映画と夜と音楽と...[597]人種を超える女たちの絆/十河 進

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〈ヘルプ 心がつなぐストーリー/グループ/風と共に去りぬ/カラーパープル/アラバマ物語〉

●オクタヴィア・スペンサーの助演女優賞に値する演技

一年半ほど前に、読者の方からメールをいただいた。532回めの「カラードたちの優雅な生活」というコラムに対してのメールだった。それは「リリィ、はちみつ色の夏」(2008年)という映画をコアにして、1960年代のアメリカ南部の人種差別について書いた文章だった。その方はアメリカ在住で、「ヘルプ 心がつなぐストーリー」(集英社文庫)の翻訳を手伝ったという。

──もうお聞き及びかと存じますが、もうすぐ日本でも公開される『The Help』
もぜひ観ていただきたくて、メール差し上げました。今年のアカデミー賞女優賞候補にもなっている作品ですが、『リリィ...』以上に、今だからこそ作ることが出来た映画、だと思います。重いテーマを女性たちの友情の物語に昇華し、しかもコメディタッチに仕上げている見事な作品です(ヴィオラ・ディヴィスの演技がとてつもなく良いです!)。

──『リリィ...』と同じく白人女性の著者によるベストセラー小説ですが、この小説と映画がこれほどアメリカで愛されたのは、白人たちの贖罪の希望があるのかもしれません。『リリィ...』に出てくるオーガストたち姉妹は、とても美しいけれど幻想的な存在で、リアルさはあまりありませんでしたが、『The Help』の黒人女性たちは、ほんとうに血が通った存在としてどっしり描かれています。原作の翻訳も集英社文庫よりまもなく刊行ですので、よろしければご高読くださいませ。




このメールをもらったすぐ後に、84回アカデミー賞授賞式の中継があった。その中で「The Help」が多くの賞の候補にあがっているのを知った。主演女優賞にヴィオラ・デイヴィス、助演女優賞にジェシカ・チャスティンとオクタヴィア・スペンサーのふたりがノミネートされていた。受賞したのは、オクタヴィア・スペンサーだった。これは、後に「ヘルプ 心がつなぐストーリー」(2011年)を見て納得した。賞に値する演技だった。

ただし、授賞式でほんの少し流れるシーンからは、どんな映画なのかは想像できなかった。メイドらしき黒人女性たちと、昔風のドレスを着た白人女性たちが料理について会話していた。全般的に明るい場面が多く、コメディタッチのシーンもあり、あまりシリアスな感じはしなかった。わずかなシーンを見ただけで映画を規定するのはよろしくないが、女性映画らしいなと僕は思った。それも、1960年代のアメリカ南部が舞台であるらしい。

60年代の女性映画というと、なぜか僕は「グループ」(1966年)を思い出す。キャンディス・バーゲンのデビュー映画だ。50年近く前のことだが、キャンディス・バーゲンのお父さんは有名な腹話術師だと、映画雑誌で読んだことを憶えている。監督のシドニー・ルメットがモデルをしていたキャンディス・バーゲンを見出し、主演に抜擢したのだ。原作は、当時、早川書房からソフトカバーのノヴェルズ版で出ていた。全米ベストセラーと謳っていた。

それは、有名女子大(ヴァッサー大学らしい。日本で言えば東京女子大とか、お茶の水女子大といったところか)を出た8人の女性の人生を描いたドラマだった。彼女たちは、学生時代に仲のよかったグループである。時代背景は1930年代だから、相当に保守的な時代だ。もちろん、その八人のグループに黒人女性はひとりもいない。すべて白人の裕福な家庭の娘たちだった。

僕は「グループ」を中学生の頃に見たのだが、正しく理解できたとは思えない。公開当時、アメリカでは公民権運動が盛り上がり、キング牧師のワシントン大行進が行われ、ジョン・F・ケネディ大統領がダラスで暗殺された。その翌年の1964年夏にジョンソン大統領が公民権法に署名し、翌年の2月、過激なブラック・パワーを提唱していたマルコムXが暗殺された。当時、僕は毎週のアメリカン・ヒットチャートと共に、黒人運動の盛り上がりも気にかけていた。

