●七月の琵琶湖岸で「鳥人間コンテスト」を思い出す
先日、大津で姪の結婚式があり、カミさんと娘と三人で出席してきた。大津にいくのは初めてである。土曜日の昼下がり、大津駅に降りたが、あまり人がいないので驚いた。「大津は滋賀県の県庁所在地よね」とカミさんが言う。「そうだっけ」と僕が応える。あやふやなのは二人とも同じだった。
琵琶湖ホテルへいくのだが、駅前の地図を見ると一本道を琵琶湖の方へ下っていけばいいらしい。初めての街だから歩いてみよう、ということになり、トランクをガラガラと引きながら琵琶湖をめざすことになった。中央に並木が続く広い路で、少し歩くと古い由緒ありそうなお寺があった。どうも、旧東海道らしい。
「東海道五十三次の最後の宿場が大津じゃなかったっけ」と誰にともなく口にする。テレビシリーズ「新 必殺からくり人 東海道五十三次殺し旅」を思い出していたのだ。日本橋から始まり、京都に入る最後の宿場が大津だったと記憶している「東海道五十三次殺し旅」は安藤広重の「東海道五十三次」の絵の中に、殺してほしい人間が描き込まれているという設定だった。
先日、大津で姪の結婚式があり、カミさんと娘と三人で出席してきた。大津にいくのは初めてである。土曜日の昼下がり、大津駅に降りたが、あまり人がいないので驚いた。「大津は滋賀県の県庁所在地よね」とカミさんが言う。「そうだっけ」と僕が応える。あやふやなのは二人とも同じだった。
琵琶湖ホテルへいくのだが、駅前の地図を見ると一本道を琵琶湖の方へ下っていけばいいらしい。初めての街だから歩いてみよう、ということになり、トランクをガラガラと引きながら琵琶湖をめざすことになった。中央に並木が続く広い路で、少し歩くと古い由緒ありそうなお寺があった。どうも、旧東海道らしい。
「東海道五十三次の最後の宿場が大津じゃなかったっけ」と誰にともなく口にする。テレビシリーズ「新 必殺からくり人 東海道五十三次殺し旅」を思い出していたのだ。日本橋から始まり、京都に入る最後の宿場が大津だったと記憶している「東海道五十三次殺し旅」は安藤広重の「東海道五十三次」の絵の中に、殺してほしい人間が描き込まれているという設定だった。
さて、少し歩いたところで娘が「裁判所があるよ」と気付いた。「だったら、きっと県庁もあるな」と僕がうなずく。行政と司法の中心は同じ場所にあるはずだ。しかし、それにしては人通りも車の通行もほとんどない。カミさんは「きっと、官庁街なのよ。土曜日でひっそりしているんだわ」と断定する。
京阪電車の踏切を越えると琵琶湖ホテルだった。琵琶湖岸に建っている大きなホテルである。廊下の窓が船窓のデザインになっている。チェックインして、部屋のベランダから見下ろすと琵琶湖が一望できる。大きな船が何隻も係留されている。大型のフェリーボートのような船のデッキで船上結婚式が行われていた。
部屋のドアを開け放していたので、いきなりカミさんの弟が顔を出した。「隣の部屋だよ」と言う。ずいぶん会っていなかったので、すっかり年を重ねている。考えてみれば、もう四十半ばだ。中学生の頃から知っているので、何だか変な感じだった。就職して我が家に遊びに来ていたのは、もう三十年も昔のことだ。その頃、パラグライダーに凝っていた。
「最近は飛んでいないの。そういえば、この時期の琵琶湖を見ると、『鳥人間コンテスト』を思い出すね。もうすぐ開催かな…」と僕が言うと、「あの審査員をしている人がうちの会社にいますよ」と義弟が言う。彼は大手自動車メーカーの開発部門に勤務していて、周囲にいるのはエンジニアばかりである。工学博士という称号を持つ人もいるのだろう。
