まにまにころころ[191]ふんわり中国の古典(論語・その54)ここでいう成人とは[完成した人]です
── 川合和史@コロ。 Kawai Kazuhito ──

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コロこと川合です。本年もどうぞよろしくお願いします。

当分は、えっと今年は令和なん年だっけ、と戸惑いそうです。特に三月までは、令和三年であり令和二年度でありと、色々なところにトラップが潜んでいて。

和暦、元号といった文化は好きですし、これからも大切にして欲しいのですが、書類に書かせるのはやめてくれと思っています。(笑)

改元の頃、タモリさんが「西暦はページ数、元号は章」という旨のコメントをされていましたが、これは見事な比喩ですね。こんな気の利いたことを言える大人になりたい……

元号と言えば、令和は今のところほぼコロナ騒動と共にあり、時代が時代なら早々に改元されてしまいそうなところですね。あと遷都したり大仏作ったり。

天然痘が大流行して未曾有の混乱となった天平時代、大仏建立が始まったのは大流行が収束してから数年後ですが、最中も神仏には祈りまくったでしょうね。

令和の今でさえ、元日早々に初詣に出かけて祈る人が多かったようでしたし。新型コロナの収束を祈る人々の群れに、神様も頭抱えそうな様子でしたけど。

そんなこんなで、まだまだコロナ禍は続きそうですが、そんな話ばかり続けていたら、また気がつけば年が明けてましたなんてことになりかねませんし、外出を自粛しつつ粛々と『論語』でも読んでいきましょう。




◆──巻第七「憲問第十四」十一

だいたいの意味:孔子先生は仰った。貧しいなかで恨み言を言わないのは難しいが、裕福ななかで傲慢にならないことはできるだろう。

──巻第七「憲問第十四」十一について

貧乏だとつい怨み言のひとつも言いたくなるよね。そこで怨まないのは難しい。裕福だとつい傲慢になりがちだよね。でもそれは抑えられるでしょ。

と、まあ、そんな感じです。

貧乏でどうこう裕福でどうこうと、こんな感じの話は、ずっと最初の方、学而の十五にも出てきました。

子貢曰わく、貧しくして諂らうこと無く、富みて驕ること無きは、いかん。

と、子貢が孔子先生に尋ねるところから始まる話です。

子貢が言われた。貧しくても卑屈になってへつらわず、富んでも驕ることがない人というのは、いかがでしょうか。

孔子先生が言われた。いいね。でも貧しいながらも道を楽しみ、富んでいても礼を好むという人には及ばないね。

子貢が言われた。なるほど、詩経に『切磋琢磨』とあるのは、それを言っているのですね。

孔子先生が言われた。賜(子貢)よ、これからは一緒に詩経について語り合えるね。告げたことから察して、その先まで理解できるようになったのだから。

と。覚えて……ませんよね。

今見たら、学而の十五を読んだのは、ロシアでのサッカーFIFAワールドカップが始まった頃でした。それがいつなのかも、もう思い出せないくらい前でした……(ググったら2018年初夏でした)

◆──巻第七「憲問第十四」十二

だいたいの意味:孔子先生は仰った。孟公綽は、趙や魏の家老としてなら優れているだろうが、滕や薛の大夫までは務まらない。

──巻第七「憲問第十四」十二について

孟公綽(もうこうしゃく)は、孟孫子の一族でなかなかの人物です。後でまた出てきます。

趙、魏は、当時は大国である晋国の大臣の家柄で大家です。

滕(とう)、薛(せつ)は、当時の、吹けば飛ぶような小国です。

あいつぁ立派だよ、あの趙や魏くらいの大家で家老を務めたっていけらぁな。でもよ、どんな小さかろうが国政を担える器じゃねぇやな。

と、なぜか急に江戸っ子ぽい口調になっちゃいましたが、そんな人物評です。

ましてや魯国の国政なんてあいつにはやらせられない、と遠回しに言ってます。

◆──巻第七「憲問第十四」十三

だいたいの意味:子路が成人について尋ねた。孔子先生は仰った。

臧武仲の知、公綽の不欲、卞荘子の勇、冉求の芸があって、さらに礼楽で飾りを与えるなら、成人といえるだろう。
ただ今時の成人は、必ずしもそこまででなくとも、利益を前にして正義を思い、危険を前にして命をささげ、昔の約束であっても口にした言葉を忘れはしない、それもまた成人といえるだろう。

──巻第七「憲問第十四」十三について

成人の日を迎えられた新成人のみなさま、おめでとうございます。
ここでいう成人とは、完成した人、です。

臧武仲(ぞうぶちゅう)、公綽(こうしゃく)、卞荘子(べんそうし)は当時、ひとかどの人物として魯国で名の通った人です。冉求はあの門人の冉求です。ここでいう芸というのは、文化的教養のことです。

一流どころに並ぶ知勇と無欲さ、そして文化的教養がある人物に礼儀と音楽的教養で彩りを添えれば、成人といえる。でもそこまでじゃなくても、目の前の利益に転ばないで正義の心を持ち、危険に怯まず、約束を忘れない人物なら、成人といっていいだろうと、孔子先生は仰ってます。

◆──巻第七「憲問第十四」十四

だいたいの意味:孔子先生が公叔文子のことを公明賈にお尋ねになった。本当ですか、あの方は、言わず、笑わず、取らず、というのは。

公明賈は答えて言った。
そう申した者の間違いです。あの方は、言うべき時がきて後に言うので、人はその言うことを嫌がりませんし、楽しむ時がきて後に笑うから、人はその笑うことを嫌がらないのです。贈り物も、義にかなってから後に受け取りますので、人はその受け取ることを嫌がらないのです。

