
今年の四月十二日に黒木和雄監督が亡くなった。その数か月後、遺作になった「紙屋悦子の青春」が神田神保町の岩波ホールで上映され始めた。ほぼ同じ頃、佐藤忠男さんの新刊「黒木和雄とその時代」という書籍広告が朝日新聞の一面に出た。黒木和雄監督について佐藤忠男さんが一冊まとまった本を書いたのだ。読まずにはいられない。

佐藤忠男さんは、黒木監督と同い歳だったという。それだけに同志的なシンパシーを感じていたのだろう。その本は黒木監督への敬意に満ちていて、いつものように実にわかりやすく、的確な分析をしてみせてくれる。「黒木和雄とその時代」は読み出したらやめられなくなった。黒木監督の作品を、もう一度、年代順に見ていきたくなる。
作品の多い監督ではない。「とべない沈黙

1970年代には、黒木監督はATGでしか映画は撮れなかった。低予算の実験映画である。「日本の悪霊」以来、四年ぶりに公開された「竜馬暗殺
●「祭りの準備」に心を震わせた頃
「祭りの準備」が公開されたのは11月8日の土曜日だった。僕は結婚し、阿佐ヶ谷の狭いアパートで暮らし始めてひと月が過ぎていた。その日の朝日新聞の夕刊に載った「祭りの準備」の新聞広告を僕は今も覚えている。まだほとんど新人だった竹下景子が裸身をさらしたことが話題になっていた。
翌日の日曜日の朝、「竜馬暗殺」を高く評価している友人から電話がかかってきた。友人は「すぐいけ。絶対、見ろ。『祭りの準備』」と電話の向こうで言った。僕は「日本の悪霊」以来、黒木監督の作品は見ていなかった。原田芳雄の熱烈なファンだったのに、なぜ「竜馬暗殺」を見ていなかったのかはわからない。
友人の熱心な勧めに背中を押されて、僕は「祭りの準備」を見にいった。就職して九か月、僕は映画館から足が遠くなっていた。結婚したこともあり、週末は自宅でゆっくりしていることが増えていたのだ。だが、僕は友人に感謝した。「祭りの準備」は素晴らしく、それを見逃すことは生涯の悔いになるだろうと思うほどの心の震えを僕に残した。
その四年後、ひどくまいって早朝に訪ねた僕を友人は駅の改札で「バンザーイ」と送ってくれた。彼は「祭りの準備」のラストシーン、シナリオライターになるために家出をして東京に出る主人公を祝福するために「バンザーイ」と大声をあげ、飛び跳ねながら列車と併走した原田芳雄のようだった。
そのおかげで、二十七年前のあのとき、大げさに言えば僕は生きる望みを取り戻した。精神的な危機を乗り切った。あの友人との思い出が「祭りの準備」に対する僕の思い入れをさらに強くした。だから「祭りの準備」は特別な映画になったのだ。
だが、その後の黒木和雄監督作品は、どれも「祭りの準備」ほど僕の心を震わせてはくれなかった。「原子力戦争」(1978年)は失敗作だと僕は思った。吉行淳之介は好きな作家だったけれど、「夕暮れ族」という言葉まで生んだベストセラーを映画化した「夕暮まで
翌日に原爆が投下される長崎の一日(1945年8月8日)を描いた「TOMORROW/明日
それから十年、黒木監督は映画を撮れず、忘れられた存在になっていた。2000年に公開された「スリ

