コロこと川合です。いつの間にか12月。師も走るってなもんです。
今年は特に早く感じました。新型コロナのせいで、わけ分からないままに。
大阪は最近、通天閣が赤色になって大騒ぎだったんですが、今はなんと青色に。収束した? いえいえ、医療従事者への感謝を示す青色だそうです。なんだそれ。
一昨日12日から青色になって、今月31日までだそうです。ともあれ、医療従事者だけでなく奮闘されている全ての方々に頭が下がります。程度の差はあれ、誰もが奮闘中とも言えますけれども。
なおこの週末、アメリカではファイザー製のワクチン接種が始まったとのこと。イギリスでも始まっています。ワクチンなのであくまでも「予防」ですが、効果に期待です。あとは治療薬の決定打が現れれば、少しずつ平時に戻れそうな気がします。
五輪は延期になるわ、大河は年越しするわ、イレギュラーだらけの2020年。キリのいいところで年内に片付けて、2021年はいい年になって欲しいです。もう半月しかないけど。
ちなみに次の大河ドラマ「青天を衝け」は2月14日スタートだそうです。最後までは無理ですが、それまでに少しでも論語を読み進めるとしましょう。
今回から新章です。
◆──巻第七「憲問第十四」一
だいたいの意味:憲が恥について尋ねた。孔子先生は仰った。国に道(道義)があれば、(国に仕官して)禄を受ける。国に道がないのに禄を受けるのは恥である。
──巻第七「憲問第十四」一について
「泰伯第八」十三に似たような、こんな話がありました。
国に道があるのに貧しく低い地位であることは恥である。国に道がないのに富んで高い地位であることも恥である。
憲というのは、原憲という名の弟子です。字は子思です。孔子の孫も子思ですが別人です。孔門十哲と呼ばれる十大弟子には含まれないためマイナーながら、七十子の一人には数えられる才人です。孔子先生の没後は隠棲したとのこと。
◆──巻第七「憲問第十四」二
だいたいの意味:克・伐・怨・欲が行われないなら、仁と言っていいでしょうか。
孔子先生は仰った。難しいこととは言えようが、仁であるかは私は知らない。
──巻第七「憲問第十四」二について
克:勝ちたがること
伐:自慢すること
怨:恨むこと
欲:欲しがること
これらの欲を抑えられれば、仁であると言えるかとの問いです。質問したのはさっきの原憲。孔子先生は、難しいことだけど仁かどうかは分からない、と。
この四つは代表的な人の欲望として、認識されてたんでしょうかね。カトリックなどで言われる「七つの大罪(七つの罪源)」を思わせます。ちなみにカトリックの七つの大罪はこれ。
傲慢(pride)強欲(greed)嫉妬(envy)憤怒(wrath)色欲(lust)暴食(gluttony)怠惰(sloth)
それら自体が罪なのではなく、人を罪に導く感情、「罪源」とのことです。とても納得感がある七種です。
2008年にはローマ教皇庁が、加えて新たな大罪として、遺伝子改造、人体実験、環境汚染、社会的不公正、人を貧乏にさせること、鼻持ちならない程金持ちになること、麻薬中毒 以上の七つを発表したそうですが、こちらはちょっと、なんか、薄っぺらい……。
なお、インドのガンジーは「七つの社会的罪」として、理念なき政治、労働なき富、良心なき快楽、人格なき学識、道徳なき商業、人間性なき科学、献身なき信仰 以上を挙げました。
似たことを言いながら、こっちは深く感じるのは、訳の響きのせいですかねえ。
◎──巻第七「憲問第十四」三
だいたいの意味:孔子先生は仰った。士でありながら安住を願うのは、士と呼ぶには足りない。
──巻第七「憲問第十四」三について
士は日本で言う武士とは違いますが、ひとかどの人物のこと。孔子先生の言葉からすれば、求められる精神性はいわゆる武士と同じようなものですかね。
◎──巻第七「憲問第十四」四
だいたいの意味:孔子先生は仰った。国に道があれば、言葉を激しくし、行いも厳しくする。国に道がなければ、行いは厳しくするも、行いは和らげる。
──巻第七「憲問第十四」四について
国に倫理、道徳が行き渡っていれば、言行共に厳しく律しても構わないけど、そうでないなら、行動はともかく言葉は控えめにね、と。反感かったり恨まれたりするから。
◎──巻第七「憲問第十四」五
だいたいの意味:孔子先生は仰った。徳あるものは必ず言あり。言あるものは必ずしも徳あらず。仁者は必ず勇あり。勇者は必ずしも仁あらず。
──巻第七「憲問第十四」五について
ほぼ読み下し文のままですが、通じますよね。言は、良い言葉や意見のことです。
◎──巻第七「憲問第十四」六