それからしばらく「鳥人間コンテスト」の話になった。毎年、夏に琵琶湖で行われ、日本テレビ系列で放映される「鳥人間コンテスト」を律儀にすべて見ているわけではないが、見始めると引き込まれる。人力飛行機のパイロット席で必死にこぎ続ける姿を見ると、爽やかな気分になる。いつまでも飛び続けろ、と掌を握りしめる。力が入る。身を乗り出す。
飛行機嫌いの僕だが、人が自分の力で空を飛んでいるのを見るのは好きだ。以前に筑波山でパラグライダーで飛び立つ人を間近で見たことがある。なだらかな斜面を巨大な横長のパラシュートを背負って走り出す。風に乗る。すーっと浮き上がる。そのまま上昇するように見えた。
そのときに「風の谷のナウシカ」(1984年)を思い出した。
●宮崎アニメの魅力は空を飛ぶシーン
「風の谷のナウシカ」が評判になったのは、もう二十年以上前のことになる。当時、僕の会社で「『風の谷のナウシカ』を見て泣いた」という三十男がいた。宮崎駿の名前は「未来少年コナン」や「名探偵ホームズ」シリーズでアニメ・マニアの世界では知られていたが、「風の谷のナウシカ」で一般的に知られるようになった。
今更言うまでもないことだが、宮崎アニメの飛翔感は素晴らしい。主人公たちが空を飛び始めると物語の面白さにあふれた宮崎ワールドの魅力がさらに高まった。風に乗って空を自在に翔けるナウシカは、何ものにも縛られない自由な存在に見えた。鳥たちのように彼女は空を飛び、天を翔けた。
「天空の城ラピュタ」(1986年)は、文字通り天空を漂うラピュタが舞台だ。それを浮遊させている飛行石という発想がユニークだ。飛行石のペンダントを胸に、ゆっくりと空から降りてくる少女のイメージは天使に通じるものだろう。空賊たちが乗る一人用の飛行機フラップターは昆虫のような薄い羽を羽ばたかせて飛ぶ。「風の谷のナウシカ」のガンシップなど、宮崎アニメに登場するクラシックなデザインの飛行用具を見るのも楽しい。
「となりのトトロ」(1988年)は設定自体はリアリズムがベースだが、日常がそのままファンタジーになり、夢か現実かわからないままサツキとメイはトトロの胸につかまって空を飛ぶ。トトロが独楽のように回転して風を巻き起こし、そのまま風に乗って浮き上がる描写が印象に残る。さらに、猫バスも登場して天空を疾駆する。
「となりのトトロ」が公開された頃から、宮崎アニメはブランドになった。「魔女の宅急便」(1989年)は「宅急便」という言葉を商標登録しているらしいヤマト運輸が出資するまでになる。宮崎アニメというだけで集客が見込めるからである。主人公の新米魔女キキは、もちろん箒に乗って夜空を飛ぶ。
「魔女としての修行」が「魔女の宅急便」のテーマである。少女の成長物語なのだ。その修行の重要な要素のひとつが「飛ぶ」ことが、知らない街にきて一人暮らしを始めたキキは自信をなくし、迷い始めることによってうまく飛べなくなってしまう。だが、友人が墜落する危機に陥ったとき、彼女はデッキブラシで飛ぶという離れ業を見せる。
友への愛が彼女の新しい力を呼び覚ましたのである。文字通り「飛ぶ」ことが物語の重要なファクターになっていた。新米の魔女に託して、すべての人に通じる「青春期の迷いと成長」を描きたかったのだろう。「飛ぶ」ことはメタファーであり、思春期の何かを象徴する。
「飛べねぇ豚は、ただの豚だ」というキャッチフレーズで思いっきり気取った「紅の豚」(1992年)も、もちろん「飛ぶ」ことが何かの象徴になっている。飛行艇乗りたちの心意気がスクリーンにあふれるノスタルジックなアニメだった。空中でのエピソードが物語の大半を占める作品である。
この頃になると、「宮崎アニメ」というだけではなく「スタジオ・ジブリ」のブランドが浸透する。「ジブリのアニメならいいものに違いない」という信頼感が確立したのである。
●リアリズム・アニメにも飛翔シーンが登場した
