コロこと川合です。相変わらずのウマ娘ライフを、まあぼちぼち送っています。
いつからか知りませんが、父親が競馬好きで、中高生くらいから実家出るまで、競馬情報に触れる機会がそこそこあったんですよね。
ウマ娘に出てくるのは、ちょうどそれぐらいの時期に活躍していた馬が中心で、詳しいことは知らなくても、名前知ってるだけでグッと引き込まれます。
オグリキャップ時代のちょい後くらいがよく見聞きしていた時期なんですが、オグリが競馬ブームを興してくれたおかげで、大学生の時、バイト先のゲームセンターでも、クレーンゲームのプライズに競走馬のミニぬいぐるみがあったり。たぶんまだ実家にも何頭かいると思います。
名前は知っていてもレースはろくに見ていなかったので、今になって名レースの映像を見て興奮していたりします。レースそのものもさることながら、そこに至るまでのドラマなんかも熱いです。
ウマ娘のすごいところは、時代をまたいで名馬を一同に集めておきながらも、それぞれのドラマやエピソードを見事な形で再構築しているところですね。
いまYouTubeには、実際のレースとウマ娘のアニメでのシーンを使っての比較動画や、元ネタ解説動画が溢れかえっています。権利関係の問題で消される前に、ぜひ。
権利問題のないところでは、関西テレビの競馬チャンネルがコラボ番組として、声優さんと実況アナがトークする番組を公開されています。こちらも、ぜひ。
まあ、まずは、先日第二期も最終回を迎えたウマ娘のアニメからどうぞ。一期はスペシャルウィークが中心で、二期はトウカイテイオーとメジロマックイーンが中心の物語でした。
一期を見て、二期を見て、比較動画や元ネタ解説動画を見て、もう一度アニメに戻ったりしつつ、合間合間に気になる競走馬のことを調べたりしましょう。で、ゲームにも手を出して、睡眠不足に陥りましょう。……とても眠いです。
さて馬と言えば、孔子先生も馬好きでした。でも厩が焼けた時、馬のことより使用人たちにケガがなかったかを真っ先に心配したと、論語にもありましたね。郷党第十の十三です。落語「厩火事」もその話です。
無理やり本題に引き寄せたところで、今回も『論語』を読んでいきましょう。今日から新しい巻です。
◎──巻第八「衛霊公第十五」一
だいたいの意味:衛国の霊公が、戦の陣について孔子先生に尋ねられた。孔子先生は答えて仰った。
祭具のことはかつてより聞き知っていますが、軍旅のことはいまだ学んでおりません。
そして翌日、すぐに去られた。
──巻第八「衛霊公第十五」一について
戦のことを知りたがる霊公に嫌気がさして、長居せず衛国を去る孔子先生。
孔子先生が実際に戦の知識があったどうかはともかく、礼の専門家に戦のことを尋ねる霊公もどうなんでしょうね。
「祭具」とした箇所は、原文では「俎豆」とあって、「俎(そ)」はいけにえを捧げる台で、「豆(とう)」は木製の高坏だそうです。
◎──巻第八「衛霊公第十五」二
だいたいの意味:陳国にいらした時、食糧が尽きた。従者は病んで、立つことができない有様に。
子路は憤りながら(孔子先生に)目通りして言った。君子もまた困窮することがあるのですか。
孔子先生は仰った。君子ももちろん困窮はするが、小人は困窮すれば乱れる。
──巻第八「衛霊公第十五」二について
弟子を引き連れての長旅ですし、衛国は気に入らなくてすぐ旅立ちましたし。
先進第十一の二で孔子先生、あの頃の弟子はもういなくなったなあと、この困窮時代を振り返っていました。印象深いほどに困窮した時期だったんですね。
◎──巻第八「衛霊公第十五」三
だいたいの意味:孔子先生は仰った。賜(子貢)よ、お前は私が多くのことを学んでそれらをよく識っている者だと思っているか。
(子貢が)答えて言った。ええ、違いますか。
(孔子先生は)仰った。違う。私はひとつのことを貫いているのだ。
──巻第八「衛霊公第十五」三について
いっぱい学んで、いっぱい知識があると思ってるんだろうけど、違うよ、ひとつのことを貫いてるだけだよ、と。
子貢が知識重視型だったから、孔子先生はこの話をしたんでしょう。
里仁第四の十五で、「参(曾子)よ、我が道はひとつのことに貫かれている」と、孔子先生が言われた時、曾子は「ええ」と答えた。
