映画と夜と音楽と...[605]僕が「労働者」に弱い理由/十河 進

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〈任侠ヘルパー/キリマンジャロの雪/画家と庭師とカンパーニュ〉

●村上ファンドが売り出した白金の介護付き高級マンション

今朝の朝日新聞の一面に「介護バブル 群がるファンド」という見出しが出ていた。「介護」と「ファンド」が結びつかず、どういうことだろうと読み始めたら、介護ビジネスを投資の対象として、いろいろなファンドがM&A(企業合併・買収)を繰り返しているらしい。企業を立ち上げ成長させ、利益が見込めるようになったら「有望な投資先」として売りに出す。売却益を確保して出資者に還元する。

アメリカ型のM&Aは、IT企業ならなじみがあった。コンピュータ企業の歴史を見ると、M&Aの連続である。ガレージで立ち上げたアップルみたいな企業が、シリコンバレーにはいっぱいあった。起業家は出資者を求める。出資者は有望だと思えば投資し、その企業を株式上場させる。出資者(株主)にはキャピタルゲインが入る。さらに、その企業をどこかに売れば、今度は売却益が出る。

僕は金融の世界の人間ではないし、職人の家に育ったから基本的に「人は額に汗して働かなければならない」というモラルが染み込んでいる。金を持っている人間は金から金を生もうと考えるが、せいぜいが定期預金に預けるくらいの僕としては投資にはなじみがない。下手に投資して火傷するのもイヤだと思うのは、堅実な両親を見て育ったからに違いない。




高齢者がこれからどんどん増えるから介護ビジネスが有望になり、利益を出せるなら何でもいいと考えるファンドが投資対象にする。数年前、「金儲け、悪いことですか?」というセリフで有名になった村上世彰が率いる村上ファンドも、東京・白金の介護付き高級マンションを破綻した大手介護業者から安く買い取り、一区画8000万から一億数千万円で売り出したという。どんな人が入居するの?

介護については、人ごとではない。義父は晩年の数年間をグループホームで過ごした。先日、ひとりでは置いておけなくなった義母を、神奈川に住む義弟の家に引き取るためにカミサンが高松まで迎えにいった。僕の両親は米寿を迎えてまだ元気だが、いつ介護が必要になるかわからない。それに、僕ら夫婦だって老後の生活を考えねばならない。村上ファンドが売り出した超高級マンションは、50歳以上が対象だ。金さえあれば、僕も入居資格はある。

先日、散歩していたら中年男性に呼び止められてチラシを渡された。近所にできた介護ホームのチラシだった。「いつでも見学できますから」と言われ、ウーンと考え込んだ。その建物は、基礎工事から見ている。言っちゃ悪いが、プレハブに近い造りだった。ひと部屋だけの区割りで、その部屋も狭い。あんなところには入りたくないなあ、とカミサンと横を通ったときに話した。

数年前、ほとんどテレビドラマを見ない僕が、「任侠ヘルパー」というドラマだけは数回見たことがある。ヤクザが介護施設でヘルパーをやるという設定が奇抜だったのと、基本的に「任侠」という言葉に弱いからだ。それが映画になり、「任侠ヘルパー」(2012年)として昨年に公開された。スマップの草薙クンが目を尖らせてヤクザを熱演している。

熱海市を連想させる海辺の街。街を牛耳るヤクザが主人公に託したシノギは、老人や貧乏人相手の闇金融であり、介護ビジネスだった。廃屋に近い家を小さく区切り、認知症などで現実がわからなくなった老人たちを収容する。糞尿まみれで放置し、介護保険料や年金、生活保護費をかすめ取る。あまりの悪どさに、主人公は立ち上がるのだ。

ヤクザが高齢者や貧者や弱者を食いものにするのと同じとは言わないけれど、介護ビジネスは人間相手の仕事なのだから金儲け優先ではいけないのではないか。「医は仁術」と同じ考え方をしなければならないのではないか。しかし、「医は算術」と言い換えられるように、医療ビジネスも介護ビジネスも利益優先で語られる。朝日新聞の記事にも、大手介護企業の効率優先の現場が報告されていたが、やっぱりどうかと思う。

ところで、ヤクザをやるとどうしてみんなかっこいいんだろう。悪役の宇崎竜童も杉本哲太(「アウトレイジ」も必見)もいいし、友情出演の黒木メイサも視線が怖く、高級車の後部座席に乗る女幹部というリアリティのない役に現実感(?)を与えていた。彼女が「この借り返すまで、死ぬんじゃねえぞ」と、無謀な反撃に向かう主人公にドスを利かした声で怒鳴るシーンでは思わずジーンときてしまった。

●信念に従って労働組合に自覚的に加盟した

僕の父はタイル職人の親方だったけれど、あるとき香川県に営繕職人の組合ができて、人のよい父は代表に祭り上げられてしまった。僕はまだ小学生で事情はよくわからなかったが、母親が「親がアカだと思われて、子供たちの入学や就職に差し障りが出るのではないか」と口にしていたのは記憶している。60年安保の少し後のことだったから、古い人間は「アカ」という言葉で反応したのだ。

