まにまにころころ[169]ふんわり中国の古典(論語・その32)きちんと礼を尽くされる孔子先生
── 川合和史@コロ。 Kawai Kazuhito ──

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コロこと川合です。今年最後のまにころとなりました。光陰矢の如し!

今確認してみたら、今年は「公冶長第五」、つまり全十巻の論語の第五巻からスタートしていました。前回、第九巻が終わったところですので、このまま、このペースだと早くともあと二年くらいはかかるってことですね。

と、ペース上げなきゃ的な振りをしておきながら、年内最後ということですし、まずは今年のNHK大河ドラマの振り返りと来年の話から。(笑)

・NHK大河ドラマ『いだてん ~東京オリムピック噺(ばなし)~』
https://www.nhk.or.jp/idaten/r/


みなさん、『いだてん』観てました?

最初は正直、あまり興味ひかれなかったんですよね。大河ではやっぱ戦国やら幕末やらの話が華だろうと思ってたし。面白いなと思い始めたのは、開始からずいぶん経ってからでした。

で、今、最終盤なのですが、これが、もう、めちゃめちゃ面白い。

「いだてん最高じゃんね!!!」

ってくらいに。東京五輪(昔のね)をいよいよ迎えようとしているんですが、ここへ来て、これまでの色んな出来事、大きな転機から些細なエピソードまで、ぐるんぐるんに絡み合っての集大成感がすごいんですよ。

大河っぽくないなんて思ってたけど、これぞ大河だよ! これぞ歴史だよ!って。「NHK大河ドラマ」っぽくはないかもしれないけど、歴史をドラマにするってのはこういうことなんだと、認識を改めさせられる勢いです。

ただこれは、伝わりにくい。ずっと観てきた人だけが感じられるという、最初から最後までを長期間かけて通して観ることを前提とした、部分的に切り出すことのできない、長い長い一本の作品で。

NHK大河っぽくなかろうが、こんなのNHK大河枠でしか成立しない。

観てきた人には名作だと感じられるけど、どこがどう良かったのかを説明するのは難しいし、観れば分かるとも、観てくれとも言いにくい。

宮藤官九郎、とんでもないものを作ったものです。

まだ終わってないので、最終的にどんな評価に落ち着くのかは未定ですけども、一年ずっと観てきた人とそうでない人で、賛否は真っ二つってとこですかね。

ドラマ自体から少し離れた感想としては、これ、来年の東京五輪って大丈夫か、という不安。ドラマから見える1964年の東京五輪への熱のようなものが、今度の五輪にはまったく感じられなくて。心配になるようなニュースばかりだし。

マラソンコースの話とか、便所の水で泳がされる話とか。宿泊施設や交通機関の問題だって、どうなってるのかよく分からないままだし。

ここが東京じゃないからですかね? 東京、関東では盛り上がってます?

先日のラグビーW杯は、日本代表の大活躍もあって、蓋を開ければ大成功って感じで進んで、未だにその熱がくすぶってるくらいの大会になりましたけど、来年の五輪もいざ始まればまた違うんでしょうか。

万博を控えながら、これといって大きな動きの見えない大阪としてはまったく他人事じゃなくて、来年の東京五輪にはとりあえず大成功して欲しいんですが。全国的な「勢い」って大事だと思うので。

まあ心配したって私にはどうにもできないので、話を変えましょう。

来年のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』!

・NHK_PR『麒麟がくる』
http://www6.nhk.or.jp/nhkpr/tag/index.html?i=14252


やー、始まる前からエリカ様がやらかしてくれまして、知名度は抜群。どうも、初回放送は予定より二週遅れての1/19(日)になりそうとのこと。全体の話数にも影響出るかもしれないって話です。半年分の撮影シーンがパーですからね。

ピエール瀧さんに続いて、二年連続の薬物トラブル。関係者のことを思うと、想像しただけで胃が痛くなるような話ですが、なんとか乗り越えて欲しいです。

大河にまったく興味ない人のために改めて説明しておくと、来年の主人公は、明智光秀なんです。当然、ある意味光秀以上に重要な登場人物として織田信長が出てくるわけですが、沢尻エリカは信長の正妻・濃姫役の予定だったんです。

