まにまにころころ[193]ふんわり中国の古典(論語・その56)言葉が行動以上になることを恥とする
── 川合和史@コロ。 Kawai Kazuhito ──

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コロこと川合です。いよいよNHK大河ドラマ『青天を衝け』が始まりましたね。昨日の放送が二話。今これを書いている時点ではまだ一話しか見ていないので、まあ、これと言って感想はありません。(笑)

前回も書きましたが、渋沢栄一は幕末から昭和まで生きられた方で。私たちがイメージする実業家・渋沢栄一って現代的なところがあるんですが、スタートは農家の子。そして武士の身分を得て一橋家に仕えるということで、ドラマも最初は完全に「時代劇」風でしたね。

ここから、渋沢栄一を通じて日本の大転換期がどう描かれるのか、楽しみです。『論語』のことも色々と出てくるのかなあ。





徳川家康を使った演出は面白かったですね。どうせなら、『麒麟がくる』とキャスティングを合わせればよかったのにとも思いますが、晩年の姿ということで、北大路欣也による風格たっぷりな家康でした。

『麒麟がくる』の舞台は江戸時代に入る少し前、室町末期、そして戦国末期のお話でしたが、そこから秀吉の時代、そして江戸時代を迎えて、今回の幕末に時代が繋がっていくんだよというイメージが、あれでなんとなくできたかも。

そして、明治、大正、昭和へと今回の大河ドラマは進んでいくわけですね。昭和が長かったおかげで、昭和生まれの私としては、かなり地続きに感じます。平成生まれの方だとまたちょっと違うのかもしれませんけどね。

令和生まれは……まだ歴史に興味ないでしょう。(笑)

地続きで言えば、一昨年の大河ドラマ『いだてん』の金栗四三さんが明治24年生まれで、昭和58年に亡くなられていますので、渋沢栄一をリアルに知ってる世代です。

幕末またぎと言う意味では、『八重の桜』も『花燃ゆ』もそうでした。

渋沢栄一と、新島八重、杉文(楫取美和子)は、ほぼ同時期の人です。生まれは数年差で。渋沢が1840年生まれ、八重が1845年、文が1843年生まれです。渋沢が1931年に亡くなり、八重が翌1932年に亡くなり、文が少し早く1921年に亡くなっています。

三人ともそう遠くない時代の方だったんだなと改めて思うと共に、『花燃ゆ』放送からもう6年、『八重の桜』からもう8年かと、矛盾した感情が。(笑)実は私、『八重の桜』はリアルタイムでは観てないんですけどね。

毎年大河ドラマを見るようになるのは次の『軍師官兵衛』から。それ以前は『秀吉』しか観ていませんでした。今ではすっかり、大河ドラマと『ダーウィンが来た!』は生活の一部ですが。

なお『八重の桜』は数年後にU-NEXT(NHKオンデマンド)で観ました。あ、『西郷どん』も幕末またぎか。……まあいいや。どこまでも横道に逸れていきそうなので、切り上げて『論語』に移ります。


◎──巻第七「憲問第十四」二十三

・だいたいの意味
子路が主君に仕えるということについて尋ねた。

孔子先生は仰った。欺く(あざむく)ことなかれ。そうして、嫌な顔をされても諫めよ。

◎──巻第七「憲問第十四」二十三について

誠実であれ、誠を尽くせと仰っています。欺くことなかれ、は、そのままの意味ですが、虚偽があっちゃダメと。それの発展形となるのが次です。

仕える主君に至らないところがあれば、スルーせず、きちんと諫めなさいと。顔色をうかがって調子のいいことを言うのは欺きだと。ま、嫌な顔しながらも話を聞いてくれる主君ならいいんですけどね。

◎──巻第七「憲問第十四」二十四

だいたいの意味:孔子先生は仰った。君子は上達す(「上」のことに通じる)。小人は下達す(「下」のことに通じる)。

──巻第七「憲問第十四」二十四について

きれいに対になっているのでそのまま書きましたが、そのままではちょっと、意味が分からないですね。

道義をわきまえる君子は、日々、高尚なこと、立派なことへと、志高く、上へ上へと通じていくが、つまらない人物である小人は下賎なこと下卑たことへと、下へ下へと通じていくと。

