
今年のアカデミー賞授賞式も楽しめた。さすがにエンタテイメントの国アメリカである。今年の女性司会者はアメリカでは人気のある人なのだろうが、僕は知らなかった。しかし、最近はウーピー・ゴールドバーグなど、女性の司会者が笑わせてくれる。
今年の趣向は影絵だった。十数人の人間がバックからライティングされた大きなスクリーンの両脇から転がって集合し、瞬く間にひとつの影絵が出来上がる。最初に作ったのは大きなオスカー像だった。その後、何回か登場したが、大きな拳銃の影絵になり、銃弾が飛び出したときは「凄いなあ」と笑った。
アカデミー賞は毎回、いろんなドラマを感じさせてくれるので、長い実績のある人が候補に挙がった方が面白いし、個人的にも思い入れてしまう。逆に新人に近い人にはあまり興味が湧かない。日本ではまったく知られていなかった菊池凛子は、メキシコ映画「バベル」で助演女優賞候補になったが、僕はほとんど関心がなかった。
久しぶりに名前を聞いて、まだ頑張っていたんだなあと感慨深かったのは助演男優賞のアラン・アーキンである。僕がアラン・アーキンという名前を初めて知ったのは中学生の頃だった。当時買っていた「スクリーン」や「映画の友」で「アメリカ上陸作戦」(1966年)という映画が話題になり、アラン・アーキンがアカデミー賞にノミネートされたからである。


七十四歳と紹介されたアラン・アーキンは、別人のように見えた。ずっと俳優を続けていたんだなあ、と四十年ぶりに再会した友人を見る想いだった。助演男優賞の対象になった「リトル・ミス・サンシャイン」(2006年)で孫娘を相手に話すシーンが流れたが、その老人はやはり別人にしか見えなかった。

アラン・アーキンはめでたく受賞した。受賞者は皆、オスカー像を抱いてスピーチするものだが、彼はいきなりオスカー像を床に置きメモを両手で広げて読み始めた。降壇するときにオスカー像を忘れるなよ、と僕は気になった。多くの人もそう思ったのではないだろうか。
受賞後のインタビューで「みんな、僕が四、五年で死ぬことを知っているんだよ」とアラン・アーキンは淡々と話していたが、同情票だけではアカデミー賞は獲れない。「リトル・ミス・サンシャイン」は制作資金も少ない小品だけど、いい映画であるらしい。久しぶりにアラン・アーキンを見にいこう、と僕は心に決めた。
●四十年で四百本以上作曲した音楽家
功労賞はエンニオ・モリコーネだった。これは事前に発表になっていたから、プレゼンターを誰がやるのかと興味が湧いたが、クリント・イーストウッドが出てきたときにわかった。イーストウッドは「『荒野の用心棒』は私の初主演映画であり、彼の初めての映画音楽の仕事だった」とスピーチを始める。
四百本以上と言われるエンニオ・モリコーネの作品から何本かが編集されてスクリーンで流れた。イタリアの音楽家だが、ハリウッドでもずいぶん仕事をしている。「天国の日々」(1978年)の美しい映像が出た後に「続・夕陽のガンマン」(1966年)の決闘シーンが映る。

四十年間で四百本…、年間十本ペースは凄い、と素直に感心した。壇上のエンニオ・モリコーネは、ゆっくりと確実にイタリア語でスピーチした。それを隣りにいるイーストウッドが英語で通訳する。七十代半ばのイーストウッドよりエンニオ・モリコーネはずっと年上に見えた。
ジョディ・フォスターが出てきて紹介したのは、昨年一年間に亡くなった映画関係者たちのメモリアルフィルムだ。毎年、授賞式の後半に流れるものだが、この物故者のメモリアルフィルムを見るたびに僕はアカデミー賞はハリウッドの業界内イベントなのだと改めて思う。

