映画と夜と音楽と…[346]無頼な作家が愛した映画
── 十河 進 ──

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●ガンを公表して亡くなった無頼な作家

今年の五月、五十九歳で亡くなった藤原伊織さんの小説は、最初に「テロリストのパラソル」を読み、しばらく後に「雪が降る」という短編を雑誌で読んだ。調べてみると、「小説現代」1998年3月号の掲載だ。その「雪が降る」という短編が妙に心に残った。

藤原伊織さんは、直木賞を受賞してからも長く電通社員として二足のわらじを履いていたせいか、あまり作品は残していない。僕は「テロリストのパラソル」以来、どの小説も「そんなあ、ちょっと無理な設定だろう」と突っ込みながらも、肌が合うのかけっこう読んでいる。

長篇二作目の「ひまわりの祝祭」は、主人公がアートディレクター。彼は銃の名手である。「てのひらの闇」の主人公は元CMディレクターで、今はある企業の宣伝課長。しかし、ヤクザの組長の息子でもある。「シリウスの道」の主人公は、明らかに電通と思われる広告会社の営業マン。不思議な設定の「蚊トンボ白鬚の冒険」の主人公だけが配管工だ。

作家は、自分がよく知っている世界を選ぶ。藤原伊織さんは、やはり広告業界を背景にすることが多かった。僕が藤原作品にすんなり入れるのは、広告写真の専門誌編集部にいたため広告業界について少し詳しいからかもしれない。

だが、亡くなってから未読だった「ダナエ」「シリウスの道」「蚊トンボ白鬚の冒険」を読んでみたが、その文体と作家が持つ価値観(美学と言ってもいいけれど)に共感することが多いのだとわかった。藤原作品の主人公は、みんな無頼でありながら精神的にはストイックなのだ。


藤原伊織さんは、すばる新人賞を受賞した「ダックスフントのワープ」を含めて長篇六冊、遺作として出されている「遊戯」を含めて短編集三冊しか遺さなかった。しかし、どの本も僕には印象深い。評判は聞いていたが、「シリウスの道」は事件らしい事件が起こらないのに最後まで一気に読ませる力を持っている。

今年発行された短編集「ダナエ」にも感心した。画家が主人公の表題作が特にいい。美術関連のものをモチーフに使うことが多い人だったが、本人も美術大学への進学を考えていたほどだったという。しかし、美術大学をやめて、東大のフランス文学科に入った。その後、電通に入社するのだからエリートではあった。

しかし、「テロリストのパラソル」以来、どの小説からも無頼の気配が伝わってくる。本人がギャンブル狂だったのは有名だが、今年、文壇関係者が常連だという酒場で「あんな酔い方をする人は他にいない」と聞いた。呑んでいるうちに意識不明になるという。「四人の人に担がれて車に運ばれるのを目撃したわよ」と酒場のママが言った。

藤原伊織さんは僕より四歳年上で、完全な団塊世代。どちらかと言えば全共闘世代だ。「テロリストのパラソル」の中で、バリケード封鎖をしている校舎の屋上で主人公とヒロインが会話をする場面が回想されるが、それは間違いなく1969年1月19日に機動隊によって封鎖が解除された東大安田講堂だ。

その「テロリストのパラソル」は、リバー・フェニックス主演「旅立ちの時」(1988年)がなければ書かれなかったのではないか、と久しぶりに「旅立ちの時」を見直して思った。

●革命家の両親と共に地下生活を送る少年の悲劇

「旅立ちの時」が制作された1988年というのは、実に微妙な年だなあと僕は思う。全共闘が安田講堂を封鎖してから二十年めだ。二十年前、アメリカだって様々な大学で同じことが起こっていた。フランスの五月革命からも二十年たっている。その頃、日本はバブル景気に浮かれ、革命などという言葉は死語になっていた。

「旅立ちの時」は、そんな時代に革命をめざして闘う両親と共に地下生活を余儀なくされている少年の物語である。両親は全共闘世代にも多かった同志結婚である。革命をめざして先鋭化し、ベトナム戦争を終わらせるために兵器工場を爆破し、巻き添えで守衛に重傷を負わせてしまう。

彼らはFBIに追われ、二歳の長男を連れて地下に潜る。やがて次男が生まれる。その次男も今は十歳だ。彼らは単に逃亡しているのではない。革命組織に属し、組織からの援助を受けている。また、個人的にカンパしてくれる仲間もいる。そのひとりである歯科医は「僕は後ろめたいんだ。きみたちは闘い続けているのに…」と言う。その言葉が僕の世代には切実に響く。

「テロリストのパラソル」の主人公は、友人が作った爆弾の誤爆で人が死ぬ事件に巻き込まれ、二十年逃亡を続けている。今は新宿でバーテンをやっているが、朝起きたときからウィスキーを飲むほどのアル中である。ある日、中央公園でベンチに座っているときに広場で大爆発が起こる。その死者の中に、かつて愛した女と海外に逃亡していたはずの友人がいた…

おそらく「旅立ちの時」は藤原伊織さんに強い印象を残し、乱歩賞応募作品を書こうと決意した時にインスパイアされたのだと思う。なぜなら、「雪が降る」という短編には「旅立ちの時」が重要な映画として扱われているからだ。いや、「旅立ちの時」という映画のために書いた小説のように僕には思えた。

