映画と夜と音楽と…[622]最も大切なのは「人の道」/十河 進

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               〈チャンピオン/「M★A★S★H マッシュ〉

●80年前に死んだリング・ラードナーという作家

長くコラムを書いていると、ときどき「この話、前に書いたかもしれないな」と思うことがある。僕にも愛読する作家が何人かいて、もう半世紀近く読み続けている人もいる。その人は映画に関するエッセイをよく書いているが、週刊誌でも連載エッセイを10数年続けている。僕はほとんどの本を読んでいるので、これは以前に出てきた話だなと思うこともあるけれど、だからといって気になることはない。

ということで、以前は昔のテキストデータを検索して話が重複しないようにしていたが、最近は「まあ、いいか」と思うようになった。ひとりの人間が15年近く書き続けているのだから、許していただきたいとお願いするしかない。しかし、「この話、前にも書いたかな」と思うとき、必ず思い出す小説のタイトルがある。リング・ラードナーの「この話、もう聞かせたかね」という短編だ。読んだのは、1966年5月末のことだった。


なぜ、そんなに正確な年月日を憶えているかというと、中学生の頃に買っていた「ハヤカワズ・ミステリマガジン」にリング・ラードナーの短編が毎月のように掲載されていて、「この話、もう聞かせたかね」が載ったのが1966年6月号だったからだ。僕は発売日に購入し、真っ先にラードナー作品を読んだ。編集長の常盤新平さんの趣味か、その頃の「ミステリマガジン」には、都会的で小粋な短編がよく掲載されていた。

リング・ラードナーも、そんな作家のひとりだった。元々はスポーツ記者で、後に野球小説を書くようになる。やがて、ユーモアあふれる短編を手がけるようになり、1933年に49歳で亡くなった。僕は「ミステリマガジン」で初めてリング・ラードナーを読み、愛読者になった。翻訳は加島祥造さん。20数年前から伊那谷に隠棲し「老子」を極め、数年前「求めない」がベストセラーになった詩人だ。ラードナーを訳していた半世紀前、そんな人になるとは夢にも思わなかった。

「ミステリマガジン」に一編ずつ掲載されたラードナーの短編は、後に新潮社から三冊の短編集として刊行された。「微笑がいっぱい」「息がつまりそう」「ここではお静かに」である。中学生の僕が好きになったのは、「弁解屋アイク」「当り屋」「ハリー・ケーン」といった野球小説で、「弁解屋アイク」の原題が「アリバイ・アイク」であることが、英語を習い始めたばかりの僕を刺激した。「アリバイ」を「弁解屋」と訳し英語では韻を踏んでいたからである。

そして、ボクサーを主人公にした短編「チャンピオン」を読んだとき、僕は非常なショックを受けた。それまで、僕が読んできた小説の主人公は、善人か正しい人間だった。悪人が主人公であっても、最後に報いを受けた。ところが、「チャンピオン」の主人公は、自分勝手で利己的で卑劣な男なのに天才的ボクサーだった。恋人を棄てて不幸にし、恩人を金のために裏切って落ちぶれさせるのに、彼は最後に栄光をつかむのである。こんなことがあっていいのか、と僕は憤った。しかし、やがて、それが現実の人生なのだと知ることになる。

●作者の死後16年たって映画化された短編小説

リング・ラードナーの短編「チャンピオン」は映画化された。たぶん、彼のユーモアあふれる短編群の中では異質であり、際だってアイロニカルな内容だったからだろう。発表当時、評判になったに違いない。ジャズ・エイジと言われた1920年代である。これほど肯定できない人物を描いた小説はなかったのではないか。当時の人々はボクシングのチャンピオンと言えば、努力家で人格高潔な人物を想像したに違いない。そんな人々の思い込みに、ラードナーは石を投げ入れたのである。

しかし、「チャンピオン」が映画化されたのは、1949年のこと。ラードナーの死から数えても16年後だった。日本公開は昭和26年の夏である。だが、その頃でも原作通りのアンチ・ヒーローには描けなかった。若手で売り出し中のカーク・ダグラスを主人公にしたため、徹底的にイヤな奴にはできなかったのかもしれない。主人公は底辺から這い上がるために憎しみをたぎらせ、己の欲望のために周囲の人間を不幸にするという設定に変えている。短編をドラマ的に膨らませる必要があったのだろう。

時代は大恐慌の頃か。いきなり、ふたりのホーボー(浮浪者)が貨車の中で、「金を出せ」と数人に脅されているシーンから始まる。ひとりは足が悪く、杖を突いている。ミッチ(カーク・ダグラス)と兄のコニィ(アーサー・ケネディ)だ。ミッチはコニィを車外に飛び出させるが、自分は男たちに襲われる。金を奪われ放り出されたミッチを、コニィが見付ける。ここでは、ミッチは脚の悪い兄をかばう弟として登場し、兄弟愛を印象づける。

