まにまにころころ[188]ふんわり中国の古典(論語・その51)近き者悦び、遠き者来る
── 川合和史@コロ。 Kawai Kazuhito ──

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コロこと川合です。みなさんがこれを読まれている時には、大阪の住民投票の結果がもう出てるんですよね。いわゆる大阪都構想の一環の。

今回のこの「大阪市廃止・特別区設置住民投票」ですが、詳しくはもうテレビやネットで散々、おそらく今この瞬間も報じられていて、興味ある人は十分に情報を得られていると思いますので省きます。

是非についても、もうひとまずは結果の出たことなので、何も言うことはなく。でも、大阪人としては、それでも何か言いたい!(笑)

結果出る前に書いていて、それが読まれる時には結果が出ているという、なんとも難しいタイミングなんですが、それでも触れたい!(笑)

自分が住んでいる自治体の転換期に立ち会えるなんて、なかなかないでしょ。ラッキーだなとさえ思います。

大阪府外の方にはあまり興味ひかれない話題かもしれませんが、これって大阪だけの問題ではなく、全国の政令指定都市とそれを抱える自治体には、いつかは降りかかってくる問題です。いや多くの地域で問題自体は既に発生してるはず。

「都構想」なんていう名前がちょっと突飛なので、特異な話っぽく見えますが、神奈川、愛知、兵庫、福岡あたりは注視してるんじゃないですかね。

で、まあ、結果どうなったのかまだ知らないので、想像するしかないんですが、今回、また反対が上回ったんじゃないですか?

反対の勝利に手持ちのペリカとガバスを全額ベットします。





今回は大阪市民だけが対象の住民投票なんですが、現状を何とか変えたいってほどのモチベーションが、それほど高くないと思うんですよ。大改革をしてまで変えたいって気持ちがなければ、現状維持で人生逃げ切りたいって人のほうが、今はまだ多いんじゃないかなと。賭けにでるほどの不満はないというか。

今の市政にさほど強い不満がないから改革に反対という、維新からしてみれば皮肉な結果に終わるんじゃないかと予想しています。外れてたらゴメンナサイ。

私は今、まだ投票案内状を手に迷っているところなんですが、悩みまくりです。

改革自体には賛成です。細かいことはさておき、そのほうが面白いから。人生一回しかないんだし、見たことない展開を見たいという好奇心があり。

でも、根が保守的で面倒くさがりな人間なので、色々変わることへの抵抗感も強くて反対にも大きく惹かれています。維新にそんなことほんとに出来るの? という思いもありますし。

ただここんとこ、街の中でもネット上でも、都構想反対派、アンチ維新の人があの手この手で反対運動を繰り広げているんですが、その大半が酷くて酷くて。

ここで反対するのは、この馬鹿共の片棒担ぐことになるんじゃないかと思うと、賛成した方がマシなのかもと思わされたり。幸い、理性的に論理的に反対の声を上げている人も見かけるので、冷静に考えられますけども。

孔子先生には激怒されるかもしれませんが、政治は馬鹿な善人に任せるよりも、仮に悪人であっても賢い人に任せたいと思っています。話が通じるので。ただ、世の中には馬鹿な悪人もいるというのが難点。賢い善人はなかなかいないのに。

ま、私は馬鹿な善人タイプですので、投票結果を楽しみにしつつ、とりあえず今日も粛々と孔子先生の教えを読んでいきたいと思います。


◆──巻第七「子路第十三」十四

だいたいの意味:冉子が朝廷(国家の朝廷ではなく、季氏の私的な政務の場)から帰ってきた。

孔子先生は仰った。どうしてこんなに遅かったのか。

(冉子が)答えて言った。政治の話があったのです。

孔子先生は仰った。それは(政治ではなく私的な)事務の話だろう。もし政治の話なら、私は登用されていないといえど、私にも相談されているはずだ。

──巻第七「子路第十三」十四について

私に相談がない話なんて、政治の話であるはずがない、と孔子先生が冉子に嫌味を言ったという、取り上げられ方をされることもある一節です。

でも孔子先生がそこまで器の小さな人であるはずがない、という前提で読めば、もちろんそんな解釈にはならないんですけども、孔子先生なら言いかねない、というところもあったりして悩ましい。(笑)

