わが逃走[3]福島ちょっといい話の巻
── 齋藤 浩 ──

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みなさんこんにちは。『わが逃走』第3回です。

くどいようですが説明させていただきますと、このコラムはグラフィックデザイナー齋藤浩が、グラフィックデザインとは無関係に書きたいことを書くという、ノーギャラならではの企画です。

前回は幼年期の悲しい出来事を書いたので、その反動という訳ではないのですが今回のテーマは「大人」です。

さて、みなさんが「大人」を感じた瞬間とはどんなときでしょうか。私がそれを感じたとき。そう。あれは、忘れもしない18の夏。

初めて友人の運転する車の助手席に乗せてもらったときの衝撃! あれは強烈な印象として脳裏に焼き付いています。スッゲー、同級生がハンドル握って、しかもこの車、走ってるよ!! スッゲー!!!

友人のお父さん、お母さんの運転する車に乗せてもらったことは当然あります。ところが今回は本人! 本人ですよ、あーた!!

「ともだち」から連想することといえば、一緒にカブトムシを採りに行くとか、一緒に爆竹で犬の糞を破壊するとか、一緒に試験勉強するふりをしてエロ本を交換するとか、そういったことが誰でも思い浮かぶことと思います。そんな間柄の男がなんと、国家試験に合格して、公道を自ら運転する車で流しているのです。

う。こいつ、お、おとなだ…

尊敬、嫉妬、そして自分だけ取り残されてしまったような寂しさ。第三者的視点からこの状況を考えてみると、当然ハンドルを握る友人は主役。助手席の私は脇役。

なんか、人生における配役がこのまま決定してしまいそうな危機感を感じた私はその一年後の夏休み、福島県のK自動車学校の免許取得合宿に参加したのでした。それでは、そのときの素敵な思い出話に、今回もつきあっていただきましょう。


第1話●4人部屋の怪

「最短14日、宿舎はひろびろ4人部屋、高原のホテル。送迎バスで教習所へ直行!」

コピーを鵜呑みにした訳じゃないが、まあ消去法でいって悪くなさそうだったし。その自動車学校を選んだ理由はそんなところだ。

高校時代からの友人であり、同じ美大仲間でもあるキッカワと共に合宿免許を申し込み、我々は東北新幹線で一路福島県へと向かった。

昼頃駅に到着すると、マイクロバスが待っていた。バスは20分程走り、畑と田んぼの中にある教習所へと我々を運んだ。一応東北とはいえ、限りなく関東に近いこの地の夏は暑かった。

未知の機械・自動車に触れるということで少し緊張していた私だったが、初日は教材配布やら学科の講義なんかで慌ただしく終わってしまった。

ヒグラシが鳴きはじめた頃、大型バス一台とマイクロバスがコースに横づけされ、全員それに乗るよう指示された。こうして見てみると受講生はかなりの人数だ。

若者を満載したバスは、一路“高原のホテル”に向かう。新幹線の駅を過ぎ、繁華街を抜け、バスは国道をひた走る。いつの間にか人家さえまばらになり、明かりと呼べるものは時折すれ違う対向車のヘッドライトのみとなる。そして、ついにはその対向車すら現れなくなってしまった。気がつくと県道に入っていた。周囲に人の気配はない。

50分近く揺られていると、車体が急に揺れはじめた。どうやら峠に入ったらしい。道幅ギリギリまで木が生い茂っており、周囲はうっそうとしている。そんな中をバスは右に左に傾きながら暗い夜道を登ってゆく。

ほんとにこの道でいいのか? このままショッカーの秘密基地に連れられて改造されてしまうのではないか。そんな不安が脳裏をよぎる。

そして乗車してから1時間20分、突如山の中にその建物は出現した。薄明かりが看板を照らしている。そこには「K高原ホテル」と書かれていた。そういう固有名詞なら、“高原のホテル”というコピーもウソではない。周りは山と崖だけど。

鉄筋コンクリートの四角い三階建て。いかにも昭和なたたずまいだ。荷物を担いでフロントへ向かうと、横井社長(あのホテル・ニュージャパンの)を若くしたような蝶ネクタイの男が、愛想笑いで出迎えてくれた。