第六天魔王・織田信長と麻薬中毒者・濃姫の夫婦、観たかったなあ。(違)

それはさておき、明智光秀ですよ。光秀と言えば、なんといっても本能寺の変ですよね。一年かけてそこへ向かっていくんだと思いますが、日本史最大の謎とまで言われる本能寺の変をどんな風に描くのか、期待と不安が半々です。

制作発表時の会見では、最新の研究成果も踏まえて従来と異なる新解釈で描くとのことでしたが、本能寺の変についても、光秀の生涯についても、実際には確かな事ってほぼ分かってないんですよね。だからこれまでも諸説好き放題で。

せめてもう少し分かってることがあれば、ああそういう解釈もあるか、なんて話にもなりうるんですけど、どう描いても現時点ではファンタジーの域を出ず、どこかからは必ず批判されるんだろうなあと。

光秀の末裔と称する明智憲三郎という方が、数年前「本能寺の変 427年目の真実」という本を書いてかなり売れましたが、それも別に、明智家に伝わる新事実が明かされたというわけでなく、個人的な研究から家康黒幕説を唱えてるだけで。真偽は分からないし、特に目新しさもないといったところでした。

秀吉が黒幕だ、いや家康が黒幕だって話はよくあるんですよ。ミステリの定番で、それで最終的に利益を得た人間が黒幕だという理屈から。光秀は生き延び、天海僧正になって家康に仕えたなんて話もありますよね。

どれも、そうかもしれないし違うかもしれない、分からない、としか言えない。新たに史料でも発見されない限り、その辺の話は誰にも分からない。どうにか辻褄を合わせてそれっぽく組み立てていくしかない話です。

史実としてそれなりにはっきりしているとされている事柄が、なんていうか、中途半端なんですよね。なくはないけど、不明点が多いという。

だから楽しみでもあるし、不安でもある、そんな大河ドラマです。いっそ、孔子くらい史料が少ないほうが作りやすいかもしれません。と、強引に孔子先生を引っ張り出してきたところで、ここから『論語』です。






◎──巻第五「郷党(きょうとう)第十」一

・だいたいの意味
孔子先生は郷里では大人しく、口をきけない者のようですらあった。しかし、宗廟や朝廷にあっては雄弁で、それでいて慎み深かった。

──巻第五「郷党第十」一について

日常の孔子先生は、口数も少なく大人しい人だったんですね。でも政治の舞台に立てば、慎み深くも、はっきりとものを言う人だったと。

大人しく、とした部分は原文では「恂恂如(じゅんじゅんじょ)」という言葉で、控えめでまじめな感じのようです。


◎──巻第五「郷党第十」二

・だいたいの意味
朝廷で下大夫と話される時はなごやかで、上大夫と話される時は改まった様で、主君がいらした時は慎み深く、ゆったりとした様であった。

──巻第五「郷党第十」二について

大夫というのはそこそこのクラスの官職を持った人で、イメージは地方領主様、といった感じですかね。その下級クラスが下大夫、上級クラスが上大夫。

ここでは、どんな風に話されていたかはそれほど大事ではなく、というか、私にはあまり細かい差はわからないのですが、相手の官職に応じた礼を尽くされ応対されていたという話です。

原文では、下大夫には「侃侃如(かんかんじょ)」
上大夫には「誾誾如(ぎんぎんじょ)」
君主には「シュクセキ如」で「與與如(与与如)(よよじょ)」
※シュク:足に叔、セキ:足に昔という字。
となっています。

前段の「恂恂如(じゅんじゅんじょ)」といい、音の響き重視かな。

それぞれの漢字の意味は、恂:おそれる・まこと
恂恂(じゅんじゅん)は日本語としても、誠実な様を表す言葉です。

侃:つよい・正しい・剛直
侃侃諤諤(かんかんがくがく)という使い方で日本語でもおなじみですが、
侃侃:真っ直ぐに意見を述べる様
諤諤:はばかりなく正論を述べる様
と、同じような意味の言葉をくっつけて、議論の盛んな様子を表す言葉に。