「祭りの準備」がシナリオライター中島丈博がどうしても書かないではいられなかった自伝作品だったように、「美しい夏キリシマ」は黒木和雄がどうしても作らないではいられなかった自伝映画である。「日本の悪霊」の惹句のように「決着(オトシマエ)には時効はない」と覚悟を決めた監督の切実な想いが伝わってくる。
黒木監督は「紙屋悦子の青春」という戯曲を書いた三十代の脚本家・松田正隆と共にシナリオを書いた。監督は若い脚本家に長く抱き続けてきた負い目や後ろめたさをすべて告白したのだろうか、「美しい夏キリシマ」は1945年夏、黒木監督十五歳のときの体験を描いたものである。
主人公の少年は両親と離れ、宮崎県えびの市の祖父の家に住んでいる。祖父は軍の参謀を務めた大物であり、引退した今は地主として村の中心的な存在だ。その祖父を重厚な演技で原田芳雄が演じている。白いものが目立つ髪を見ながら、原田芳雄は実年齢でも六十を過ぎたのだ、「祭りの準備」から三十年が経ったのだ、と僕は感慨に耽った。
主人公は中学に通っていたが、身体を壊してブラブラしている。何もしていないという理由だけで、憲兵に殴られたりする。彼は勤労動員で工場にいっていたときに空襲に遭い、目の前で死んだ友人を見捨てて逃げたことを強く負い目に感じている。それは、そのまま黒木監督の体験である。
ある日、その友人の妹と屋根の上で話をする。主人公は友人を見捨てて逃げたことを詫びるのだ。佐藤忠男さんも書いているが、それは「切ないまでに美しい場面」である。主人公を演じた柄本佑は、俳優・柄本明の息子だという。ひょろ長く頼りなさそうで、消え入りそうな物言いが印象的だった。
●終戦の夏にも人々は普通に生きていた
「美しい夏キリシマ」には様々な普通の人が登場する。主人公の家に長く奉公していた女中がいる。彼女が嫁にいくことになる人のよい戦傷者の男がいる。その婚礼をしきる威厳にあふれた主人公の祖母がいる。また、主人公の家に帰ってくる叔母は、戦争中だというのにスカートにパラソルという洋装だ。そういう格好をすることで、戦時下の規制に異議申し立てをしている。
そんな中に、主人公を見ると必ず棒を持って追いかけてくる少年がいる。貧しい農家の少年だ。なぜ彼が主人公を追いかけるのか映画は説明はしないが、佐藤忠男さんとの対談では黒木監督の実際の体験だという。地主の孫だったから憎まれたのかもしれない、と黒木監督は推察する。
その少年の母親は戦争未亡人である。その未亡人のところに、本土決戦に備えて村の近くに駐屯している部隊から忍んでくる兵隊がいる。兵隊が部隊からくすねてくる食料品が女の家を潤している。だが、夫の戦死が誤報だとわかり、終戦の後、帰ってくると知らされる。
母親と兵隊が寝ていることを嫌っていたのに、そのことを知った少年は母親に「言わなきゃいい」と言う。帰ってくる父親に戦争中のことは内緒にしろ、と言うのである。だが、戦争が終わった後、少年と母親はあばら屋を焼き、村からいなくなる。この映画に出ている役者はみないいが、特にその母親を演じた石田えりが素晴らしい。
一方、主人公は自己処罰の意識にとらわれていったのだろうか、本土決戦に備えると主張して竹藪に穴を掘り、竹槍を持ってひとりその中に閉じこもる。やがて終戦を迎え、ラストシーンでは村の一本道をアメリカ軍のジープがやってくる中、ただひとり主人公が竹槍を抱えて突進していく。だが、彼の突進はアメリカ軍に相手にされない。それでも主人公は何度も突進する。やがて、虚しい突進を繰り返す彼の悲しみがスクリーンを覆い尽くす……
「祭りの準備」の舞台になった昭和三十三年(1958年)頃の土佐・中村と、昭和二十年八月の宮崎県えびの市という違いはあるが、その時代・その地域に生きる人々を描く黒木監督の視線は共通している。黒木監督は、決して誰も断罪しない。そんな人物が生きていたというリアリティを感じさせ、ひとりひとりの人生を想像させてくれるのだ。
シナリオライターになる夢を抱いて上京しようとする「祭りの準備」の主人公も、自分ひとりだけが生き残った後ろめたさを抱いて思い詰めていく「美しい夏キリシマ」の主人公も、黒木監督の視線を仮託された存在だ。彼らは自分の周囲で生きていく人々のありのままの姿を見る。
みんな、どこかにいそうな人たちばかりである。毅然と生きている人もいる。だらしなく生きている人もいる。肉欲に溺れる人もいる。それは、現実の世界と何ら変わりない。だが、何と彼らの魅力的なことだろう。人間的なことだろう。そうした人々を描いた黒木監督の作品から、やがて立ち上がってくるのは「生きるせつなさ」である。
どんな人も「悲しみ」を抱えて生きているのだ。それでも人は生きていかなければならないということを、黒木監督の作品は教えてくれる。
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コンプリート版(完本)「映画がなければ生きていけない」は、二巻本に304篇を収め、12月下旬発売予定になりました。解説を映像作家で造形大教授だったかわなかのぶひろさんにお願いし、先日、送っていただきました。自分の本の解説文というのは面映ゆいものです。かわなかさんの厳しい関門は通過したらしくホッとしましたが、同時に僕の記憶違いを指摘され、あわてて確認することも……
僕の勤め先が11月28日〜29日開催のフォトショップワールドを共催しています。
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