まにまにころころ[144]ふんわり中国の古典(論語・その7)義を見てせざるは勇無きなり/川合和史@コロ。 Kawai Kazuhito

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コロこと川合です。大河ドラマ『西郷どん』がどうもイマイチな今日この頃。最大の見せ場のひとつであるはずの薩長同盟も、なんだかさっぱり。桂さんも西郷さんも、魅力がまったく感じられず。脚本が残念すぎます。

西郷どん、きばれ、ちぇすとー。

……さて、気を取り直して、『論語』の続きを。




◎──巻第一「為政第二」十八

・書き下し文

子張、禄をもとめんことを学ぶ。子曰わく、多く聞きて疑わしきをかき、慎しみてその余りを言えば、すなわちとがめすくなし。多く見てあやうきをかき、慎しみてその余りを行えば、すなわち悔いすくなし。言にとがめすくなく、行に悔いすくなければ、禄そのうちに在り。

・だいたいの意味

子張が俸禄を得る方法を学ぼうとした。

孔子先生が仰るには、多くのことを聞いて疑わしいことを除き、慎みをもって疑わしいこと以外を口にするようにすれば、人にとがめられることが少ないだろう。

多くのことを見てあやふやなことを除き、慎みをもってあやふやなこと以外を行うようにすれば、後悔が少ないだろう。言葉に批難が少なく、行いに後悔が少なければ、俸禄はそこから自然と生まれるものだ。


◎──巻第一「為政第二」十八について

どうしたら給料もらえるようになりますかねー、という弟子、子張。まったく、これだからイマドキの若者は……(※紀元前500年くらいの人です)

孔子先生は、広く見聞し、そうして集めた情報をキチンとフィルタリングした上で自身の言行に反映させなさい、と。そうすれば自然と給料をもらえるようになりますよ、と。

ある意味、ここはとても重要な話です。というのも、孔子先生の一門は、礼儀作法を身につけ役所に登用してもらうための、職業訓練校みたいなものですから。孔子亡き後、一門のテキストである論語には、不可欠な話とも言えるわけです。

就活ってどうやったらいいんですかーと質問してくる新弟子たちに、孔子先生はこんな風に仰ってたよと伝えるための箇所です。

就活なんて気にするな、いいからちゃんと勉強しろ、って言ってるようにしか聞こえないですけども。(笑)

◎──巻第一「為政第二」十九

・書き下し文

哀公問うて曰わく、何を為さばすなわち民服せん。孔子こたえて曰わく、直きを挙げてこれをまがれるにおけば、すなわち民服せん。まがれるを挙げてこれを直きにおけば、すなわち民服せず。

・だいたいの意味

(魯国の)哀公が質問された。何をすれば民は心服するだろうかと。孔子先生が答えられた。まっすぐな人を抜擢し、曲がった人の上に置けば、民は心服するでしょう。しかし曲がった人を抜擢してまっすぐな人の上に置けば、民は心服しないでしょう、と。

◎──巻第一「為政第二」十九について

善人をきちんと取り立てなさい、という話。分かりやすい話ですね。

「直きを挙げてもろもろのまがれるをおけば」として、「まっすぐな人を抜擢して、曲がった人を捨て置けば」とする説もありますが、大筋は変わりません。

「なんであんな奴が高い役職に就くんだ!」って不満は現代でも起こり得ますよね。面白いのは、能力の高さ云々ではないところ。もちろん無能では困ると思いますが、それでも能力よりもまず、まっすぐさが大事。

◎──巻第一「為政第二」二十

・書き下し文

季康子問う。民をして敬忠にして、もって勧ましむるには、これを如何せん。子曰わく、これに臨むに荘をもってすればすなわち敬す。孝慈なればすなわち忠なり。善を挙げて不能を教うればすなわち勧む。

・だいたいの意味

(魯の大夫である)季康子が質問された。民が敬の心と忠の心をもって仕事に励むようにするには、どうすればよいのでしょうか、と。

孔子先生が答えられた。民に対してその身を正し堂々とした態度で接すれば、民は敬意を抱くでしょう。孝の道をまもり慈愛をもって接すれば、民も真心を持つようになるでしょう。善人を抜擢し、能力の劣る者には教えていくようにすれば、みな自然と仕事に励むでしょう。

◎──巻第一「為政第二」二十について

リスペクトされたければ、我が身を正せ。真心を得たければ真心を示せ。仕事に励んでほしければ、立派な人間を重く用いて、能力の足りないものはみなで教えてサポートするようにしろ。そうすれば自然とそうなる。

……そのまんま現代でも使えそうな言葉ですね。

先ほどの哀公の話にしても、今回の季康子の話にしても、たぶん、現状がそうではないという前提があっての、皮肉交じりなんじゃないかなと思います。

上手くいくようにするにはどうしたらいい? って相談に、やることやってりゃちゃんと上手くいくよって答えてますからね。なかなか辛辣。

◎──巻第一「為政第二」二十一

・書き下し文

或るひと孔子にいいて曰わく、子なんぞ政をなさざる。子曰わく、書に云う、孝なるかこれ孝、兄弟に友に、有政に施すと。これまた政をなすなり。なんぞそれ政をなすことをなさん。

・だいたいの意味

ある人が孔子先生に言った。先生はどうして政治を行わないのですか、と。

孔子先生は答えられた。『書経』に「孝行よ、ああ孝行よ。そして兄弟とも仲睦まじければ、それは政治にまでも及んでいくことなのだ」とある。これらも政治に繋がっているのだ。どうして官職について政治を行う必要があろう、と。


