせた。彼が出演しなければ、「仁義なき戦い 代理戦争」も「仁義なき戦い 頂上作戦」(1974年)もあれほどの名作にはならなかっただろう。

日活を出て石原プロに入った渡哲也は70年代前半は映画を中心に活躍し、「仁義の墓場」(1975年)という衝撃作を持ってはいるが、その後はテレビシリーズに出るしかなく、俳優としての作品歴には悔いが残る。松原智恵子も日活を出た後は、めぼしい出演作がなく、「新仁義なき戦い 組長最後の日」(1976年)でのヤクザの兄に尽くす近親相姦的な関係の妹役が僕の記憶する最後の姿だった。

やはり、松原智恵子は渡哲也とのコンビが最高だった。ヤクザを愛し、男の生き方に耐え続ける女...、現代のフェミニストからは徹底的な批判を受けそうだが、そのイメージが松原智恵子には影のように寄り添っている。愁いを含んだ泣き顔が甦る。「東京流れ者」では、ほとんど「哲也さん...」という言葉しか口にせず、男の勝手な生き方を許した。

そして、藤竜也と松原智恵子と渡哲也が出演した「無頼 人斬り五郎」では、薄幸なヒロインを演じながら、何と言われようと惚れた男についていく意志を顕わにした頑固さを見せる。自分をフェリーに置き去りにして殴り込みに向かった五郎を、彼女は恨み言も言わずに追う。傷つき地に倒れて起きあがれない五郎は、目の前のサングラス映る松原智恵子を見る。そのときの松原智恵子は、五郎にとっての女神である。

1970年に発行された漫画雑誌「COM」に、滝田ゆうが「夕焼けのあいつ」という短編を描いていた。女学生がヘルメットをかぶってデモに出る。機動隊に襲われそうになったとき、ひとりのヘルメット姿の学生が現れて機動隊を蹴散らし、彼女を救う。彼にひと目惚れした彼女は「文学部一年、マチバラチエコ」と大声で名乗る。それからは、彼と一緒にデモに出て高揚した日々を送る。

やがて彼は卒業し、ある日、彼女は新入社員の研修で自衛隊に入れられ、グラウンドを走らされる彼を見付ける。金網の外から彼女は悲しみの目をして、「文学部三年、マチバラチエコ」と口にする。悲しい余韻が残るマンガだった。以来、松原智恵子を見ると、僕は必ずこのマンガを思い出す。

だが、「小川の辺」の松原智恵子を見たときには、「夕焼けのあいつ」は思い出さなかった。勝ち気な役をやるときは松原智恵子も泣き顔ではなく、少しきつい視線をするんだなと気付いた。そりゃあ女優だもの、ともうひとりの僕が彼女をかばうように言う。観客は勝手なイメージを抱き、喜んだり落胆したりする。女優は役柄で変わるのだ。松原智恵子も石坂洋次郎原作のテレビドラマでは、勝ち気なヒロインをやっていた。

藤竜也は大島渚監督「愛のコリーダ」(1976年)でハードコア男優として有名になり、翌年は出演作がない。同じ大島渚監督の「愛の亡霊」(1978年)で吉行和子と共演して復帰し、「大追跡」や「プロハンター」といったテレビシリーズでかっこいいアクションスターのイメージを作った。北方謙三原作の「友よ、静かに瞑れ」(1985年)では、日本の代表的なハートボイルドスターになった。

どちらにしろ、長い長い年月が過ぎ去ったのだ。藤竜也は隠居した武士を演じ、松原智恵子はその妻を演じるようになった。「小川の辺」で主演した東山紀之はすでに45歳になるが、彼が生まれたときには藤竜也はデビュー5年め、渡哲也主演でリメイクした「嵐を呼ぶ男」(1966年)で音楽家の弟を演じていた。松原智恵子は「東京流れ者」など一年に10本ものプログラム・ピクチャーに出演する売れっ子だった。

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このところ立て続けに、ヴィダル・サスーンが亡くなり、加藤郁也さんが亡くなり、中原早苗こと深作欣二夫人が亡くなった。そう言えば吉村達也さんも訃報が出ていたなあ。加藤郁也さんが亡くなったとき、思潮社版「加藤郁也詩集」を書棚から取り出してきたが、40年前に買ったとは思えないほど綺麗なままだった。

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< https://hon-to.jp/asp/ShowSeriesDetail.do;jsessionid=5B74240F5672207C2DF9991748732FCC?seriesId=B-MBJ-23510-8-1
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