だいたいの意味:南宮括が孔子先生に尋ねて言った。ゲイは弓の名手で、ゴウは舟を動かすほどの怪力でしたが、どちらも良い死に方をしませんでした。禹と稷は自ら耕作して暮らし、天下を治めましたよね。
孔子先生は答えなかった。
南宮括が退室して、孔子先生は仰った。君子だね、かくのごとき人は。徳を貴ぶんだね、かくのごとき人は。
──巻第七「憲問第十四」六について
いまいち要領を得ない話ですが、南宮括は。天下を治める力は武よりも徳ってことですよね、と孔子先生に問いかけています。
孔子先生は答えませんでしたが、南宮括が退室してからベタ褒めしています。
孔子先生が答えなかったのは、南宮括がそんなことを言ったのは、孔子先生を讃えてのことだったから、ということみたいです。
南宮括(なんきゅうかつ)は、弟子で、南宮括も七十子の一人です。
ゲイ(羽、というか、翡の下半分の下に、升の上のノがない字)
ゴウ(説明が難しい……夏の下の部分が介に横棒を足したような字)
この二人はどちらも中国古代、神話時代の人です。出典によって時代も背景もちょっとズレるんですが、どちらも配偶者の裏切りで殺されています。
禹は五帝に数えられたり数えられなかったりする聖王のひとり。夏王朝をたてた人です。後に治水の神として信仰されています。
稷は周の王家「姫姓」の祖先にあたり、舜に仕え農事を司った人で、後に農業の神として信仰されています。
◎──巻第七「憲問第十四」七
だいたいの意味:孔子先生は仰った。君子であっても不仁である者はいるが、小人であっても仁である者はいない。
──巻第七「憲問第十四」七について
不仁な君子はいても、仁な小人はいない、と。君子って仁を備えているものとばかり思っていましたが、必要条件ではないんですね。
◎──巻第七「憲問第十四」八
だいたいの意味:孔子先生は仰った。愛しては励まし鍛えずにいられようか。誠実でいては教えないでいられようか。
──巻第七「憲問第十四」八について
孔子先生の弟子への思いですね。愛しているからには、鍛えてやらずにいられない。誠実であるからには教え導かずにはいられない、と。
……たぶん、弟子にたいして「愛のムチだ、耐えろ」と言ってるんだろうなと。
◎──巻第七「憲問第十四」九
だいたいの意味:孔子先生は仰った。命令書を作るに当たっては、卑□(言偏に甚)が草創し、世叔が討論し、外交官である子羽が脩飾し、東里にいた子産が潤色した。
──巻第七「憲問第十四」九について
卑□(ひじん)、世叔(せいしゅく)子羽(しう)、子産(しさん)いずれも鄭国の重臣で、特に子産は傾いた鄭を一時的でも立て直した名宰相です。
孔子先生よりひと昔前の時代の人々です。親世代、祖父世代くらいかな。孔子先生は子産には会ったこともあり、私淑するほど尊敬していたようです。
で、ここで何の話をしているのかですが、鄭国の外交文書が素晴らしいという話をしていて、その理由を語っているものだそうです。
脩飾と潤色の違いがいまいち分からないんですが、まあ要は重臣たちが練りに練って作文してるから、立派な文書なんだよって話をしています。次も子産が出てきます。
◎──巻第七「憲問第十四」十
だいたいの意味:ある人が子産について尋ねた。
孔子先生は仰った。恵みの人です。
子西について尋ねた。
孔子先生は仰った。あの人か。あの人ねえ。
管仲について尋ねた。
孔子先生は仰った。この人は伯氏から駢邑三百戸を取り上げたが、伯氏は粗末な食で食いつないで、亡くなるまで恨みごとを言わなかった。
──巻第七「憲問第十四」十について
子産、子西(しせい)、管仲(かんちゅう)、いずれも名高い名宰相です。
子産については、前述の通り、孔子先生は心酔しています。子西は、孔子先生の邪魔をしたことがあるそうで、良く思われていなかった。
管仲の話が分かりにくいと思いますが、伯氏は三百戸からなる駢邑という領地を持っていたのですが、何かやらかして裁かれ、管仲に没収されたんです。
結果没落したのですが、それでも死ぬまで恨みごとを言わなかった。つまり、納得の裁きだったわけです、管仲の決定は。その手腕を認めての評です。
──今回はここまで。
まにころ、今年はこれでおしまいです。新型コロナ云々関係なく、風邪をひいたりしやすい季節になりました。皆さん、健康に注意して元気に年を越しましょう。よいお年をお迎えください。
【川合和史@コロ。】koro@cap-ut.co.jp
合同会社かぷっと代表
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