まあ、だから君子であり、だから小人であるわけで、鶏と卵みたいなところもあるんですが、分かりやすい話ですね。

ただ、だとすれば、君子だけでは実際問題として政治は立ちゆかないようにも思っちゃいますが、君子たらんとする意識は必用だと思います。

◎──巻第七「憲問第十四」二十五

だいたいの意味:孔子先生は仰った。いにしえの学者は己のためにし、今の学者は人のためにする。

──巻第七「憲問第十四」二十五について

なんかそのまま読むと、珍しく今の学者のほうが立派って話かと思いますが、違います。昔の学者は己を高めるために学んだ。今の学者は人に知られたい、人に認められたいがために学ぶ。という話です。

たぶんこれ、いつの時代でも使える言葉だと思います。(笑)最近のやつらときたら……という愚痴としてもいつの時代でも共通でしょうし、また、功名心だけで学ぶ人間のことはなかなか後世に残らないので、結果的に「昔の人は偉かった」となりがちなんじゃないかなと。美化もあるでしょうが。

◎──巻第七「憲問第十四」二十六

だいたいの意味:キョ伯玉が孔子先生に使いの人をよこした。孔子先生はこの使いの者に席を与え、ご質問されて仰った。あの方(キョ伯玉)はどうされていますか。

(使いの者が)答えて言った。あの方は、過ちが少ないよう心がけられていますが、まだできてはおりません。

使者が帰った。孔子先生は仰った。使いなるかな、使いなるかな。(立派な使いの者だねえ)

──巻第七「憲問第十四」二十六について

キョ伯玉の「キョ」は、草かんむりの下に、急遽の「遽」です。難しい字だ! 衛国の大夫で、よく自省するなかなかの人物だったそうです。よく自らを省みる、立派な主人のことを謙遜をこめて語る使いに、孔子先生は好感を持たれたようです。

◎──巻第七「憲問第十四」二十七

だいたいの意味:孔子先生は仰った。その地位に就いていないのなら、その政務に口出しするな。

──巻第七「憲問第十四」二十七について

自分の職務に専念せよ、分をわきまえよ、他者の領分を侵すな、と。これ、誰も覚えていないと思いますが、一昨年に「泰伯第八」十四でまったく同じ章があります。今、その時のものを見てみたところ、

 なお、これ、まったく同じ文が、巻第七「憲問第十四」二十七にでてきます。
 なぜ出てくるのかはまたその時に。

と、私は書いていました。が、「大事なことなので二回言いました」以外の説明ができません。(笑)ただ今回は、この次に話が続きます。

◎──巻第七「憲問第十四」二十八

だいたいの意味:曾子が言った。君子はその地位を越えたことを思い考えない。(君子は思うことその位を出でず)

──巻第七「憲問第十四」二十八について

前章の話を受けての曾子の言葉と言われています。受けて、というか、そのままの繰り返しというか、君子はそうするよと。ただこの曾子の言葉は、『易経』からの引用です。(『易経』艮為山・象伝)

前章の孔子先生の言葉の裏付けとして引用したのだと言われていますが、逆に孔子先生(あるいは一門)が『易経』に書き加えたものだという説もあります。

◎──巻第七「憲問第十四」二十九

だいたいの意味:孔子先生は仰った。君子はその言のその行に過ぐるを恥ず。

──巻第七「憲問第十四」二十九について

分かりやすいので、ほぼ読み下し文のまま書きました。そのまま、言葉が行動以上になることを恥とする、ということです。ただ、読み下し方に別の説があって、「その言を恥じて、その行を過ごす」とする説もあります。

こちらは、言葉を「でかいこと言っちゃってないか」と恥じて控え、行動をしっかりと、十二分にする、と。どっちでも良さそうですが、前者の方がすんなりしっくりくるので前者で。