「耳をすませば」(1995年)もスタジオ・ジブリの作品だからということでヒットした。宮崎駿がプロデュースと脚本を担当し、「魔女の宅急便」の作画監督を監督に起用したのだ。その代わり、宮崎駿監督の短編「On Your Mark」を併映にした。チャゲ&アスカの音楽をメインで使い、セリフのない映像詩のような作品だった。天使の翼を持つ少女を救い出し空へ帰す物語は、当然、飛ぶシーンに充ちていた。
僕は「耳をすませば」については、まったく予備知識がなかった。女子中学生の物語であることも知らなかった。昔風の団地に住む家族が登場し、日常生活がアニメ作品とは思えないほどリアリティをもって描かれる。主人公の少女は文学少女で、図書館から本を借りると、いつも自分より先に借りている男子がいるのに気付く……
そのアニメは、中年男の胸をかきむしるほどの郷愁に充ちていた。夏休みの学校の描写に「そう、そう、そんな風だった」と僕はうなずく。やがて、少女は少年と出会う。その出会いも反発し合うような出会いだ。少年の皮肉な物言いにカチンときて、「やな奴」とつぶやく。しかし、観客には少年が貸出カードの主であり、やがて少女が恋する相手になるだろうと予想できる。
時代設定がいつ頃かはわからないが、「耳をすませば」は当時の僕の感傷を呼び覚ました。娘の世代より、より伝わったのではないだろうか。「そう、そう、そうだったよなぁ」とスクリーンを見ながらニヤリとする場面がたくさんある。ただし、少女趣味的な部分も多く、僕は映画館の暗闇にまぎれて照れ笑いをしていたようだ。
映画館を出た後、「パパ、ニヤニヤしてばっかりだったね」と娘に言われてしまった。「耳をすませば」は小学生の娘にねだられ、一緒に映画館で見ることになったのだ。今から思うと、ふたり仲良く並んで見た最後の映画である。娘と映画を見る、という行為に心がときめいたのを覚えている。少し照れていたのも事実ではあるけれど……
「耳をすませば」を見る少し前、「愛を弾く女」という映画を見、ノベライズした小説を読んでいた。ヴァイオリン職人の主人公とヴァイオリニストの物語だ。小説を読むと、ヴァイオリンについて詳しくなる。だから「耳をすませば」の少年がヴァイオリン職人をめざしている設定がよくわかった。
明確な目標を持つ少年に比べて「私は何」と悩む少女は、イタリアへいった少年の不在の間、精神的に追いつめられていく。少女期のコンプレックスと焦りが伝わってきた。そんなリアリズム・アニメだから、飛ぶシーンはないだろうと思っていたら、やはり飛翔シーンが登場した。
少女が書いたバロンという猫を主人公にしたファンタジーが、劇中劇の形で描かれるのだ。男爵の扮装をしたバロンが自由自在に天空を翔けるのである。そして、そのシーンがあることで「耳をすませば」が精神の自由さを表現していたのも事実だと思う。
「鳥のように自由」という言葉がある。空を飛べたら、どこへでもいける。翼を持たない人間にとって、そのことが究極の自由に思えるのではないだろうか。そして、宮崎アニメが観客を魅了するのは空を翔ける主人公たちの自由さに、地上に縛られている僕らの精神が解き放たれるからではないのか……
自由であること——、その夢を飛ぶことが叶えてくれる。それゆえに飛ぶことを、強く強く夢見るのかもしれない。「ああ、人は、昔々、鳥だったのかもしれないね」と歌ったのは、加藤登紀子だった。中島みゆきが作った「この空を飛べたら」である。中島みゆき自身も「おかえりなさい」という人のために書いた曲ばかりを集めたアルバムで歌っている。
そのフレーズは、ときどき僕の口をついて出る。
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