それでも、何人かの執行部と一緒に父はメーデーで上京した。メーデーに参加するのと、何かの陳情のためだったと思う。父から何も聞いていないので推測するのだが、おそらく総評系の組合だったのだろう。共産党系ほど左翼がかっておらず、労働運動の主流を占めていたのが社会党をバックにした総評だった。当時は、働く人たちに「労働者」という自覚が今よりあったのだと思う。

僕が就職したのは、団塊の世代が社会に出た数年後だった。全共闘世代とも言われる彼らは、就職した会社で組合を作った。僕の会社にも組合ができていた。結成して3年目、労使関係はギクシャクしていた。入社したばかりの僕に労働組合の執行委員が「組合に入れよ」と脅しのようなオルグを繰り返した。そのたびに「入るつもりですが、入社したばかりですから少し待ってください」と答えた。

不当労働行為になるのだろうけれど、入社当時の上司は暗に「組合に入らない方がいいよ」とほのめかした。「組合があるのは当然だと思います」と僕が言うと、「うちの組合はひどいからね。ピケを張ったりするんだ」と、穏健な組合なら認めるけど...というニュアンスで組合の過激さを責めた。確かに、何時間もストライキを打ち、社内をビラで埋め尽くすような組合だった。

結局、僕は2か月半で組合に入り、入社して組合に入る期間の記録を縮めた。ただし、6か月は正社員ではなく試用期間だったから、組合に入ったことで「雇用打ち切り」と言われる怖れもあった。「そのときは組合あげて闘うから」と当時の委員長は言ったけれど、僕はあまりあてにしてはいなかった。僕は、自分の信念に従って労働組合に自覚的に加盟した。つまり、覚悟を決めて入ったのである。

以来、組合には26年間、在籍した。組合に入った翌年、団交員という名目で他社の団交に参加させられた。それを3年ほど続け、30で初めて委員長を引き受けることになった。それを3年続け、日本出版労働組合連合会(出版労連)の共闘組織の事務局長を3年務めた。その後、出版労連本部の会計監査を2期担当して役職を降りた。しばらく休んだ後、執行委員会の長老役みたいなことを2年やったのが最後になった。

最近になってしみじみ感じるのだが、父母の生き方が自分に大きな影響を与えていると思う。ときには己の貧乏性は母親譲りかとイヤになることもあるけれど、実直な労働者の家で育ったことが僕の誇りになっている。フェイスブックの自己紹介で「尊敬する人」のところに「額に汗して働く人」と書いたのは、僕の本音なのだ。だから、「キリマンジャロの雪」(2011年)が好きになったのかもしれない。

●ジャン=ピエール・ダルッサンという禿げたオジサン

海の見える作業場の中庭らしいところに大勢の男たちがいる。中には社名入りの揃いのTシャツを着ている男たちもいる。事務所からネクタイをした社員たちが心配そうに見ている。男が箱の中から紙を取り出し、名前を読み上げる。横にいる男が名前をリストに書き、名前が読み上げられるたびに数を数えている。18番目くらいに「ミッシェル......」と読み上げられ、横の男が「自分のも入れたのか」と驚く。

ミッシェルと呼ばれた男が20人の名前を読み上げ、解雇者を決めるクジだったのだとわかる。「今の不況で仕方がない。クジが一番公平だ」といったようなことをミッシェルが言う。横にいたラウルが「自分の名前は外せたのに...。あんたにはその権利がある」と言うが、「組合の委員長だからって特別扱いはしない」とミッシェルは答える。

帰宅して妻のマリ=クレールに早期退職のことを告げると、「私は英雄と結婚したのね」と皮肉混じりのようでもあり、誇らしそうでもあるように彼女は言う。確かに自己犠牲的であるけれど、自己満足にしか過ぎない行為だったかもしれない。しかし、そういう人物だから僕は冒頭からミッシェルに好意を持った。どこにでもいそうな人物だが、潔い。

ミッシェルを演じているのは、ジャン=ピエール・ダルッサンという禿げたオジサンだ。僕の好きなダニエル・オートゥイユが傲慢な金持ちの画家に扮し、木訥な同級生の庭師に人間としての生き方を教えられる(古くからありがちな物語だけど)素敵なフランス映画「画家と庭師とカンパーニュ」(2007年)では、田舎住まいの庭師を演じていた。

また、前回で紹介した「ル・アーブルの靴みがき」(2011年)では、密入国し逃げ出した黒人少年を追うル・アーブル警察の警視を演じている。黒いトレンチコートに黒いソフト帽、ハードボイルド・スタイルのパロディのような格好で現れ、最後の最後で人情を見せるモネ警視は、あの映画では得な役だった。