誾:慎み深く和やか
私は戦国女性武将の立花誾千代の名前でしか見たことのない漢字なんですが、誾誾で、優しく笑う様子を表す言葉でもあるようです。

ガラケー時代にキャリア固有の絵文字が、文字化けしてよく出てきた漢字らしいとのことですけども。

シュク(足+叔):つつましくする・おどおどする
セキ(足+昔):踏む・踏みつける・踏み越える
「シュクセキ」で、慎み深い様、だそうです。

與(「与」の旧字体):与える・くみする・一緒に・関わる論語の訳本を見る限り「與與如」で、ゆったりと余裕を持って落ち着いた様子を表す言葉のようですが、これは漢字の意味からは分からないですね。

この先の五まで「○○如」といった表現が頻出で、読めば響きが面白いものの、訳には現れないし、これといって含蓄のある話が出てくるわけでもないので、ちょっと退屈な話が続きます。

でも今さらですが、日本語と漢字の関わりって、深くて面白いですね。そのまま日本語で使われているものが多くて、意味を知ってる見慣れた漢字なら、原文そのままでもなんとなく雰囲気で言いたい事を掴めることも多くて。もちろん、さっぱり分からないことも多いですけども。

そもそもこの、ひとつの文字に「意味」を組み込んだ、漢字という表意文字がすごい。表意文字的なものは他にもありますが、漢字のようなものって他にはあまり知らないです。大発明ですよね。見事に取り込んだ日本語もすごい。

難解さは確かにあるので、英語のように国際語には馴染まないでしょうけど、漢字文化圏はもっともっとこの偉大な文字を大事にしていいと思います。


◎──巻第五「郷党第十」三

・だいたいの意味
君主のお召しで賓客の接待役を命じられると、顔色には緊張が見え、足取りはそろそろと慎重であった。共に並んで接待役を務める人に会釈する時は、右に左に手を組んで挨拶し、着物が前後に美しく揺れた。(礼に則って)小走りに進まれる様子は立派であった。賓客が退出される時は最後までお見送りになり、お帰りになりましたと主君に復命された。

──巻第五「郷党第十」三について

接待役に任じられた孔子先生が、きちんと礼を尽くされる様子を描いた話です。


◎──巻第五「郷党第十」四

・だいたいの意味
宮城の公門を入って行かれる際は畏れ慎む様子で、入ってはいけないと考えられているかのようであった。門からの中央には立たず、敷居を踏まず、主君がお立ちになる場所を通る時には(主君がおらずとも)顔色には緊張が、足取りはそろそろと慎重になり、話すのが不自由であるかのごとく言葉少なであった。

着物の裾を持ち上げ堂に上られる際も畏れ慎む様子で、気を押さえ息を潜める者のようであった。退出して堂から一段降りられると、顔色も和らぎおだやかになって、階段を降り終えれば(礼に則って)小走りに進まれる様子は立派であった。そしてまた主君がお立ちになる場所を通る時には慎み深い様子だった。

──巻第五「郷党第十」四について

宮城に出入りされる孔子先生の様子です。礼による作法を尽くされる姿ですね。こういったものに美しさを感じるのは、わりと万国共通なんでしょうか。西洋でも式典などで儀礼的なものありますよね。歴史ある国には特に。

礼儀作法と言えば、最近近所のジムにちょいちょい泳ぎに行っているのですが、プールへの入退室時にきちんと一礼される方がいて。剣道や柔道では当たり前の光景ですが、かっこよかったです。思わず真似しました。その日の帰りだけ。


◎──今回はここまで。

この先も礼の話が続いて、ちょっと読んでて疲れるので、今回はここまで。

これで今年はおしまいですが、もう年末年始どう過ごされるか考えたりされていますか? 私はなんとか本を一冊でも多く読みたいなと。

毎年そう思いながらもなかなか読めないんですが、本を読みたくてというか、紙も電子も「積ん読」があまりにたまってしまっていて……もう収拾つかないくらいになっちゃってまして。

なのに、Amazonのセールでまた本を大量に買いこんでしまい……

月曜の今日いっぱいセールしてるんで、みなさんもぜひ。『論語』でも買って、こたつで読む年越しなんていかがでしょうか。Kindle端末も安くなってますし。

ま、読書三昧な年末年始を夢見つつ、まだまだ仕事に追われる日々ですけども、あと数週間乗り切れば無事に後厄も明けるので、もうひと頑張りしますっ。


【川合和史@コロ。】koro@cap-ut.co.jp
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