角川文庫から発売になった大沢在昌さんの「天使の爪」上下巻に解説を書かせていただきました。四百字で11枚ほども書いたのに、もう少し書きたいことがあります。もっとも読者は、くどい解説は迷惑でしょう。「天使の牙」「天使の爪」と続くシリーズは、読み始めたらやめられないことは保証します。
●第1回から305回めまでのコラムをすべてまとめた二巻本。
完全版「映画がなければ生きていけない」書店・ネット書店で発売中。
第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/shop/shop2.asp?act=prod&prodid=193&corpid=1
>
小説宝石」7月号に大沢在昌さんとの対談が載りました。「ハードボイルドがなければ生きていけない」というタイトルです。大沢さんの話の間に僕が「そうですね」と言っているだけのような対談ですが、大沢さんの映画やミステリへの愛がうかがえて面白いですよ。
京阪電車の踏切を越えると琵琶湖ホテルだった。琵琶湖岸に建っている大きなホテルである。廊下の窓が船窓のデザインになっている。チェックインして、部屋のベランダから見下ろすと琵琶湖が一望できる。大きな船が何隻も係留されている。大型のフェリーボートのような船のデッキで船上結婚式が行われていた。
部屋のドアを開け放していたので、いきなりカミさんの弟が顔を出した。「隣の部屋だよ」と言う。ずいぶん会っていなかったので、すっかり年を重ねている。考えてみれば、もう四十半ばだ。中学生の頃から知っているので、何だか変な感じだった。就職して我が家に遊びに来ていたのは、もう三十年も昔のことだ。その頃、パラグライダーに凝っていた。
「最近は飛んでいないの。そういえば、この時期の琵琶湖を見ると、『鳥人間コンテスト』を思い出すね。もうすぐ開催かな…」と僕が言うと、「あの審査員をしている人がうちの会社にいますよ」と義弟が言う。彼は大手自動車メーカーの開発部門に勤務していて、周囲にいるのはエンジニアばかりである。工学博士という称号を持つ人もいるのだろう。
それからしばらく「鳥人間コンテスト」の話になった。毎年、夏に琵琶湖で行われ、日本テレビ系列で放映される「鳥人間コンテスト」を律儀にすべて見ているわけではないが、見始めると引き込まれる。人力飛行機のパイロット席で必死にこぎ続ける姿を見ると、爽やかな気分になる。いつまでも飛び続けろ、と掌を握りしめる。力が入る。身を乗り出す。
飛行機嫌いの僕だが、人が自分の力で空を飛んでいるのを見るのは好きだ。以前に筑波山でパラグライダーで飛び立つ人を間近で見たことがある。なだらかな斜面を巨大な横長のパラシュートを背負って走り出す。風に乗る。すーっと浮き上がる。そのまま上昇するように見えた。
そのときに「風の谷のナウシカ」(1984年)を思い出した。
●宮崎アニメの魅力は空を飛ぶシーン
「風の谷のナウシカ」が評判になったのは、もう二十年以上前のことになる。当時、僕の会社で「『風の谷のナウシカ』を見て泣いた」という三十男がいた。宮崎駿の名前は「未来少年コナン」や「名探偵ホームズ」シリーズでアニメ・マニアの世界では知られていたが、「風の谷のナウシカ」で一般的に知られるようになった。
今更言うまでもないことだが、宮崎アニメの飛翔感は素晴らしい。主人公たちが空を飛び始めると物語の面白さにあふれた宮崎ワールドの魅力がさらに高まった。風に乗って空を自在に翔けるナウシカは、何ものにも縛られない自由な存在に見えた。鳥たちのように彼女は空を飛び、天を翔けた。
「天空の城ラピュタ」(1986年)は、文字通り天空を漂うラピュタが舞台だ。それを浮遊させている飛行石という発想がユニークだ。飛行石のペンダントを胸に、ゆっくりと空から降りてくる少女のイメージは天使に通じるものだろう。空賊たちが乗る一人用の飛行機フラップターは昆虫のような薄い羽を羽ばたかせて飛ぶ。「風の谷のナウシカ」のガンシップなど、宮崎アニメに登場するクラシックなデザインの飛行用具を見るのも楽しい。