「今日から合宿免許に参加する齋藤とキッカワです」私がそう言うと彼はすぐに部屋番号を告げ、洗濯物をベランダに干すなとか、夜中は騒ぐなとかいった注意事項の説明をはじめる。一通り聞いたので部屋に行こうとすると、「4人部屋ですから」と念をおされた。

当初から分っていたことなので、「そのように聞いています」と答え、伝えられた番号の部屋の前に立ち、扉を開けた。そこでまず感じたこと。くさい。4人部屋と称されるその万年床の空間には、育ち盛りの青年がすでに9人生活していた。我々はなんと10人目、11人目の客だったのである。

しばし呆然とするも、同室の若者達から話を聞くうちに謎が解けてきた。どうやらこの部屋は「4人部屋タイプ」という名前の部屋、ということらしい。なるほど、キャッチコピーはウソではない。そこに何人詰め込まれるかまでは記載されてなかっただけのことだ。

コピーにうたわれている「ひろびろ4人部屋」とはおそらく「4人部屋タイプの空間で布団の断面をUの字にしながら寝ているうちに、心がひろびろとしてきますよ」という意味なのだろう。ああ、早くシャバへ帰りてーな。合宿生活は始まったばかりだ。

第2話●イノススの謎

翌日、学食を薄味にしたような朝飯を食し、マイクロバスに乗った。昨日と逆のコース。

狭い車内、互いの二の腕を密着させた育ち盛りの青年達を乗せてバスは峠を下る。これがあと何日続くのか。

「送迎バスで直行!」というコピーもウソではない。しかし宿舎から1時間20分とはたいしたもんだ。これって実家から新幹線で来る時間と大差ないよなあ。そんなことを考えているうちに、バスは教習所に到着した。

朝一番の講義は『交通安全の基礎』。講師は、ここK自動車学校の校長だった。校長は教壇に立ち、語りはじめた。

「わだすが、校長のイノティッツィッッです。イノススのツべ、と書いて、イノティッツィッッ、と読みます。さて、……」

何? この不思議な言語を操るおじさんは何を言ってるのだ? イノススのツべって何だ。配布された資料を見てみる。担当・猪爪とある。なるほど、イノシシのツメのことか。そこまでは解った。で、何て読むんだ? 聞き取れなかった。つーか、全然解らん。スゲー気になる。

隣に座るキッカワに小声で尋ねてみたが、彼も聞き取れなかったそうだ。気になって講義に集中できない。あー、イノティッツィッッが謎だー。講義終了と同時に私は校長に聞いてみた。

「あのー、先生。先生のお名前は猪の爪と書いて何と……。スミマセン、聞き取れなかったもので」
「ああ、わだすの名前ね。うん。イノススのツべ、と書いて、イノティッツィッッ」
「はい?」
「んだがらぁ、イノススのツべ、と書いて、イノティッツィッッ」
「ほほう。ありがとうございました」

待合室に向かう途中、キッカワが私を呼び止める。
「で、校長の名前、何て読むんだって?」
私は答えた。
「イノティッツィッッだそうだ」。

第3話●変速機奇譚

イノティッツィッッの謎を残したまま教習は進む。クラッチを離すタイミングをうまく飲み込めない私だったが、なんとか実技も第二段階まで進むことができた。

ここまで来ると、気持ちに多少ゆとりもできてくる。しかし、油断すると直線で速度オーバーしちゃうんだな。

その日もギアをセカンドに入れ、コース外周を回っていると助手席のA教官が言った。
「ほら。そご。トップにあげで!」
何故こんなところでトップに?
不審に思いながらもギアをトップに上げると、車はノッキングをはじめた。
「なんでトップにあげるぅ?」
「だっていま先生が」
「トップにあげるんじゃなぐで、トップりあげろつたの」
「はい??」
「いいがぁ。トップりあげるっつうのは、車間距離をたくさんとれというこどだ」
「たっぷりあける、ですか?」
「だーがーらぁ、さっきからそう言っでるよぅ。おめーみてぇなやづは、はーじめてだ」