彼らはヒッチハイクをする。そこに通りかかったボクサーのダンが車を止めようとすると、「乗せないで」と愛人のグレイスが言う。しかし、ダンは「シートは空いてる」と答え、ふたりを乗せる。それでも、グレイスはミッチたちを蔑みの目で見る。その目を意識したのか、ミッチはロスの街道脇のダイナーの経営権を買い取り、ロスへ向かう途中だとダンに自慢する。それが、彼らのプライドなのだ。

その夜、ダンが試合をするカンサスシティのスタジアムで、仕事を頼んだ兄弟はけんもほろろに断られみじめな思いを味わう。前座のボクサーが出られなくなり、プロモーターから声を掛けられたミッチは、初めてリングに立つがプロにはかなわない。しかし、彼を見ていた男が「ロスにきたらジムに寄ってくれ」と声を掛ける。その夜、プロモーターは約束の金の三分の一しか払わず、ミッチは他人から踏みつけにされる屈辱を味わい、「いつかのしあがってやる」と心に誓う。

兄弟はロスに着きダイナーに入って「新しい経営者だ」と言うが、そこはコックが娘と経営している。一カ月前にダイナーを解雇された男が、兄弟を騙したことがわかる。兄弟は、ダイナーで給仕と皿洗いとして働くしかない。ミッチは、またも屈辱にまみれる。しかし、兄のコニィはダイナーの娘エマに好意を寄せ、皿洗いの仕事に満足している。それを知りながら、ミッチはエマを誘惑する。そこには、兄に対する複雑な心情があるのだろうか。

結局、エマは誠実なコニィではなく、不誠実で利己的で激しい上昇志向を持ち戦闘的な生き方をしているミッチに惹かれる。これは、ハリウッドに限らず、世界中で作られてきた物語のパターンだ。自分を不幸にするかもしれないが、ヒロインが危険な男を選ばなくては物語が動き出さない。僕はアーサー・ケネディという役者が好きで(僕が映画を見始めた頃にはすでにオジサンだった)、「チャンピオン」のコニィはいい役だと思う。こんなに知的で誠実な男なのに、恋する女には振り向いてもらえない。

ミッチはエマの父親に脅されて結婚式を挙げるが、その場から妻を棄てて立ち去る。彼は、ちっぽけなダイナーのオヤジで終わるつもりはない。エマを気にしながらも、コニィも同行する。ロスでふたりは職を探すが、ふと思い出してボクシング・ジムを訪ね、声を掛けてくれたマネージャー兼トレーナーのトミィに会う。ボクシングの世界に愛想を尽かし引退したトミィだったが、ミッチの強烈な上昇志向にほだされ彼を鍛える。やがて、ミッチは対戦相手を殺しかねないファイターとして頭角を現していく。

●卑劣な男がチャンピオンとして成功する話に衝撃を受ける

チャンピオンに登り詰めたミッチは、人々に熱狂的に受け入れられる。虚像が跋扈し始める。名士であり、社交界に呼ばれるセレブである。やがて、ミッチはより多くの金を得るために、ニューヨークの興行界を牛耳るプロモーターと組み、育ての親トミィのクビを切る。批判的な兄のコニィと絶縁し、金はかかるがゴージャスな美女グレイスを手に入れる。今やすべてを手にしたミッチは、プロモーターの美人妻と出会って恋に落ちる。しかし、プロモーターに高額のファイトマネーを提示されて彼女を棄てる。

さらに、母親の看病をさせるだけで放っておいたエマが自分と離婚して兄と結婚すると知ると、急にエマが惜しくなる。引退試合まで待ってくれとふたりに告げ、トレーニングの間、エマを同じ屋敷に住まわせる。ミッチが忘れきれないエマは、ミッチに迫られ身を許す。しかし、コニィを裏切ったと身を隠す。それを知ったコニィはミッチを責めるが、ミッチは躊躇なく兄を殴り倒す。彼はそこまで堕落したのだ。ミッチの生き方は、明らかに人の道に外れている。

中学生の僕が「チャンピオン」に衝撃を受けたのは、「卑劣で恩知らずな人間がチャンピオンとして成功する話」だったからだ。それは、同じ頃に読んだカトリーヌ・アルレーの「わらの女」の衝撃と同等だった。「わらの女」は金持ちの老人の看護婦に応募したヒロインが、執事と組んで老人を騙して結婚し、遺産目当てで老人を殺し、その後、完全犯罪が成立してしまう。その結末に唖然とした。