「となりのトトロ」(1988年)は設定自体はリアリズムがベースだが、日常がそのままファンタジーになり、夢か現実かわからないままサツキとメイはトトロの胸につかまって空を飛ぶ。トトロが独楽のように回転して風を巻き起こし、そのまま風に乗って浮き上がる描写が印象に残る。さらに、猫バスも登場して天空を疾駆する。
「となりのトトロ」が公開された頃から、宮崎アニメはブランドになった。「魔女の宅急便」(1989年)は「宅急便」という言葉を商標登録しているらしいヤマト運輸が出資するまでになる。宮崎アニメというだけで集客が見込めるからである。主人公の新米魔女キキは、もちろん箒に乗って夜空を飛ぶ。
「魔女としての修行」が「魔女の宅急便」のテーマである。少女の成長物語なのだ。その修行の重要な要素のひとつが「飛ぶ」ことが、知らない街にきて一人暮らしを始めたキキは自信をなくし、迷い始めることによってうまく飛べなくなってしまう。だが、友人が墜落する危機に陥ったとき、彼女はデッキブラシで飛ぶという離れ業を見せる。
友への愛が彼女の新しい力を呼び覚ましたのである。文字通り「飛ぶ」ことが物語の重要なファクターになっていた。新米の魔女に託して、すべての人に通じる「青春期の迷いと成長」を描きたかったのだろう。「飛ぶ」ことはメタファーであり、思春期の何かを象徴する。
「飛べねぇ豚は、ただの豚だ」というキャッチフレーズで思いっきり気取った「紅の豚」(1992年)も、もちろん「飛ぶ」ことが何かの象徴になっている。飛行艇乗りたちの心意気がスクリーンにあふれるノスタルジックなアニメだった。空中でのエピソードが物語の大半を占める作品である。
この頃になると、「宮崎アニメ」というだけではなく「スタジオ・ジブリ」のブランドが浸透する。「ジブリのアニメならいいものに違いない」という信頼感が確立したのである。
●リアリズム・アニメにも飛翔シーンが登場した
「耳をすませば」(1995年)もスタジオ・ジブリの作品だからということでヒットした。宮崎駿がプロデュースと脚本を担当し、「魔女の宅急便」の作画監督を監督に起用したのだ。その代わり、宮崎駿監督の短編「On Your Mark」を併映にした。チャゲ&アスカの音楽をメインで使い、セリフのない映像詩のような作品だった。天使の翼を持つ少女を救い出し空へ帰す物語は、当然、飛ぶシーンに充ちていた。
僕は「耳をすませば」については、まったく予備知識がなかった。女子中学生の物語であることも知らなかった。昔風の団地に住む家族が登場し、日常生活がアニメ作品とは思えないほどリアリティをもって描かれる。主人公の少女は文学少女で、図書館から本を借りると、いつも自分より先に借りている男子がいるのに気付く……
そのアニメは、中年男の胸をかきむしるほどの郷愁に充ちていた。夏休みの学校の描写に「そう、そう、そんな風だった」と僕はうなずく。やがて、少女は少年と出会う。その出会いも反発し合うような出会いだ。少年の皮肉な物言いにカチンときて、「やな奴」とつぶやく。しかし、観客には少年が貸出カードの主であり、やがて少女が恋する相手になるだろうと予想できる。
時代設定がいつ頃かはわからないが、「耳をすませば」は当時の僕の感傷を呼び覚ました。娘の世代より、より伝わったのではないだろうか。「そう、そう、そうだったよなぁ」とスクリーンを見ながらニヤリとする場面がたくさんある。ただし、少女趣味的な部分も多く、僕は映画館の暗闇にまぎれて照れ笑いをしていたようだ。
映画館を出た後、「パパ、ニヤニヤしてばっかりだったね」と娘に言われてしまった。「耳をすませば」は小学生の娘にねだられ、一緒に映画館で見ることになったのだ。今から思うと、ふたり仲良く並んで見た最後の映画である。娘と映画を見る、という行為に心がときめいたのを覚えている。少し照れていたのも事実ではあるけれど……