「キリマンジャロの雪」のミッシェルは10代から40年も働いてきた腕のよい溶接工であり、長く労働組合の委員長を務めた人物だ。息子と娘はそれぞれ結婚し、近くで独立した生活を送っている。孫は三人、退職しても孫たちの世話や息子に頼まれた庭のあずまや造りでけっこう忙しい。妻のマリ=クレールは、老人家庭でヘルパーのような仕事を持っている。

結婚30年の祝いには、家族と大勢の友人たちが集まる。ミッシェルは自分と一緒に解雇された19人もパーティに招待する。その中に半年勤めただけで、クジ引きで退職することになったクリストフという青年がいる。パーティの場でミッシェルとマリ=クレールの夫婦に、ケニヤ旅行のチケットと現金が贈られる。家族や友人たちが出し合ったものだ。

クジ引きのときに隣にいたラウルはミッシェルの子供の頃からの友人で、マリ=クレールの妹ドゥニーズと結婚している。友人で義弟である。彼らは助け合いながら生きてきたのだろう。生まれた街で就職し、何10年も溶接工として働き、小さいが快適な家を持ち、何とか食べていける老後を送ろうとしている。だが、老夫婦が主人公の穏やかな映画だと思って見ていたら、突然、予想外の展開になった。

●世代間の利害の対立を考察することがテーマの映画

ミッシェルとマリ=クレール、ラウルとドゥニーズの四人が夕食の後でトランプをやっているとき、突然、拳銃を持ち覆面をしたふたりの男が押し入ってくる。四人を椅子にテープで縛り付け、「あの旅行の金はどこだ」と銃を向ける。カードも奪われ、脅されて暗証番号も口にする。ミッシェルは椅子を倒され、肩を痛める。ドゥニーズは恐怖で神経症になる。

そこから映画は、別の人物の生活を映し出す。強盗のひとりを追うのだ。ミッシェルの家を出た強盗は覆面を外し、バスに乗り、スラム風の荒れたアパートに戻る。そこには、弟らしき男の子がふたりいる。ひとりは10歳前後、もうひとりは5、6歳だろうか。彼は子供たちに食事をさせ、宿題を一緒にし、翌朝、送り出す。それは、ミッシェルと一緒に職を失ったクリストフである。

一方、強盗に襲われて以来、鬱のようになったミッシェルは、ある日、「20代の自分は、こんな風に夕暮れどきにベランダで一杯やっている老夫婦を見てどう思うだろうか」と口にする。そこで、この映画が世代間の利害の対立を考察することがテーマの映画なのだとわかってくる。どんな時代にも、その問題は存在していたと思うけれど......

僕の世代から前の世代を見ると、「不況の影響もなく高水準の賃金をもらい、リストラに遭うこともなく、高い退職金を手にして60歳から満額の厚生年金を支給された幸運な世代」ということになる。しかし、僕の10年下の世代は僕らの世代に対して「高い賃金水準だし、僕らはあんたたちの賃金水準には絶対いかない」と突き上げる。「65歳からは、年金が全額支給されるじゃないか」と責める。

逮捕されたクリストフは、強盗したことを責めるミッシェルに言う。「あんたたちは組合の幹部でふんぞり返り、いい目を見てきたじゃないか。俺は半年でクビになって退職手当さえ出ない。クジじゃなく、共稼ぎかどうかとか、手当がもらえるかどうかとか、全員の賃金を下げるとか手はあっただろ」と。幼い弟たちを抱えたクリストフは、収入が途絶えた途端に強盗でもするしかなかた。でなければ、住むところさえ失うことになる。

だが、クリストフが逮捕されたら弟たちはどうなるんだ、と観客は気になって仕方がない。それは、ミッシェルもマリ=クレールも同じだった。クリストフと面会したミッシェルは、現代の若年層の苦境を見せつけられ「同じ労働者」として告訴を取り下げる。しかし、義弟のラウルは妻のドゥルーズの苦しみを目の前にして、強盗犯への憎しみが募るばかりだ。

「キリマンジャロの雪」は強盗犯と被害者という憎しみの関係から、別の関係へと変化する展開が現実感を伴って描かれ、とても気持ちのよいラストを迎える。現実的には無理があるのだが、実直な職人肌の労働者であるミッシェルのキャラクターがそれを感じさせない。世界は、こういう人たちで出来上がっていると思えば、世界が美しく見えてくる。善意は報われる、と信じていられる。

【そごう・すすむ】sogo1951@gmail.com < http://twitter.com/sogo1951 >

読者の方から「ドルトン・トランボのバスタブに浸かって執筆中の写真」がネットで見付かったとご連絡をいただいた。さっそく見にいったら、間違いなく僕が以前に見た写真です。ご連絡いただいたのに気付くのが遅くなり、すいませんでした。

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< http://forkn.jp/book/3701/ > 黄色い玩具の鳥
< http://forkn.jp/book/3702/ > 愚者の夜・賢者の朝
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