◎──巻第一「為政第二」二十一について

親孝行して、兄弟とも仲良くすることが、すでに政治なんだよ、との話。孔子が自身の親兄弟の話をしているわけではなく、一般論として。身を正して家族を大切にすることは、よい政治に繋がっていくんだ。わざわざ政治家になって政治する必要もないじゃないか、ということです。

儒教(朱子学)で重要とされる書『大学』に由来する「修身斉家治国平天下」という言葉があります。まず身を修め、次に家をととのえ、そして国を治め、天下を平和にする、と。天下国家を治めるためにはまず自身のこと、家のことからだということです。

通じる考え方ですね。というか、儒教の根本です。

『大学』は『礼記』から抜き出して独立させたものです。せっかくなので、というか、いま目の前に講談社学術文庫の『大学』があるので、その該当箇所を引用してみます。これです。

古:いにしえ
斉う:ととのう
格る:いたる
后:のち

古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先ずその国を治む。その国を治めんと欲する者は、先ずその家を斉う。その家を斉えんと欲する者は、先ずその身を修む。その身を修めんと欲する者は、先ずその心を正しくす。その心を正しくせんと欲する者は、先ずその意を誠にす。その意を誠にせんと欲する者は、先ずその知を致す。知を致すは物に格るに在り。

物格って后知至る。知至って后意誠なり。意誠にして后心正し。心正しくして后身修まる。身修まって后家斉う。家斉いて后国治まる。国治まって后天下平らかなり。

……講談社学術文庫『大学』P34-37より。

引用しておいてなんですが、この部分を解説するとなれば、それだけで大変なことになる箇所なので、とりあえず雰囲気だけ味わっておいてください。

◎──巻第一「為政第二」二十二

・書き下し文

子曰わく、人にして信無くんば、その可なるを知らざるなり。大車にゲイ無く、小車にゲツ無くんば、それ何をもってかこれを行らんや。

・だいたいの意味

人として信の心なくして、それをよしとすることは考えられない。大きな車に牛をつなぐための横木がなく、小型車に馬をつなぐためのくびきがなければ、どうやって動かすことができようか。

◎──巻第一「為政第二」二十二について

人にとっての要は「信」であるという話。

以前にも書きましたが、信とは、友情を大切にする心、誠実であろうとする心、嘘をつかず人を欺かない心といった感じです。言動と行動を一致させることが、「信」にかなう態度です。

◎──巻第一「為政第二」二十三

・書き下し文

子張問う、十世知るべきや。子曰わく、殷は夏の礼に因る。損益するところ知るべきなり。周は殷の礼に因る。損益するところ知るべきなり。それあるいは周に継ぐ者は、百世といえども知るべきなり。

・だいたいの意味

子張が「十代先の王朝がどのようであるか分かるものでしょうか」と質問した。孔子先生は答えられた。殷王朝は夏王朝の礼を受け継いだ。そこに引いたり足したりしたところが見て取れる。周王朝は殷王朝の礼を受け継いだ。これも、そこに引いたり足したりしたところが見て取れる。

だからもし周王朝の礼を受け継ぐ王朝が続くなら、百代先であってもその様子が見て取れるものだ、と。

◎──巻第一「為政第二」二十三について

ここでの「礼」は、「制度」です。あとはまあ、そのままです。根本的な制度は改廃されながらも受け継がれていくから、先々のことも類推できるよ、とのことです。

実際には、異民族が中原を支配することもあったので、百代どころか、十代も難しかったと思いますが、そんな話はどうでもいいことで。(笑)

本質を押さえていれば、未来を想像することも可能だよという話です。

◎──巻第一「為政第二」二十四

・書き下し文

子曰わく、その鬼に非ずしてこれを祭るはへつらいなり。義を見てせざるは勇無きなり。

・だいたいの意味

自分の家にゆかりの霊魂でもないのに祀るのは、へつらいである。人として義の道を分かっていながら、義に従って行動しないのは、勇気がないのである。

◎──巻第一「為政第二」二十四について

超有名フレーズがきました! 義を見てせざるは勇無きなり!

でも、そのフレーズ単体だと分かるのに、直前の祭祀の話との対応がいまいちよく分からないですね。

ここでは、前者は義にあらずということで対応を考えます。祖霊でもなんでもないのに、祀ることで何らかの恩恵にあずかろうというような行為は不義だと。不義と知ってそのようなことをするのは、へつらいだと。

一方で、義と知りながら、義をなさないのは、勇気のない臆病な行為だと。

いい加減な気持ちで正しくない行為をするな。また正しい行為は迷わずにせよ。そんな感じですかね。義理人情の「義」ではなく、正義の「義」をイメージ。

◎──今回はここまで。

これで、『論語』の第一巻が終了しました。第十巻まであるので、なかなかの長丁場になりそうですね。しかも、途中、妙に長めの話も出てきたりします。

あまり面白くない箇所もあって、その辺はさくさく流して進めていきますので、どうぞ第二巻以降もお付き合いください。

最後に出てきた「義を見てせざるは勇無きなり」ですが、ちょうど体操協会の話を想起させますね。協会長のパワハラを告発した選手には、勇気があった。あとから追従してるOBには、勇気がなかったんですね。今回、勇気をもらった、というところでしょうか。もっとも、事実関係の解明はこれからですけども。

義にも勇にも色々あって、ひとつ扱いを間違えると身を亡ぼす危険なフレーズでもあると思いますが、どんな時でも正義が報われる世であってほしいですね。


【川合和史@コロ。】koro@cap-ut.co.jp
合同会社かぷっと代表
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