僕は、悪夢を見た思いだった。しかし、考えてみれば、善は報われ、悪は滅びるという道徳教育によって培われていた画一的な殻を破ってくれたのが、「わらの女」と「チャンピオン」だったのかもしれない。しかし、それでも…と僕は思う。もしかしたら現実の世の中は悪が栄え、卑怯で狡猾な者が富を得、正直者がバカを見ているのかもしれないが、そうであっても人の道に外れてはいけないのだ。

画一的なモラルというものはない。それぞれの人間が、それぞれの環境や育ちの中から得るものだ。あるいは育て上げるのかもしれない。思想や哲学や美意識と同じである。しかし、自分が一個の人間として尊重されたいのなら、自分以外の人間も尊重しなければならない。それがすべてのモラルのベースではないのか。

殺されたくなかったら、殺さない。騙されたくなかったら、騙さない。嘘をつかれたくなかったら、嘘をつかない。思いやりがほしかったら、人を思いやる。愛してほしかったら、人を愛する。優しい言葉をかけてほしかったら、人に優しくする。そこから、すべての規範が生まれるのではないのか。だから、裏切られたくなかったら、裏切らない。恩を仇で返されたくなかったら、恩を仇で返さない。それが人の道……というものではないのか。

昔、ある出版社の労使交渉の場で起こった出来事を思い出した。S社の団交に出版労連の団交員として出席していたG社のKさんは、クセのある経営者として有名なワンマン社長と丁々発止のやりとりをしていた。論争にひと区切りついたとき、その社長がKさんに向かって「人にとって最も大事なことは何だね?」と訊いた。Kさんは即座に「人の道です」と答えた。間髪を置かず、社長は「わかった。ボーナスは要求通り出す」と答えた。僕が記憶する、心温まるエピソードのひとつである。

●「M★A★S★H マッシュ」はリング・ラードナーの遺伝子?

リング・ラードナーは逆説として、あるいはアイロニーとして「チャンピオン」を書いた。「チャンピオン」以外の短編がどれもユーモアに充ち、暖かい人間の心を感じさせるものばかりであることが、それを証明している。こんな話を書ける人は、きっといい人に違いないと思わせる。哀感が漂うラストにも、必ず救いがあるのだ。少なくとも、人の道に外れた生き方をした人ではない。

そんな、リング・ラードナーの気質は息子にも遺伝したのだろうか。リング・ラードナー・ジュニアは、ハリウッドでシナリオライターとして活躍していたが、1947年10月23日、「ハリウッド・テン」のひとりとして下院非米活動委員会に召喚される。「赤狩り」の犠牲になった、最初のハリウッドの10人(それにベルトルト・ブレヒトを加えた11人)の中のひとりだった。だから、彼のハリウッドでの仕事はあまりない。

しかし、ユーモアに溢れた(ブラックな悪ふざけに充ちた)快作「M★A★S★H マッシュ」(1970年)のシナリオを担当したのが、リング・ラードナー・ジュニアだと知った僕は、父親であるリング・ラードナーのDNAを感じたものだった。舞台は朝鮮戦争当時の野戦病院だったが、当時、泥沼状態になっていたベトナム戦争に対する風刺であることは明らかだった。

野戦病院に派遣された軍医ホークアイ(ドナルド・サザーランド)を中心にして、国家や権力や権威を徹底的にバカにした物語が進行する。権威主義や精神主義が完膚なきまでにこき下ろされる。下世話なジョークが飛び交い、国家や権力がいかに愚劣なものかが描かれる。権力を持つ人間たちは安全な場所にいて、前線の兵士たちに「敵を殺すために、死ね」と命じているだけなのだ。

死が日常である狂気の前線で、兵士の飛び出した内臓をおさめたり、足や手を切断しながら、軍医たちは悪ふざけをすることで精神の均衡を保っている。国家が殺人を命じ、敵を殺すために戦った兵士は傷つき死んでいく。しかし、日本の基地にいる司令官たちは、芸者ガールと酒を飲んでいる。それを笑いで描き出すのは、リング・ラードナーの遺伝子に違いないと僕は思った。

「M★A★S★H マッシュ」の主人公たちは犯罪まがいのことまでやるし、女にはだらしないし下品ではあるけれど、決して「人の道」には外れていない。「国家のために」とか「愛国心だ」と煽り、「敵を殺せ」と命じて、消耗品として若者たちを戦場に送り出す権力者たちこそが、人倫にもとる「人の道」に外れた人間なのだと、「M★A★S★H マッシュ」を見て20歳の僕は痛感した。

【そごう・すすむ】sogo1951@gmail.com < http://twitter.com/sogo1951 >

今年も花粉の季節が始まりました。沖縄には杉花粉がないと聞いたことがあります。五月の連休まで移住したい気分。といっても無理なので、マスクをして花粉メガネを掛け、怪人になった姿で通勤電車に乗っている。まあ、誰も気にしないけど……。

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