◎──巻第七「憲問第十四」三十

だいたいの意味:孔子先生は仰った。君子の道というものが三つあるが、私にはできない。仁者は憂えず。知者は惑わず。勇者は怖れず。

子貢が言った。先生ご自身を言った言葉ですね。

◎──巻第七「憲問第十四」三十について

君子は、仁者は憂えず。知者は惑わず。勇者は怖れず。なんて言うけどさー、私にはできないよー。

いやいや、それ、そのまま先生のことですやんー。あっはっはー。仲良し師弟ですね。

◎──巻第七「憲問第十四」三十一

だいたいの意味:子貢が人を批評した。

賜(=子貢)は賢いんだな。私にはそんな暇はない。

──巻第七「憲問第十四」三十一について

さっきはあんなに仲良しだったのに……やらかしたな、子貢。ネガティブな批評や誹謗された人はこの章を思い出し、暇人を笑いましょう。

子貢はよく人を比べて論じるクセがあったそうです。孔子先生も比較して語ることはよくありますが、評価を下すために批評するのではなく、そこから何か学びを得るために論じているところが子貢との違いみたいです。

◎──巻第七「憲問第十四」三十二

だいたいの意味:孔子先生は仰った。人の己を知らざるを憂えず、己の能なきを憂う。

──巻第七「憲問第十四」三十二について

似た意味の言葉がこれまでにも何度かあったので、ほぼ読み下し文のままで。人に知られないことを憂う暇があったら、能力不足を憂いなさいと。ここ、原文にいくつかの説があるようですが、まあいいでしょう。

◎──巻第七「憲問第十四」三十三

だいたいの意味:孔子先生は仰った。騙されないかとはなから警戒したりせず、信じてもらえないのではと憶測で心配したりせず、それでいて人に先んじて察することができるというのは、賢いことだ。

──巻第七「憲問第十四」三十三について

ここは逆に、最後「賢いか? いや賢くない」と反語での解釈もあります。また、まったく別の読み下し方で、「先んじて察することができる者は賢明だろうか。かえって人に怨まれるぞ」といったものもあります。

何も起きてないのに疑心暗鬼になって人を疑ってかからず、それでいて、人の嘘や自分への不信感にはいち早く気づくというのは賢いよね。

これが一番素直な解釈だと思うので、これで。

◎──巻第七「憲問第十四」三十四

だいたいの意味:微生畝が孔子先生に言った。丘(=孔子)よ、なぜそのように忙しく飛び回るのか。媚びているのか。

孔子先生は答えて仰った。媚びて回っているのではありません。頑なさ(かたくなさ)を憎むのです。

──巻第七「憲問第十四」三十四について

諸国を遊説する孔子先生に、取り入ろうとあくせく走り回ってるのかい、と、ちょっと嫌なことを言ってきた微生畝(びせいほ)。呼びかけかたからして、先輩格風ですね。年長の隠者と言われています。

それに対し孔子先生は、いやいや誰かに媚びて色々言ってるわけじゃなくて、頑なな考えにとらわれてしまうのが嫌なので、あれこれしてるだけですよ、と。うざいジジイに絡まれたのを、さらっとかわしています。

──今回はここまで。

また近いうちに「わぐちゃんねる」でも紹介するんですが、最近、ガーミンのスマートウォッチを買ったんですよ。人生初のスマートウォッチ。

ガーミンのウォッチって「ボディバッテリー」という、着けてる人の「元気度」をバッテリーに見立てて、活動すれば減り、休息すれば増える指標があって。

MAXが100なんですが、これが昨日からずっと「5」で。天に召されるカウントダウン状態?

昨日から寝てないわけじゃないんですけど、睡眠中2回復して2減った、らしい記録がありました。夢見でも悪かったんですかね……

ちなみに温情なのか、倒れるまで気づかせない策略か、ボディーバッテリーは5以下にはならないみたいです。なんせかれこれ30時間ほどずっと5ですから。寝てる間に一瞬7だったのかもしれませんけど。

ストレスも数値化されるんですが、昨日は97なんて数字を叩き出しました。今、87です。高ストレスと表示されています。気分的にはそんなこと無いんですけどねえ。基本、心拍数が計測の中心なので、ちょっと何かと心拍数が高すぎなのかも。

とはいえ、ここ数時間ずっとキーボード叩いてるだけですし、心拍数もあまり上がってないんですが。ちょっと謎ですけど、喜んで受け入れて休息します。

各方面のみなさま、私のレスポンスが悪くても、ああ休息してるんだろうなと、優しく温かく見守ってください。なんせボディーバッテリーの残量5ですから。

……あ、ストレス80まで下がりました。


【川合和史@コロ。】koro@cap-ut.co.jp
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