危険だ。危険すぎる。この不思議な言語をトランスレートしてる間にも、車は動いているのだ。こんな状態で路上に出たら、俺は……

そもそも、この調子で路上なんかに出られるのだろうか。脳裏に一抹の不安がよぎる19歳の齋藤浩だった。

第4話●クランク椅子の恐怖

坂道発進、S字コース、車庫入れに縦列駐車。初心者泣かせのメニュー勢揃いの第三段階も半ばを過ぎた頃。

いつものように程よく緊張しながら教習車を走らせていると、助手席のB教官が言った。
「はい、そごで椅子型入って」

椅子型……椅子の格好しているコースといえばクランクのことだろうか。半信半疑の私だったが安全確認をし、クランクコースに入るべくハンドルを切った。すると

「なんでクランクさ入る?」
「え、でも、あ、あの、椅子型って……」
「だがらぁ。椅子型だよ椅子型。」
「はあ。」
「はあじゃなぐで、椅子型だってばよぅ」
教官が指差した先にはS字コースが。
「あ、S型ですか!!!」
「そうだよぅ。ほんどにさっぎから何聞いでんだよぅ。おめーがオレの息子だったら、ぜぇーったい免許とらせね」

理不尽だとは思いつつも、ここでは教官が絶対である。
私は彼に“聞き間違い”を侘び、なんとか第三段階終了のハンコを押してもらったのだった。

第5話●面妖面接事件

修了検定も終わり、明日から路上に出る。この日私は適性試験の結果を校長直々に面談形式で聞くという、ありがたい企画の順番待ちをしていた。

試験といってもマークシート方式の簡単なもので、「あなたはスピードを出しすぎる傾向にあるので、気をつけて」みたいなことを校長自らのお言葉として頂戴できるという、まあ言ってみれば路上に向けての自覚と責任を促すイベントみたいなものだ。

しばらく待ってると前の人が応接室から出てきて、私の名前が呼ばれた。部屋に入ると、校長はソファに座るよう言った。

「失礼します」
少々緊張しながら私は来客用と思われるソファに腰をおろした。
その緊張をほぐすように、校長は笑顔でこう言った。
「齋藤くんは、イーやってるの?」
「はい???」
「だがらぁ、齋藤くんは、イーやってるんだっで?」
「イー…Eですか…」
「そうだよ、イー」
「イーですか…あの、わかりません…」
「イーだってば」
「……」
「イーじゃなかったらガー」
「ガーですか?」
「そう! ガーだよ、ガー!!」
「ガー…」

なんなんだ、イーだのガーだの……この人は何を言いたいんだ? 理解できずふと見上げると、校長の顔が真っ赤だ。どうやら怒りを抑えているらしい。

「ガー!!! ガーじゃなかったらイー!、イーッ!! イーーーッッ!!」

もうだめだ、全く理解できない。素直に謝ろう。
「すみません、わかりません」
すると校長は怒りを爆発させた。
「美大行ってんだろーっ!!!」
「あ、絵ですか?」
「そうだよぅ。さっきからそう言ってるよぅ……」

校長の言うガーとはおそらく画のことだろう。沈黙が気まずい。
「さて、齋藤くんはだね……」適性検査の話が始まったはいいが、気まずさは最後まで消えなかった。

面接を終えて応接室から出ると、次は同じ美大のキッカワの番だ。これはいかん! 過ちを繰り返してはいけない。私は彼に「イーって言ったら絵のことだからな。粗相のないようにな」と耳打ちした。

「おう、わかった」元気にこたえて彼は応接室に入っていった。
部屋に入ると、校長はソファに座るよう言った。
「失礼します」
少々緊張しながら彼は来客用と思われるソファに腰をおろした。
その緊張をほぐすように、校長は笑顔でこう言った。
「キッカワくんは、絵画やってるの?」

以上、福島ちょっといい話でした。その後私はなんとか卒業検定に合格し、無事運転免許を取得しましたとさ。なんだかんんだでもう20年近く前のことです。

あの校長の名前も謎のままです。今は何でもネットで情報が得られるいい時代ですが、少しくらい謎を謎のままにしておきたい。それが男のロマンってもんさ。

今回は諸般の事情で割愛しましたが、この合宿では普段の生活では絶対接点がないような人たち(ヤンキーなど)とスゲー仲良くなれました。同じ目的があると、けっこう気が合っちゃうものですね。

【さいとう ひろし】saito@tongpoographics.jp
1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。
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