ただ実際は、本当に大事な政治の話であれば、この時は現役で役職には就いていなかった孔子先生にも、身分的に相談があってしかるべきというのが当時の本来の政治の姿で。孔子先生が特別というわけでなく、広く高位の者の意見を聞くという。でも、この日の件について、孔子先生は聞いていない。

この日の話が本当に政治の話であったなら、それは季氏が自分の息のかかった者たちだけで、政治を行おうとしているということです。

孔子先生はそのことを暗に批判しているんですね。冉子は才能もあって季氏にも重用されているのですが、季氏を立てようとする、ともすればおもねるようなところがあり、それにも釘を刺している形です。

◆──巻第七「子路第十三」十五

だいたいの意味:定公が尋ねた。ひと言で国を興隆させる言葉はあるだろうか。

孔子先生は答えて仰った。言葉というものはそのようなものではありませんが、近いものはあります。

誰かが言いました。君たること難し、臣たること易からず、と。もし君たることの難しさを知るのであるならば、ひと言で国を興隆させることに近い言葉でしょう。

(定公が続けて)言った。ひと言で国を衰退させる言葉はあるだろうか。

孔子先生は答えて仰った。言葉というものはそのようなものではありませんが、近いものはあります。誰かが言いました。私は君たることを楽しむことはない。ただ私の言葉に逆らう者がないことを楽しむのだ、と。

もしそれが善(の言葉)であって逆らう者がないのならいいでしょうが、もし不善であっても逆らう者がないのならば、ひと言で国を衰退させるに近い言葉でしょう。

──巻第七「子路第十三」十五について

定公というのは、孔子先生を抜擢した魯国の君主です。その定公が孔子先生に、国を興隆させるキーフレーズ、なんてものはあるの? って尋ねてみると。

そんな言葉はないけど、近いものならあるかなあ、と孔子先生。

「上に立つのは難しい、下につくのも簡単じゃない」

これがちゃんと分かるなら、これは国を興隆させる言葉って言えるかも。そう孔子先生は仰いました。

唱えれば国が盛んになる魔法の言葉なんかではないけど、君主としてこの言葉を理解して胸に刻んでおけば、国は栄えるでしょうって話だと思います。

続いてはその逆。「君主自体は楽しい仕事じゃないが、皆が言いなりになるのは楽しい」

こんなこと思ってたら国は滅ぶぞ、と。まあ定公としても「だよねー」くらいの感想じゃないですかね。

◆──巻第七「子路第十三」十六

だいたいの意味:葉公が政治というものについて尋ねた。孔子先生は仰った。近き者悦び、遠き者来る。

──巻第七「子路第十三」十六について

葉公(しょうこう)は楚国の重臣です。

これ、めっちゃ簡潔ですが、まさに、って感じですね。政治が目指すことの要点をひと言で表しているのではないでしょうか。

すべての自治体がビジョンとして掲げていいくらい、普遍的な言葉です。その政治の影響下にある人々は悦び、それを聞いた遠くの人々は、それならば自分もその地で暮らそうと集まってくる。理想的な姿ですね。

