コロこと川合です。みなさんNHK大河ドラマ『青天を衝け』観てますか。昨日が第四話。そのひとつ前、第三話の後にTwitterで面白い(?)話題が出てました。
大河ドラマは、放送後ゆかりの地を紹介する紀行コーナーを挟んで、ニュースがあるんですが、そこで報じられたのがあの、みずほ銀行のATMトラブル。
このみずほ銀行は第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行の分割・合併によりできた銀行で、その第一勧業銀行は第一銀行と日本勧業銀行が合併してできた銀行なんですね。第一銀行の前身が帝国銀行で、その前身が第一国立銀行で。
第一国立銀行とは、1873年に日本で最初に作られた銀行。それを作ったのが、渋沢栄一なんです。
要するに、渋沢栄一の伝記ドラマ放送直後のニュースで、渋沢栄一直系の銀行による大規模なシステムトラブルが報じられた、というのが話題に。
後ろ暗い不祥事なんかではなかったのが救いですが、ちょっと気まずい空気はありますよね……(笑)
もっとも日本に最初の銀行を作ったのが渋沢栄一なので、みずほに限ったことではなく、今後も放送期間中にどこかの銀行が何かやらかすたびに、似たような空気になるかもしれません。
諸説ありますが、BANKを銀行という言葉にしたのも渋沢栄一とのこと。これは中国語が先だとの話もありますし、明確な出典は不明ですけども。
まあ正直、銀行というものに対しては言い出したらキリがないほど不満だらけなんですが、それでも銀行がない世界は今では想像もできないです。
逆に、なくてはならない存在だからこそ尊大な態度……おっと手が滑りました。
ちなみに、第一国立銀行は、いわゆる国立ではありません。「国立銀行条例」に基づいて開設された銀行ですよ、という意味です。
一番最初にできていますし、たとえばいきなり「みずほ銀行」なんて名前のが作られても、みんな意味分からないでしょうしね。
なんにしても、なかったものを作る、しかも、あらゆる商業活動の根本に直結するようなものを作るというのはすごいことです。
大河でも既に、栄一の商いやお金に対する強い意識は描かれはじめていますね。
そのまま商い道を邁進するかと思いきや、剣術に惹かれたり、あげく攘夷思想や討幕運動にもかぶれたりするのですが、そのへんはおそらく次話くらいから、あるいはその後くらいからかな。
それはさておき、今回の『青天を衝け』も前回の『麒麟がくる』も、というか、大河ドラマって全般的に、序盤にどうでもいいエピソード多すぎないですか?
はっきりしていない時期のことを埋めるためというのもあると思いますけれど、ここでその話をだらだらやる必用あるのか、みたいな。で、後半になってくると時間が足りないとばかりに詰め込みだしたりして。
そのあたり、実に配分も伏線も見事だったのは『いだてん』ですね。あれは、ほんと良くできていたと思います。今からでもオンデマンドで観てください。
ああ、どうでもいい話がだらだら長くなってきたので、論語に移ります。
◎──巻第七「憲問第十四」三十五
だいたいの意味:孔子先生は仰った。名馬とはその力が称賛されるのではなく、その徳が称賛されるのだ。
◎──巻第七「憲問第十四」三十五について
馬に徳なんてないだろ、と、ちょっと分かりにくい話かも知れません。
大前提として、人が乗るものである、としての話ですが、走力が優れていれば名馬なのか、というと、そうじゃないですよね。
よーいどんで馬だけ走らせて、どんなに速く、どんなに長距離走れる馬でも、馬としてそれは確かにすごい馬ですが、名馬とは呼ばれないと思います。
人を乗せて、訓練によって乗り手の存在や意図を理解し、その上で素晴らしい走りをすることが、名馬としての条件のひとつではないでしょうか。JRAの名馬トウカイテイオーは、騎手から「乗り心地が良すぎる」とまで言われていました。
競馬の場合、名前が残っている名馬はみんな人を乗せて速いので、みなそのまま名馬は名馬なのですが、その中でも誰もが知っているクラスだと、プラスアルファが何かあったりします。能力だけでなく、ドラマ性であることもありますけどね。