●大学卒業よりエリートとの結婚を優先する白人女性たち

「ヘルプ 心がつなぐストーリー」を見始めて僕が思い出したのが、「グループ」だった。裕福な家庭に生まれた白人女性たちの保守的なグループ...、冒頭に描かれるのはそんな世界である。作家かジャーナリストになりたいヒロインのスキーターは、そのグループの中ではリベラルな考え方の女性だ。ミシシッピ大学を卒業したが、ニューヨークの大手出版社の編集者に「経験を積め」とアドバイスされ、地元の新聞社に赴き家庭欄のコラムの仕事を獲得する。

スキーターの学生時代からのグループは、みんなエリート白人男性と結婚し、庭やプールのある大きな家に住んでいる。まるで「風と共に去りぬ」のような南部の古い大邸宅に住んでいる夫婦もいる。保守的な時代だから、女は結婚することが最大の目的だ。スキーターの大学のルームメイトだったヒリー(プライス・ダラス・ハワード。ロン・ハワード監督の娘だそうです)は結婚のために大学を中退し、今はミシシッピ州ジャクソンの白人女性のリーダーのようになっている。

南部の裕福な上流階級の白人女性たちはいわゆる有閑マダムなのか、慈善事業などに参加したり、地域のための活動をしたりするしか時間の使いようがないのかもしれない。ヒリーは慈善団体のリーダーみたいなことをやっているし、曜日を決めて有閑マダムたちを集めたブリッジの会を行っている。定例のブリッジ・クラブの場所は、ヒリーやスキーターの友人エリザベスの自宅である。そのブリッジの会のために、黒人のヘルプは食事やお茶を準備しなければならない。

ヒリーやエリザベスのような白人女性がきれいに着飾り、婦人会の活動のようなことばかりやっていられるのは、家事と育児を肩代わりしてくれる黒人女性のヘルプがいるからだ。ヘルプたちは白人の子どもたちの世話をし、食事の準備をし、銀食器を磨き、広い屋敷を掃除する。安い時給で働き、家に帰れば無学で女性差別に凝り固まり暴力をふるう夫がいる。

エリザベスの家で働くエイビリーンは、何十年も白人の子どもたちを育ててきたベテランのヘルプだ。たったひとりの息子は仕事場で事故に遭ったのに、白人の雇用主はろくな手当をせず、ほとんど見殺しにした。愛する息子の死によって、彼女は生きる希望を失っている。そのため以前より気むずかしくなったが、白人の言うことにいちいち腹を立てるほど若くはない。黒人としての長く辛い人生が、彼女に「諦め」を教えたのだ。

彼女は家事については熟知し、様々な智恵を蓄えている。そんなエイビリーンにスキーターはコラムへの協力を依頼する。エリザベスは迷惑そうだが、仕事に影響が出ないのなら...としぶしぶ了承する。ブリッジをやりながらヒリーが「黒人専用のトイレを各家庭に作らせる提案をした」ことを話し、それがエイビリーン聞こえたことを知っているスキーターは「気を悪くしたでしょうね」と口にする。エイビリーンが「ええ」と答えられるわけがない。

「ヘルプ 心がつなぐストーリー」がうまいのは、黒人への偏見を象徴するものとして便器を出してきたことだ。白人は黒人と同じ便器には座らない。この映画は子どもにトイレでオシッコすることをしつけるシーンも含めて、トイレ(英語では「バスルーム」と言っている)のシーンがやたらに出てくる。女優が便座に腰掛けているシーンが平気で出てくることで、改めて現代だから作れた映画だと認識を新たにするが、トイレシーンがこの映画の肝なのだとわかる。

ヒリーはエリザベスの家でトイレを我慢する。客用トイレは黒人ヘルプも使っているからだ。黒人特有の病気がうつると本気で信じている。ヒリーはエリザベスに黒人専用トイレを作らせる。エイビリーンのヘルプ仲間で親友のミニー(オクタヴィア・スペンサー)は、嵐の日に庭にある黒人用トイレではなく屋内のトイレを使いヒリーにクビにされる。電気もないプア・ホワイトの家に育ち金持ちと結婚したシーリア(ジェシカ・チャスティン)は、大邸宅のトイレで流産する。

