日々の泡[039]開高健原作の映画化作品【巨人と玩具/開高健】
── 十河 進 ──

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一九六八年、高校二年生の時、新聞に大きな書籍広告が出た。新潮社純文学書き下ろしシリーズの一作で「輝ける闇/開高健」と、タイトルと筆者名が大きく印刷されていた。ベトナム戦争真っ盛りの頃で、そのベトナムへ従軍記者としていったときの作者の体験が元になっているらしいことがわかった。

「輝ける闇」は評判になり、僕も図書館で借りて読んだ。開高健という作家の作品を読んだのは、それが初めてのことだった。たぶん気に入ったのだろう、それから僕は開高健の旧作に遡って読み始めた。「パニック」「巨人と玩具」といった初期短編から、芥川賞を受賞した「裸の王様」を読んだ。

しかし、小松左京が書いた「日本アパッチ族」と同じ題材を扱っているという「日本三文オペラ」はおもしろく読んだが、「屋根裏の独白」や「ロビンソンの末裔」は読みにくくて放り出してしまった。徳島ラジオ商殺人事件を取材して書いたという「片隅の迷路」は手を出すこともしなかった。





そんなとき、「青い月曜日」という自伝的な作品が出た。これは僕も、僕の友人たちも気に入り、僕らの中で「ブルー・マンデー」という言い方が定着した。「憂鬱な月曜日」である。月曜の朝、僕らは登校拒否に近い気分に陥ることがあり、「ブルー・マンデー」というフレーズが気分に合ったのだ。

その後、やはり自伝的な作品「見た揺れた笑われた」を読み、その中の「肥った」という作品に共感した記憶がある。開高健は芥川賞受賞の頃はひどく痩せていたが、その頃はすっかり肥っていたし、テレビのドキュメンタリー番組などに頻繁に出るようになった頃は、小太り体型だった。

釣りと美食の作家。開高健がテレビに出るようになって、そのイメージが定着した。アマゾンの釣り紀行「オーパ」はベストセラーになった。僕は律儀に「夏の闇」「花終わる闇」を読み、開高健の神経症的な側面を作品の中に読みとっていたが、同時に「新しい天体」や「ロマネ・コンティ一九三五年」といった美食(グルメ)小説も楽しんでいた。

今も鮮明に記憶しているのだが、「新しい天体」を読んで「明石焼き」と宍道湖の「白魚の踊り食い」を知った。タレで食べるたこ焼きが存在することを僕は知らなかったのだけれど、新宿二幸近くにあるという「明石焼き」の店にいつかいこうと思ったものだが、結局、一度もいけなかった。

ある時期から開高健は小説より、ノンフィクション作品が多くなった。たぶん小説が書けなくなったのではないか。一九八〇年の長編「渚から来るもの」はベトナム体験の焼き直しだったし、一九八六年に出た「破れた繭 耳の物語1」「夜と陽炎 耳の物語2」は、音の記憶を元に書いたといっても、結局は自伝的作品の焼き直しだった。

開高健は文芸同人誌で知り合った年上の女性詩人と同棲し、十九歳で父親になった。そのことは、初期作品から様々な作品に出てくる。壽屋(現サントリー)に入社するまでの物語は、繰り返し語られた。しかし、その後の宣伝部での仕事は自ら語ることはあまりなかったと思う。

その宣伝部での体験が生んだのが、「パニック」という初期短編集に収められた「巨人と玩具」だ。僕は読んでから半世紀経った今でも、「パニック」と「巨人と玩具」を読んだときの鮮やかな印象を憶えている。「巨人と玩具」を読んだ頃、僕は新人作家・五木寛之の小説によって広告業界の存在を知ったばかりで、その世界に強い興味を抱いていた。

開高健の小説はほとんど映画化されていないけれど、「巨人と玩具」は大映のエース監督である増村保造によって映画化され評判になった。映画化されるくらいだから、「巨人と玩具」は発表当時に評判になったのだろう。この短編の後、「裸の王様」という短編を書いて開高健は芥川賞を受賞する。

映画「巨人と玩具」の公開は1958年6月22日だった。開高健の「裸の王様」が芥川賞を受賞したのは第38回で1957年下半期の作品が対象だった。ということは、「最新の芥川賞作家の短編の映画化」ということで、大映は「巨人と玩具」を宣伝することができたわけだ。

ちなみに第38回芥川賞には大江健三郎の「死者の奢り」が候補になっていたが落選し、第39回(1958年上半期)に「飼育」で受賞した。僕は高校生のとき、開高健作品より大江健三郎作品を愛読していた。当時、ふたりは「大江・開高」と並び称せられるくらい純文学系の作家としてはよく売れる存在だった。

映画「巨人と玩具」では原作の「私」を川口浩が演じた。製菓会社の宣伝部員である。仕事中毒的なモーレツな仕事人間の上司を高松英郎が演じ、最後は勤め人の悲哀を感じさせた。高松英郎は、後に梶山季之のベストセラーを映画化した「黒の試走車(テストカー)」(1962年)でも、仕事のためにはどんな手段も厭わないモーレツ上司を演じ部下(田宮二郎)に愛想を尽かされる。

「巨人と玩具」は製菓会社三社(原作では、サムソンといった巨人の名がつけられていたと思う)の宣伝合戦を題材にし、ある少女をCMキャラクターとして採用し、その娘がスターになって変わってしまったり、上司が仕事に打ち込んだあげく体がボロボロになってしまったり、という物語の中にすでに消費社会への批判を潜ませていた。

名作が時間を超越するのは事実だと思う。「巨人と玩具」は、今見ても充分におもしろいし、60年前も現在も企業社会は何も変わっていないということがよくわかる。増村保造監督が最も勢いがあった頃に、デビュー作「くちづけ」と同じ川口浩と野添ひとみを起用して撮った名作である。


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