トウカイテイオーの父シンボリルドルフは、史上初の七冠馬として知られる名馬ですが、シンボリルドルフはテクニックも精神力も優れ、逃げてよし、差してよしのオールマイティで、さらには記者がカメラを向けるとキメ顔でポーズを取ってくれたと言われています。
どんどん馬の話になってしまいましたが、孔子先生は馬の話がしたかったわけではありません。
馬でさえ、名馬と呼ばれるものは、持って生まれた身体的特長から称えられるものではなく、後天的に獲得した精神性あってこそ名馬と称えられるのだ、と。いわんや人間をやって話です。徳の重要性を馬の比喩で語っています。
◎──巻第七「憲問第十四」三十六
だいたいの意味:ある人が言った。徳をもって怨みに報いるというのはいかがでしょうか。
孔子先生は仰った。では徳には何をもって報いるのでしょう。怨みには真っ直ぐな正しさで報い、徳には徳をもって報いるものです。
──巻第七「憲問第十四」三十六について
解釈は色々ありますが、色んな解釈があること含め、何となく理解できますよね。
怨み、つまり相手の悪に対して、徳、つまり善で返す、というのはどうかと。実はこれは『老子』にも出てくる言葉です。
『老子』「恩始第六十三」中に、報怨以徳(徳をもって怨みに報いる)とあり、それ自体に深い言及はないのですが、言いたいことは分かりますよね。
そういう気持ちでいなさいと。そのまま報怨以徳(ほうえんいとく)という四字熟語になっています。
『老子』の成立は『論語』より後と言われているので、孔子先生が老子を意識して言ったわけではなく、その考え方自体は古くからあったんだと思います。だから、ある人がそれを聞いてみた、と。
論語も老子も知らなくても、そういう考えに至ることはありますよね。
ただ、孔子先生は、怨みに徳で報いるなら、徳には何で報いるんだよと反対。怨みに対しては、真っ直ぐな心、正義をもって報いなさいと仰っています。
悪は正義でぶちのめせ、って意味ではありません。(笑)変に感化しようとか余計なことをせずに、それぞれに適した真っ直ぐな対応をしなさい、という話です。
なお一部の人、というかそれなりに年配の方にはこの「報怨以徳」という言葉、蒋介石が第二次大戦後、日本に対して掲げた言葉として有名だそうです。
異論もさまざまあるのですが、事実として蒋介石の政権は日本に対して寛大な対応をとっています。異論というのは、そうせざるを得ず結果的にそうなっただけだというようなものですが、まあとりあえず今はどっちでもいいです。
個人的にはこの報怨以徳、すばらしい精神だと思います。みながこうであるといいのになと。できるだけ実践したいと思っています。
でも、だいたいの場合において、怨みを与える側というのは、徳を感じない。相手があまちゃんでラッキーだった、くらいにしか思わないだろうと思います。
徳という観念がそもそもない人ほど、人に怨みを与えるので当然ですね。それでも徳を貫ける、相手の態度にモヤモヤしない、自分の徳に胸を張れる、そういった人でないと、なかなか辛いものです。私も、そこまでは無理です。
だからこそ孔子先生は、そこまでしなくていいよと言ってるのかも知れません。
◎──巻第七「憲問第十四」三十七
だいたいの意味:孔子先生は仰った。私を知ってくれる者はいないね。
子貢が言った。どうして先生を知ってくれる者がいないなんて仰るのですか。
孔子先生は仰った。天を怨みず、人をとがめず、身近なことから学びを進めて高いところに達する。私を知ってくれる者は、天くらいかなあ。
──巻第七「憲問第十四」三十七について
人知らずしていきどおらず、って『論語』の最初の最初から散々言っておいて、何を言い出すんだこの先生は、と思いました。(笑)たぶん、子貢もそう思ったんじゃないかと。
知る、というのは、有名になるというだけでなく、理解してくれるという意味。
知られるために、分かってもらうために学ぶんじゃない、ただただ学べって、自身を高めるために学べって言ってきたじゃん先生! って思ったら、やっぱ、孔子先生は別に、不満を持って言ったわけじゃなかった。
