まにまにころころ[187]ふんわり中国の古典(論語・その50)修身斉家治国平天下
── 川合和史@コロ。 Kawai Kazuhito ──

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コロこと川合です。私がちょっと前に秋をいじったせいか、いきなり冬がきたような気温になってしまった週末、いかがお過ごしだったでしょうか。

まあ冬は言い過ぎですが、一気に冷えましたね。ちょっと持ち直すようですが、激しい寒暖差は地味に健康に影響するのでみなさんお気をつけください。

私は事務所の床で寝ていて風邪ひきそうになりました……。
ちょっと仕事がたまっていて。

そんな中なのに、つい、話題のVRデバイス「Oculus Quest 2」を入手し、つい、ついつい、あれこれコンテンツを試してみたりなんかして。

VR初体験ってわけではないんですが、買ってじっくり触ったのは初めてで。

これ、ヤバイですね。一時間ほどチュートリアルのゲームを遊んだら、視覚も身体感覚も、なかなか現実世界に戻って来ず……しばらくふわふわしてました。





不慣れだったことと、チュートリアルの中でコントローラーを使った操作だけでなく、自分の手を認識させて操作するコンテンツに触れていたから、余計に大きく感覚が狂ったんだと思いますが、それにしても、怖いくらい。

外出予定がある時は、直前にVRで遊ぶのは危ないなーと思いました。

特に、運転なんて絶対ダメ。寝る前に少し遊ぶくらいがいいんじゃないですかね。

VRということで(立体視の視力への影響から)一応年齢制限があるんですが、子どもや自制心に欠けた私みたいな人間には、危険なオモチャです。

だって、超面白いんですもの。

まだまだコンテンツが少ない、特に日本語化されたコンテンツは少ないですが、今後あれこれ出てくると、リアルとバーチャルの境界がおかしくなりそうな。

いや、一昔前にゲームの悪影響がどうとかって言われてたような、そんな話ではなくて、単に、生活の中心をVRに持ってかれそうで。

MMORPGが流行った時、ゲーム内が生活の中心になっちゃった人いましたよね。あんな感じになりそう。

依存症とはまたちょっと違う、純粋に向こうの世界が面白くて戻ってこない、そんな感じ。

アニメの『ソードアート・オンライン』みたいなキラーコンテンツが出たら、世の中が大変なことになるんじゃないかなーって危惧さえ感じます。

完全におっさん視点の感想ですね。(笑)

MMORPG、エバクエやラグナロクで人生一変した人を見てきた世代なので……。

まあそれはさておき、「Oculus Quest 2」いいですよ。

VRゲームだけでなくて、例えばAmazon Prime Videoなんかも専用アプリが用意されていて、2D作品も仮想映画館で視聴できるんです。

誰かと一緒に観ようと思えば、人数分デバイス買わなきゃですけどね。

「Oculus Quest 2」はストレージサイズが64GBと256GBの二種がでていて、前者が4万円くらい、後者が5万円くらいです。がっつり楽しむなら後者をぜひ。

高画質コンテンツがウリなので、ゲームにしろ映像にしろ、データがでかい。

ストリーミング見てて途中で途切れたら嫌だなと思って、映像作品をいくつかダウンロードしてたら、64GBなんてあっという間でした。

この先たぶんゲームも大容量の物がどんどん出てくると思いますし、値段差がそれほどでもないので、ぜひ大きい方をどうぞ。

ま、VRはまだまだ合う合わないも大きいですし、コンテンツも発展途上なので、ちょっと待てば中古市場にもたくさん出てきそうですが。買ったものの合わなかったとか、コンテンツ少なくてすぐ飽きたとか。

あと、体を動かす系のコンテンツがあれこれ人気なんですけど、住宅事情的にちょっと楽しみきれない人も多いような気もします。

私のうちでは絶対ムリwww

私はとりあえず椅子に座って、半径1メートルくらいの狭いエリアで試せるものだけを楽しみました。

そもそもがっつりゲームするために買ったわけでもなくて、そろそろこれ仕事に関係してきそうだなーと思って買ったもので。

すぐにどうこうってのはないですけど、安い方なら4万円を切ってきて、気軽に一般家庭でも手を出せる感じになってきたので、これまで以上にVRデバイスが普及して行くんじゃないかと。

まだまだちょっとどうなるか不透明ですが、今のうちにしっかりあれこれ体験しておいたほうがいいように思って、ちょっと流行に乗ってみた次第です。

……えっちなVR映像にハマってる知人に触発されたわけではないです。(小声)

話がおかしな方向に行く前に論語へと移りたいところですが、お知らせを先に。

今週末、10月23日(金)の夜に、日本ウェアラブルデバイスユーザー会主催で、オンライン勉強会を開催します。

先月、AppleとOculusの発表会に合わせて開催したので、発売後となる今月は、それらの実機レビューってことで、ゆるーくおしゃべりしましょう。

詳しくはリンク先をご覧ください。
https://w-ug.connpass.com/event/192531/


さて、では本編へ。

◎──巻第七「子路第十三」十一

・だいたいの意味
孔子先生は仰った。善人(聖人・君子未満ながら立派な人)でも国を治めること百年ともなれば、暴力的な犯罪者を抑制し死刑を廃止できるというが、真実だよこの言葉は。