◆──巻第七「子路第十三」十七

だいたいの意味:子夏がキョホの宰(取締役)に就いて、政治というものについて尋ねた。

孔子先生は仰った。スピードを求めるな。小利を見るな。急げば成功しないし、小利に気を取られては大事を成せない。

──巻第七「子路第十三」十七について

キョホ、キョは草かんむりに呂。ホは父。街の名前です。

子夏は出来る子なんで、焦らずにやるんだよ、とひと言だけアドバイスしたんでしょう。出来る子でも、功を急いでしくじるってことはありますので。

◆──巻第七「子路第十三」十八

だいたいの意味:葉公が孔子先生に語った。私の一派に実に正直な者がいます。その父が羊を盗んだのですが、子がそれを証言したのです。

孔子先生は仰った。私の一派の正直者は、これとは異なりますね。父は子のために隠し、子は父のために隠します。正直さがその中にあります。

──巻第七「子路第十三」十八について

なかなかに物議を醸す話です。

葉公は、親子の情にとらわれず正義をとった者を正直者と評しました。

孔子先生は、親子の情を大前提とし、たとえ悪事を行っても庇う気持ちの中に正直さがあるとしました。

どうでしょう? この話だけを見れば、結論は出ませんが、興味深く、面白い話です。

ただこれ、孔子先生の話が歪んで解釈されると問題が出てきます。悪であっても親は敬うべき。悪であっても子は守るべき。という風に。

孔子先生は絶対、そんなことを言いたかったわけじゃないと思うんです。

でも、たとえ悪でも親に尽すのが孝だ、君に尽くすのが忠だ。そう言われると、そうかもしれないと思えてきたりなんかして。時に悲劇に繋がります。

◆──巻第七「子路第十三」十九

だいたいの意味:樊遅が仁というものについて尋ねた。

孔子先生は仰った。家では恭、仕事では敬、人との交際では忠であって、夷狄の地に行ってもその気持ちを捨てないことだ。

──巻第七「子路第十三」十九について

プライベートでは恭しさを忘れないように気をつけなさい。公の場では敬意を忘れないように気をつけなさい。

人との交際においては真心を尽くすように気をつけなさい。もし文化の違う異国に行ったとしても、それらを忘れないようにね。

樊遅がなんども聞いてくるから、噛んで含めるように説明する孔子先生の愛……。

◆──巻第七「子路第十三」二十

だいたいの意味:子貢が尋ねて言った。いかなる者を「士」というべきでしょうか。

孔子先生は仰った。己の行動に恥を知り、他国へ使者にたって君命を辱めない。士といえるだろう。

(子貢が)言った。ではあえて、それに次ぐ資質についてお聞かせください。

孔子先生は仰った。一族からは孝(親を敬う)といわれ、郷党からは悌(目上を敬う)といわれる者かな。

(子貢が)言った。さらにあえて、それに次ぐ資質についてお聞かせください。

言葉は必ず信(偽りがない)で、行動は必ず果(判断力や決断力がある)かな。堅苦しい小者だけどね。

(子貢が)言った。今の政治家はいかがでしょうか。

孔子先生は仰った。ああ、小さな器で、数えるにも値しないよ。

──巻第七「子路第十三」二十について

子貢も出来る子なんで、ちょっとしたじゃれあいみたいにも見えますね。

「士」は、「教養のある、ひとかどの人物」といったところです。子貢は士と言える人物で、お互いそれを分かっての問答にも思えます。

◆──巻第七「子路第十三」二十一

だいたいの意味:孔子先生は仰った。中行(中庸)の人物を得てその人と交流を持てないのであれば、狂者か狷介な者を選ぶしかないね。狂者は進取の気質があるし、狷者は妥協しない心がある。

──巻第七「子路第十三」二十一について

精神的にバランスの取れた人物と交わりたい。それが適わないなら、ガンガンに突き進むタイプの狂者か、己の意見を曲げようとしない狷者がいいと。

ど真ん中を貫いて全体を包み込むか、両極端を良しとし、中途半端にふわふわしてるやつはダメだと。

孔子先生は、一本どこか筋の通った人物を評価します。

──今回はここまで。

これを書いている最中にも、都構想反対派の街宣車が通りました。どこか人を小馬鹿にしたような声をあげながら。マイナスとしか思えない。実は維新の刺客なのかと思うほど。

賛否は半々くらいの勝負だし、もっと上手くやれば反対派が有利に戦えるのに、なんで足を引っ張るのか。維新vsその他、だから、反対派は統制が取れないんでしょうね。政治って難しい。

それでもまだ反対派が優位だと思いますが、賛成に転んでも分からなくはないってくらいには、反対派の言動は残念なものが多いです。

反対で決着したと思いますが、もし賛成が勝ったんだとしたら、それは反対派への嫌悪感からでしょう。そんな形での決着はなんか嫌だなあ……。


【川合和史@コロ。】koro@cap-ut.co.jp
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