でも、理解してもらえない寂しさはどこか感じますね。
◎──巻第七「憲問第十四」三十八
だいたいの意味:公伯寮が子路について季孫に訴え出た。
子服景伯が(孔子先生に)告げて言った。あの方(季孫)は公伯寮の訴えに戸惑われているようです。私の力ででもあの者(公伯寮)を処刑して広場にさらしてやることはできます。
孔子先生は仰った。道が行われようとするのは天命ですし、道が廃れてしまうのも天命です。公伯寮などに天命をどうこうできましょうか。
──巻第七「憲問第十四」三十八について
人物があれこれ出てくるのでややこしいですね。子路が季孫に仕えていた話は前にも出てきましたよね。
公伯寮(こうはくりょう)は、孔子の弟子とされることもありますが、違うとする説もあります。どっちでもいいのですが、こいつが、季孫と子路の間の溝につけ込んで、子路を陥れようと讒言したんです。
子服景伯(しふくけいはく)は魯国の大夫で、孔子先生とは旧知の仲でした。この話を聞いて、孔子先生に顛末を話し、公伯寮をやっちゃいましょうか、と憤っているわけです。
でも孔子先生は、どう転ぶかは天命。公伯寮なんてほっとけばいい、と。
本題とは離れますが、なんとなく孔子先生って、色んなところで煙たがられたりするイメージなので、子服景伯みたいな好意的な人が出てくるとホッとします。
そして、素っ気なく答える孔子先生に、そういうところ! 直そ! って言いたい。ま、実際はちゃんと感謝も伝えてたかも知れませんけどね。
◎──巻第七「憲問第十四」三十九
だいたいの意味:孔子先生は仰った。賢者は世を避ける。(乱れた世を避ける)
その次は土地を避ける。(乱れた土地を避ける)
その次は顔色を避ける。(顔色、雰囲気が良くない君主を避ける)
その次は言葉を避ける。(言葉の良くない君主を避ける)
孔子先生は仰った。それをなした方が七人いる。
──巻第七「憲問第十四」三十九について
賢者というのは、そういったものを避けて、隠遁してしまうと。それ以上でもそれ以下でもない話で、なんとでも解釈できそうな話な上に、最後に言ってる七人が誰を指すのかは不明です。誰も指さないのかも知れません。
賢者を得たくても、賢者はこういったことで離れて言ってしまいますよ、と。実際これまでに七人もの賢者が人知れず遠ざかってしまいましたよ、と。
そう言いたかったのかなって。
──今回はここまで。次回で「憲問第十四」も終われそうです。
ちょっと馬の話をあれこれ書きましたが、特に競馬ファンというわけでもなく、単に最近話題になっていた「ウマ娘」というコンテンツについて調べてた時に、あれこれ目にしただけです。(笑)
最近スマホゲーム化されて盛り上がっていたんですが、ゲームはちょっと肌に合いませんでした。あれこれ面倒で。先にアニメ化されていて、数話観ました。アニメはとても良かったです。
馬を擬人化したコンテンツなのですが、実在した名馬の名前を冠したキャラがメインの登場人物(?)で、それらがちゃんと、細かいところで史実(?)を踏まえているという。
さっき挙げたトウカイテイオーは、テイオーステップと言われた独特の歩き方をするのですが、それがトウカイテイオーという名前のキャラの特徴に上手く反映されていたり。主人公であるスペシャルウィークは、生い立ちなどが設定に反映されていたり。
競馬好きにはたまらないんじゃないでしょうか。特別競馬が好きというわけでもない私でも、知ってるような馬ばかり出てきます。
サイレンススズカ、メジロマックイーン、グラスワンダー、テイエムオペラオー、ナリタブライアン、エアグルーヴ、ヒシアマゾン、ツインターボ、ハルウララ、オグリキャップ、キタサンブラック、ライスシャワー、ビワハヤヒデ、ナリタタイシン、マヤノトップガン、マチカネタンホイザ、などなど。
Amazonプライム・ビデオなどで配信されているので興味あればぜひ。
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