ひとりで憎まれ役を引き受けているのがヒリーだ。スキーターやエイビリーンたちと一緒に、観客もヒリーに対して溜飲を下げるシーンがある。ある朝、ヒリーの自宅の庭に無数の便器が棄てられている。便器あるいはトイレという笑いを生むものを上手に生かしているから、シリアスな黒人差別をテーマにしながら「ヘルプ 心がつなぐストーリー」はコメディとしても成立した。そのコメディ部分を増幅しニンマリさせてくれるのが、ミニーとシーリアのエピソードだ。このふたりがアカデミー助演女優賞にノミネートされた理由が僕にはよくわかった。

●昔の映画に登場したステレオタイプな黒人キャラクター

偏見に凝り固まった人間は醜い。しかし、それがスタンダードだった時代もある。昔のハリウッド映画に出てくる黒人は、みんな訛りの強いヘンな英語を喋り、頭が弱そうなキャラクターばかりだった。「おら〜、××だよ」というヘンな日本語の字幕が出た。「風と共に去りぬ」(1939年)のスカーレットのメイドがそうだったし、若い黒人の子守は愚かさばかりが強調されスカーレットにムチ打たれる。先日見た50年代ハリウッド製西部劇に登場した黒人も同じだった。

日本にだって様々な人種偏見があった。大正末期に生まれ昭和初期に教育を受けた僕の父母のような世代は、中国人や朝鮮人、アジアの人たちへの偏見が抜けない。今では「バカでも××でも」が語源である「バカ×ョン・カメラ」が差別語だと知らない若い人たちが多くなったけれど、人種が違うことの差別意識がなくなったわけではない。60年代くらいまで、日本映画に出てくる中国人は「××アルよ」というヘンな日本語を喋り、朝鮮人は濁音抜きで話した。「マテツのキポタンのパカヤロウ(満鉄の金ボタンのバカ野郎)」といった調子だ。

当時は、それが一般的だったのだ。だから、60年代半ばのアメリカ南部(特にミシシッピ州)で黒人として生きることがどういうことだったのか、いくら想像しても僕には絶対にわからない。どういうことが起こっていたのか、歴史を調べることはできる。誰が殺されたのか、事実は記録されている。しかし、エイビリーンやミニーのように白人家庭で働き糧を得ている黒人が、スキーターの取材に応じてヘルプの本音を語ろうと決意することの怖さ(殺されるかもしれないのだ)は、僕には実感できない。

しかし、本音を語り始めた彼女たちの気持ちはわかった。人間としての誇りであり、プライドであり、怒りに裏打ちされ、恐怖に打ち勝った勇気である。それがわかったから僕は、こみ上げてくるものを堪えた。「カラーパープル」(1985年)で妻(ウーピー・ゴールドバーグ)を奴隷のように扱ってきたミスター(ダニー・グローバー)は、自立を宣言した妻のセリーに「おまえは貧しく、黒く、醜く、さらに女だ」と言ったが、耐えに耐えた人間が立ち上がったときは強い。

ジャーナリスト志望のスキーターは、ヘルプたちの本音をまとめ出版しようとする。その取材の中でスキーターはエイビリーンやミニーと友情を育む。やがて、スキーターは自分を育ててくれた黒人ヘルプであるコンスタンティンがなぜいなくなったのか、自分の家族が彼女にどのような仕打ちをしたのかを知り、差別意識の深さを実感する。60年代当時、スキーターのようなリベラルな白人が存在したのかどうかはわからない。しかし、スキーターやシーリアのような差別意識のない白人の存在が、「ヘルプ 心がつなぐストーリー」に救いをもたらせている。

●原作を読んでわかったこと・よかったこと

さて、メールをいただいた僕は映画を見た後、原作を読んでみた。文庫本で上下二巻だ。昔からアメリカでベストセラーになる本はどうして長大なのだろうと思っていたけれど、この小説もかなり長い。映画は、実にうまく整理し刈り込んであると思った。しかし、人物の背景や省略されたエピソードを読むと、人物像がより鮮明になる。特にエイビリーンの思いは、原作を読むと深く理解できる。原作は彼女が中心なのである。