孔子先生は仰った。
なるほどそうでしょう、そうでしょう。

──巻第七「憲問第十四」十四について

公叔文子(こうしゅくぶんし)は、衛国の重臣。公明賈(こうめいか)は衛国の人です。耳にした噂の真偽を、衛国の人に尋ねています。

この話はまた訳や解釈に諸説あって、そうだろそんなやつはいないと思ったよ、というものや、そうかもしれないしそうじゃないかもしれないよ、というのも。噂を確認した後の孔子先生の言葉の部分に違いがあります。

孔子先生が噂を聞いて、また公明賈の話を聞いて、それぞれ公叔文子のことをどう思ったのかというところがポイントになってくるんだと思いますが、私は、あまりに潔癖な人物と聞いているんだけど実際はどうなの、と、純粋に尋ねて、話を聞いて、噂と違うが取るべき時に取るべき態度が取れる人物であると聞き、改めて好感を持ったんじゃないかなと思っています。

孔子先生はそういう人だと思うだけで、根拠はありません。(笑)

◆──巻第七「憲問第十四」十五

だいたいの意味:孔子先生は仰った。臧武仲は(領国であった)防の地において、魯に後継を立てさせることを要求した。君主に強要したのではないと言うが、私は信じない。

──巻第七「憲問第十四」十五について

これだけではサッパリ何のことか分かりませんね。

さっき知の人として出てきた臧武仲ですが、政争に敗れて魯を去り亡命を図ります。その際、領国であった防に立てこもり、大人しく土地を明け渡して去ることと引き換えに、魯に後継者を残すことを要求しました。

国に対し、ひいては君主に対して交換条件をつきつけた臧武仲を、孔子先生は非難しているわけです。

◆──巻第七「憲問第十四」十六

だいたいの意味:孔子先生は仰った。晋国の文公は偽で正ではない。斉国の桓公は正で偽ではない。

──巻第七「憲問第十四」十六について

ここも諸説あり、文公は奇策を得意とし、桓公は正攻法を得意とする、という解釈がしっくりくるかな思います。二人合わせて「斉桓晋文」とも称される、春秋時代を代表する二人ですし。晋国の文公は、重耳という名のほうが通ってますね。

◆──巻第七「憲問第十四」十七

だいたいの意味:子路が言った。桓公が公子である糾を殺した時、召忽は殉じて死にましたが管仲は死にませんでした。言うならば、仁ではないのではないでしょうか。

孔子先生は仰った。桓公が諸侯を糾合するにあたって兵車を用いなかったのは管仲の力である。その仁に及ぶだろうか。その仁に及ぶだろうか。

──巻第七「憲問第十四」十七について

さっきも出てきた桓公ですが、斉国の君主で、その地位に就くに当たって兄で公子の糾(きゅう)を討っています。

桓公の物語は、むしろ管鮑の交わりとの成語で有名な管仲と鮑叔が主役です。ご興味あれば、宮城谷昌光の小説『管仲』をお読みください。おすすめです。宮城谷昌光は『重耳』も書いています。こちらは積ん読状態で未読です……

斉国が乱れた時、公子であった糾と小白(後の桓公)はそれぞれ、魯国とキョ国へと亡命しました。その時、糾に従ったのが管仲、小白に従ったのが鮑叔で、主君同士がライバル関係になりながらも、この二人は親友でした。

後に斉国に君主として返り咲くべく糾と小白は争い、管仲はあわや小白を討つところまで追い詰めますが、討たれた振りをした小白に気を緩めたところで、争いに敗れてしまいました。

勝って桓公となった小白は、魯に逃げ込んだ糾の処刑と、糾に付き従った管仲、召忽の引き渡しを要求しました。魯国は桓公の強さに抗えず、糾を処刑し二人の引き渡しを決めました。その際、召忽は拘束される前に自決しました。

桓公は、管仲を処刑しようとしますが、鮑叔が管仲の登用、それも宰相としての重用を薦め、桓公はそれに従いました。

この時の話をもって、主君に殉じた召忽と違って生きながらえ、さらに相手に仕えた管仲は仁ではないですよね、と子路は孔子先生に尋ねています。

で、孔子先生は、その管仲の力で桓公は武力を用いずに全土をまとめられた、これは何にも勝る仁だろう、と言っているのです。

◆──巻第七「憲問第十四」十五

だいたいの意味:子貢が言った。管仲は仁者ではないでしょう。桓公が公子の糾を殺して、殉死もできないで、さらには仕えて補佐するなんて。

孔子先生は仰った。管仲は桓公を補佐して、諸侯に覇を唱えて天下をひとつにまとめあげさせた。人民は今に至るまでその恩恵を受けている。

管仲がいなければ我々は髪も乱れ襟を左前に着るような野卑な姿をしていただろう。くだらない男女がちょっとした義理立てから、溝の中で首をくくって人知れず死ぬがごとき話とは違うよ。

──巻第七「憲問第十四」十五について

子貢も管仲否定派のようですが、孔子先生は、義理立てして殉死しないからって、そこらの男女の心中とはわけが違うんだから、生きて後世にまで影響を及ぼす大任を果たした管仲が、仁者でないなんてことはないと仰ってます。


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