孔子先生が退出されて、門人が「どういうことでしょうか」と曾子に尋ねた。曾子は「先生の道は忠恕のみだよ」と答えた。というやり取りがありました。
つまり、曾子は孔子先生の仰ることを理解していて、子貢はそうでなかったと、そんな風に言われることもあります。
でも、孔子先生の話の振り方が違うので、その評価はちょっとズルい。子貢も勘はいい方だと思うので、曾子に言ったような言い方をすれば、気づいたんじゃないかと思うんですよね。
『論語』の編者には子貢派と曾子派がいるらしいので、その辺も関係しているのかもしれません。
なお、先進第十一の十八では孔子先生は、参(曾子)は魯鈍だと評しています。
◎──巻第八「衛霊公第十五」四
だいたいの意味:孔子先生は仰った。由(子路)よ、徳を知る者は少ないな。
──巻第八「衛霊公第十五」四について
なんだか子路を相手に愚痴ってるようにも見えますけど、何かがあって子路を慰めているようでもあります。困窮して憤ってた後とか。
◎──巻第八「衛霊公第十五」五
だいたいの意味:孔子先生は仰った。何もしなくても統治できた者といえば舜だね。何をされたのか。己を慎んで正しくきちんと南面されていただけだ。
──巻第八「衛霊公第十五」五について
南面するというのは、統治者として政務を執り行うという意味です。
伝説の聖人ですからもちろん、何もしなかった、というわけではありません。
山ほど業績はありますが、身を正して粛々と政治を執り行っていただけだと。特別何か奇抜な手法を用いたわけではない、という話です。
成すべきことをただ粛々と、というのが一番難しいんですよねえ。
◎──巻第八「衛霊公第十五」六
だいたいの意味:子張が、思うように行われるようにするには、とうことについて尋ねた。
孔子先生は仰った。
「言、忠信」「行、篤敬」であれば、野蛮な国といえども、行われるものだ。
「言、不忠信」「行、不篤敬」であれば、町や里だといえども、行われない。
立ってはそれら(忠信・篤敬)が前に現れるのを見て、車に乗ってはそれらがその横木に寄りかかるのを見る。そうなって後に、行われるようになるのだ。
子張は、このことを帯に書き記した。
──巻第八「衛霊公第十五」六について
何事かを思うようになすにはどうすればいいかと問われ、言葉が誠実で行いが真心のこもった丁寧なものであればそうなる、と答える孔子先生。
ただ、その、「忠信篤敬」について、立っていても、車に乗っていても、寝ても覚めても、目の前にちらつくほどに考え続けろと仰っています。
子張はそう言われて、手始めに帯に書き付けたんですね。
──今回はここまで。
いつの間にか、すっかり春。吉野の千本桜も例年より早く見ごろだそうです。
桜と言えば、サクラバクシンオーあるいはハルウララでしょうか。ええ、まだ当分の間は、私の中のウマ娘ブームは続きそうです。
競走馬の世界は過酷で、名を残すような馬は一握りな上に、それなりの成績を残した馬でも引退後は見向きもされないことが多く。引退馬を支援する団体があったりするのですが、ウマ娘をきっかけに引退馬支援にもスポットが当たるようになったそうです。
アニメの売上の一部が団体に寄付されたり、ファンがそれぞれ支援活動に協力したり。このいい流れ、一過性のブームでなく、続くといいですね。
・NEWSポストセブン 競走馬を美少女化した『ウマ娘』ブーム、引退馬支援への期待
https://www.news-postseven.com/archives/20210329_1646790.html
乗馬を始める人も増えそうな気配で、乗馬人口が増えると引退馬の再就職先に繋がったりもするようです。
どうしても金儲けの道具にされがちな競走馬ですが、今回のブームで少しだけ潮目が変わったりするかもしれません。そのあたりは擬人化の強みかもです。
コンテンツの力が世の中を変えるところも含めて、一緒に楽しみましょう。
【川合和史@コロ。】koro@cap-ut.co.jp
合同会社かぷっと代表
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