──巻第七「子路第十三」十一について

聖人とまではいかないまでも立派な人が百年統治した国では、社会のクズどもの発生が抑えられ、死刑制度もいらなくなると言われていたようで、孔子先生はこの言葉は誠のことだよと評しています。

立派な政治家がいれば、人民は感化されて善良になるって話は、これまでも何度か出てきていましたが、これは裏を返せば、社会のクズを生むのは政治であり、社会であると、孔子先生は認識しているってことですよね。

政治を正せば、人民の心も正されると。そして社会全体が治まると。

孔子先生は、その立派な政治を行う立派な政治家を育成することを、ミッションとしているわけです。平和な社会を実現し、聖人の徳を広く知らしめるために。

元は『礼記』の一篇であり、後に独立した書として扱われ朱子によって四書のひとつとされた『大学』という書があります。曾子による書との説もあるこの『大学』から出た成語に、「修身斉家治国平天下」というものがあります。

古の聖人の明徳を天下に知らしめたいと望むものは、まずその国を治めなさい。
その国を治さめたいと望むものは、まず自分の家を整えなさい。
その家を整えたいと望むものは、まず自身のその身を修めなさい。

身が修まって後に家が整う。家が整って後に国が治まる。そして国が治まって後に天下が平らかになるのだ。

『大学』にはそう書かれています。修身→斉家→治国→平天下、です。

曾子の作かどうかはともかく、『論語』に見える孔子先生の教えとも、確かに一致しますね。

孔子先生はおそらくこの「修身」の対象は為政者、為政者志望者として指導を行なっていると思いますが、それは、為政者が身を修めこの道を辿っていく過程で、人民も感化されて同じ道を辿り、ひとりひとりが身を修め家を整えていく結果、加速度的に平和な世へと向かっていくイメージだったのではないかと。

でも、孔子先生は立場的にも時代的にもそうしていますが、今の時代を生きる私たちは別に為政者の修身を待つ必要はないわけです。さらに、誰もが為政者になれる制度さえありますし、おまけに為政者を選ぶ権利までありますし。

燦然と徳が輝く平和な世を理想とするならば、皆が率先して身を修めることに努めればいいわけです。これを強制的に教育によって実現しようとすると、微妙な空気が流れることになるわけですが……。

孔子先生みたいに徳を備えた教育者がいれば、話も違ってくるんですけどね。

ともあれ私は「修身斉家治国平天下」という言葉、大好きです。

◎──巻第七「子路第十三」十二

・だいたいの意味
孔子先生は仰った。もし王者が現れたとしても、きっとひと世代かかって仁が成されるだろう。

──巻第七「子路第十三」十二について

王者とは、天命を受けて世を統べる使命を帯びた者のことです。

そのような者が現れたとしても、すぐに理想的な世の中になるわけではなく、ひと世代=三十年はかかるだろうとのことです。

さっき出てきた善人(ぜんじん)が治めれば百年、天命を受けた王者で三十年。徳や仁を世に行き渡らせるのは一朝一夕にはいかないということですね。

◎──巻第七「子路第十三」十三

・だいたいの意味
孔子先生は仰った。もしその身を正すなら、政治の道に携わることなど何でもないことだ。その身を正すことが適わないなら、他人を正すことなどできようもない。

──巻第七「子路第十三」十三について

前回読んだ「子路第十三」六と同じような話ですね。

「子路第十三」六では、孔子先生は、その身が正しければ、命令せずとも行われる。その身が正しからざれば、命じたとしても従われない。と仰ってました。

為政者はまずその身を正せ、と。つまりは「修身」ですね。

ただ孔子先生が、身を正すなら政治なんてなんてことはない、って仰るように、その「身を正す」というのは非常に奥深く、難しいことであるということです。

政治を行うよりも身を正すことの方がずっと難しい。身を正すことが出来るなら、政治は問題なく行える。でも、そういいつつ、政治を円滑に行うには身を正す必要があるわけで。

我が身を正すこと、修身は、政治への近道であると同時に唯一の道でもあると。

現代、論語がよく読まれているであろう日中韓の政治家たちは、その辺のこと、どう思ってるんでしょうね。

──今回はここまで。

科目として「修身」「道徳」というものがありましたが、正直多くの人はこの科目に対して、胡散臭いイメージしかないんじゃないでしょうか。

それはたぶん、科目を設定する人間も、それを教える人間も、身を正せてないにもかかわらず、人にそれを教えようとしてきたから。

その身を正すことが適わないなら、他人を正すことなどできようもない。これは何とも悩ましい問題です。

身を正す。難しいですよ。だって人間だもの。みつを。

私なんて、Oculus Questのプレイ時間さえ自制できないのに。

みなさんはちゃんと身を正し、私がずっと遊んでても問題なく暮らせるような、平和で理想的な世の中を作ってください。お願いします。


【川合和史@コロ。】koro@cap-ut.co.jp
合同会社かぷっと代表
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