亡くなったのは知っていたが、ダーレン・マクギャビンとグレン・フォードのシーンでは姿勢を正した。脚本家というよりベストセラー作家で有名なシドニー・シェルドンも昨年、亡くなっていた。「第三の男」(1949年)のラストシーンが流れてアリダ・ヴァリが映ったときは「まだ生きていたんだ」と驚いた。
「第三の男」のキャロル・リード監督は三十年前に死に、オーソン・ウェルズももういない。ジョセフ・コットンもおそらく亡くなっているだろう。六十年近く前の映画である。スタッフもほとんど鬼籍に入っている。アリダ・ヴァリは一体いくつだったのだろう。
毎年のメモリアルフィルムを見るたびに、人生は長いと思う。アリダ・ヴァリにとってスクリーン上での人生はとっくに終わっていたのに、現実の長い人生は続いていた…。
●「無冠の名監督」と言われ続けてきた男の涙

黒澤明と三船敏郎のコンビに匹敵すると言われたことがあるマーチン・スコセッシとロバート・デ・ニーロなのに、いつの間にかコンビは解消していた。スコセッシはここ五年以上、人気者のレオナルド・ディカプリオを主演にして作品を撮っている。
ロバート・デ・ニーロ、ハーヴェイ・カイテル、ジョー・ペシという実に個性的な三人の俳優は、マーチン・スコセッシの映画で出てきた人たちだ。「ミーン・ストリート」(1973年)であり、「タクシー・ドライバー」だった。「グッドフェローズ」のジョー・ペシは必見だ。
しかし、レオナルド・ディカプリオを主演にしてからのスコセッシ映画が僕には面白くない。「ギャング・オブ・ニューヨーク」(2002年)も「アビエイター」(2004年)もダメだった。「ディパーテッド」(2006年)は見ていないが、原作の香港映画「インファナル・アフェア」(2002年)の出来がよすぎるので、あまり見る気にならない。

潜入警官役のトニー・レオンが文句なくいい。元々、僕はかなりトニー・レオンびいきだが、その役をレオナルド・ディカプリオにはやってほしくなかったなあ。「ボーイズライフ」(1993年)や「ギルバート・グレイプ」(1993年)の頃のレオナルド・ディカプリオは好きだったのだけど…
そのレオナルド・ディカプリオは自分は主演男優賞が獲れなかったけれど、スコセッシが監督賞で名前を呼ばれた瞬間、飛び上がって喜んでいた。いや、その後、全員が席を立ちスタンディング・オベイションになった。その絶大な拍手の中で、マーチン・スコセッシは黒縁の大きなメガネの奥の目を潤ませながら「サンキュー」を連呼した。
あれほど「サンキュー」を繰り返した受賞者を僕は知らない。「もう一度、名前を確認してくれないか」とジョークをとばす余裕はあったけれど、よほど嬉しかったのだろう。僕もちょっと涙を誘われた。リメイク作品でなければ、もっとよかったのに…、やっぱり「グッドフェローズ」で獲るべきだったのだ、と僕は発作的に人を殺すジョー・ペシを思い出していた。
監督賞のプレゼンターは豪華だった。フランシス・フォード・コッポラ、スティーブン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカスである。コッポラとスピルバーグが監督賞をもらったときの感激を語り合い「いいもんだ」とうなずいていると、ルーカスが「僕はもらってないよ」と突っ込み会場が爆笑する。トリオでコントをやっているようだった。
コッポラ、スピルバーグ、ルーカス、スコセッシは同じ時代に監督デビューした。「三十七年来の友人たちからオスカーをもらう喜び」をスコセッシは語っていたが、本音だったのだろう。世界中でヒットした映画を作った男たちが舞台袖に引き上げてくるのを見ながら、その四人の男たちが少し羨ましかった。
マーチン・スコセッシはイタリア移民の子として育ち、ニューヨーク大学を出て1967年「ドアをノックするのは誰?」を監督する。以来、第一線で映画を作り続け、四十年たって監督賞と作品賞を受賞。「無冠の名監督」と言われ続けてきた男は涙を浮かべた。六十四歳、まだまだ映画監督として仕事ができる歳だ。幸せな人生だと思う。
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
週刊アスキー3月13日号で僕の本を永山薫さんに紹介していただいた。デジクリ連載の頃から読んでいただいていたようだ。亀和田武さんの「この雑誌を盗め!」と並んでの紹介。亀和田さんの朝日新聞の連載を愛読していたので、一緒に選ばれたのが何だか嬉しい。
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