日々の泡[034]戦争にこだわった作家【戦争と人間/五味川純平】
── 十河 進 ──

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文藝春秋6月号に村上春樹さんが「猫を棄てる--父親について語るときに僕の語ること」を掲載し、先頃、小冊子として発売になった。父親から聞いた日中戦争の体験を中心に据えて、父母のこと、祖父のこと、父方の叔父や従兄弟たちのことなどを書いている。

それを読むと、「ねじまき鳥クロニクル」を読み返したくなって、ひさしぶりに再読した。最初に読んだときは「ノモンハン事件」についてもよく知らなかったのだが、その後、昭和史関連の本をかなり読んだから、この小説の核になっているテーマがよく理解できた気がする。

読み返して改めて感じたのは、村上さんの戦争に対する関心の深さだった。ノモンハン事件も出てくるし、モンゴル兵に捕まって全身の皮を剥がされる話も出てくるし、シベリア抑留の話も出てくる。父親が一度だけ漏らした捕虜惨殺の話が、よほど深く村上さんの中に落ちていたのだろう。





ノモンハン事件(だけでなく昭和史全体)を詳細に描いた作家に五味川純平がいる。五味川純平は自身の戦争体験を元に書き上げた長編、「人間の條件」が大ベストセラーになって世に出た人である。版元の三一書房は、これで社屋が建ったと言われた。昭和31年(1956年)のことだ。

「人間の條件」は小林正樹監督によって、全6部作として映画化された。まとめて上映すると9時間を超える超大作である。僕が大学生の頃は、週末にオールナイトでよく上映されていた。長いことは長いが、内容がおもしろいから時間を忘れて見ていられる。

僕はTBSがドラマ化した「人間の條件」を何度か見た記憶がある。小学生の頃だった。加藤剛はこれがテレビデビューだったらしい。映画では新珠三千代が演じた奥さんは、確か藤由紀子だったと思う。捕虜惨殺など、惨たらしいシーンに目を背けた記憶がある。

それでも気になっていたのか高校生になった時に、河出書房のグリーン版日本文学全集に、「人間の條件」が上下2巻で入ったのをきっかけに読んでみた。ベストセラーになるだけあって、読み出したらやめられなくなった。朝鮮人や中国人の悲惨な描写も、主人公・梶の魅力で読ませてしまう。

「人間の條件」を読んだ頃、五味川純平の小説は何本かテレビドラマにもなっていた。「孤独の賭け」「アスファルト・ジャングル」などである。「アスファルト・ジャングル」は一回目を見た記憶があり、貧しい庶民(パタ屋だったと思う)の吉田義男が権力によって抹殺されるシーン(だったと思う)をなぜか今も憶えている。

その頃、五味川純平は「戦争と人間」という大作を順次刊行していた。これは1962年に最初の巻が発行され、1982年に最後の巻が刊行された。全18巻で、やはり三一書房が版元だった。新書版だったと記憶している。その長さに怖れをなし、僕はなかなか手を出せなかった。

映画版「戦争と人間」は、原作が刊行中の1970年から1973年にかけて3部作として公開された。監督は山本薩夫。日活映画で、日活スター総出演である。石原裕次郎だってワンシーンだけど、登場する。日活は1971年にロマンポルノに移行したため、初期ロマンポルノで活躍した片桐夕子や絵沢萌子も出ている。

物語は、伍代財閥の伍代家の人々を中心に展開する。この映画を見るだけで、昭和3年(1928年)の張作霖爆殺事件から昭和14年(1939年)のノモンハン事件までの昭和史がわかるというスグレモノである。もしかしたら、映画化時点で原作の刊行もノモンハン事件までだったのだろうか。

伍代家の当主は冷徹な実業家の滝沢修。その弟で満州伍代の頭領として豪腕をふるうのが芦田伸介だ。時流に敏感で、伍代の権力を笠に着る長男を高橋悦史が演じた。愛する青年将校(高橋英樹)がいながら、伍代家のために政略結婚に甘んじる長女は浅丘ルリ子だった。

子供の頃に、世の中の貧富の差や理不尽に目覚める次男は北大路欣也、その友人でプロレタリア運動家の山本圭は、伍代家の末娘(吉永小百合)と秘密裏に結婚し、中国大陸へ出征する。吉永小百合は夫の帰りを待ちながら、貧しい人々への奉仕活動に従事する。

ちなみに山本薩夫は「赤い監督」だから、今見ると「ソ連」「中共」に好意的、あるいは南京大虐殺については「中共の主張のままじゃないか」と言う人もいるかもしれないが、まあ、その辺は堅いことを言わずに見た方がいい。山本監督は確かに「赤い」けれど、「忍びの者」も「金環食」も同じようにおもしろく撮る。

第1部はキネ旬ベストテン2位、第2部は4位で、第3部は10位なのだけれど、僕は第3部が一番好きだ。なぜかというと、東北の貧農の娘で、身売りされる苫(夏純子)が出てくるからだ。プロレタリア運動を通じて知った画家(江原真二郎)に頼まれて、北大路欣也は彼女を伍代家で雇う。

しかし、北大路欣也は満州に渡り徴兵される。夏純子は、結局、実家のために身を売り満州にやってくる。その夜、北大路欣也の部屋を訪ねた夏純子は、「あたす、今夜だけなんです。ずぶんの体でいられるのは」と言う。そのシーンを初めて見たときに感じた切なさが、今も僕の中に甦る。

映画版「戦争と人間」は、ノモンハン事件の惨敗をもって終わる。敗残兵が帰ってくる。娼家の前で水を持って兵士たちに渡しているのは、チャイナドレスを着た娼婦の夏純子だ。彼女の前を傷だらけの北大路欣也が通る。彼女は水を渡し、飲み終えて去っていく欣也に大声で言う。

----兵隊さん、あたしんとこさ遊びにおいでよ。うんと、かわいがってやっからさ。

9時間半近くある大作の最後のセリフが、東北なまりのある、満州まで流れてきた娼婦の言葉であることにどんな意味を込めたのか。「戦争と人間」を思い出すたびに、僕は考えている。美しさの絶頂にあった夏純子の面影と共に----。


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