映画は冒頭にスキーターが就職のために新聞社に赴くところが印象的なので、どうしてもスキーターの視点で見てしまう。しかし、ナレーションはエイビリーンの一人称。ファーストシーンがその伏線になっているが、なぜエイビリーンが語っているのかわかるのは中盤に至ってからだ。一方、原作はエイビリーンとスキーターとミニーの3人の視点で語られる。エイビリーンの章が2章続き、ミニーの章が2章、5章になってようやくスキーターの章になる。すべて一人称である。

長い原作を読み終えると、改めて映画版が原作のテーマもエッセンスもストーリーも損なうことなく、実に見事にまとめられているのがわかった。おまけに、笑いの要素は映画版の方が強くなっている。脚本と監督を担当したテイト・テイラーは、原作者キャスリン・ストケットの幼なじみだという。だとすれば、監督自身がミシシッピ州で原作者と一緒に育ったということか。もちろん、物語の時代よりはずっと後だろうけれど......

文庫本には、著者のあとがきが載っていた。キャスリン・ストケットはミシシッピ州で育ち、「わたしたち家族のメイドだったデメトリー」の思い出を綴る。デメトリーは28歳(生まれた年が明記されているから1955年のことだ)からストケット家に勤め、そのときに著者の父親が14歳だったというから、小説の中でエイビリーンが愛情を込めて育てているエリザベスの二歳の娘メイ・モブリーに筆者が投影されているのかもしれない。

そして、「風と共に去りぬ」がマーガレット・ミッチェルにとってきわめて個人的な「書かずにいられなかった祖父母の物語」であり、「アラバマ物語」がハーパー・リーにとって「書かずにいられなかった家族の物語」であったのと同じように、「ヘルプ 心がつなぐストーリー」も筆者が書かずにはいられなかった、きわめて個人的で切実な物語であることがわかった。スキーターとメイ・モブリー(映画のラストシーンで彼女は名優になる)は著者の分身なのだ。

ハーパー・リーの「アラバマ物語」(1962年)には筆者の思い入れがあるのか、スキーターが「ああ、わたしはこの町の『アラバマ物語』のブー・ラッドリーなのだ」と嘆く箇所がある。ブーは若きロバート・デュバルが演じた役である。語り手の少女スカウトを救い、ラストで初めて姿を現す。スカウトの父親で弁護士のアティカス・フィンチ(グレゴリー・ペック)は、映画に登場した人物で僕が最も好きなキャラクターだ。僕にとっての理想の人間である。

ところで、文庫本の訳者あとがきに「本書を世に送り出す力(ヘルプ)を与えてくれたみなさんへ」と謝辞が綴られており、「4人の"ヘルプ・ガールズ"」のひとりとして「米国シアトルの城田朋子さん」の名が挙げられていた。僕にメールで「ヘルプ 心がつなぐストーリー」を勧めてくれた方である。心に残る映画と小説を教えていただきました。ずいぶん遅くなりましたが、改めてお礼を言います。

1963年8月28日 ワシントン大行進/演説「私には夢がある」
1963年11月22日 ケネディ大統領暗殺
1964年7月2日 公民権法成立
1965年2月21日 マルコム・X暗殺
1968年4月4日 キング牧師暗殺

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >

本文では触れなかったけれど、「ヘルプ」のヒリーの母親役でシシー・スペイセクが出ています。彼女の主演作「キャリー」公開は1977年のこと。原作も同じ頃に新潮社から出たけれど、まったく話題にならなかった。集英社の「呪われた町」も最初はほとんど売れなかった。スティーブン・キングが売れ出したのは、「シャイニング」からだったかな?

●長編ミステリ三作が「キンドルストア(キンドル版)」
「楽天電子書籍(コボ版)」などで出ています/以下はPC版
< http://forkn.jp/book/3701/ > 黄色い玩具の鳥
< http://forkn.jp/book/3702/ > 愚者の夜・賢者の朝
< http://forkn.jp/book/3707/ > 太陽が溶けてゆく海

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