「耳をすませば」を見る少し前、「愛を弾く女」という映画を見、ノベライズした小説を読んでいた。ヴァイオリン職人の主人公とヴァイオリニストの物語だ。小説を読むと、ヴァイオリンについて詳しくなる。だから「耳をすませば」の少年がヴァイオリン職人をめざしている設定がよくわかった。
明確な目標を持つ少年に比べて「私は何」と悩む少女は、イタリアへいった少年の不在の間、精神的に追いつめられていく。少女期のコンプレックスと焦りが伝わってきた。そんなリアリズム・アニメだから、飛ぶシーンはないだろうと思っていたら、やはり飛翔シーンが登場した。
少女が書いたバロンという猫を主人公にしたファンタジーが、劇中劇の形で描かれるのだ。男爵の扮装をしたバロンが自由自在に天空を翔けるのである。そして、そのシーンがあることで「耳をすませば」が精神の自由さを表現していたのも事実だと思う。
「鳥のように自由」という言葉がある。空を飛べたら、どこへでもいける。翼を持たない人間にとって、そのことが究極の自由に思えるのではないだろうか。そして、宮崎アニメが観客を魅了するのは空を翔ける主人公たちの自由さに、地上に縛られている僕らの精神が解き放たれるからではないのか……
自由であること——、その夢を飛ぶことが叶えてくれる。それゆえに飛ぶことを、強く強く夢見るのかもしれない。「ああ、人は、昔々、鳥だったのかもしれないね」と歌ったのは、加藤登紀子だった。中島みゆきが作った「この空を飛べたら」である。中島みゆき自身も「おかえりなさい」という人のために書いた曲ばかりを集めたアルバムで歌っている。
そのフレーズは、ときどき僕の口をついて出る。
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
角川文庫から発売になった大沢在昌さんの「天使の爪」上下巻に解説を書かせていただきました。四百字で11枚ほども書いたのに、もう少し書きたいことがあります。もっとも読者は、くどい解説は迷惑でしょう。「天使の牙」「天使の爪」と続くシリーズは、読み始めたらやめられないことは保証します。
●第1回から305回めまでのコラムをすべてまとめた二巻本。
完全版「映画がなければ生きていけない」書店・ネット書店で発売中。
第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/shop/shop2.asp?act=prod&prodid=193&corpid=1
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- 小説宝石 2007年 07月号 [雑誌]
- 光文社 2007-06-22
- 風の谷のナウシカ DVD コレクターズBOX
- 宮崎駿 島本須美 納谷悟郎
- ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテインメント 2003-12-05
- おすすめ平均
- 全てに通ずる道を照らした名作。
- 作品はもちろん★5つ
- 待ってました
- ジブリ万歳!
- 待ちに待った・・・!!
- 天空の城ラピュタ
- 田中真弓 横沢啓子 初井言榮
- ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント 2002-10-04
- おすすめ平均
- まさに『傑作』。
- ジブリ最大の冒険スペクタクルにして、壮大なロマン。。。大傑作です
- 何回みても、ワクワクする
- 今の人間に欠けていること
- 緩急が素晴らしい