──「ところでお訊きしたいんですが、『ランニング・オン・エンプティ』って、なにを指すんですか」
 志村は顔をあげた。
 陽子とこの少年のあいだに、そんな会話があったのだろうか。いや、いま聞いた彼のたずね方からしてもそれはありえない。
「その英語、きみなら、どう訳すだろう」
「『空白の疾走』。それとも『虚無を駆ける』、かな」
 志村は思わず口もとがゆるむのを感じた。「きみのお母さんも、まったくおなじことをいってたよ。あの映画の邦題はほんとうにひどいって」

「母を殺したのは、あなたですね」というメールを受け取った主人公の志村が少年と会うシーンで交わされる会話である。この後、「旅立ちの時」と長男のダニーを演じたリバー・フェニックスの話になる。リバー・フェニックスはこの映画でオスカー候補になった。

●リバー・フェニックスを初めて見た「スタンド・バイ・ミー」

リバー・フェニックスは二十三歳で死んでしまったせいか、どの映画を思い出しても、その姿に悲しみが重なる。僕が初めて彼を見たのは、1987年のメーデーの日である。デモの後に見た「スタンド・バイ・ミー」(1986年)は、人生の悲しみに充ちた名作だった。

リバー・フェニックスが演じたクリスの死を報じる新聞記事を見て、作家になった主人公ゴーディの回想が始まる。貧しい家庭、不良の兄のせいで、クリスもワルと見られていた。その彼が努力して弁護士になったのに、つまらぬケンカを止めようとして巻き添えで死んでしまう。

今、「スタンド・バイ・ミー」を見ると、クリスの死に二十三歳で死んでしまったリバー・フェニックスの死が重なる。深夜の森で焚き火の淡い光を浴びながら、クリスが給食費を盗んだことを告白するシーンの悲しみがさらに高まる。彼はその金を教師に返したのに教師はそれをネコハバし、盗みの犯人としてクリスが停学になる。

当時、朝日新聞の映画評はまったくの新人について「リバー・フェニックスが出色で、男の色気さえにおいこぼれる」と絶賛した。その称賛に値するクリス役だった。まだ十代半ばの少年である俳優が感じさせる人生の悲しみに、僕も反応した。しばらくは、会う人すべてに「スタンド・バイ・ミー」を勧めた。

「ランニング・オン・エンプティ」の原題を持つ「旅立ちの時」で十七歳の多感なダニーを演じたリバー・フェニックスにも、終始、悲しみがつきまとう。名前を変え、他人の戸籍を借用し、引っ越しばかりが続く生活の中でダニーは、ピアノに自分の才能を見出す。

新しく入った高校の音楽教師がその才能を評価する。音楽教師の娘をダニーは愛し、娘も彼を愛してくれる。音楽教師はジュリアード音楽院を受けるべきだと勧め、ダニーも実技審査を受ける。だが、入学するためには前の学校の成績表などが必要になる。

「正体が明らかになり、おまえにはFBIが張り付き、二度と家族とは会えなくなる」と父は言い、「家族は団結すべきだ」とダニーの自立を認めない。母親はダニーの夢を知り、十数年も会っていなかった父親に会いにいき「ダニーを預かって」と言う。

──いい映画だった。
 エンドロールが流れ、狭い廊下にでたとき、志村は足をとめた。ソファにすわり、ひとり泣いている女性を見たからである。
          (中略)
「なんで泣く必要があるんだい」
「だって、母親のアニーがリバー・フェニックスとピアノを連弾するシーン。アニーが父親と十五年ぶりに会って話すシーン。あそこで泣かない人は人間じゃない」
「じゃあ、おれは人間じゃないかもしれない」

幸いなことに「雪が降る」のヒロイン陽子に、僕は人間として認めてもらえそうだ。僕もこのふたつのシーンでは、涙をこらえるのが大変だった。そして、将来に何も望めない生活に耐えるリバー・フェニックスの、悲しみをこらえた演技にこみあげてくるものがあった。

「ナイーブな」という形容詞は、リバー・フェニックスのためにあるのだと僕は思った。ジェームス・ディーンとリバー・フェニックス以外に「ナイーブ」という形容詞の使用を禁止したい。改めて「僕ってナイーブだから」と自分で言う輩は何も言わず殴ってやろうと決意した(まあ、決意だけですが)。

ちなみに、「雪が降る」というタイトルは、もちろんアダモの「トンブ・ラ・ネージュ」からとっている。雪が降ることでドラマが始まるのだ。藤原伊織という人はこういう使い方がうまい人で、「テロリストのパラソル」ではゴールデン・カップスの「長い髪の少女」が、「シリウスの道」では中島みゆきの「地上の星」が聴こえてくる。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
日本冒険小説協会会長の内藤陳さんの誕生パーティに参加してきました。会場か渋谷で夕方に駅前にいましたが、ちょうど駅の反対側では自民党総裁に立候補したふたりが並んで演説していたようです。近くの神社が秋祭りで、神主姿の人が行き交ったり、御輿が車道を練り歩いていました。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/shop/shop2.asp?act=prod&prodid=193&corpid=1
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